2021年12月01日

あてなるもの

久しぶりにオールカラーです。短いです。「枕草子」四十段です。リクエストにお応えしています。
〈本文〉
 あてなるもの 薄色(うすいろ)に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削(けづ)り氷(ひ)に甘葛(あまづら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。水晶(すいさう)の数珠(ずず)。藤(ふぢ)の花。梅花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごのいちごなど食ひたる。
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〈juppo〉形容動詞「あてなり」には「高貴な」とか「身分が高い」という意味があります。「竹取物語」で、かぐや姫目指して「あてなるも賤しきも」男たちが押しかけてきた場面などもありました。
 「上品な」という意味もあり、ここでは身分がどうとかいうよりそこに品があって素敵♡なものを集めたようです。

 1コマ目、「薄色」とだけ言って何色かはっきり言ってなく、辞書にはいくつか色の候補が出てるんですけど、「薄紫」という訳があったのでそうしました。薄紫の「袙」というのは、表に着るものと肌着の間に着る着物のことだそうです。「汗衫」は「汗」という字が入っている通り、夏の衣類のようです。童女が着るものだとか。本当はもっと裾が長いです。多分。
 ところで「かざみ」とタイプしても「風見」としか変換されないので、一字ずつ変換しました。「衫」は「さん」で変換されます。豆知識。
 「かりのこ」はガンや鴨やアヒルの卵で、確かに鴨の卵って綺麗な色なんですね。

 そして3コマ目、平安時代にもかき氷があった、というのが今回のハイライトです。リクエストは書籍出版元の時岡氏から来ましたが、このエピソードがイチ押しだったようです。甘葛は今でいうどの植物のことか、はっきりしてないみたいです。あまちゃづるのことかも、な説もあるようです。この甘葛かき氷を再現しようと試みるプロジェクトが各地で展開されている模様です。

 可愛いとかキレイとか、うっとりするものはいろいろありますが、「品がある!」と見えるもの限定で並べているのが面白いですよね。どれも確かに「品がある」ものかどうかは、個人の感想ですよね、と言いたいところですが。

 次回は漢文から。の予定です。
posted by juppo at 21:58| Comment(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月23日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)B

最終回です。今回もマスク着用でお送りします。
〈本文〉
念珠(ねんず)を押し摺(す)りてそばへ寄り来たる程、もともたのもし。御頸(くび)に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して、寿量品(じゆりやうほん)を打ち出(いだ)して読む声はいと貴し。さばかり貴き事もありけりと覚ゆ。少しはがれて高声(かうしやう)に誦(よ)む声、まことにあはれなり。持経者、目より大(おほ)きなる涙をはらはらと落して泣く事限りなし。その時覚めて、御心地いとさはやかに、残りなくよくなり給ひぬ。かへすがへす後世まで契(ちぎ)りて帰り給日ぬ。それよりぞ有験(うげん)の名は高く広まりけるとか。
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〈juppo〉少し前に夕方の「純ちゃんの応援歌」再放送で、鶴瓶さんがマラリアの発作に襲われて「キニーネ買うてきて。キニーネ飲んだら治んねん」とか何とか言うシーンがありました。キニーネは19世紀に発見されたマラリアの特効薬で、副作用があるために代替薬に取って代わられて現代では用いられていないようですが、当然このお話の時代にもそのような特効薬はなく、こうしてお経を読んでもらって病気を治していたと・・・病は気からとも言いますし・・・。現代の感覚で読むと「まさかぁー」な話ですけど。坊さん自身、自分の風邪は医者に相談してますしね。

 ともかくありがたいお経ですっかり気分爽快になって帰ることになりました。「後世まで契りて」は何を契ったのか、はっきり言ってないですね。普通、古文で後の世までなどと言う時は、生まれ変わっても愛し合おうねみたいな意味ですが、ここでは末代まで信仰するからね、くらいの意味でしょうか。

 坊さんが「御頸に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して」いるところは、実際何をどうしているのかよくわかりませんでした。「頸」は「首」とも「頭」とも訳されるようですし、膝ってこんなふうに膝枕してるってこと?と、不安なまま作画しています。

 病が癒えたのにマスクを外してもらうのを忘れました。すっかりマスク社会に慣れきってしまったせいだと思います。その方が自然というか。持経者もいない21世紀でも、コロナは終息に向かっていきそうですが、マスクのない日常はいつ戻ってくるでしょう。

 次回は多分短いのを。近日中に。できれば。
posted by juppo at 23:04| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月13日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)A

秋ですねぇ。続きです。
〈本文〉
しかれども、「ただ上人(しやうにん)を見奉らん。只今まかり帰る事かなひ侍らじ」とありければ、「さらばはや入り給へ」とて、坊の蔀(しとみ)おろし立てたるを取りて、新しき筵(むしろ)敷きて、「入り給へ」と申しければ、入り給ひぬ。
 持経者沐浴(もくよく)して、とばかりありて出であひぬ。長(たけ)高き僧の、痩(や)せさらぼひて、見るに貴(たふと)げなり。僧申すやう、「風重く侍るに、医師(くすし)の申すに随(したが)ひて、蒜(ひる)を食ひて候(さぶら)ふなり。それにかやうに御座(おはしまし)候へば、いかでかはとて参り候ふなり。法華経は浄不浄をきらはぬ経にてましませば、読み奉らん。何条事か候はん」とて、
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〈juppo〉ここしばらく秋らしい陽気が続いて過ごしやすかったのですが、来週からは寒くなるらしいですね。嫌ですねー。

 さて、前回「にんにくを食べてるから」と会い渋っていた坊さんが出て来ます。にんにくを食べてるのは、医者に勧められたからだと。医学的ににんにく推奨なんですね。ところがにんにくとかねぎなど、匂いの強い野菜を食べることは、僧侶的には不浄とされるのだそうです。でも法華経は浄不浄を嫌わないお経だから大丈夫!ということだそうです。ここでの法華経は、「如来寿量品」とかいう、延命息災に効き目のあるお経なんだとか。

 坊さんが口臭を気にしているようなので、これまたマスクで登場していただきました。
 マスクといえば、「マスク頭痛」なる症状があるそうですね。そうだったのかあ!というくらい思い当たる節あり、です。マスクでバレエのお稽古した日の夜など、頭痛率高いです。マスクしたまま運動するなんて、考えたら異常ですよね。人類史上初なのではないでしょうか。そんなことをしていて身体に良いとはとても思えません。オリパラで活躍されたアスリートの皆さんは、どうやってマスクでの練習をこなしていたのでしょう。大変だったでしょうねー。

 マスクをするのは具合が悪い時だけ、な世の中が待ち焦がれます。マスクの話になると結局こういう結論に達してしまいます。

 次回は最終回。近日中に。
posted by juppo at 23:10| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月08日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)@

今回はリクエスト作品じゃないです。宇治拾遺物語です。宇治拾遺物語ってどれもこんなタイトルなんです。
〈本文〉
 昔、閑院大臣殿、三位中将におはしける時、わらはやみを重くわづらひ給ひけるが、「神名といふ所に、叡実(えいじつ)といふ持経者(ぢきやうしや)なん、わらはやみはよく祈り落し給ふ」と申す人ありければ、「この持経者に祈らせん」とて、行き給ふに、荒見川の程にて早う起り給日ぬ。寺は近くなりければ、これより帰るべきやうなしとて、念じて神名におはして、坊(ばう)の簷(のき)に車を寄せて、案内を言ひ入れ給ふに、「近比(ちかごろ)蒜(ひる)を食ひ侍り」と申す。
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〈juppo〉昨年よりコロナに翻弄される世界になってしまってから、昔から人類はこうして疫病と戦ってきたわけだし、古典作品にもその有様を描いたものがあるのではないかと思い、探したところ、いくつか見つかったうちの一つです。
 ここでの疫病「わらはやみ」は「おこり」と訳してありますが、「おこり」が一体何なのかというと、マラリヤのことのようです。
 持経者というのは主に法華経を読むお坊さんです。そのお坊さんにお経を読んでもらって、マラリヤの類であるおこりを治してもらおう、という話です。

 病をおして出かけていく閑院大臣殿とは、藤原公季(ふじわらきんすえ)と言って藤原師輔(もろすけ)の子、とかいうことです。発熱中なので、マスクをしてもらいました。この時代にこのようなマスクはもちろんなかったと思うのですが、あくまでも演出です。

 発作が起こってしまった荒見川の辺りとは、今は紙屋川というそうです。東京もんには耳慣れない川です。この川と公季さんのご自宅がどの程度の距離なのかもよくわからないですが、とにかくここまで来たなら寺へ行ってしまえ、という程度の距離なんでしょう。

 そうまでして辿り着いた寺では、お目当の坊さんが「蒜を食ひ侍り」と言って面会を渋っているのです。口臭を気にしてのことのようです。
 無事にお経を読んでもらえるのかどうか、続きます。全部で3回です。

 マスク生活もすっかり当たり前になってしまって、ノーマスクの人を見ると見てはいけないものを見てしまったくらいの感覚を覚えますよね。
 もうマスクしなくてもいいよ、という日は訪れるのでしょうか。訪れて欲しいですね。
 久しぶりにマスクを外した人の顔を見ると、ちょっと老けて見えたりするかもしれません。中には「あれ?前と何か顔が違うな」と思える人もいたりするかもしれません。マスクの下はずっと工事中でした、みたいな。
posted by juppo at 01:08| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月24日

能は歌詠みA

@を上げて1週間ぐらいで続きを更新しようと思っていたのですが、1週間は思いの外速く過ぎてしまい今日になりました。続きです。
〈本文〉
「このはたをりをばきくや。一首つかうまつれ」とおほせられければ、「あをやぎの」と、はじめの句を申出(まうしいだ)したるを、さぶらひける女房達、おりにあはずと思(おもひ)たりげにて、わらひ出だしたりければ、「物をききはてずしてわらふやうやある」と仰(おほせ)られて、「とくつかふまつれ」とありければ、

 青柳のみどりのいとをくりをきて夏へて秋ははたをりぞなく

とよみたりければ、おとゞ感じ給(たまひ)て、萩をりたる御ひたたれを、をしいだしてたまはせけり。寛平歌合に、はつ鴈を、友則、

 春霞かすみていにしかりがねは今ぞなくなる秋霧の上に

とよめる、左方にてありけるに、五文字を詠(よみ)たりける時、右方の人、こゑごゑにわらひけり。さて次の句に、霞ていにしといひけるにこそ音もせずに成(なり)にけれ。おなじ事にや。
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〈juppo〉急に寒くなりました。寒いと、グズグズしますよね。何かと。

 さて前回、唐突に大臣から特技の歌詠みを指摘された侍でした。自ら「得意です!」と言っただけあって、一瞬硬直したものの、与えられたお題「はたをり(きりぎりす)」で見事に詠んでみせた後編です。
 女房たちが笑ったのは、きりぎりすといえば秋なのに、「青柳」は初夏のもので季節が違うよ〜ということなんですけど、その青柳を取っておいて、秋にきりぎりすが機織りしてるよという歌だったんですね。「最後まで聞かんかい!」と女房たちを一喝した大臣、つくづく出来たお人ですね。こういう人が上司であったら仕事も楽しかろうというものですね。
しかも詠まれた歌にかなり心を打たれたようで、すかさず贈り物まで賜ってくださる。太っ腹な上司でもあります。ここが肝心です。

 後半の3コマは、今回のさすがな歌詠みの話はそういえば、かつての歌の名人にも同じようなエピソードがあるよ、という挿話です。別にこの部分がなくても「能は歌詠み」な話は成立すると思うんですけど、こういう他の話に例えるのって、古文の世界ではよくありますね。
 「寛平の歌合」というのは、宇多天皇の時に行われた歌合わせの会のことで、左右に分かれて歌を読みあったんだそうです。友則は紀友則のことかな、と思いましたが、歌は「詠み人知らず」の作品のようです。

 「青柳の」も「春霞」も、その場面だけでなく、次の季節から振り返って詠んだ時の流れも盛り込んだ歌になっているんですね。人が何かを披露しているときは、最後までじっくり見てから批評しようね、というお話ですよね。

 
posted by juppo at 19:35| Comment(0) | 古今著聞集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする