2020年08月31日

くらもちの皇子と蓬萊の玉の枝A

いろいろな面でいつもと違う8月も、今日で終わりです。続きです。
〈本文〉
竃(かまど)を三重(みへ)にしこめて、工匠らを入れたまひつつ、皇子も同じ所に籠(こも)りたまひて、領(し)らせたまひたるかぎり十六所(そ)をかみに、蔵をあげて、玉の枝を作りたまふ。
 かぐや姫ののたまふやうに違(たが)はず作りいでつ。いとかしこくたばかりて、難波にみそかに持(も)ていでぬ。「船に乗りて帰り来(き)にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しがりたるさましてゐたまへり。迎へに人多く参りたり。玉の枝をば長櫃(ながひつ)に入れて、物おほひて持ちて参る。いつか聞きけむ、「くらもちの皇子は優曇華(うどんぐゑ)の花持ちて上(のぼ)りたまへり」とののしりけり。
 これを、かぐや姫聞きて、我はこの皇子に負けぬべしと、胸つぶれて思ひけり。
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〈juppo〉昔は8月31日と言えば夏休み最終日というのが常識でしたが、今は、特に今年は夏休みの日程が相当イレギュラーになってるようですから、特段いつもの月末とそう変わるところはないかもしれませんね。としまえんの閉園の方が大問題ですよね。1回くらいしか行ったことのない都民の私が言うのも何ですが。

 前回は、くらもちの皇子が人の立ち寄らないような家を作ったところまででした。その家に、カマドを作って厳重に隠しているのはその中で玉の枝を「作って」いるからです。そうです。玉の枝を探しに行く気が全くないことはわかっていましたが、最初から作るつもりだったんですね。その手があったか、という感じですけど、作れるものなんでしょうか。話に聞いただけなのに。「かぐや姫だって話に聞いてるだけで見たことはないはず」との確信があったのでしょうね、多分。
 その偽物をあたかも遠いところまで取りに行ったテイで、行ったり来たり、疲れたフリをしてみたり、策士は策士なりに努力を惜しまないようです。

 見ていた人たちが「優曇華の花」だと騒いでいますが、どこから「うどんげ」?な唐突な噂です。
「優曇華の花」とは仏教で、三千年に一度花が咲く時に仏が現れるとかいう教えがある想像上の樹木なんだそうです。やたら皇子が仰々しく働いているので、見ている人たちにはそれくらい珍しく大事な物を持って来たのだ、と思えたのですね。
 かぐや姫もそんな噂に煽られて敗北宣言が出かかってますが、自分でリクエストしておいてそれに応えられたら負けなんですか。リクエストというより挑戦だったんですね。それで負けたら大人しく結婚するつもりがあったんですかねぇ。

 とりあえず、この2回分だけ描いたんですけど、まだこの対決に決着がついてないので続きを描きます。少々お待ちください。
posted by juppo at 23:15| Comment(0) | 竹取物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月28日

くらもちの皇子と蓬萊の玉の枝@

大変です。8月がもう終わりそうです。「竹取物語」で続けることにしました!
〈本文〉
くらもちの皇子(みこ)は、心たばかりある人にて、朝廷(おほやけ)には、「筑紫の国に湯あみにまからむ」とて暇(いとま)申して、かぐや姫の家には、「玉の枝取りになむまかる」といはせて、下(くだ)りたまふに、仕(つか)うまつるべき人々、みな難波(なには)まで御送りしける。皇子、「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた率(ゐ)ておはしまさず。近う仕うまつるかぎりしていでたまひぬ。御送りの人々、見たてまつり送りて帰りぬ。
「おはしましぬ」と人には見えたまひて、三日ばかりありて、漕ぎ帰りたまひぬ。
 かねて、事(こと)みな仰(おほ)せたりければ、その時、一(いち)の宝なりける鍛治工匠(かぢたくみ)六人を召しとりて、たはやすく人寄り来(く)まじき家を作りて、
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〈juppo〉8月はただでさえ、暑いのをガマンしているうちに終わってしまうのですが、今年はその上にいろいろなことをガマンしなければならなかったので、余計に何もしないうちに終わった気がしませんか。まだ終わってないですけど。

 石作の皇子の冒険譚というか失敗談を前回お届けしました。一区切りして他の作品を描こうかなとも思ったのですが、続けて他の皇子たちの話を描きます。二人目はくらもちの皇子です。

 石作の皇子は一応お宝を探しに出た後で諦めていましたが、くらもちの皇子という人は最初から本物の宝を手に入れる気はサラサラないようです。かぐや姫からのリクエストを聞いた時点で、皆さん無理無理、な反応でしたからね。きっとその時から知略の限りを尽くして準備怠りなく、探しに出たと見せかけて実はどこにも出発せず、手配したらしく鍛治名人を集めたりしています。この人たちと何をしようとしてるのか、だいたいの察しはつくかと思いますが、次回のお楽しみです。

 最後のコマの「たはやすく人寄り来まじき家」の様子は、こんな立地だったかどうかは全くわからないまま、人が来ないようなロケーションを描きました。


 ところで少し前にテレビが壊れて買い換えた後、ブルーレイレコーダーの具合も悪い話をちょこっとしましたが、いよいよ新製品を購入しました。まだ古いレコーダーを使いつつ、新旧レコーダー同士でダビングが出来ないか試行錯誤ののち、ネットワークを使ってダビングできるようになりました!
LANです。今や世の中はこんなことになっているんですね。無線LANやらLANケーブルやらを使って、どこを飛んでいるのか不思議でたまりませんが、2台のレコーダー間を録画番組が移動してるんですよー。この夏の、良い思い出になりました。
posted by juppo at 01:08| Comment(2) | 竹取物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

YouTubeで詩吟

この暑さはいつまで続くのでしょうか。今回はお知らせです。

詩吟の先生から動画に私のイラストを使いたいとのお申し出があり、YouTubeでの公開講座動画に『漁父之辞』の絵を使っていただきました。

詩吟の知識は全くない私でも、動画を見ていろいろ勉強させていただきました。わかりやすい動画です。興味のある方もそうでもない方も、見てみてください是非。


posted by juppo at 15:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月09日

石作の皇子と、仏の御石の鉢A

続きです。暑いです。
〈本文〉
かぐや姫、光やあると見るに、蛍(ほたる)ばかりの光だになし。

 置く露の光をだにもやどさまし小倉(をぐら)の山にて何もとめけむ

とて、返(かへ)しいだす。
 鉢を門(かど)に捨てて、この歌の返しをす。

 白山(しらやま)にあへば光の失(う)するかとはちを捨てても頼まるるかな

とよみて、入れたり。
 かぐや姫、返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、いひかかづらひて帰りぬ。
 かの鉢を捨てて、またいひけるよりぞ、面(おも)なきことをば、「はぢをすつ」とはいひける。
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〈juppo〉前回お話ししたように、石作の皇子とかぐや姫はソーシャル・ディスタンスを保ちつつ、手紙のやり取りで会話しています。
 かぐや姫からの歌で、小倉の山と言っています。石作の皇子がその山に行ったということはここまでに出てこないんですけど、何でもお見通しなかぐや姫なのか、書かれていないだけで行動は筒抜けだったのか、どちらにせよ天竺にまでは行ってないことは公然の情報になってるみたいですね。

 日本人には「恥の文化」があるとか言われますが、恥ずかしいことを平気でしてしまうことを表す「恥を捨てる」という表現はこの皇子の行いから来ているのだ、というオチです。信じて良い豆知識なのでしょうか。

 石作の皇子の冒険譚かつ求婚エピソードはこれで終了です。あと4人にもそれぞれ活躍の場面がありますので、追々ご紹介します。続けて描くかどうかは、未定です。


 今日 8月9日は父の命日でした。亡くなってちょうど10年になりました。10年は長いようであっという間でした。あの日から母とふたりの生活が始まり、その母が今では要介護者になっていることをしみじみ考えると、あっという間とはいえやっぱりいろいろあった10年でした。そんなことを考えながら、汗をかきながら、母を車椅子に乗せてお墓参りをしました。何をしても、しなくても、時間は平等に流れていくのですね。
posted by juppo at 21:17| Comment(0) | 竹取物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

石作の皇子と、仏の御石の鉢@

8月になりました。関東地方も梅雨が明けました。今日から毎日、洗濯します。久しぶりに、『竹取物語』です。
〈本文〉
 なほ、この女見では世にあるまじき心地のしければ、「天竺(てんじく)に在る物も持て来(こ)ぬものかは」と思ひめぐらして、石作りの皇子は、心のしたくある人にて、天竺に二つとなき鉢を、百千万里のほど行きたりとも、いかでか取るべきと思ひて、かぐや姫のもとには、「今日(けふ)なむ、天竺に石の鉢取りにまかる」と聞かせて、三年ばかり、大和(やまと)の国十市(といち)の郡(こほり)にある山寺に賓頭盧(びんづる)の前なる鉢の、ひた黒(ぐろ)に墨(すみ)つきたるを取りて、錦(にしき)の袋に入れて、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て、見せければ、かぐや姫、あやしがりて見れば、鉢の中に文(ふみ)あり。ひろげて見れば、

 海山(うみやま)の道に心をつくしてはてないしのはちの涙ながれき
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〈juppo〉『竹取物語』は長いので、時々思い出した時に続きを描いています。前回は言いよる五人の男どもに、かぐや姫が難題を突きつけ、男たちは「出来るか!」とばかり諦めて解散したところまででした。
 ところが、本当に諦めた人はひとりもいないことは皆さんご存知の通りで、ここからは男たちの難題への挑戦の数々が描かれます。
 今回は石作りの皇子の大冒険です。いや、大冒険かどうかはすでに手短に語られてしまっていますが。

 ここまでに情報がありませんでしたが、「仏の御石の鉢」というのは天竺にあるんですね。天竺は『西遊記』で三蔵法師が目指していたあの、今のインドです。「仏の」というだけあって、仏教発祥の地にあるんですね。
 それで結局、石作りの皇子は天竺に行ってないワケですけど、それでも手に入れるまで三年もかかったようです。実際は手に入れてないですけどね、「仏の御石の鉢」は。
 大和の国十市の郡は、奈良県にあるようです。日帰りできそうな気もしますが、三年かかったと。
 「賓頭盧」は釈迦の弟子のひとりだそうで、日本のお寺でも「お賓頭盧様」などと呼んで、その像の前に食べ物を置いたりするんですね。それで鉢が置いてあったので、「取って」というのは要するに、失敬して来たということですよね。お寺にいる像の前にあるので、煤で黒くなってるんですね。「賓頭盧の前なる鉢の」の後ろの「の」はおなじみ「同格の『の』」ですね。

 鉢を届けた皇子とかぐや姫が同席しているように描いてしまいましたが、ここから先、ふたりの会話が手紙のやり取りで行われていることから、おそらく皇子はまだかぐや姫に会っていないのではないかと思われたので、ふたりの間に御簾を置いておきました。

 石作りの皇子のお話はもう1回続きます。
posted by juppo at 22:07| Comment(0) | 竹取物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする