〈本文〉
弥生(やよひ)も末の七日(なぬか)、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明にて光りをさまれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花のこずえ、またいつかはと心細し。むつまじき限りは宵より集ひて、舟に乗りて送る。千住(せんぢゅ)といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。
行く春や鳥鳴き魚の目は涙
これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後ろの影の見ゆるまではと見送るなるべし。

〈juppo〉ここで、やっと旅立つんですね。芭蕉さん。あんなに行きたい思いに駆られていたのに、いざ出発となるとちょっぴり涙です。他の作品にもあるように、昔の旅は思いきった行為であったからでもあるんでしょうけどね。
発句は「ほっく」(または「ほく」)と読み、俳句や和歌の、出だしの五・七・五のことです。
ここでは、これから書き始める旅日記の、つまり『奥の細道』の、これが書き出しの句ですよ、ということです。
この句を読むと「魚の目」は痛い、と連想する人が後を絶たないと思いますが、文字どおりサカナの目のことなんです。
たったの十七文字に、旅立つ自分と過ぎ行く春の哀しさを詠み込んでいることを考えると、俳句って奥が深いですよね〜。


