2017年04月22日

扇の的D

ついに最終回です!与一くんありがとう!
〈本文〉
与一、鏑(かぶら)をとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。小兵といふぢやう、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓はつよし、浦ひびく程ながなりして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりをいて、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入(い)りければ、扇は空へぞあがりける。しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に、一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日のかがやいたるに、みな紅(ぐれなゐ)の扇の日出(いだ)したるが、しら浪のうへにただよひ、うきぬ沈(しづ)みぬゆられければ、奥(おき)には平家、ふなばたをたたいて感じたり。陸(くが)には源氏、ゑびらをたたいてどよめきけり。
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〈juppo〉前回と今回の、その、教科書に載っている部分というのは結構短くて、6コマずつで描くつもりでした。@を描く前にもうここだけコマ割りしてラフもうっすら入れてたんですが、ここまで描いてきていざ最終回のペン入れをしようと思ったら、最終回なのに与一くんの出番が少ないな!ということにハタと気づき、急遽全部描き直して与一くんのシーンを増やしました!

 ラフを描いてからかなりの時間がかかってしまったために、描きながら「えびらって何だっけ!?」てなことになったりもしました。「えびら」は矢を入れる筒のことだそうです。
 かぶら矢は絵に描いた通り、先がちょっと丸みを帯びた矢の名前です。丸い部分が鏑というもので、矢に取り付けて使うとか。射るとこの部分がびゅるる〜と鳴って、合戦を始める合図に用いたりしたんだそうです。
 矢が音を立てて飛んだり、与一の成功に源平両軍が船べりやえびらを叩いて騒いでいる様子を想像すると、当時の合戦というのはなかなか賑やかですね。いわゆる鳴り物を使ってスポーツの応援をしているような雰囲気なんでしょうか。

 一寸はだいたい3pでそう訳しましたが、弓の長さはそのままにしました。十二束三伏というのは握りこぶし12個と指3本の長さなのだそうです。人によって違うと思うのですが、普通の弓が十二束で、それが約92pだそうなので、それより少し長い・・ということは、1m弱くらいでしょうか。要するに、普通のより少し長い弓を使っている、ということみたいです。

 
 長らくのおつきあいをいただき、ようやく「扇の的」が完結します。参加してくれた与一くんとお別れするのが淋しくて、長々描いてしまったということも、ちょっとだけあります。
この何ヶ月かの間、「新日本古典文学大系」の「平家物語 下」を図書館で借りては延長し、返してはまた借りる、というのを繰り返しました。やっと返せます、町田さるびあ図書館さま。

 最後にもう一度、与一くん並びに大田原市観光協会様にお礼を申し上げて終わりたいと思います。
 ありがとうございました!
 与一くんの左袖の形状とか、完全には似せられなかった点はどうかご容赦を。
posted by juppo at 01:59| Comment(9) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

扇の的C

いよいよ佳境です!
〈本文〉
ころは二月十八日の酉刻(とりのこく)ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。舟は、揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸(くが)には源氏、くつばみを並べてこれを見る。いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき。与一目をふさいで、「南無(なむ)八幡大菩薩、我が国の神明(しんめい)、日光権現(につくわうのごんげん)・宇都宮・那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二度面(おもて)を向かふべからず。いま一度本国へ迎編とおぼしめさば、この矢はづさせたまふな。」と心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。
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〈juppo〉普通「扇の的」と言えば、ここからですよね。今回と次回の2回で、その部分をお届けします。
 ここに来て唐突に、1コマ目のように海が荒れていることが発覚しました。今までそんな風に海を描いておりませんでしたが、現場にいたらこんな感じだったかもと想像していただければ幸いです。
 要するに、波が高くて扇の的は揺れて定まらないし、北風はここでは与一にとって向かい風だとかで、だいぶ不利な条件が整っちゃったな、ということなんですね。

 しかしながら、6コマ目では風も少し収まったようです。神様への祈りが通じたのでしょうか。

 与一が祈る神々がずらずら並ぶので、途中で「以下略」にでもしてしまおうかなんて暴挙に走りそうになりましたが、日光、宇都宮、那須、と与一にとって地元の親しみあるはずの神様を省略できないので原文通り祈ってもらいました。最初の「南無八幡大菩薩」の南無は信仰します、という意味で、八幡大菩薩は軍神として武士の皆さんの崇敬があった神様だそうです。

 今回はほぼ与一くんの一人舞台になりました。描けば描くほど、可愛いですね〜与一くん。
 次回はついに最終回です!


 ところで先月、母と、幼なじみの母娘と、奄美大島へ行って来ました。
 偶然にも3回に亘って放送された「ブラタモリ」とのコラボ旅行になりましたが、全くの偶然で、旅したばかりのあそこやあそこがまたテレビで見られたのは嬉しかったです。
 現地の方は口をそろえて「海と山しかない」と言うのですが、本当にそうでした。それがイイんですよ。イイとこでしたよ〜。
IMG_1964.JPGタモさんも登った高知山展望所。

IMG_1991.JPGホノホシ海岸。海。そして山。
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2017年03月05日

扇の的B

お待たせしました。続きです。
〈本文〉
与一畏(かしこま)って申けるは、「射(ゐ)おほせ候はむ事不定(ふぢやう)に候。射損じ候なば、ながきみかたの御きずにて候べし。一定(いちぢやう)つかまつらんずる仁に仰(おほせ)付(つけ)らるべうや候らん」と申(まうす)。判官大にいかって、「鎌倉をたって西国へおもむかん殿原(とのばら)は、義経が命(めい)をそむくべからず。すこしも子細を存ぜん人は、とうとう是より帰らるべし」とぞの給ひける。与一、重ねて辞せばあしかりなんとや思(おもひ)けん、「はづれんは知り候はず。御定(ごぢやう)で候へば、つかまってこそみ候はめ」とて、御まへを罷立(まかりたつ)。黒き馬のふとうたくましゐに、小ぶさの鞦(しりがい)かけ、まろぼやすったる鞍置いてぞ乗ったりける。弓とりなをし、手綱かいくり、右はへむひてあゆませければ、みかたの兵(つはもの)共、うしろをはるかに見をくって、「このわかもの、一定つかまつり候ぬと覚(おぼえ)候
」と申ければ、判官もたのもしげにぞ見給ひける。
 矢ごろすこしとをかりければ、海へ一段ばかりうちいれたれども、猶(なほ)扇のあはひ七段ばかりはあるらむとこそ見えたりけれ。
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〈juppo〉与一くんに少し動きが出てきて、ちょっとオリジナルと違う絵になってきています。ゆるキャラとしての与一くんはいつもにこやかな表情なんですが、義経の命令を聞きがならニコニコしているワケにもいかないので、それなりの顔つきになっていただきました。

 ここまでが、中学国語の教科書では解説で済まされている部分です。この次が、いよいよ与一の華麗なる弓の腕が披露される場面です。一刻も早くご披露したいと思っていますよ!

 一段(たん)、七段と、また距離を表す語が出てきています。ここでも、一段≒11メートルを採用しました。約によっては、微妙に差があって、一段=10メートル、七段=70メートルになっているのもあるようですが、まぁだいたいそのくらい、で読んでいただければどちらでも良いのかと思います。
 今回、一番アタマを悩ませたのは、与一の乗る馬の鞍です。「まろぼやすったる」の「まろぼや」は丸い「ほや」のことで、「ほや」が「やどり木」のことなんだそうです。やどり木を丸く図案化した文様がついた鞍、のようです。それは一体どんな鞍?と行き詰まっていろいろ調べましたが、結局よくわかりませんでした。西洋にもヤドリギの図案というのは結構ある、家紋にやどり木をモチーフにしたものもある、などの知識は増えたものの、鞍の全体像は分からないまま、結果的に意図せずして鞍はそれほど見えないアングルの絵になってしまいました。一応、鞍につけた模様はやどり木の家紋とかいうものを参考にしているんですけど、小さくてハッキリしないですね。

 次回、ついに扇の的を狙う与一くんの活躍をお楽しみに。
posted by juppo at 05:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月06日

扇の的A

続きです。とってもスペシャルなコトになっています!
〈本文〉
さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申(まうす)。「射つべき仁(じん)は、みかたに誰(たれ)かある」との給へば、「上手どもいくらも候なかに、下野(しもつけの)国の住人、那須(なすの)太郎資高(すけたか)が子に、与一宗高(よいちむねたか)こそ、小兵(こひやう)で候へども、手ききで候へ」。「証拠(しやうこ)はいかに」との給へば、「かけ鳥なんどをあらがうて、三(みつ)に二(ふたつ)は必ず射落(ゐおと)す物で候」。「さらば召せ」とて召されたり。
 与一、其此(そのころ)は、二十(にじふ)ばかりのおのこ也。かちにあか地の錦をもつて、おほくび・はた袖いろえたる直垂(ひたたれ)に、萌黄(もよぎ)をどしの鎧(よろい)着て、足じろの太刀をはき、切斑(きりふ)の矢の、其日のいくさに射て少々残つたりけるを、かしらだかに負ひなし、うす切斑に鷹の羽はぎまぜたるぬた目のかぶらをぞさしそへたる。しげどうの弓脇にはさみ、甲(かぶと)をば脱ぎたかひもにかけ、判官の前に畏(かしこま)る。「いかに宗高、あの扇のまんなか射て、平家に見物せさせよかし」。
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〈juppo〉下野国は今の栃木県のあたりです。今回、このお話を描くために那須与一について調べている中で、栃木県大田原市のゆるキャラ「与一くん」の存在を知りました。今まで知らなくてゴメンなさい。
 与一くんの可愛さに釘付けになった私は、「これはこのキャラで話を進めるべきでは!?」と思い立ち、大田原市観光協会に出演依頼のメールを送ったところ、格別なお計らいにより、出演を快諾していただき、この度のコラボ作品が実現したというわけです。大田原市観光協会さま、与一くん、ありがとうございました!

 そんなわけで、那須与一について詳しく知りたい方は、こんなところにいないで是非大田原市のページを訪れてください。
 「小兵」というと今だと、「小兵力士」というのをよく聞きますよね。里山とか石浦とか、宇良くんとか。もともと、兵ですから大柄ではない兵士のことを指すわけですね。
 後半は主に、与一の装束が詳しく語られています。詳しく書かれてはいますけれど、まぁ与一くんのようなファッションだったと思っていただければ良いと思います。
 「足じろの太刀」とは、刀の鞘に紐をつける金具(足金物)が銀で出来ている、ということのようです。
 「切斑」は矢の羽の黒白の斑紋のことで、「薄切斑」はその黒白がぼんやりしているものだそうです。
 「かぶら」は「鏑矢(かぶらや)」のことで、矢の先に鏑と呼ぶキャップのような物をつけて、飛ばす時に大きな音が鳴るようにしたものです。形が野菜のカブラ(かぶ)に似ているのでこういうそうです。
 「たかひも」は、鎧の前後を肩の部分で結ぶ紐だそうです。
・・・などなど、それぞれ詳しく絵に描いてはいないのですが、皆さんも実際に甲冑を着て戦場に赴く機会でもなければ、気にする必要は生じないものかと思われます。

 判官義経に扇を示され「やっちゃえよ!」的なお言葉を得た与一くんの活躍が、次回は見られますかどうか、しばらく続きます。


大田原市観光協会
http://www.ohtawara.info/index.html

与一くんブログ
http://o-yoichi.jugem.jp
posted by juppo at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

扇の的@

あーもう1月も終わりなんですね〜。皆さん、明けましておめでとうございます。リクエストにお応えします。
〈本文〉
 さる程に、阿波(あは)・讃岐(さぬき)に平家をそむいて源氏をまちける物ども、あそこの峰、ここの洞(ほら)より十四五騎、二十騎うちつれうちつれ参りければ、判官ほどなく三百余騎にぞなりにける。「けふは日暮れぬ。勝負を決すべからず」とて、引退(ひきの)く処(ところ)に、おきの方より尋常(じんじやう)にかざったる小舟一艘(さう)、みぎはへむいてこぎよせけり。磯へ七、八段(たん)ばかりになりしかば、舟をよこさまになす。「あれはいかに」と見る程に、舟のうちより、よはひ十八、九ばかりなる女房の、まことにゆうにうつくしきが、柳のいつつぎぬにくれなゐのはかま着て、みな紅(くれなゐ)の扇の日出(いだ)したるを、舟のせがいにはさみ立てて、陸(くが)へむひてぞまねひたる。判官、後藤兵衛実基(ごとうびやうゑさねもと)を召(め)して、「あれはいかに」との給へば、「射(ゐ)よとにこそ候めれ。ただし大将軍矢おもてにすすむで、傾城(けいせい)を御らんぜば、手たれにねら打て射落(ゐおと)せとのはかり事とおぼえ候。
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〈juppo〉今年のブログ始めは「平家物語」です。

 この「扇の的」にリクエストをいただいたのは、もうずいぶん前のことです。何度も描こうと思いながら、その都度いろいろあって先送りになってしまっていました。思い出すのは父が亡くなる少し前、平家物語を図書館で借りてきたのにその後バタバタしたまま他のリクエスト作品に紛れてしまったあの夏です。父が亡くなったのは7年も前ですから、放置の歴史にしみじみとしてしまいます。毎度のことながら、本当にスミマセン。

 お話はタイトル通り、扇の的を弓で射る話です。那須与一(なすのよいち)という人が射る人ですが、今回はまだ登場していません。
 この作品は中学2年の国語の教科書に載っていると思いますが、古文として勉強するのはその与一が弓を構えてから見事に射るところまでで、その前の場面は口語での説明になってたと思います。
 漫画にするにあたって、その与一のシーンだけ描くつもりで訳し始めましたが、どういう経緯でそのシーンに至ったか、やはり説明が必要になることがわかり、説明するくらいならそこから漫画にしてしまおう、ということでここから描き始めました。結局、どういう理由で平家の小舟が扇を立てて源氏を挑発することになったのかは、漫画にしてもわからないままなんですけど。
 
 以前描いた「能登殿の最期」は、このもう少し後の場面です。ここは源平合戦の終わりの始まりのシーンなんですね。
 「判官」は源義経のことで、義経率いる源氏軍が壇ノ浦に到着したところです。
 小舟が止まった磯へ七、八段の「段」は「たん」と読み、一段は約11メートルというのと約2.7メートルという二つの解釈があり、時代によって違うらしいのです。訳によっても違っていたりするのですが、扇までの距離が遠くて射るのが難しいという今後の展開から、一段≒11メートルを採用することにしました。

 「女房」とは奥さんではなく、宮中に仕える女性のことですね。その女房が着ている「柳がさねのいつつぎぬ」ですが、「柳がさね」は表が白、裏が青のかさねの色目とかで、冬から春にかけての装束だそうです。「いつつぎぬ」は着物を5枚重ねて着るスタイルのようです。

 「傾城」は「その色香で城を傾け滅ぼすほどの美女」だそうです。相当美人です。

 次回、満を持して与一が登場します!なるべくお待たせしないうちに描きたいです。今年もどうぞよろしくお願いします。
posted by juppo at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする