〈本文〉
此中人語云、不足爲外人道也。既出得其船、便扶向路、處處誌之。及郡下、詣太守説如此。太守即遣人随其往、尋向所誌、遂迷不復得路。南陽劉子驥、高尚士也。聞之、欣然規往、未果尋病終。後遂無問津者。
〈書き下し文〉
この中の人、語(つ)げて云ふ、外人(ぐわいじん)の爲(ため)に道(い)ふに足らざるなりと。既(すで)に出(い)でその船を得て、便(すなは)ち向(さき)の路(みち)に扶(そ)ひ、處處(しよしよ)にこれを誌(しる)す。郡下(ぐんか)に及び、太守(たいしゆ)に詣(いた)りて説(と)くこと此(か)くの如(ごと)し。太守即(すなは)ち人を遣(や)りてその往(ゆ)くに随(したが)ひ、向(さき)に誌(しる)せし所を尋(たづ)ねしむるも、遂(つひ)に迷(まよ)ひて復(ま)た路(みち)を得ず。南陽(なんやう)の劉子驥(りうしき)は、高尚(かうしやう)の士(し)なり。之(これ)を聞き、欣然(きんぜん)として往(ゆ)かんと規(はか)るも、未(いま)だ果(は)たさざるに尋(つ)いで病みて終(を)はる。後(のち)遂(つひ)に津(しん)を問ふう者なし。

〈juppo〉行く先々で歓待を受けたわりに、帰る際に引き止められることもなく、その代わりここのことを誰にも話すなとも言われずに、「話す必要はない」という言い方です。無理して話さなくても、という感じですが、その裏にはやっぱり「話さないでね」と暗に禁止を込めているのでしょうか。
「外人の爲に」の「爲」は、「〜に向かって」という意味だそうです。外の人に対して、ということですね。
「既に出でて」の「既に」は「〜したのち」だそうです。今も使う言葉が入っていると、却ってややこしいですよねー。
そういうわけで、玉手箱をもらったりはしなかったようですが、二度とその村に行くことはできなかったと。
最後に南陽の劉子驥という人が唐突に出てきますね。劉麟之(りゅうりんし)という実在の人がいたらしく、薬草を求めて歩くうちに神仙の境に迷い込んだとかいう話があるそうで、その人が訪ねたのもここじゃない?と、物語にちょっと信憑性を持たせる効果ではと言われているようです。もはや、何が現実で何が創作なのかわからなくなるオチです。
何しろ昔のことなので、そんなことも本当にあったのかもしれません。・・・と、いうような最後のコマにしてみました。
次回は徒然草の予定です。近いうちに。