2014年09月05日

完璧帰趙@

9月になりました。もう9月なんですね。リクエストにお応えします。漢文です。『史記』です。
〈本文〉
於是、王召見、問藺相如曰、
「秦王、以十五城請易寡人之璧。可予不。」
相如曰、
「秦彊而趙弱。不可不許。」
王曰、
「取吾璧、不予我城、奈何。」
相如曰、
「秦以城求璧、而趙不許、曲在趙。趙予璧、而秦不予趙城、曲在秦。均之二策、寧許以負秦曲。」
王曰、
「誰可使者。」
相如曰、
「王必無人、臣願奉璧往使。城入趙而璧留秦。城不入、臣請完璧帰趙。」
〈書き下し文〉
是(ここ)に於いて、王召見し、藺相如(りんしやうじよ)に問ひて曰はく、
「秦王、十五城を以て寡人の璧(へき)に易(か)へんことを請ふ。予(あた)ふべきや不(いな)や。」と。
相如曰はく、
「秦は彊(つよ)くして趙は弱し。許さざるべからず。」と。
王曰はく、
「吾が璧を取りて、我に城を不へずんば、奈何(いかん)せん。」と。
相如曰はく、
「秦城を以て璧を求むるに、趙許さずんば、曲は趙に在り。趙璧を予ふるに、秦趙に城を予へずんば、曲は秦に在り。之(こ)の二策を均(はか)るに、寧(むし)ろ許して以て秦に曲を負はしめん。」と。
王曰はく、
「誰(たれ)か使ひすべき者ぞ。」と。
相如曰はく、
「王必ず人無くんば、臣願はくは璧を奉じて往(ゆ)きて使ひせん。城趙に入らば璧は秦に留めん。城入らずんば、臣請ふ璧を完うして趙に帰らん。」と。
kanpeki1.jpeg
〈juppo〉「完璧」を「完壁」と間違えて書いているのをよく見ますね。かつて私も間違えた学生のひとりでした。「ぺき」は壁じゃなくて璧なんですね。下の部分が、土じゃなくて玉なんです。
「璧」を画像検索すると、丸くてキレイなものがいろいろ出て来ます。
 元になったお話も、カベの話じゃなくて何やら丸くて大事なものの話です。その丸い璧とかいうものが、どれほど貴重なものなのか分かりませんが、城15個と交換してもらえるほどの価値があるようですから破格です。

 このお話は、以前書いた『刎頸之交(ふんけいのまじわり)』の前の部分に当たるお話です。今回、藺相如が趙王のためにひと働きしますが、その働きによって相如の位が上がるところから『刎頸之交』は始まるんでした。
 さらにこの「完璧帰趙」のもっと前に、「和氏璧(くわしのへき)」というお話があって、趙の王はその時、楚で和氏の璧というのをもらったらしいのです。その話もいつか、機会があれば描くかもしれません。
 今回このお話を描くに当たって、藺相如その他の登場人物はどんな風に描いたっけ、と以前描いた「刎頸之交」の原稿を引っ張り出して見直し、ついでに他の作品の原稿も広げて読みふけってしまうという、自画自賛の夜を過ごしたりしていました。面白いですね。時間が経ってまとめて読むと自分で描いたものが。

 本文はこちらのサイトを参考にしました。
http://kanbunjuku.com/archives/405

 調べるうちに、『十八史略』に『完璧而帰』というタイトルがあり、もっと短くまとまった内容の同じ話を見つけましたが、リクエストいただいたのが『史記』の『完璧帰趙』でしたので、ごらんの内容でお届けすることにしました。長いので、3回くらいで描きます。

 相如の台詞で「曲は趙に在り」というのがありますが、この「曲」は中国語では「道理に反した、誤った」という意味があるんですね。

 漢文はもともとは中国語で書かれたものな訳ですから、これをそのまま読めるようになると、中国語もマスター出来る!ってことでしょうか。
ちなみに「完璧帰趙」を中国語読みすると「ワンビーグイチョウ」となるそうです。

posted by juppo at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 漢文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月08日

姨捨(をばすて)A

後編です。台風は今どこですか!?
〈本文〉
寺に尊き業(わざ)する、見せたてまつらむ」といひければ、かぎりなくよろこびて負はれにけり。高き山の麓(ふもと)に住みければ、その山にはるばるといりて、たかきやまの峯の、下り来べくもあらぬに置きて逃げてきぬ。
「やや」といヘど、いらへもせでにげて、家にきておもひをるに、いひ腹立てけるおりは、腹立ちてかくしつれど、としごろおやの如(ごと)養ひつゝあひ添ひにければ、いとかなしくおぼえけり。この山の上より、月もいとかぎりなく明くていでたるをながめて、夜一夜ねられず、かなしくおぼえければかくよみたりける、

 わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月をみて

とよみて、又いきて迎へもて来にける、それより後なむ、姨捨山といひける。慰めがたしとはこれがよしになむありける。
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〈juppo〉ホントに捨てられなくてよかったですねぇ〜。一晩山の上に放置されたとは言え。
家に帰って男はかなり冷静に分析・反省していますが、山の上に行くまでとか、帰ってくる間にそういう余裕はなかったんですかねー。なかったんでしょうねー。
 
 自分ではよく考えて行動しているつもりでも、後から思うとやけに熱くなって冷静を欠いていたなー、と反省してしまうことってありますよね。
 熱くなってなくても、ぼんやりした頭で着て出た服を「何でこんな服着て来ちゃったんだろう・・」と後悔するようなことはしょっちゅうです。

 冷静になりすぎて出遅れるより勢いで突っ走った方が成功する場合もあるかもしれませんが、もし万が一取り返しのつかないことでもしてしまったらと思うと、何をするにももう一度落ち着いて考えるとか、人に相談して客観的な意見を伺うという態度はやはり必要なんでしょうね。
 特にこう毎日暑いと、冷静になるのも難儀なほど脳が働かないですからね。
 
 皆さんも、今しようとしていること、それ、もう一度よく考えてみてください。

 このお話によれば、あー、あんなことしなければよかった、という「慰めがたし」な気持ちを「姨捨山のことだね」と言うそうです。そんなことにならないで、楽しい夏をお過ごしくださいね。
posted by juppo at 01:13| Comment(6) | TrackBack(0) | 大和物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月01日

姨捨(をばすて)@

ご無沙汰です!8月になってしまいました。リクエストにお応えします。新カテゴリです。『大和物語』から「姨捨(をばすて)」です!
〈本文〉
 信濃の国に更級といふところに、男すみけり。わかき時に親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひそひてあるに、この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかゞまりてゐたるをつねににくみつゝ、男にもこのをばのみ心さがなく悪しきことをいひきかせければ、昔のごとくにもあらず、疎(おろか)なること多く、このをばのためになりゆきけり。このをばいといたう老いて、二重にてゐたり。これをなをこの嫁ところせがりて、今まで死なぬこととおもひて、よからぬことをいひつゝ、「もていまして、深き山にすてたうびてよ」とのみせめければ、せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ。月のいと明き夜「嫗(おうな)ども、いざたまへ。
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〈juppo〉7月は31日もあると思っていたのに、もう終わってしまったとは残念です。
 今年の夏は結構ヒマなので、せいぜいブログを更新していこう!と思ってたんですけど、その決意の前に立ちはだかったのがこの暑さです。まぁ言い訳はいいとして。

 タイトルの「姨捨」は「をばすて」と読むようですが、このお話は「うばすて山」と呼ぶのがスタンダードですよね。
 たまたま今日、日本人男性の平均寿命がついに80歳超え!というニュースを耳にしました。超高齢化の現代日本では、いらない年寄りを捨てにいこうと思ったら人口激減に直結しかねないので、いや、そもそも年寄りの方が元気だったりするのでいらない年寄りなんていないんですけど、老老介護とか孤独死とかお年寄り関連の問題はいつの時代にもあることで、だからこそ廃れないんですねー、このお話は。

 今回改めて調べてみたら、『大和物語』って平安時代前期の作品なんですよ。1000年以上前から、高齢者問題はあったのですね。

 古い物語だからか、分かりやすいお話にしては読みにくい文章ですよね。腰が曲がっている様子を「二重にてゐたり」なんて表現は面白いですけど。折りたたみ式携帯を想像してしまいました。

 男の妻がたいそう悪役です。妻は若かった頃のおばを知らないから余計嫌うんでしょうか。
 とにかく、おばあちゃんが可哀想で可哀想で、作画のスピードも落ちた事は否めません。・・なんて言い訳はいいとして。
 次回に続きます。男は本当におばを山に捨てて来るのか!?乞うご期待、です。
 皆さん、熱中症には気をつけてお過ごしくださいね。私は既になっています。軽く。
posted by juppo at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

村上天皇と中宮安子A

 続きです。期末テスト中の皆さん、ご苦労様です。
〈本文〉
「渡らせ給(たま)へ」と申(まう)させ給へば、思ふにこのことならむ、とおぼしめして、渡らせ給はぬを、たびたび、なほも御消息(ごせうそこ)ありければ、渡らずばいとどこそはむづからめと、恐ろしう、いとほしくおぼしめして、おはしましたるに、「いかで、かかることはせさせ給ひたるぞ。いみじからむさかさまの罪ありとも、この人々をばおぼしめし免(ゆる)すべきなり。いはむや、まろが意(こころ)ざまにて、かくせさせ給ふは、いとあるまじく心憂(こころう)きことなり。ただ今召(め)し返(かへ)せ」と申させ給ひければ、「いかでか、ただ今は免さむ。音聞(おとぎ)き見苦しきことなり」と聞こえさせ給ひけるを、「さらにあるべきことならず」と、責め給ひければ、「さらば」とて、帰り渡らせ給ふを、「おはしましなば、ただ今しも免させ給はじ。ただこなたにてを召せ」とて、御衣(おんぞ)をとらへ奉(たてまつ)りて、立て奉らせ給はざりければ、いかがはせむとおぼしめして、この御方(おほんかた)に職事(しきじ)召してぞ、参(まゐ)るべきよしの宣旨(せんじ)を下させ給ひける。これのみにもあらず、かやうなる事(こと)ども、いかに多く聞こえ侍(はべ)りしかは。
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〈juppo〉後半はほとんど夫婦ゲンカの8コマでした。完全に尻に敷かれる村上天皇です。中宮安子は、調べたら13歳くらいで村上さんに嫁いでいます。嫁いだ時はまだ天皇ではありませんでした。村上天皇を継ぐ冷泉天皇、その次の円融天皇を産んだ人なのだそうです。そしてこの『大鏡』ではおなじみの、藤原道長は甥にあたるそうですよ。
 帝にとっては本妻ですし、子供を何人も産んでいるらしいので、もっとどーんと構えていても良さそうな気もしますが、この気性の荒さがあってこそ本妻の座を死守し得たのかもしれません。38歳くらいで亡くなってしまうようですけど。

 一方の帝はどう見ても后を愛してますよね。なんだかんだ言っても妻の要求を最後には飲んでますからねー。「さかさまの罪」というのはその名の通り、従うべき主君や親を裏切る罪のことだそうですが、そんな罪を犯しても自分に免じて許すべきだ、という主張です。その自信は一体どこから・・・と呆れるほどの強さに押されるしかなかったとしても、恐らくこういう事が日頃から繰り返されていて、そのつど帝が引いてるんだろうな、と思わせる結末であります。

 このお話は今回で終了です。前回書いた通り、ここに至る前半部分はいつか機会かリクエストがあったら、描こうと思います。


 さて、期末テストが終わればもうすぐ夏休みですね!皆さん、夏休みの予定はもうお決まりですか?

 我が家では最近、奥多摩方面の温泉巡りがブームです。
IMG_0485.JPGこれでも東京都。
IMG_0526.JPG秋川渓谷では忍者を募集しております。
IMG_0565.JPG先週は山梨まで。
posted by juppo at 02:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

村上天皇と中宮安子@

リクエストにお応えします!大変長らくお待たせいたしています。『大鏡』です。
〈本文〉
 藤壷(ふぢつぼ)、弘徽殿(こきでん)、上(うへ)の御局(みづぼね)は、ほどもなく近きに、藤壷の方(かた)には小一条女御(こいちでうのにようご)芳子(ほうし)、弘徽殿にはこの后(きさき)安子(あんし)上(のぼ)りておはしましあへるを、いとやすからずおぼしめして、えやしづめがたくおはしましけむ、中隔(なかへだ)ての壁に穴をあけて、のぞかせ給(たま)ひけるに、女御の御容貌(おほんかたち)の、いと美しうめでたうおはしましければ、むべ時めくにこそありけれと御覧(ごらん)ずるに、いとど心やましくならせ給ひて、穴よりとほるばかりの土器(かはらけ)の割れして、打たせ給へりければ、帝(みかど)のおはしますほどにて、こればかりには、え堪(た)へさせ給はず、むづかりおはしまして、「かやうのことは、女房(にようばう)はえせじ。伊尹(これまさ)・兼通(かねみち)・兼家(かねいへ)などが、言ひもよほしてせさするならむ」と仰(おほ)せられて、皆殿上(てんじやう)にさぶらはせ給ふほどなりければ、三所(みところ)ながら、かしこまらせ給へりしかば、その折(をり)に、后いとど大(おほ)きに腹立たせ給ひて、
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〈juppo〉ご無沙汰してしまいました。ブログを更新しない間に日本代表はもうブラジルから帰国してしまったではありませんか。大会前にはW杯って1ヶ月もやってるんだぁ〜と感想を抱いたものでしたが。

 こちらのリクエストは中間試験前にいただいたのですが、気づくともう期末試験前か後ですね。本当にいつもスミマセン。

 先週、近くの中学校の期末テスト対策学習会のお手伝いに呼ばれて行った際に、図書室で訳を作って来ました。
 図書室にあった『大鏡』は厚くて固い本でしたので内容が詳しく載っており、ここの部分は「右大臣師輔」の章にあり、中宮安子についてはここの少し前の部分から話が始まっていて、その部分もついでに図書室で訳したのですが、多分教科書に載っているのはここからかなー、と思ったのでここから描きます。

 描かなかった前の方の部分というのは、主にその右大臣師輔についての説明です。右大臣には息子が11人、娘が5、6人いて、第一の姫が安子です。安子は多くの女御の中でも輝く存在だったそうですが、ちょっとイジワルで嫉妬深い性格だった、というようなことが前の部分に書かれているのです。

 その内容を知っていてもいなくても、この部分の解釈に影響はないと思うので、特にリクエスト等いただかない限りはその部分は漫画にしないことにします。とりあえず。

 ちょっとイジワルで嫉妬深いので、隣の部屋に他の女がいるだけで落ち着かない安子です。藤壷、小徽殿の上の部屋というのは帝の住まいである清涼殿の、女御が控える部屋です。「壁に穴をあけ」とありますが、実際にはこの2人がいる部屋は壁1枚で隔たっている訳ではないので、穴から覗いたり、焼き物のかけらを投げ入れたりすることは不可能なんだそうです。一説にはこのエピソードが起こった当時は壁だけだった、とするものもあるようですが。

 伊尹・兼通・兼家の3人は安子の兄弟です。安子のせいにはせず、兄弟たちにそそのかされたんだろうと思う帝には優しさを感じますが、安子は感じなかったようで、兄弟たちがそのせいで謹慎させられたことにまたご立腹・・・というところで続きます。

 ところで全くの余談ですけど、芳子、安子という名前はどうしても「よしこ」「やすこ」と読んでしまいますよねー。別にそれでいいと思いますけど。読み方がテストに出ない限りは。この記事を書く時もずっと「やすこ」で入力・変換しましたよ。『枕草子』の中宮定子も「さだこ」です。「ていし」で変換すると「停止」になってめんどくさいので。

 
posted by juppo at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする