<本文>
ひき結びつけて、例の隨身(ずいじん)に持たせて、まだ曉に、門のわたりを佇(たたず)めば、昨日の子しも走る。うれしくて、
「かうとばかり聞えねよ。」
とて、懷(ふところ)よりをかしき小箱を取らせて、
「誰がともなくてさし置かせて来給へよ。さて今日のあり樣を見せ給へよ。さらば又々も。」
と言へば、いみじく喜びて、
「ただありし戸口、そこはまして今日は人もやあらじ。」
とて入りぬ。洲濱(すはま)、南の高欄(かうらん)に置かせてはひりぬ。やをら見通したまへば、ただ同じ程なる若き人ども、二十人ばかりに装束(さうぞ)きて、格子あげそそくめり。この洲濱を見つけて、
「あやしく。誰がしたるぞ、誰がしたるぞ。」
といへば、
「さるべき人こそなけれ。おもひ得つ。この昨日の仏のし給へるなめり。あはれにおはしけるかな。」
と、喜び騷ぐさまの、いと物狂ほしければ、いとをかしくて見て帰り給へりとや。

ここでお話は終わるんですけど、結局、こっちの姫が勝ったのかあちらの姫が勝ったのか、までは書かれていないんですね。少将も、延々子供の騒ぎを見届けながら、何かを得る訳でもなくひたすら眺め続けているところで終了です。
昔の人は気が長かったというか、時間も今より確実にゆっくり流れているような気がします。
「装束きて」で「さうぞきて」と読むのですね。これ、「さうぞく」という動詞なんですね。もとは名詞の「装束」から、装束を着ることを「装束く」って動詞にしちゃった、というのは何だか現代人が考えそうなことでもあるのが面白いですよね。「パニくる」みたいなね。
と、言うわけで「貝合せ」は今回で終了です。『堤中納言物語』はこれからも他のエピソードをご紹介できるかもしれません。
ところで、先日携帯が壊れました。修理に出したら、データが全部消えて帰って来るという事態になってしまいました。こんなことになったのは2回目です、ドコモ。
修理に出した時点でデータは消えてしまう可能性が高いとは言われていたし、バックアップしておかない自分が悪いんですけど、新品に丸ごと取りかえただけなんじゃないの?と思える機種が戻ってきても、その携帯に愛着が持てないですよ。
・・・そんな訳で、ドコモとお別れすることにしました。近々、iPhoneに乗り替える予定です。
長らく私のリクエストに拘束してしまったようで、
申しわけありません汗
現代語訳や解説、漫画など大変わかりやすく、面白かったです♪
今年も残すところ、はや一ヶ月を切りましたが、やはり昔の方が時間の流れがゆっくりなように感じます。
平安の貴族は、今頃なにを愛でていたのでしょうか。
朝が早くて、昼か夕方には帰宅できていたのでしたっけ?
確かに移動は牛車だし、この少将も最初にこのお屋敷に忍び込んだときは朝から夕方までいたのですよね笑
お姫様も無事貝を手に入れられたし、何よりです(´∀`)
私も、縁側で竹林の隙間から漏れる夕陽でも愛でてゆっくりすごしたいなぁ・・・
とかいうとおばあちゃんか!と突っ込まれるんですが笑
そうですか、携帯に愛着はよくわかります。
私も周りはほとんどスマホやiPhoneに変えてるんですが
初めて買ってもらったガラケーがいいんですよね笑
肩こりがすぐよくなる体操とかいう評判の動画がyoutubeにあったと
思ったんですが・・・
思い出したらまたコメントします(´・ゝ・)
寒くなりましたので御体に気をつけてお過ごしください☆
長文失礼いたしました。
P.S.草津へいかれたならきっと星空がきれいだったでしょうね。
うらやましい限りです(*^^*)
毎回、ご丁寧にコメントをありがとうございました。
本当に、長々かかってしまって恐縮です。
時間が経つのが早くなるように感じるのは、きっといろいろ衰えてきて自分の仕事がだんだん遅くなるからということもあるのでしょうね。
今も、次の作品の準備にかかっているんですけど、実は肩こりが深刻に悪化してしまい、痛くて何もする気になれない日々なんです。
平安時代は今から見れば平均寿命も半分くらいだったでしょうに、その短い人生をこの方達は十分堪能しているうように思えますよね。
その頃と比べれば世界が広がった現代人はやっぱり忙しすぎるのでしょうか。やることが多すぎるんでしょうか。
やることが多くても、残るものが少なかったら悲しいですよね。
最後に人生振り返って、少しでもココロに残る仕事をしておきたいものです。