〈本文〉
此誠不可與爭鋒。孫權據有江東、國險而民附。可與爲援、而不可圖。荊州用武之國、益州險塞、沃野千里。天府之土。若跨有荊益、保其巖阻、天下有變、荊州之軍向宛・洛、益州之衆出秦川、孰不簞食壺漿、以迎將軍乎。備曰、善。與亮情好日密。曰、孤之有孔明、猶魚之有水也。
〈書き下し文〉
此れ誠に与(とも)に鋒(ほこ)を争うべからず。孫権、江東に拠有(きよゆう)し、国険にして民附く。与に援(えん)と為すべくして、図るべからず。荊州は武を用うるの国、益州は険塞(けんそく)、沃野千里。天府(てんぷ)の土なり。若し荊・益を跨有(こゆう)し、その巌阻(がんそ)を保ち、天下変有らば、荊州の軍は宛(えん)・洛に向かい、益州の衆は秦川(しんせん)に出でば、孰(たれ)か簞食壺漿(たんしこしよう)して、以って将軍を迎えざらんや」と。備曰く、「善し」と。亮と情好(じようこう)日に密なり。曰く、「孤(こ)の孔明あるは、猶魚の水有るがごとし」と。

〈juppo〉4月も下旬になろうとしているにしては寒い日が続いています。桜が咲いて散ったのももう過去のことだというのに。これがまた、暑くてたまらなくなる日がそのうち来るのだろうなと覚悟はしています。どうでもいいことを書いているのは生活のリズムが崩れて、夜明けにこれを書いているからです。
諸葛孔明と劉備玄徳の出会いのお話は、ここまでです。参考にさせていただいたサイトには、もう一文あったのですが、そこからは龐士元についての文章のようだったので、劉備が孔明との関係を「水魚の交わり」だと、タイトル回収したところで完結とさせていただきました。最後に劉備が「孤」と言っているのはここでは「私」という意味です。
孔明が劉備の今置かれている現状を冷静に判断して、戦いに際しての構えを唱えています。荊州と益州はその時代の地名です。宛も洛も、です。前回ご紹介した「諸葛孔明」の本に略図がいくつも載っているので、大いに助かったのですが、最後に「秦川ってどこよ?」という謎がなかなか解明できませんでした。新旧合わせて中国の地図を検索しまくり、結局「こちらの方」くらいにしか絵にできませんでした。他の地もだいたいの絵にしかなってませんけどね。
「巌阻」は岩などがゴツゴツした険しい地のことで、「簞食壺漿」とは食べ物を竹の器に盛り、飲み物を壺に入れて饗することで、転じて軍隊を歓迎する意味なのだとか。漢和辞典に載ってました。
漢文で読む漢字は、旧字体などもあってやたら難しくて厄介ですけど、それぞれの字の意味や成り立ちまで知ると、なかなか面白いですね。
なんてことを、夜が明けきった朝に、考えています。
次回は草枕あたり、を考えています。