2020年04月26日

若紫(北山のかいまみ)E

皆さんお元気ですか!私もマスクを作り始めました。「かいまみ」、ついに最終回です。
〈本文〉
「この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはんや。世を棄(す)てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれ)へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえん」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。
 あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深(ふか)うつきぬ。
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〈juppo〉前回、源氏の訪問を聞きつけた坊さんは今回、ミーハー気質満開で「見に行こうぜ!」と女性たちを誘っています。時々思うんですけど、古文に登場するお坊さんたちって、ノリがいいですよね。現代のお坊さんたちの中にも、ロックコンサートを開く方がいたり、ノリはそれぞれだと思いますが、およそ「僧侶」に連想される落ち着きはらった悟りの境地にいる人のイメージから遠い坊さんが古文にはよく出てくるなぁ、と思いませんか。

 源氏のことを「光る源氏」と呼んでいますが、変換ミスではありません。「光源氏」がフルネームなのではなく、「光」はもともと「光りかがやく君」と呼ばれたことからくる形容詞なんですよね。

 ノリノリな坊さんの呼びかけに応えて女性たちが自分を見に来るぞ、と察した源氏はとっとと退却してます。つつ、偶然見かけた美女を思い出して幸福感に浸っているようです。自分が「すき者」である自覚はあるようです。誰もが「すき者」である必要はないと思いますが、こうして嬉しいことをつくづく思い出して幸せな気持ちになれるというのは、大事なことですよね。日頃気分が沈む経験や腹立たしい出来事が頭の中を占めてしまうような時でも、大なり小なり幸せな記憶を呼び起こして自分を慰められたら、いいと思います。眠れない時も楽しいことを思い出すといい、と元SMAPのクサナギくんが言ってました。

 守備範囲の広さには定評のある光源氏ですが、祖母と孫である尼君と若紫両人とも射程内に納めています。若紫のことを、藤壺の代わりに、と考えていますが、父・桐壺帝の中宮、つまり奥さんである藤壺に想いを寄せる源氏は、このとき里に下がっているとかで会えないその人にちょっと似てる若紫に惹かれてしまったのですね。実は若紫の父親が藤壺の兄なんですって。若紫は藤壺の姪なんですね。似てるワケです。

 源氏が幼女の面影で胸をいっぱいにしたところで、この章はとりあえず終了です。続きとか、ここに至る前とか、描く機会があればまたいずれ。

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材料は古着や古布。
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マスクの備蓄はまだあるんです。最近あまり外出もしないので減らないし。単に作りたかったので作りました。こういう事態になると、不恰好なマスクでも恥ずかしくなく使えますしね。
posted by juppo at 18:23| Comment(2) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月19日

若紫(北山のかいまみ)D

日々、不安や不満や不便が募る一方ですが、できる限り穏やかに、健康的に過ごしたいですね。続きです。
〈本文〉
またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、

 初草(はつくさ)の生ひゆく末(すゑ)も知らぬ間に
   いかでか露の消えんとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにやはべらむ。今日(けふ)しも端(はし)におはしましけるかな。この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ知りはべらで、ここにはべりながら御とぶらひにもまうでざりける」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて簾(すだれ)おろしつ。
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〈juppo〉前回は出てきませんでしたが、この場面には尼君と若紫の他に何人か、大人や子どもがいたんです、そういえば。その中の一人が、前回尼君が詠んだ和歌に返歌をしています。
 そこへまた唐突に坊さんが登場します。この坊さんの言う「この上の聖」云々についても、以前描いています。 「瘧病」についてもそちらで説明しています。「おこり」とか「熱病」とか、今でいう「マラリア」などと解釈されます。源氏がその「おこり」の治療に行者に会いに行った、その帰りのエピソードだったんですね〜このシーンは。
 超お忍びで来たからこの坊さんは知らなかったと言いつつ、もう聞き及んでお知らせにあがった模様です。
 「人や見つらむ」と慌てて簾を下ろす尼君です。源氏が来てるということは、関係者もいて人の通りも多いかもしれない、ということを心配したのかな、と思います。源氏本人が覗いているとは恐らく、知る由もないかと。


 さて普段通りの活動ができない今、「おうちで〇〇」が盛んですね。動画などを見ながら運動したり踊ったり、皆さんもしていますか。
 私が師事するバレエの先生も、この度YouTuberデビューなさって動画の配信を始めましたのでご紹介します。ストレッチの参考になれば。

https://www.youtube.com/watch?v=hPhXIUW5qxc

https://www.youtube.com/watch?v=wVIwSmMolhs

私はこれでYouTubeもテレビ画面で視聴しています。
posted by juppo at 13:29| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月12日

若紫(北山のかいまみ)C

ずっと家にいると、寝る時間がどんどんずれてきますね。通販にハマったりしていませんか。私は危ういです。引き続き「源氏物語」です。
〈本文〉
 尼君、髪をかき撫(な)でつつ、「梳(けづ)ることをうるさがりたまへど、をかしの御髪(ぐし)や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後(おく)れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりぞかし。ただ今おのれ見棄(みす)てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」とていみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地(をさなごこち)にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。

 生(お)ひ立たむありかも知らぬ若草を
   おくらす露ぞ消えんそらなき
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〈juppo〉前回までお届けした「明石の姫君の入内」にも登場した、紫の上の幼少時代のお話です。このころは「若紫」と呼ばれます。「わかむらさき」と読んでみると、なんだかご飯のお供を思い出します。それは「江戸むらさき」。
 タイトルがいきなりCなのは、以前Bまで描いたからです。スズメを逃がされて半泣きの若紫が初登場、というところまで描いて、詳しい訳が見つかったら続きを描くとかなんとかなまま、いつものように放置していました。

 最近、このブログを書籍化してくださっているKSTプロダクションの時岡さんが、漫画にする古文の原文を手配してくれるので、リクエストされて漫画化していない作品のリストを送って原文を入手したところ、そのリストに入れてないのにこの原文が送られてきたのです。「お描きやす」ということかな、と忖度して描きました。

 以前描いた前半で、若紫と尼君をつくづく覗き見る源氏は「この尼の子」だと判断していました。今回やんわり判明しますが、若紫は尼の孫のようです。「故姫君」が尼君の娘なんですね。

 最後の和歌、「ありか」とは若紫が成長したのちに嫁ぐ相手のことで、「若草」と「露」は縁語になってます。「若草」が若紫を、「露」が尼君自身のことを意味しているのですね。

 続きます。Eまであります。
posted by juppo at 02:02| Comment(0) | 源氏物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする