〈本文〉
九月(ながつき)二十日のころ、ある人にさそはれたてまつりて、明くるまで月見ありくことはべりしに、おぼし出づる所ありて、案内させて入りたまひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出でたまひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、物のかくれより、しばし見いたるに、妻戸をいま少しおしあけて月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうのことは、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞きはべりし。
〈juppo〉期末テストが近い方も多いと思いますが、寒いですねぇ。今年は新型インフルエンザの影響で、授業数が足りなかったり、テストの日程がずれ込んだり、中には羅患して生死の境をさまよった方もいるかと思うと、学生の皆さんにはさんざんな年になってしまいましたよね。でも期末が終われば冬休みですからね!!あともう少し、頑張ってください。
今回は『徒然草』です。さらっと読めそうでいて、一読しただけでは何がなんだか分からない話ですよね。
とにかく、古文にはありがちなんですけど主語がないので、「誰が、どうして、何を」しているのか、現代人にはさっぱり分からない文章になっているんですよ。
マンガを見ていただくと何となく分かるかと思いますが、実はこれは恋の話なんですね。
兼好さんを月見に誘った「ある人」が、ふと思い出した所というのは愛人宅で、彼氏は短い逢瀬を楽しんでテキトーに帰って行くのですが、その後で兼好さんがストーカーすれすれに物陰から彼女の行動をチェックしている、という場面なんです。
一緒に愛人宅に来てる時点から「兼好さん、お邪魔じゃないのか?」なんて余計なことが気になってしまいます。
「妻戸」というのは両開きの戸のことで、神殿造りの家屋に付けられていたそうです。
帰って行く客をいつまでも見送る彼女の行動が、「そういう人もいる」と自分で知っていてする行動とは思えない、意識していないから出来ることなのだ、と兼好さんは感心してるんですね。
まったく個人的な感想なんですけど、その、兼好さんがしみじみ感動した彼女の行動というのは、彼女がことさら風流だったからというより、「恋しているから」だと思いませんか?
実際風流な女性だったのかも知れませんよ。でも、好きな人がいて、せっかく会えたのにすぐ帰ってしまったら、その人を見送っていつまでも外を見ているなんて、恋する女性なら自然に取る行動ではないでしょうか。
女心は男が思うほどデジタルじゃないんですよ。その人の残像を目で追ったり、かかって来ない電話をじっと見つめちゃったり、なんて誰にでも経験のあることだと思います。
そして彼の姿がもう見えなくなって、空には月があるばかり、だったら当然、月を見ますよね。
そういう女性の態度が兼好さんの風流魂をゆさぶった作品なのでしょうが、描きながら私は「女心が分かってないな、兼好さん。」なんて思ってしまいました。
【関連する記事】



ありがとうございます!!
感謝です。
期末テストが終わると、冬休みなので、
頑張りますね。もちろん、書いていただいた
漫画をフル活用して!
これからも、漫画見させていただくと思います、
よろしくお願いします。
今回はありがとうございました。
fukiyo
早速のコメントありがとうございます!
試験勉強は辛いばかりで本当に大変だと思いますが、大人になるとそんな日々も懐かしかったりします。(私は辛くなるほど勉強しませんでしたが^^;)
インフルエンザにはどうか気をつけて、冬休みまで突っ走ってください〜。
一気に理解できました
一気に理解できるのが凄いです!
また来てくださいね〜。
コメントありがとうございます!
わかっていただけて良かったです!これからもがんばります。