〈本文〉
露通(ろつう)もこの港までいで迎ひて、美濃(みの)の国へと伴ふ。駒(こま)に助けられて大垣の庄に入れば、曽良も伊勢より来たりあひ、越人(えつじん)も馬を飛ばせて、如行(じょこう)が家に入り集まる。前川子(ぜんせんし)、荊口(けいこう)父子、そのほか親しき人々、日夜とぶらひて、蘇生(そせい)の者に会ふがごとく、かつ喜びかついたはる。旅のものうさもいまだやまざるに、長月(ながつき)六日になれば、伊勢の遷宮(せんぐう)拝まんと、また舟に乗りて、
蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ

〈juppo〉冬眠から覚めて、世間の冷たい風にさらされていたら風邪をひきました。おそらくこのまま、花粉症のピークに突入するものと思われます。
『奥の細道』はこの『大垣』で終了です。前回の『立石寺』では東北方面を旅していた芭蕉さんですが、その後、日本海側を着々と南下して、最後は岐阜県大垣市までやって来ました。そこからさらに旅を続ける雰囲気を残して終わっています。
庄とは、昔の荘園の名前が残った土地のことだそうです。
露通、越人、如行、前川、荊口さんらは皆さん芭蕉の門人、つまり弟子の面々です。皆さんこちらの地方に住んでいる人たちです。前川子の「子」は敬称で「前川さん」みたいな意味ですが、荊口父子の「父子」は父と子ってことです。荊口さんも、その息子も芭蕉さんの弟子だったんですね。
それから、曽良はいつの間にか伊勢に行っていてここでまた合流したことになっていますね。実は曽良は途中、加賀の山中温泉で体調を崩し、芭蕉さんと別れて伊勢で療養していたのだそうです。
曽良が大垣に着いたのが九月三日。その三日後の六日にはもう芭蕉さんの旅の虫がむずむずして舟に乗って伊勢神宮に向かっています。
伊勢の遷宮というのは、伊勢神宮では二十一年ごとに社殿を新築してご神体を新しい社殿に移す儀式があるんだそうです。ちょうどこの年が、その遷宮の年だったのですね。
こういう好奇心があってこそ、旅人は旅に出てさまよい続けるのでしょうね。そこに二十一年に一度のチャンスが巡って来るというのも、偶然というよりは旅人・芭蕉さんに与えられたご褒美のように思えてきます。
ここまでの、描きもらした『奥の細道』の道中は、今後追々描いて行くつもりです。
ピンポイントで読みたい場面がおありになる方は、是非リクエストをお寄せください〜。



ぼちぼち、覚え始めていますが、やっぱり覚えやすいようです。
私も覚えてしまいました(^_^)
同じ覚えるなら、楽しく覚えるのがいちばんですね。
また、よろしくお願いします。
コメントありがとうございます!
今回はリクエストをいただいてから全部描くまでに時間がかかってしまいましたが、楽しんでいただいているようで何よりです!
今後もまた何かあれば、ご要望等お寄せくたさい〜(^O^)