2007年10月08日

あづま下り�

続きです。
〈本文〉
 行き行きて、駿河国(するがのくに)に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた・かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者(すぎょうざ)会ひたり。「かかる道はいかでかいまする。」といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

 駿河なる宇津の山ベのうつつにも夢にも人に会はぬなりけり

富士の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに、雪いと白う降れり。

 時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿(か)の子まだらに雪の降るらむ

その山は、ここにたとへば、比叡(ひえい)の山を二十(はたち)ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻(しおじり)のやうになむありける。

adumakudari2.jpg
〈juppo〉 一行は静岡県、宇津谷峠のあたりまで来ました。「駿河なる・・」の歌は、その宇津と現(うつつ)をかけて詠んだものです。誰かが夢に出てくるのは、その人が自分の事を想っているからだ、と信じられていたのだそうです。幸せな考え方です。
 塩尻というのは、塩田で作った砂山のことで、そこに海水をかけて水分を蒸発させて塩を採取したんだそうです。
 ところで、比叡山は848メートルで富士山は3776メートルですから、20も重ね上げる必要はないんですが、日本一の山を初めて見て、その景観に圧倒された気持ちを詠んだのでしょうね。
 「富士山てね、ゴミが多すぎるって理由で世界遺産に登録してもらえないんだよ。」なんて現状を教えてあげたら「意味が分からない」と言われそうですね。いや、「世界遺産って何?」ということではなく。
 次回はいよいよ、東京に到着します(『世界の車窓から』みたい)。お楽しみに。
posted by juppo at 19:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
富士山の高さにするのに、比叡山を20も重ねる必要はないのでは、と指摘した箇所について、kumasanさんからメールをいただきました。
それによると、

『比叡山は848m、富士山は3776mで、高さの比は1:20ではありませんが、「重ね上げたらむ」をちょうど米俵を富士山の形のように積むように考えると、比叡山と富士山の正面から見た形での「面積比」になります。そうすると、

848:3776

= 1 :4.4528・・・ 

これを面積比で2乗して計算すると

= 1:19.8276・・・ となり、約1:20の比になります。』


・・だそうです。なるほど。高さの比ではなく、面積比だったのですね。大きさを比べるのですから、高さだけでなく幅の比も考慮されて
いた訳です。
 ちなみに、この「相似比の2乗=面積比」については、中学校3年生くらいで学習します。今は。
Posted by juppo at 2007年10月19日 20:34
 実は、無断で授業に使わせていただいています。物語の概要が理解しやすいので好評です。全体に口語訳も的確です。「折句」を「あいうえお作文」は楽しい口語訳でした。古典を楽しむという事では、些末的な問題ですが、「修験者会ひたり」を「修験者に会った」とするは、「修験者が(私たちに)会った」とするのが正しいようです。格助詞の「が」「を」などは省略されることが多いのですが、「に」は省略されにくい助詞です。「が」が省略されていると考えるのがよいようです。
 これからも古文の導入に使わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
Posted by H・I BB at 2008年02月16日 11:54
H・I BB様

ありがとうございます!助詞「に」は省略されにくいとのご助言、感謝いたします。今後、訳を考える際にとても役立ちそうです!
授業で使っていただくのは大歓迎です。足りない点は是非補っていただきつつ、楽しい授業をお願いします!
Posted by 柴田 at 2008年02月16日 12:24
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