2話目です。5月ももう終わりですねー。
〈本文〉
項王、項伯東嚮坐、亜父南嚮坐ー亜父者、范増也、沛公北嚮坐、張良西嚮侍。范増数目項王、舉所佩玉玦以示之者三、項王黙然不応。范増起、出、召項荘、謂曰、「君王為人不忍、若入前為寿。寿畢、謂以剣舞、因撃沛公於坐、殺之。不者、若属皆且為所虜。」荘則入為寿。
〈書き下し文〉
項王、項伯東嚮(とうきやう)して坐(ざ)し、亜父(あほ)南嚮(なんきやう)して坐す。ー亜父とは范増なり、沛公北嚮(ほくきやう)して坐し、張良(ちやうりやう)西嚮(せいきやう)して侍(じ)す。范増数(しばしば)項王に目(もく)し、佩(お)ぶる所(ところ)の玉玦(ぎよくけつ)を舉(あ)げて、以(もつ)て示す者(こと)三たびす、項王黙然(もくぜん)として応ぜず。范増起(た)ち、出(い)でて項荘を召し、謂(い)ひて曰(い)はく、「君王(くんわう)人と為(な)り忍(しの)びず、若(なんぢ)入(い)り前(すす)みて寿(じゆ)を為せ。寿畢(を)はらば、剣を以て舞はんことを請(こ)ひ、因(よ)りて沛公を坐に撃(う)ちて、之(これ)を殺せ。不者(しからず)んば、若が属(ぞく)皆且(まさ)に虜(リヨ)とする所と為らんとす。」荘則(すなは)ち入りて寿を為す。
〈juppo〉もうすぐ6月だなと思うと「えー今年も半分終わっちゃうの?」という人がいますが、まだですから。6月が終わって初めて半分ですよ。とはいえ、物事の後半というのはなぜか前半よりギアを上げて進んでいく印象がありますから、体感的には今年もあと半分くらいかもしれません。
さて前回はなぜか宴会に突入したところで〈続く〉でした。座を囲んで飲めや歌えやになるのかと思いきや、陰謀渦巻く酒宴と化しています。范増は軍師だからか攻撃的です。沛公をなんとしても生かしては帰さない決意のようです。
范増の合図をおそらく分かっていながら応じない項王の真意は図りかねますが、いや分かっているのかどうかも私は知りませんが、とにかく痺れを切らした范増が一手を打ったところまでで次回に続きます。
果たして范増の一計は成功するのでしょうか。ご期待ください。
2023年05月30日
2023年05月22日
鴻門の会@
お待たせしました。本編です。ぼちぼち更新します。漢文『史記』です。
〈本文〉
沛公旦日従百余騎来見項王、至鴻門、謝曰、「臣与将軍戮力而攻秦、将軍戦河北、臣戦河南、然不自意能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
項王即日因留沛公与飲。
〈書き下し文〉
沛公旦日(たんじつ)百余騎を従へ、来りて項王に見(まみ)えんとし、鴻門に至り、謝して曰はく、「臣(しん)将軍と力を戮(あは)せて秦を攻む。将軍は河北に戦ひ、臣は河南に戦ふ。然れども自(みづか)ら意(おも)はざりき、能(よ)く先(ま)づ関(くわん)に入りて秦を破り、復(ま)た将軍に此(ここ)に見(まみ)ゆるを得んとは。今者(いま)、小人(せうじん)の言(げん)有り、将軍をして臣と郤(げき)有らしむ。」と。項王曰はく、「此(こ)れ沛公の左司馬(さしば)曹無傷(さうむしやう)之(これ)を言ふ。然らずんば、籍(せき)何を以(もつ)て此(ここ)に至らん。」と。
項王即日(そくじつ)因(よ)りて沛公を留めて与(とも)に飲(いん)す。
〈juppo〉いきなり「翌朝」で始まっています。一体いつの翌朝なのか。予告篇のイラストに描きましたが、沛公の部下の曹無傷が項王に告げ口をして、激怒した項王を叔父の項伯が仲介して面会のお膳立てをした、その翌日ということですね。旦という字は日が昇る様を表していて朝の意味があるんですよね。元旦は新年の朝のこと、というように。
項伯は、沛公に忠義を尽くす張良に、かつて恩を受けているらしく、この度のお膳立てはその恩返しでもあったようです。
ここに至るまでのお話を紹介できないので、何かと唐突に展開していきますが、なんとなく読んでください。なんとなく描いていますので。
いろいろ調べて描いているんですが、調べているうちに時間が経って少しずつ忘れていたりします。調べたことはすぐに応用することが肝心です。
激怒していた項王は、そのまま引き留めて沛公と飲んでますね。この場にいる面々の、様々な思惑が今後明らかに・・なっていくのだな、ととりあえずご期待ください。
今回、参考のために横山光輝大先生のこれを入手しました。4巻「鴻門の会」だけ。確かに参考になりました。
https://store.shopping.yahoo.co.jp/netoff/0011129933.html?sc_i=shopping-pc-web-result-item-rsltlst-img
続きます。当分続きます。なるべく時間をおかず、いろいろ忘れてしまわないうちにと思っています。
〈本文〉
沛公旦日従百余騎来見項王、至鴻門、謝曰、「臣与将軍戮力而攻秦、将軍戦河北、臣戦河南、然不自意能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
項王即日因留沛公与飲。
〈書き下し文〉
沛公旦日(たんじつ)百余騎を従へ、来りて項王に見(まみ)えんとし、鴻門に至り、謝して曰はく、「臣(しん)将軍と力を戮(あは)せて秦を攻む。将軍は河北に戦ひ、臣は河南に戦ふ。然れども自(みづか)ら意(おも)はざりき、能(よ)く先(ま)づ関(くわん)に入りて秦を破り、復(ま)た将軍に此(ここ)に見(まみ)ゆるを得んとは。今者(いま)、小人(せうじん)の言(げん)有り、将軍をして臣と郤(げき)有らしむ。」と。項王曰はく、「此(こ)れ沛公の左司馬(さしば)曹無傷(さうむしやう)之(これ)を言ふ。然らずんば、籍(せき)何を以(もつ)て此(ここ)に至らん。」と。
項王即日(そくじつ)因(よ)りて沛公を留めて与(とも)に飲(いん)す。
〈juppo〉いきなり「翌朝」で始まっています。一体いつの翌朝なのか。予告篇のイラストに描きましたが、沛公の部下の曹無傷が項王に告げ口をして、激怒した項王を叔父の項伯が仲介して面会のお膳立てをした、その翌日ということですね。旦という字は日が昇る様を表していて朝の意味があるんですよね。元旦は新年の朝のこと、というように。
項伯は、沛公に忠義を尽くす張良に、かつて恩を受けているらしく、この度のお膳立てはその恩返しでもあったようです。
ここに至るまでのお話を紹介できないので、何かと唐突に展開していきますが、なんとなく読んでください。なんとなく描いていますので。
いろいろ調べて描いているんですが、調べているうちに時間が経って少しずつ忘れていたりします。調べたことはすぐに応用することが肝心です。
激怒していた項王は、そのまま引き留めて沛公と飲んでますね。この場にいる面々の、様々な思惑が今後明らかに・・なっていくのだな、ととりあえずご期待ください。
今回、参考のために横山光輝大先生のこれを入手しました。4巻「鴻門の会」だけ。確かに参考になりました。
https://store.shopping.yahoo.co.jp/netoff/0011129933.html?sc_i=shopping-pc-web-result-item-rsltlst-img
続きます。当分続きます。なるべく時間をおかず、いろいろ忘れてしまわないうちにと思っています。