2019年12月28日

これも仁和寺の法師B

今年もあと3日ですよ。完結編です。
〈本文〉
ものを言ふもくぐもり声に響きて聞えず。「かかることは文(ふみ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、又仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上(まくらがみ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。
 かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失(う)すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引き給へ」とて、藁(わら)のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、頸(くび)もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。
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〈juppo〉ええ〜前回まで面白かったのに、こんな結末ヤダ。と思われるかもしれませんが、こういう話なんです。
 耳と鼻が欠けて穴になってしまったということですが、想像するのも嫌なので絵にしませんでした。耳と鼻が欠けるくらいなら、顎の骨なんかも砕けてしまうのではないかと思うのですけど、当時はまだX線がなかったので、外から見える障害にしか言及されてないのかもしれません。足鼎が外せない間はしばらく飲まず食わずでいたでしょうから、痩せて外せるようにはならなかったのでしょうか。「石鹸水をつけてみたら?」なんて助言してあげたくなりますね。石鹸があれば、ですけど。

 おそらくこれが今年最後の記事になる当ブログですが、こんな結末で締めくくることになるとは。何かもっとほんわかしたお話にすればよかったかなぁ、なんて思う年の瀬です。年末年始、大人の方はお酒を飲む機会も増えることと思いますが、飲む方も飲まない方も、くれぐれも外せないようなものを頭に被らないように、なメッセージになってしまいましたか。

 私の介護生活も当分続きそうです。母は車椅子でしか移動できないものの、最近スポーツクラブへまた連れて行っています。ヨガもピラティスもできないんですけど、とりあえず参加させてもらったり、メンバーさんたちと会って話しかけていただくと、元気になって帰れるし食欲も出るようです。会費を払っているとはいえ、こんな母を快く受け入れてくださるスポーツクラブには感謝しかありません。来年もよろしくお願いします、YOUTH町田さま。


 来年も皆さんにとって良い年でありますように。心も体も健康にお過ごしください。
posted by juppo at 23:32| Comment(0) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月22日

これも仁和寺の法師A

続きです。いつの間にやら年の瀬ですね。
〈本文〉
とかくすれば、頸(くび)のまはりかけて血たり、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪(た)へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(みつあし)なる角(つの)の上に、帷子(かたびら)をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり、率(ゐ)て行きける道すがら、人のあやしみ見る事かぎりなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。
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〈juppo〉面白すぎる、昔の人。何やってんでしょう。どうしても脱げないので割ってはずそうとしていますが、前回申し上げたように足鼎というものは金属製だそうなので、陶器かなんかだったらよかったんですが、そう簡単に割れるものとは思えませんよねー。お寺の鐘をつくような状態になるのではないかと想像できます。中の人は耐え難いでしょうね。
 帷子は単衣(ひとえ)の着物です。それを被ってても被ってなくても、人目を引くのは避けられないでしょう。隠されているものにこそ、人は興味を惹かれるものですからね。
 最後のコマで感想を述べているのは筆者の吉田兼好さんです。「徒然草」は兼好さんの徒然なる随筆なので、ご本人に語っていただきました。時々こんな風に登場してます。
 さて医者には打つ手があるのでしょうか。次回、完結編です。もう描いてあるので年内に更新します。予想外の結末を、なるべく焦らしてお届けしたい気持ちです。

 気がついたら今年もあと10日なんですね。今年は平成から令和への改元があったために、令和になってまだ半年くらいなのに!と意表を突かれた感じがしませんか。えっ、もう令和2年になっちゃうの?な感じ。それはそうなんですけど、やっぱり今までとちょっと違う。昭和から平成になった時は昭和64年は1週間しかなかったので、平成元年は普通の1年に感じられたんじゃなかったかなぁと思います。今年が短かすぎる気がするのは決して歳のせいじゃないんだ!という話です。
 
 
posted by juppo at 01:33| Comment(0) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

これも仁和寺の法師@

大変ご無沙汰をしてしまいました。リクエストにお応えします。徒然草第五十三段です。
〈本文〉
 これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとする名残とて、各(おのおの)あそぶ事ありけるに、酔(ゑ)ひて興に入るあまり、傍(かたはら)なる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平(ひら)めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事かぎりなし。
 しばしかなでて後、抜かんとするに、大方(おほかた)抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑(まど)ひけり。
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〈juppo〉書籍第四弾の告知をして以来、めっきり音沙汰なしですみません。新刊を買ってくださった方、ありがとうございます。ところが、発売した新刊に乱丁が発覚し、発売即回収なんてことになっていたようです。ご購入された方は今一度内容をご確認ください。108ページと110ページに同じ漫画が載っていたら出版元のKSTプロダクションまでご連絡くださいますよう。無料で訂正版をお届けするそうです。
 初版は全て刷り直して、そろそろ発売し直しているころかと思います。私はまだ現物を見ていないんですけどね。
 そんなアタフタでブログを放置していたわけではなく、初夏のころからは仕事が忙しかったというのが一番の言い訳なんですけど、別の理由もあります。その話は後ほど。

 仁和寺といえば「仁和寺にある法師」を昔描きました。「高校古文まだまだこういう話」に収録されています(宣伝)。
 今回のお話は『徒然草』でのその次の段なので、石清水八幡宮を知らなかったあのお坊さんのお話がもうひとつあるのかと思って描き始めたら、べつに同一人物ではないようです。仁和寺には話のネタになる坊さんが何人もいたということでしょうか。

 お寺にいる子供が登場すると、小坊主にしたりお稚児さんにしたり絵にするときに迷うんですけど、今回はこれから頭を剃って僧侶になる修行に出る子供とのお別れのようなので、まだ髪がある稚児の姿になっています。
 お坊さんたちもこんなに酒に酔って乱れるのか、と思われそうですが、そういう話なので。
 どんな身分の人でもお酒が入るとこんなもんかもしれません。そして酒の席というのは何かと行き過ぎてしまうのもよくあることですね。

 お坊さんが頭にかぶった足鼎とは足つきの釜で、お湯を沸かしたり食べ物を煮るのに使ったものだそうです。銅などの金属製だったようです。
 なぜそんなものを頭にかぶってしまうのか。酔っぱらいの前にそれがあったからとしか理解できません。そしてなかなか入らないものを無理やりかぶったので、やっぱり抜けないんですね〜。
 コメディの王道みたいな展開になってきました。どう解決するのかは、続きをお待ちくださいね。あと2回続きます。

 
 さて、ブログをサボっていたもう一つの理由です。10月後半から、私は母の介護をするようになりました。
 87歳になる母は9月の初めに腰椎の圧迫骨折をして、それでも1ヶ月は多少弱りながらも普通に生活していたのに、10月に入って一週間ほどで急に立つことも出来なくなったのです。食が細くなり、栄養を取れなくなってしまったことも原因のようで、2週間ほど入院して経過観察ののち退院し、その後は自宅で寝ています。
 退院しても歩けないのでリハビリに通ったり、最近はデイサービスに行き始めました。

 今月は日本語レッスンの仕事がお休みになり、久しぶりに無職になったので、介護をしながらもこうしてブログを再開することが出来ました。
 先月あたりは慣れない介護生活への動揺と疲労と体調不良な1週間もあったりして、結構大変でしたが、だんだん慣れてきたので時間を見つけて漫画描きます。頑張ります。
posted by juppo at 02:07| Comment(0) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月13日

10月29日発売のお知らせ

 大変ご無沙汰しております。
 台風19号の被害に遭われた方々には、お見舞い申し上げます。1日も早く日常生活が取り戻せますように。
 さて、3ヶ月あまりも何をサボっているのか、何をしていたのかというと、特に何も、いえ、いろいろしていたんですけど、特別なことはしていないんです。仕事がちょっぴり忙しくなったり、4冊目の本の準備を少しずつしていたり、庭に蜂の巣ができて退治するのに10日もかかった夏だったり、でいつの間にか秋になっていたのでした。そしてこの一週間は母が入院しておりまして、未だ退院の目処は立っていないものの、歩いて退院できる日を目指して面会に通う日々なのでした。
 もうすでに言い訳が疲れていますが、次の作品を早く描けたらいいなぁと思ってます。思ってるだけなのかと。
 それはさておき、そうです、4冊目が出ます!
 『高校古文じっくりこういう話』は10月29日発売です。予約受付中です。

 よろしくお願いします!
posted by juppo at 22:14| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

虫愛づる姫君K

長らくお付き合いをいただきました「虫愛づる姫君」もついに最終回です。名残惜しい気持ちです。
〈本文〉
取りて、「あないみじ、むまのすけのしわざにこそあめれ。心憂げなるむしをしも興じ給へる御顔(おんかほ)を見給ひつらむよ」とて、さまざま聞こゆれば、いらへ給ふ事は、「思ひとけば、ものなむはづかしからぬ。人は夢幻(まぼろし)のやうなる世に、誰かとまりて、悪しき事をも見、よきをも見思ふべき」とのたまへば、いふかひなくて、若き人々、おのがじし心憂がりあへり。この人々、「返事(かへりごと)やはある」とて、しばし立ち給へれど、わらはべをもみな呼び入れて、「心憂し」といひあへり。ある人々は心づきたるもあるべし。さすがにいとほしとて、
 人に似ぬ心のうちは かはむしの
  名を問ひてこそ いはまほしけれ
むまのすけ、
 かはむしに まぎるるまゆの毛の末に
  あたるばかりの人はなきかな
といひて、笑ひて返りぬめり。二の巻にあるべし。
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〈juppo〉終わってみると結局何の話だったのかなぁ、と思うこともままある古文の世界です。
結局右馬の助は姫に会わずに帰るし、姫の虫好きはそれからどうなったのかもわかりません。最後に「二の巻にあるべし」とあるのは、この後の物語は次の巻にあるんでしょうね!お楽しみに!!なノリで終わっているわけですが、ノリだけで本当に次の巻があるのではないんだそうです。「ぜってぇ見てくれよな!」で関心を集めて終わる、現代の連続ものの手法がこの時代から確立されていたんですねー。連続じゃないのに!

 そして結局最後まで名前のなかったこの姫、「モデルがいたんですね」とツイ友さんが教えてくれて「えっ、そうなんですか?」と言ったらwikiにそうあると。私も描き始める前に見ていたはずなのに、忘れていました。平安時代に、趣味に秀でた藤原宗補という太政大臣がいて、蜂を可愛がって飼っていたと。その大臣と、娘がモデル、と言われているようです。「虫愛づる姫君」じゃなく「蜂愛づる大臣」ですね。着想を得たとしても、面白く脚色してあるなぁ、と思います。

 「風の谷のナウシカ」も、このお話にヒントを得たとwikiにはありますが、この姫の方が断然強烈なキャラで、私は好きです。世界を救うことなど考えてもいないところも含めて。
 強烈すぎて、時々何を言っているのかわからないのですが、今回の「人は夢幻・・・」のセリフも、一度読んだだけでは理解できない哲学的なセリフですよね。要するに「短い人生の間に、何がいいとか悪いとか、判断できる人なんていないでしょうよ!」てことだと思います。だから人に「恥ずかしいからやめなさい」と言われても全然聞く気はない、ということなんですね。2コマ目で大夫がいろいろ話しているのは、そういうことだったようです。達観してますよねー、姫。

 我が道をゆく姫はその主義を改めることもなく、右馬の助は第三者が書いてくれたとは知らずに返事をもらってウキウキで帰る、ある意味ハッピーエンドですね。八方丸く収まってますからねー。姫の父や侍女たちは「心憂」な日々がまた続いていくとしても、現状維持であって悪化ではないのですから、多くを望んではいけませんね。

 ではまた、できれば近いうちに。他のお話で。
posted by juppo at 20:47| Comment(0) | 堤中納言物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする