長いので、二回に分けて描きます。
〈本文〉
かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心ぐるしがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、げに、おのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、つづきの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず。誰もいまだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ」と心の内に祈る。親の太秦に籠り給へるにも、異(こと)事なく、この事を申して、いでむままにこの物語見はてむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人のいなかよりのぼりたる所にわたいたれば、「いとうつくしう、生ひなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ、まめまめしき物は、まさなかりけむ、ゆかしく給ふなる物を奉らむ」とて、

〈juppo〉冒頭いきなり「ふさぎこんで」ばかりいるのは何故か?と不思議ですが、この日記の前に親しい人が相次いで亡くなったりと、いろいろあったようです。終わりも唐突ですみません。おばさんがおみやげにくれたものとは!?以下次号、ということで。



娘を慰めようと、物語をあげる、素敵ですね。
私も本に救われたことが数えきれないくらいあります。
当たり前のことだけど、この頃の人たちは『源氏物語』なんてスラスラ読んでいた訳で、ちょっと羨ましいですね。連ドラの続きが気になって堪らない感覚ですかね。そういう事が十分心の慰めだったりするよね、日常って。
「更級日記」は高校の古文読み、このくだりがずっと印象に残ってました。
古文のなんという作品だっけ、と検索してこのブログにたどり着きました。
▼「高校古文こういう話 (知的シゲキbooks): 柴田 純子」amazon
https://www.amazon.co.jp/d/490871701X
P.78 – P.83の「物語 源氏の五十余巻 更級日記」ですね。
ブログの良いところは検索して見つけてもらえることです。たどり着いていただき、光栄です。