2014年04月17日

臥薪嘗胆A

お待たせしました。続きです。
〈本文〉
太宰伯嚭受越賂、説夫差赦越。勾践反国、懸胆於坐、臥即仰胆、嘗之曰、

「女、忘会稽之恥邪。」

挙国政属大夫種、而与范蠡治兵、事謀呉。
太宰嚭、譖

「子胥恥謀不用怨望。」

夫差乃賜子胥属鏤之剣。子胥告其家人曰、

「必樹吾墓檟。檟可材也。抉吾目、懸東門。以観越兵之滅呉。」

乃自剄。夫差取其尸、盛以鴟夷、投之江。
〈書き下し文〉
太宰(たいさい)伯嚭(はくひ) 越の賂(まひな)ひを受け、夫差に説きて越を赦(ゆる)さしむ。勾践国に反(かえ)り、胆(きも)を坐臥(ざが)に懸け、即ち胆を仰ぎ之を嘗(な)めて曰(い)はく、

「女(なんじ)、会稽の恥を忘れたるか。」と。

国政を挙げて大夫(たいふ)種(しよう)に属(しよく)し、而(しか)して范蠡(はんれい)と与(とも)に兵を治め、呉を謀(はか)るを事とす。

太宰嚭、子胥謀(はかりごと)の用ゐられざるを恥ぢて怨望(えんぼう)すと譖(しん)す。夫差乃ち子胥に属鏤(しょくる)の剣を賜ふ。

子胥其の家人に告げて曰はく、

「必ず吾が墓に檟(ひさぎ)を樹ゑよ。檟は材とすべきなり。吾が目を抉(えぐ)りて、東門に懸けよ。以つて越兵の呉を滅ぼすを観んと。」

乃ち自剄(じけい)す。夫差其の尸(し)を取り、盛るに鴟夷(しい)を以つてし、之を江に投ず。
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〈juppo〉もう本当に難しい漢字だらけで、見ているだけで嫌になりますね。それも恐らく一生使うことはない漢字ばかりですから、私が高校生だったら「こんなものを勉強しても何の役にも立たない」と思ってたでしょうね。
 実際そんな高校生だったので、漢文なんてマジメに勉強した記憶がありません。今になって苦労するとは。やっぱり漢文も勉強しておけば良かったです。人生なんてそんなもんです。

 ところで、このお話を漫画にするのに私は教科書を見ていないので、『十八史略』からの抜粋をサイトから拾って来て描いているのですが、教科書の出典も同じなのでしょうか。『史記』にも同じ場面を扱った内容があることを今日知って、そちらは内容が多少異なるようなのです。Wikipediaによれば、日本では『十八史略』の方がお馴染みらしいので、このまま進めますが。はい、もう少し進みます。

 胆はここでは「きも」と読み、肝と同じです。辞書を引くと「内臓の主要部分。特に肝臓。」と出て来ます。動物の肝臓を生で嘗めている、ってことでしょうか。苦いかどうかというより、気持ち悪いですね。

 伯嚭という人はそもそも子胥をよく思っていなかったようで、その伯嚭の計略によって子胥は夫差の信頼を失ったばかりか、夫差から剣を賜ってしまう、ということは、この剣で死ね、ってことなんだそうです。何の釈明もせずに「はい、そうですか」みたいに死んでしまった子胥です。無念ですね。呉はそれまで子胥が仕えていた国なんですけど、滅びてしまえ、と思いつつ亡くなった訳です。

 檟(ひさぎ)は日本では楸と書くようですが、本文と同じ字を漫画にも使っています。何しろ木の名前のようです。その木で柩(ひつぎ)を作るようです。順番が逆なのでは、という気もします。

 もう1回だけ、続きます。ゴールデンウィークに突入しそうです。
posted by juppo at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

臥薪嘗胆@

 4月になりました。新学期ですね。私はちょっぴりタモロスです。ずいぶん前にいただいたリクエストにお応えします。漢文『十八史略』から、「臥薪嘗胆」です。
〈本文〉
呉王闔廬、挙伍員謀国事。員、字子胥、楚人伍奢之子。奢誅而奔呉、以呉兵入郢。
呉、伐越。闔廬傷而死。子不差立。子胥復事之。夫差志復讎。朝夕臥薪中、出入使人呼曰、
「夫差而忘越人之殺而父邪。」
周敬王二十六年、夫差敗越于夫椒。越王勾践以余兵棲会稽山、請為臣妻為妾。
子胥言、
「不可。」
〈書き下し文〉
呉王闔廬(ごおうこうりょ)、伍員(ごうん)を挙げて国事を謀(はか)らしむ。員、字(あざな)は子胥(ししょ)、楚人(そひと)伍奢(ごしゃ)の子なり。奢誅(ちゅう)せられて呉に奔(はし)り、呉の兵を以(もち)ゐて郢(えい)に入る。
呉 越(えつ)を伐(う)つ。闔廬傷つきて死す。子の夫差(ふさ)立つ。子胥復(ま)た之に事(つか)ふ。夫差讎(あだ)を復(ふく)せんと志す。朝夕(ちょうせき)薪中(しんちゅう)に臥(が)し、出入(しゅつにゅう)するに人をして呼ばしめて曰はく、
「夫差、而(なんぢ)越人(えつひと)の而の父を殺ししを忘れたるか。」と
周の敬王(けいおう)の二十六年、夫差越を夫椒(ふせう)に敗る。
越王勾践(こうせん)、 余兵を以(ひき)ゐて会稽山(かいけいざん)に棲(す)み、臣と為り妻は妾(せふ)と為らんと請(こ)ふ。子胥言ふ、
「不可なり。」と
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〈juppo〉臥薪嘗胆という四字熟語は耳にするものの、使ったこともどんな意味か深く考えたこともなく、何となく苦労するって意味だろうな〜、なんて思っていた皆さん、私もその程度でした。
 「薪に臥し、胆を嘗める」とは、薪の上に寝たり苦い胆をなめるということですから、わざわざ自分で自分を追い込んで、心に秘めた決意を忘れないようにする、ストイックな面々のお話です。

 出てくる人の名前がまず難しいですね。漢字が難しいです。
伍員さんは「伍子胥」という名前の方が有名なようなので、最初のコマ以外は「子胥」で統一しました。
 字(あざな)というのは中国で、成人男子が実名以外につけた名だそうですが、実名じゃない方が通り名になっているのは何故なんだ、と思いながら描きました。
 子胥さん以外の登場人物も、よくわからないまま描いていますが、どうやらどの人も有名人らしく、検索すると軒並み肖像が出て来ます。
 それら肖像を一応参考に描きましたが、似ているかどうかは自信がありません。多分本人に会ったことがある人はいないでしょうから、いつものようにイメージで読んでくださいね。

 「周の敬王の二十六年」というのは、日本でいえば元号みたいなものらしく、当時は周に力があったので、その国の王の在位何年度、てな数え方で時代を表したようです。

 夫差と夫椒が似ていて紛らわしいですが、前者は人の名で後者は地名です。
 ひとまず、薪の上に寝たのが夫差だったことがわかったところまでで、続きます。胆を嘗めるのは誰なんでしょう。


 ところで、「笑っていいとも!」が終わってしまいましたね。
 長年のいいともウォッチャーとして私は、ここ数年は番組内容とタモリさんに老いを感じていたこともあり「そろそろ終わっていいとも」と思っていた一人でしたが、本当に終わってしまった今、じわじわと喪失感に苛まれています。
 いつでもそこに当たり前にある日常のありがたみは、失って初めてわかるものですね。
posted by juppo at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

肝試しB

 完結編です。テスト前に全部ご紹介出来なくて、ホントすみません。
〈本文〉
入道殿はいと久しく見えさせ給(たま)はぬを、いかがとおぼしめすほどにぞ、いとさりげなく、ことにもあらずげにて参(まゐ)らせ給へる。
「いかにいかに」と問はせ給へば、いとのどやかに、御刀(おほんかたな)に、削(けづ)られたる物を取り具(ぐ)して奉(たてまつ)らせ給ふに、「こは何ぞ」と仰(おほ)せらるれば、「ただにて帰り参りて侍(はべ)らむは、証(そう)さぶらふまじきにより、高御座(たかみくら)の南面(みなみおもて)の柱のもとを、削りてさぶらふなり」と、つれなく申し給ふに、いとあさましくおぼしめさる。こと殿達(とのたち)の御気色(みけしき)は、いかにもなほなほらで、この殿のかくて参り給へるを、帝よりはじめ、感じののしられ給へど、羨ましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞさぶらひ給ひける。なほ、疑はしくおぼしめされければ、持ていきて押しつけて見給ひけるに、つゆたがはざりけり。その削り跡は、いとけざやかにて侍めり。末(すゑ)の世にも、見る人はなほあさましきことにぞ申ししかし。
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〈juppo〉懸命な読者の皆さんはもうお気づきだったかと思いますが、結末は当然、道長のひとり勝ちです。カッコイイ所を見せておしまい、ってことです。

 でも、今こうして読んでみると、実際そう大したことはしてないと思いませんか?
 夜道をひとりで出かけて行って、柱を削って帰って来ただけですよ。

 道隆、道兼がヘタレで任務を遂行出来なかったから、ただひとり成功した道長がこうまで持ち上げられているのは、行き過ぎな感じですよね。贔屓の引きたおしになってしまいそうです。
 他人の失態を利用して英雄ぶるのってどうなの?というか。道長本人に、そんな気はなかったのかもしれませんけれども。

 高御座は、帝がお座りになる玉座のことだそうです。そんな恐れ多い建造物を破損して、それは大丈夫なのか?と心配になります。

「なほなほらで」という部分が、何か変な言葉みたいで面白かったんですけど、「なお なおらで」と切って読むんですね。尚、直らないで、ということですね。

 ところで、今年も花粉症の季節がやってまいりました。
 今年の花粉は去年より少ないと聞いていた通り、今月に入っても大した症状は出なかったのですが、ここ2週間くらい鼻水が止まりません。毎年のことなので、鼻をかみ続けることくらい何でもないんですけど、続けていると頭が痛くなって来るのが困りものです。
 こうして毎年、春を迎えるのだなと思えば忌み嫌うばかりのものでもないんですけどね〜。
posted by juppo at 00:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

肝試しA

 順調に更新します。続きです。
〈本文〉
「私の従者(ずさ)をば具(ぐ)しさぶらはじ。この陣(ぢん)の吉上(きちじやう)まれ、滝口(たきぐち)まれ、一人を『昭慶門(せうけいもん)まで送れ』と仰せ言(ごと)たべ。それより内には一人入(い)り侍(はべ)らむ」と申し給へば、「証(そう)なきこと」と仰せらるるに、「げに」とて、御手箱(おほんてばこ)におかせ給へる小刀(こがたな)申して立ち給ひぬ。今二所(ふたところ)も、にがむにがむ各々おはさうじぬ。
 「子(ね)四(よ)つ」と奏(そう)して、かく仰せられ議(ぎ)するほどに、丑(うし)にもなりにけむ。
 「道隆は右衛門(うゑもん)の陣より出(い)でよ。道長は承明門(しようめいもん)より出でよ」と、それをさへ分かたせ給へば、しかおはしましあへるに、中関白殿(なかのくわんぱくどの)、陣まで念じておはしましたるに、宴(えん)の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術(ずち)なくて帰り給ふ。粟田殿(あはたどの)は、露台(ろだい)の外(と)までわななくわななくおはしたるに、仁寿殿(じじゆうでん)の東面(ひんがしおもて)の砌(みぎり)のほどに、軒と等しき人のあるやうに見え給ひければ、ものもおぼえで、「身(み)のさぶらはばこそ、仰せ言(ごと)も承(うけたまは)らめ」とて、各々立ち帰り参(まゐ)り給へれば、御扇(おほんあふぎ)をたたきて笑はせ給ふに、
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〈juppo〉大分夜更かしをしている殿上人たちです。午前2時の丑三つ時になって、帝はノリノリです。肝試しのルートを決めてますね。

 「陣」はここでは、警護の役人が詰めている所です。「吉上」、「滝口」はそれぞれ役職名です。
「昭慶門」は道長の目指す「大極殿」の前ににある門です。
「右衛門」は門の開け閉めなどを担当する人たちのことで、門が左右にあるうちの右側の門です。「承明門」はその門とは違う方向にあって、出口から別々に行けと言ってるのですね。
 「宴の松原」は道隆の向かう豊楽院の手前にあったらしい松林のことのようです。「露台」は建物の一部で、屋根のない台のことですが、ここでは建物と建物の間にある渡り廊下のようなところだそうです。

 このように、建物の名前やら建築様式の呼び名やらがたくさん出てくるので、地図を描こうかと思いましたが、どこまで行ったかはそんなに重要じゃないと思って描かないことにしました。
 内裏図は辞書や便覧などにも載っているはずですので、お手元にある方は参照しながら3人の肝試しルートを辿ってみるのも面白いかと思います。結局、道隆が一番近い所で脱落した模様です。ほとんど外に行ってない感じですけど、なにしろ夜中の2時で平安時代ですからね〜。外には魑魅魍魎がうろついて陰陽師と戦いを繰り広げていた時代です。

 それにしても、というかそんな時代だからなのか、肝試しなんてやってたんですね〜、昔の人も。物の怪と共存してた時代の肝試しは「試す」レベルでは終わらないのではないかと案じられますが、深夜に、明かりもあまりない所で、一人で行って何かして帰ってくる、という肝試しルールが1000年前から変わらずに21世紀に継承されていることに感銘を受けますよね。

 残るは道長の行方だけですね。あと1回、続きます。
posted by juppo at 04:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

肝試し@

ああっ、ブログの引っ越しをしただけで2月が終わってしまいました!他にしていたのは雪かきだけです。リクエストにお応えします!お待たせいたしました。『大鏡』です。
〈本文〉
 さるべき人は、とうより御心魂(みこころだましひ)のたけく、御守(おほんまも)りもこはきなめりとおぼえ侍(はべ)るは、花山院(くわさんゐん)の御時(おほんとき)に、五月(さつき)しもつやみに、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜(よ)、帝さうざうしくやおぼしめしけむ、殿上(てんじやう)に出(い)でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々物語など申し給(たま)ひて、昔おそろしかりける事どもなどに申しなり給へるに、「今宵(こよひ)こそいとむづかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだに、けしきおぼゆ。まして、もの離れたる所などいかならむ。さあらむ所に、一人往(い)なむや」と仰(おほ)せられけるに、「えまからじ」とのみ申し給ひけるを、入道殿(にふだうどの)は、「いづくなりともまかりなむ」と申し給ひければ、さる所おはします帝にて、「いと興(きよう)あることなり。さらば行(ゆ)け。道隆は豊楽院(ぶらくゐん)、道兼は仁寿殿(じじゆうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿(だいごくでん)へ行け」と仰せられければ、よその君達(きんだち)は、便(びん)なきことをも奏(そう)してけるかなと思ふ。また、承(うけたまは)らせ給へる殿ばらは、御気色(みけしき)かはりて、益(やく)なしとおぼしたるに、入道殿は、つゆさる御気色もなくて、
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〈juppo〉ちょっと長い話なので、3回くらいで描きます。1回目の今回はまだ肝試しには誰も行ってません。ミッションが告げられたところまで、ですね。

 花山院については以前出家の話を描きました。この帝は在位が短くて、17歳で即位して19歳で出家してますから、今回「花山院の御時」と言ってるのは帝が17、8歳の時ってことですね。
 いとやんごとなきご身分の方はヒマを持てあまして、下々の者に無体な要求を突きつけるものなのだな、と思えるシチュエーションですが、何しろ若い帝なので、大目に見てあげましょう。

 「しもつやみ」は、下旬の月のない晩という意味の言葉です。
 「さる所おはします帝」の「所」は具体的な場所の事ではなく、「そういうところのある帝」という意味です。この文の前に「所」が何度も出てくるので、ややこしいですよね。

 「豊楽院」、「仁寿殿の塗籠」、「大極殿」はそれぞれ、帝の住まいであった内裏の近所の建物です。「殿上の間」は、内裏の中の、清涼殿の中にある、部屋のことです。
 いつでもやる気の道長の何気ない一言のせいで、とばっちりを食った形の道隆・道兼の運命やいかに!?

 続きます。
posted by juppo at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする