2008年12月30日

九重の塔

今年最後の作品は、『十訓抄』第十からです。
〈本文〉
 白河院の御時、九重(くじゅう)の塔の金物を牛の皮にて作れりといふこと、世に聞こえて、修理(しゅり)したる人、定綱朝臣(さだつなのあそん)、事にあふべき由(よし)聞こえたり。
 仏師なにがしといふ者を召して、
「確かにまことそらごとを見て、ありのままに奏せよ。」
と仰せられければ、承りて昇りけるを、なからの程より帰り降りて、涙を流して、色を失ひて、
「身のあればこそ、君にも仕へたてまつれ。肝心(かんしん)失せて、黒白(こくびゃく)見え分くべき心地もはべらず。」
と、言ひもやらずわななきけり。
 君、聞こしめして、笑はせ給ひて、ことなる沙汰もあらで止みにけり。
 時の人、いみじきをこの例に言ひけるを、顕隆卿(あきたかきょう)聞きて、「こやつは、必ず冥加(みょうが)あるべきものなり。人の、罪かうぶるべきことの、罪を知りて、みづからをこの者となれる、やんごとなき思ひはかりなり。」
とぞ、ほめられける。
 まことに、久しく君に仕へたてまつりて、事なかりけり。

kujuunotou.jpg
〈juppo〉古い高校入試の問題集で見つけました。『十訓抄』の一話なのですが、通例サブタイトルを何とつけているのかわからないので、「九重の塔」としました。

 人がたくさん出てきて分かりにくいかも知れません。肝心の仏師には名前がないし。
 その仏師が「怖くて上まで昇れない」と言って、塔の飾りが本当に金なのか牛の皮なのか確かめるのを断念した訳ですが、そんなだらしのないことではどんなお咎めがあるか分からないですよね。
 それなのに泣き言を言ったのは、実は嫌疑をかけられている定綱をかばったからだ、というのが顕隆の見解です。

 人の罪を明らかにすれば、今度は自分が人を陥れた罪を犯すことになるという考えから、自分より他人の立場を守った仏師の行動に、今後神のご加護があるだろう、と言っているのです。


 こんな話を読むと、ますます裁判員になるのに気が進まなくなりますね。私自身は興味あるんですけど。

 常に正しい行いをすることも大事ですし、他人を思いやる気持ちも大事です。方程式のように簡単に答が出ないのが人と人とのつながりでもありますよね。


 今年最後の作品に、図らずも牛のネタを絡めることが出来ました。もう少しで、丑年です。

 この更新を終えたらまっすぐ帰宅する私ですが(PCは仕事場にあるので)、帰る家がある、今夜食べるご飯がある、そんな当たり前の事に感謝せずにはいられない世相になってしまった今年でしたね。

 私にとっては、昨年よりは頑張れた今年だったのですけど、皆さんにとってはどんな一年でしたか。
 

 世界中の誰にとっても素晴らしい年が、二日後にやってくるといいですよね! 
 そんなことをささやかながら願いつつ、新しい年を迎えたいと思います。


 今年ブログに来てくださった皆さん、リクエストをくださった方、本当にありがとうございました。

 来年も少しでもご期待に添えるよう、頑張ります。


 それでは皆さん、よいお年を。
posted by juppo at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 十訓抄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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