2021年11月23日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)B

最終回です。今回もマスク着用でお送りします。
〈本文〉
念珠(ねんず)を押し摺(す)りてそばへ寄り来たる程、もともたのもし。御頸(くび)に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して、寿量品(じゆりやうほん)を打ち出(いだ)して読む声はいと貴し。さばかり貴き事もありけりと覚ゆ。少しはがれて高声(かうしやう)に誦(よ)む声、まことにあはれなり。持経者、目より大(おほ)きなる涙をはらはらと落して泣く事限りなし。その時覚めて、御心地いとさはやかに、残りなくよくなり給ひぬ。かへすがへす後世まで契(ちぎ)りて帰り給日ぬ。それよりぞ有験(うげん)の名は高く広まりけるとか。
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〈juppo〉少し前に夕方の「純ちゃんの応援歌」再放送で、鶴瓶さんがマラリアの発作に襲われて「キニーネ買うてきて。キニーネ飲んだら治んねん」とか何とか言うシーンがありました。キニーネは19世紀に発見されたマラリアの特効薬で、副作用があるために代替薬に取って代わられて現代では用いられていないようですが、当然このお話の時代にもそのような特効薬はなく、こうしてお経を読んでもらって病気を治していたと・・・病は気からとも言いますし・・・。現代の感覚で読むと「まさかぁー」な話ですけど。坊さん自身、自分の風邪は医者に相談してますしね。

 ともかくありがたいお経ですっかり気分爽快になって帰ることになりました。「後世まで契りて」は何を契ったのか、はっきり言ってないですね。普通、古文で後の世までなどと言う時は、生まれ変わっても愛し合おうねみたいな意味ですが、ここでは末代まで信仰するからね、くらいの意味でしょうか。

 坊さんが「御頸に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して」いるところは、実際何をどうしているのかよくわかりませんでした。「頸」は「首」とも「頭」とも訳されるようですし、膝ってこんなふうに膝枕してるってこと?と、不安なまま作画しています。

 病が癒えたのにマスクを外してもらうのを忘れました。すっかりマスク社会に慣れきってしまったせいだと思います。その方が自然というか。持経者もいない21世紀でも、コロナは終息に向かっていきそうですが、マスクのない日常はいつ戻ってくるでしょう。

 次回は多分短いのを。近日中に。できれば。
posted by juppo at 23:04| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月13日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)A

秋ですねぇ。続きです。
〈本文〉
しかれども、「ただ上人(しやうにん)を見奉らん。只今まかり帰る事かなひ侍らじ」とありければ、「さらばはや入り給へ」とて、坊の蔀(しとみ)おろし立てたるを取りて、新しき筵(むしろ)敷きて、「入り給へ」と申しければ、入り給ひぬ。
 持経者沐浴(もくよく)して、とばかりありて出であひぬ。長(たけ)高き僧の、痩(や)せさらぼひて、見るに貴(たふと)げなり。僧申すやう、「風重く侍るに、医師(くすし)の申すに随(したが)ひて、蒜(ひる)を食ひて候(さぶら)ふなり。それにかやうに御座(おはしまし)候へば、いかでかはとて参り候ふなり。法華経は浄不浄をきらはぬ経にてましませば、読み奉らん。何条事か候はん」とて、
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〈juppo〉ここしばらく秋らしい陽気が続いて過ごしやすかったのですが、来週からは寒くなるらしいですね。嫌ですねー。

 さて、前回「にんにくを食べてるから」と会い渋っていた坊さんが出て来ます。にんにくを食べてるのは、医者に勧められたからだと。医学的ににんにく推奨なんですね。ところがにんにくとかねぎなど、匂いの強い野菜を食べることは、僧侶的には不浄とされるのだそうです。でも法華経は浄不浄を嫌わないお経だから大丈夫!ということだそうです。ここでの法華経は、「如来寿量品」とかいう、延命息災に効き目のあるお経なんだとか。

 坊さんが口臭を気にしているようなので、これまたマスクで登場していただきました。
 マスクといえば、「マスク頭痛」なる症状があるそうですね。そうだったのかあ!というくらい思い当たる節あり、です。マスクでバレエのお稽古した日の夜など、頭痛率高いです。マスクしたまま運動するなんて、考えたら異常ですよね。人類史上初なのではないでしょうか。そんなことをしていて身体に良いとはとても思えません。オリパラで活躍されたアスリートの皆さんは、どうやってマスクでの練習をこなしていたのでしょう。大変だったでしょうねー。

 マスクをするのは具合が悪い時だけ、な世の中が待ち焦がれます。マスクの話になると結局こういう結論に達してしまいます。

 次回は最終回。近日中に。
posted by juppo at 23:10| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月08日

持経者叡実効験の事(ぢきやうしやえいじつかうげんのこと)@

今回はリクエスト作品じゃないです。宇治拾遺物語です。宇治拾遺物語ってどれもこんなタイトルなんです。
〈本文〉
 昔、閑院大臣殿、三位中将におはしける時、わらはやみを重くわづらひ給ひけるが、「神名といふ所に、叡実(えいじつ)といふ持経者(ぢきやうしや)なん、わらはやみはよく祈り落し給ふ」と申す人ありければ、「この持経者に祈らせん」とて、行き給ふに、荒見川の程にて早う起り給日ぬ。寺は近くなりければ、これより帰るべきやうなしとて、念じて神名におはして、坊(ばう)の簷(のき)に車を寄せて、案内を言ひ入れ給ふに、「近比(ちかごろ)蒜(ひる)を食ひ侍り」と申す。
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〈juppo〉昨年よりコロナに翻弄される世界になってしまってから、昔から人類はこうして疫病と戦ってきたわけだし、古典作品にもその有様を描いたものがあるのではないかと思い、探したところ、いくつか見つかったうちの一つです。
 ここでの疫病「わらはやみ」は「おこり」と訳してありますが、「おこり」が一体何なのかというと、マラリヤのことのようです。
 持経者というのは主に法華経を読むお坊さんです。そのお坊さんにお経を読んでもらって、マラリヤの類であるおこりを治してもらおう、という話です。

 病をおして出かけていく閑院大臣殿とは、藤原公季(ふじわらきんすえ)と言って藤原師輔(もろすけ)の子、とかいうことです。発熱中なので、マスクをしてもらいました。この時代にこのようなマスクはもちろんなかったと思うのですが、あくまでも演出です。

 発作が起こってしまった荒見川の辺りとは、今は紙屋川というそうです。東京もんには耳慣れない川です。この川と公季さんのご自宅がどの程度の距離なのかもよくわからないですが、とにかくここまで来たなら寺へ行ってしまえ、という程度の距離なんでしょう。

 そうまでして辿り着いた寺では、お目当の坊さんが「蒜を食ひ侍り」と言って面会を渋っているのです。口臭を気にしてのことのようです。
 無事にお経を読んでもらえるのかどうか、続きます。全部で3回です。

 マスク生活もすっかり当たり前になってしまって、ノーマスクの人を見ると見てはいけないものを見てしまったくらいの感覚を覚えますよね。
 もうマスクしなくてもいいよ、という日は訪れるのでしょうか。訪れて欲しいですね。
 久しぶりにマスクを外した人の顔を見ると、ちょっと老けて見えたりするかもしれません。中には「あれ?前と何か顔が違うな」と思える人もいたりするかもしれません。マスクの下はずっと工事中でした、みたいな。
posted by juppo at 01:08| Comment(0) | 宇治拾遺物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする