リクエストにお応えします。久々の、『方丈記』です。
〈本文〉
予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(しゅんじう)をおくれるあひだに、世の不思議を見る事ややたびたびになりぬ。
去(いんし)、安元三年四月(うづき)廿八日かとよ。風烈(はげ)しく吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時(とき)許(ばかり)、都の東南(たつみ)より火出で来て、西北(いぬい)に至る。はてには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいこくでん)・大学寮(だいがくれう)・民部省(みんぶしゃう)などまで移りて、一夜のうちに塵灰(ちりはい)となりにき。
火(ほ)もとは、樋口富(ひぐちとみ)の小路(こうじ)とかや。舞人(まひびと)を宿せる仮屋(かりや)より出で来たりけるとなん。咲き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇(あふぎ)をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)に咽(むせ)び、近きあたりはひたすら焔(ほのほ)を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅(くれない)なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一ニ町を超えつつ移りゆく。
〈juppo〉ふと気づくともう中間テストシーズンなんですか。この間春休みが始まったとばかり思っていたら。
『方丈記』を描くのは久しぶりなので、鴨長明さんをどんなキャラに描いていたか、原稿の束から「行く川の流れ」を引っぱり出して思い出したりしました。
今回はカラーでお届けします。カラーにしないとつまらない絵になりそうだな、ということが描く前に分かったので。
安元三年は、1177年くらいです。そのころにあった、京の大火事の話ですね。樋口富小路がどの辺か分からないのですが、朱雀門以下の建造物は、天皇の住まいがある内裏を取り囲む、大内裏の北の方に位置していた門とか省とか寮なんですね。そのへんまで燃えてしまったのですね。
風の強い夜で、日本の家屋はこの頃紙と木で出来ていたので、あっという間に燃え広がったのでしょうね。
描きながら思い出していましたが、うちは火事になった事があります。もう子どものころのことなんですけどね。留守だったので家族にケガ人こそ出なかったものの、飼っていたセキセイインコと金魚が死んでしまったり、水浸しの玄関に、押し入れに入っていたはずのお雛様の頭がなぜか浮かんでいたり、思い出すのはやっぱり哀しいことですね。
その時までの思い出が渾沌としてしまう、という点にも火事の哀しさがあるんですよ。思い出の品が、どこにしまったっけ、あ、焼けたんだ、なんて再確認する時に。
「火事になった事がある」というとなぜか失笑を買ったりするので話したくないエピソードになってます。見た目ほど、おもしろくないです。火事は。
後半は火事の被害についての続報です。うちのではありません。
しばしお待ちください。
2010年05月17日
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今年は古典から遠ざかっているという特殊な事情から、しばらくご無沙汰いたしておりました。
でも、更新状況は見ておりました。相変わらずよく出来ていると、本当に感心致します。これからも、大変でしょから、マイペースでいいので無理せず更新してください。
優しいお言葉を、ありがとうございます。
せっかくリクエストをいただいても更新が遅々としてはかどらないことを皆様に申し訳なく思っているんですけど、「マイペースで」なんて言っていただけると安心して更にサボってしまいそうですがホッとします。
私にできる範囲で、これからもコツコツ運営して行きたいと思います!