2007年12月21日

亡児の追憶

土佐日記、12月27日分です。

〈本文〉
 二十七日(はつかあまりなぬか)。大津より浦戸(うらど)をさして漕ぎ出(い)づ。かくあるうちに、京にて生まれたりし女児(おんなご)、国にてにはかに失せにしかば、このごろの出で立ちいそぎを見れど、なにごとも言はず。京へ帰るに、女児のなきのみぞ悲しび恋ふる。ある人々もえ堪へず。この間に、ある人の書きて出だせる歌、

 都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり

 またある時には、

 あるものと忘れつつなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける

と言ひける間に、鹿児(かこ)の崎といふ所に、守(かみ)の兄弟(はらから)、またこと人、これかれ酒なにともて追ひ来て、磯に下りいて別れがたきことを言ふ。

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〈juppo〉哀しいですね。切ない話です。『土佐日記』は単なる紀行文だったのではなく、筆者紀貫之が亡くした子供を想って残した日記でもあったのですね。
 
 亡くなった事を忘れて(「忘れつつ」の「つつ」は繰り返して行うという意味です。)、「どこ?」と聞いてしまう場面、泣かされますよね。
 私の場合は猫なんですけど、昔、飼っていた猫が死んでしまった時、夢に見て「あー、やっぱり生きてたんだ。死んだと思ったのは夢だったんだ。」と夢の中で思っている、なんて事がありました。
  
 幼い子供を亡くした親の気持ち、子供のない私には量りかねるものがあるのですが、子供があったとしても、想像を超える心境なのではないでしょうか。

 夏目漱石が、五女ひな子が1歳か2歳で急死した時、「死んだ子が一番可愛かったように思える」「他の子は皆いらないように思える」と、いうような事を何かに書いていたのを思い出しました。
 皆さん、くれぐれも命を大切に。
posted by juppo at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 土佐日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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