〈本文〉
まさなき言もあやしき言も、大人(おとな)なるはまのもなく言ひたるを、若き人はいみじうかたはらいたきことに聞き入りたるこそ、さるべきことなれ。
何ごとを言ひても、「そのこと、させむとす。」「言はむとす。」「何とせむとす。」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる。」「里へいでむずる。」など言へば、やがていとわろし。まいて文(ふみ)に書いてはいふべきにもあらず。物語などこそ悪(あ)しう書きなしつればいふかひなく、作り人さへいとほしけれ。
「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「もとむ」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。

〈juppo〉3月は1回しか更新出来ませんでした。申し訳ありません。
前回の続きです。今回も、人の言葉使いが気に入らなくて堪らない話です。
「と」の文字についてのエピソードは、原文のままだとあまりにもそのまま、になってしまうので「たとえば現代ならこういうこと」というエピソードに変えましたが、本当はこういうことです:
「〜むとす。」と言うのが正しいのに最近「〜むず。」と言う人が多い。気に入らない。
「〜てしまう」を「〜しちゃう」と言うような、語尾の語感が柔らかく変化していっているところのようです。
そのまま描いても良かったのですが、よく指摘される「とか」の多用に変えました。「とか」は「〜とか、〜とか」と、並列に用いるのが正しいのだ!とするアレです。
でも、この作品のタイトルにも「とか」が使われているのを見ると、「とか」は「など」という意味で、もともと単独で用いられるのも可だったのかな、と思えますね。
衣服の流行のように、言葉も流行りが一周して元に戻ることがあるのでしょうか。
でも、最近の「とか」は、マンガに描いたように「そこには入れなくてもいいんじゃないの?」と言いたくなるような、とりあえず入る用法が蔓延していて、私も気になってはいます。
とりあえず入ると言えば「○○感」という言い方。
NHKのニュースで「期待感が高まっています。」と言ったのを聞いて、「期待が高まっています。」ではいけないのか?と思ったのに始まり、やたら何にでもつくのが気になっています。「安心感」とか「空気感」とか。感をつける必要ないじゃん、と私が清少納言だったら書き残すところです。
そういう話を始めたらキリがないので、いいんです。言葉は変わるものなので、皆さん自由に発言してください、と言うことにします。それでも密かに気になっていますけど。
あ、でも話し言葉はいいですが、小論文など書く時には注意が必要かも知れませんね。
書く時はとりあえず、「なので」と「あと」を接続詞として使わないでください、とだけ申し上げておきます。
「若い世代の言葉遣いはけしからん」とよく父親に言われたという話を祖父がしていました。
今の若い世代も老人になったら「最近の若いモンは」
と、言うんでしょうか?
時代が変われば言葉も変わる、で若い人たちの言葉は常に大人の眉をひそめさせてきた訳ですねー。
お祖父様の世代の若者言葉ってどんなものだったのでしょうね!?
そうしてみると、言葉の変化は若い人の功績によって行われてきたのかもしれませんね〜。
「宮に初めて参りたるころ」をUPしてもらえますか?
できれば早めにお願いします^^
「宮に初めて参りたるころ」をUPしてもらえますか?
できれば早めにお願いします
リクエストありがとうございます!
できれば早めに…お応えできると良いのですが(^^;
前向きに取り組みます!