2020年05月31日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにC

5月の終わりとともに、最終回です。
〈本文〉
 二日ばかり音(おと)もせねば、うたがひなくて、右京(うきやう)の君のもとに、「かかる事なむある。さる事やけしき見たまひし。しのびてありさまのたまへ。さる事見えずは、かう申したりと、な散らしたまひそ」と言ひやりたるに、「いみじう隠させたまひし事なり。ゆめゆめまろが聞えたると、な口にも」とあれば、さればよと思うもしるく、をかしうて、文(ふみ)を書きて、また密かに御前(おまへ)の高欄(かうらん)に置かせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落して、御階(みはし)の下(しも)に落ちにけり。
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〈juppo〉えーと、テレビの次はブルーレイレコーダーが壊れ始めました。家電の故障連鎖です。続けて来ますよね、こういうの。

 さて、他に何もしないうちに5月も終わるし、この章も最終回です。最終回は短めです。3話目からは二日おきのインターバルでお話が進んでいます。前回、届いた畳が届け間違いであったなら誰か何か言ってくるんじゃ、と思いながら二日過ごし、何もないのでやっぱり中宮様からの贈り物だったのか、と確信に至ったようですね。
 そこまでに至っても、中宮様に直接お礼を言う前にさらに裏を取ろうとして女官仲間に問い合わせています。「右京の君」てのがその人です。
 当時はいちいち文を書き、手元まで届けてやりとりしていますけど、LINEなどで質問したり相談したりする私たちの生活と変わらないですよねー。

 最後に中宮様に宛てて書いたお手紙の内容がわからないままですが、右京さんがバラしたことがバレないように気を使っているでしょうから、はっきりお礼ではなく、いわゆる「匂わせ」な内容だったのでしょうか。
 その手紙の行方が不明なままで終わっています。「御前の高欄」に置いたのがどのように置いたのか判然としないのでただ乗せただけの絵にしちゃってます。「まどひけるほどに」という経過は、中宮様の手に届くまでにその手紙を手に取った誰かが失くしたり間違えたり忘れたり・・な、無限の可能性を秘めた「まどひ」ですね。結局、届いたのかどうかもわからないようなので。
 
 次回は多分、漢文です。近いうちに。

 
 1年前の今日、5月31日は京都にいました。母と清水寺に行きました。清水の舞台まで一緒に登った母は今、要介護5です。1年でこんな風になるとは。高齢とはいえ、予想外でした。介護生活は相変わらずですが、とにかく食が進まないので、「少なくても、食べやすくてカロリーの高いものは何か」ということを常に考えて模索する日々です。よくある栄養補助食品もいろいろ試して、ネスレの「アイソカル」がその分野では今我が家の人気No. 1です。その後、ハーゲンダッツのアイスクリームのカロリーがハンパないことを突き止めたので、これからの季節、冷蔵庫に切らさないようにしたいと思います。世のダイエッターの方々とは逆のベクトルで情報を探っているのであります。
posted by juppo at 18:24| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにB

我が家にも、アベノマスクが届きました!続きです。
〈本文〉
 二日(ふつか)ばかりありて、赤衣(あかぎぬ)着たる男(をとこ)、畳を持て来て、「これ」と言ふ。「あれは誰(た)そ。あらはなり」など、ものはしたなく言へば、さし置きていぬ。「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて取り入れたれば、ことさらに御座(ござ)といふ畳のさまにて、高麗(かうらい)など、いときよらなり。心のうちにはさにやあらむなんど思へど、なほおぼつかなさに、人々出だして求むれど、失(う)せにけり。あやしがり言へど、使(つかひ)のなければ、言ふかひなくて、所たがへなどならば、おのづからまた言ひに来(き)なむ。宮の辺(へん)に案内(あない)しにまゐらまほしけれど、さもあらずは、うたてあべしと思へど、なほ誰(たれ)か、すずろにかかるわざはせむ。仰(おほ)せ言(ごと)ナメリト、いみじうをかし。
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〈juppo〉前回、このお話を描く前に疫病ネタを探して諦めたことを打ち明けましたが、図らずもステイホームな清少納言さんということで、これもまたタイムリーなネタだったなということにさっき気づきました。こじつけと言わても致し方のないことですが。

 ステイホーム中の清少納言さんがリモートで宮中とやりとりをしているんですよね。前回の紙の束に続いて今回は唐突に畳が届きます。お籠り生活には宅配が必須なのは千年前からの常識なんですね。
 この届け人の男は「赤衣着たる」とあるので、実は着物を赤く塗ってあります。うっかり白黒でスキャンしてしまったので、赤いということは残念ながら文章からしか分かっていただけないのですけど。

 紙の束には中宮様からのメッセージがついていたので送り主は明らかでしたが、今回は差出人も届けた人も、送り先さえよく分からない。今でもそうですが、届け間違いででもあったらその旨申し出があるだろうと判断するしかないのです。

 「御座」はいわゆるゴザのことではなく、高貴な人が座る「御座所」の畳の上に重ねて敷く畳のことだそうです。
 「高麗縁」は1話目から登場してるのに詳しく説明をしてませんでしたね。1話の中で絵にしてあるので、こんな縁だということが伝わっていればそれで良いんですけど、「白地の綾に雲形または菊花などの紋様を黒く織りだしたもの」だそうですよ。何か伝統的な畳のへりの一つなんですね。
 その高麗縁も、そもそも清少納言さん自ら中宮様の前で言及したことなので、どう考えても中宮様からのお届けだけど、はっきりしないために考えを巡らせ続ける清少納言さんです。
 あと1話残っていますが、果たして謎は解けるのでしょうか!?

 ところで、壊れたテレビはまだ処分できずに車に載っています。テレビとの旅はいつまで続くのか。
posted by juppo at 23:34| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにA

新しいテレビを購入し、各種コードと格闘の末接続が整い、充実したテレビライフを取り戻しました!続きです。
〈本文〉
 さて後(のち)ほど経(へ)て、心から思ひ乱るる事ありて、里にあるころ、めでたき紙、二十を包みて給はせたり。仰(おほ)せ言(ごと)には、「とくまゐれ」などのたまはせて、「これは聞(きこ)しめしおきたる事のありしかばなむ。わろかめれば、寿命経(ずみやうきやう)もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつる事をおぼしおかせたまへりけるは、なほただ人にてだにをかしかべかし。まいて、おろかなるべき事にぞあらぬや。心も乱れて、啓(けい)すべきかたもなければ、ただ、
 「かけまくもかしこきかみのしるしには
    鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな
あまりにやと啓せさせたまへ」とて、まゐらせつ。台盤所(だいばんどころ)の雑仕(ざふし)ぞ御使(つかひ)には来たる。青き綾(あや)の単衣(ひとへ)取らせなどして。
 まことに、この紙を草子(さうし)に作りなどもてさわぐに、むつかしき事もまぎるる心地して、をかしと心のうちにもおぼゆ。
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〈juppo〉前回、テレビのことで頭がいっぱいで言い忘れましたが、この作品を描く前に疫病を扱った作品を描こうかな、と探していました。こんな状況ですので。先人たちが流行病とどう向き合っていたか、何か得るものがあるのではないかと思って。いろいろ探したんですけど適当なものが見つからず、見送りました。こういうのがあるよ、とお知恵をお持ちの方はリクエストください。

 さて、前回は中宮様の御前にいらした清少納言さん、今回はなにやら思い悩むことがあったとかで里に引きこもっておいでです。何があったんでしょうか。ここでは悩みのもとは明らかになりません。
 相思相愛の中宮様からは贈り物攻撃です。前回、紙がどうの畳がどうのとかなりマニアックなこだわりを発表していたので、気に入りそうな贈答品を選ぶのもたやすいですよね。

 「寿命経」というのはお経の中でも延命を祈願する経文だそうです。これも前回、清少納言さんが良い紙を手に入れたら生きていけそう、なんて言ってたので、中宮様は謙遜気味に「良い紙じゃないから書けないかも」と言ってるんですね。
 「台盤所」は女官たちの控室、「雑仕」は下級の女官のことです。配達に来ただけのお手伝いにお礼の品をあげてしまうほど、清少納言さんの気持ちはだいぶ高まっているようです。悩んでいる時や落ち込んだ時は、このように好きなものに囲まれるに限りますね。そういう時は少し贅沢をしても、自分を慰めるために、好きなものを皆さんも用意しましょう。

 
 ところで無事に繋がった新しいテレビですが、実は以前通りに繋がってないところがまだあります。その部分は急を要さないのでまあいいとして、問題は古いテレビの処分です。新しいテレビを買った家電屋で修理ができるかどうか聞いたら、もう無理だろうとのこと。ではどこかで引き取ってもらおうと思ったら、思い出しましたが「家電リサイクル法」とかいうのが出来てテレビはおいそれと捨てられないのですね。地元町田市の処理場では処分できず、不用品を引き取るお店などでも5000円かかるというんです。そのテレビを買った店に持っていくか、郵便局で「家電リサイクル券」を購入して隣の市の引取り所に運ぶしかないようです。10年以上前に、亡き父がこのテレビをどこで買ったか私にはわかりません。知っていたとしても保証書でもなければ買ったことを証明できない。保証書を探すか、郵便局に行くかの2択です。そうこうしている間、古いテレビがどこにあるかというと、車に積んであるのです。家に置いておくと邪魔なので。車の中でも邪魔なんですけど。早く処分したい。
posted by juppo at 22:07| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどに@

テレビが壊れました。他に何も考えられない中で更新しています。久しぶりに『枕草子』、二五九段です。長いタイトルですね。
〈本文〉
 御前(おまへ)にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしうむつかしう、かた時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙(しきし)、みちのくに紙(がみ)など得(え)つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。また高麗(かうらい)ばしの筵(むしろ)、青うこまやかに厚気が、縁(へり)の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを、ひきひろげて見れば、何か、なほ、この世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなき事にもなぐさむなるかな。姨捨山(をばすてやま)の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせたまふ。候(さぶら)ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」など言ふ。
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〈juppo〉テレビなしではステイホームで過ごせません。テレビのない文化的な生活に挑むチャンスなどとは考えない私は新しいのを買いに走りましたが、コロナのせいで家電屋も早仕舞いしているではありませんか。急遽NHKプラスのアプリをダウンロードして、チコちゃんはスマホで見ました。明日また家電屋に行ってきます。明るいうちに。

 以前、『姨捨』という作品を描いた時に、「『枕草子』に姨捨山のエピソードが出てくる」とコメントを寄せていただき、いつかそちらも作品化しようとその時思ってから何年経ったことやら、と、いつものような化石候補の一つです。

 清少納言さんの好き嫌いの激しさは今に始まった事ではないですけど、紙だの筆だの畳だので命さえ惜しくなるとは。そんなことで心が慰められるなら、慰めがたい気持ちを表す「姨捨山の月」を見るのはどんだけ慰められない人なのか、と中宮さまは問うておられるんですね。
 「息災の祈り」は仏教の言葉で、災難を防ぐ祈りだそうです。あっさり「安全祈願」としてしまいましたが、まぁそういうことですよね。

 この作品にはかなり畳へのこだわりが綴られてます。今後も出てきます。今回の「筵」は薄い敷物のことで、「ひきひろげて」見たりしてるので、折りたたんだりできるものだそうです。ここでは「ひきひろげて」と原文にあるのでそう書きましたが、私は「布団をひく」という言い方には違和感を抱いています。「しく」ではないかと。「敷布団」なら。

 私の違和感はともかく、全部で4回でご紹介します。続きは近いうちに。
posted by juppo at 04:15| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

若紫(北山のかいまみ)E

皆さんお元気ですか!私もマスクを作り始めました。「かいまみ」、ついに最終回です。
〈本文〉
「この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはんや。世を棄(す)てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれ)へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえん」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。
 あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深(ふか)うつきぬ。
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〈juppo〉前回、源氏の訪問を聞きつけた坊さんは今回、ミーハー気質満開で「見に行こうぜ!」と女性たちを誘っています。時々思うんですけど、古文に登場するお坊さんたちって、ノリがいいですよね。現代のお坊さんたちの中にも、ロックコンサートを開く方がいたり、ノリはそれぞれだと思いますが、およそ「僧侶」に連想される落ち着きはらった悟りの境地にいる人のイメージから遠い坊さんが古文にはよく出てくるなぁ、と思いませんか。

 源氏のことを「光る源氏」と呼んでいますが、変換ミスではありません。「光源氏」がフルネームなのではなく、「光」はもともと「光りかがやく君」と呼ばれたことからくる形容詞なんですよね。

 ノリノリな坊さんの呼びかけに応えて女性たちが自分を見に来るぞ、と察した源氏はとっとと退却してます。つつ、偶然見かけた美女を思い出して幸福感に浸っているようです。自分が「すき者」である自覚はあるようです。誰もが「すき者」である必要はないと思いますが、こうして嬉しいことをつくづく思い出して幸せな気持ちになれるというのは、大事なことですよね。日頃気分が沈む経験や腹立たしい出来事が頭の中を占めてしまうような時でも、大なり小なり幸せな記憶を呼び起こして自分を慰められたら、いいと思います。眠れない時も楽しいことを思い出すといい、と元SMAPのクサナギくんが言ってました。

 守備範囲の広さには定評のある光源氏ですが、祖母と孫である尼君と若紫両人とも射程内に納めています。若紫のことを、藤壺の代わりに、と考えていますが、父・桐壺帝の中宮、つまり奥さんである藤壺に想いを寄せる源氏は、このとき里に下がっているとかで会えないその人にちょっと似てる若紫に惹かれてしまったのですね。実は若紫の父親が藤壺の兄なんですって。若紫は藤壺の姪なんですね。似てるワケです。

 源氏が幼女の面影で胸をいっぱいにしたところで、この章はとりあえず終了です。続きとか、ここに至る前とか、描く機会があればまたいずれ。

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材料は古着や古布。
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マスクの備蓄はまだあるんです。最近あまり外出もしないので減らないし。単に作りたかったので作りました。こういう事態になると、不恰好なマスクでも恥ずかしくなく使えますしね。
posted by juppo at 18:23| Comment(2) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする