〈本文〉
また聞けば、侍従(じじゅう)の大納言(だいなごん)の御(み)むすめ亡くなりたまひぬなり。殿(との)の中将(ちゅうじょう)のおぼしく嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。のぼり着きたりしとき、「これ手本にせよ。」とて、この姫君の御手(みて)をとらせたりしを、「さ夜ふけて寝ざめざりせば」など書きて、「鳥辺(とりべ)山谷に煙(けぶり)の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」と、いひ知らずをかしげに、めでたく書きたまへるを見て、いとど涙を添へまさる。
〈juppo〉前回の「乳母の死」と、今回の作品で、続けて「二つの死別」としている教科書があるのでしょうか。そう思って描きました。「違うよ−」と思われた方はご一報ください。
姫君が何で亡くなったのか詳述されていませんが、前回の続きなのでやはり疫病で亡くなったのでしょうか。もともと身体の弱い方だったようでもありますけど。
「侍従の大納言」とは、「侍従」で、「大納言」でもある人ということなんですね。「侍従」は天皇のそばに仕えている人、「大納言」は役人としての位のことです。
また「殿の中将」は「殿」の家系にいる「中将」なのだそうです。「殿」というのが、あの藤原道長のことで、長家はその息子です。この時、17歳だったそうです。若いです。
姫君はもっと若くて、12歳くらいで結婚していて、亡くなった時は15歳なんですって。なんと生き急ぐ平安人。
しかも、15歳になるまでに人の手本になるくらいの書を残しているのですからね〜。短い人生と思えば、何でも出来るものなのですね。
父である侍従の大納言が、書家としても有名だったそうなので、素質もあったのでしょうが、それだけではなかなか人の心を動かす作品を生み出せるものではありませんよね。
そんな訳で、筆者にとって辛い日々だったようです。この後、以前描いた「源氏の五十余巻」に続くんですね。悲しいことが続いてふさぎ込んでいたところへ、慰めるために母親が物語を見せてくれた、というお話でした。
落ち込んでいても立ち直れる、フィクションの力は偉大です。
皆さんも何かに行き詰まったら、本や映画やマンガなど、現実を忘れさせてくれる何かに頼ってみてください。それでも現実は現実なのですが、気の持ちようというのが人生を大きく動かしたりもするものです。