2013年05月31日

日本人は英語が

 日本人は英語が出来ない。学校で10年英語を勉強しても外国人と話せない。世界に伍するグローバルな人材を育成しなければ、と、小学校での英語の教科化やその導入の低年齢化など、が画策されているらしい。

 そういうことなのか?私はニュースを聞くたびに思う。勉強しても英語が出来ない大人たちが、何故子供達にますます英語を勉強させようとするのだろう。

 日本人はどうして英語が出来ないのか、まずそこの所をよくよく考える必要があるんじゃないだろうか。私は2つの理由があると思う。

 ひとつは、私達の母語である日本語が、複雑かつ独特な言語であるということ。

 私達の脳は、生まれたときには英語を吸収する能力を持っているのだが、日本語を習得するに従ってその能力を失ってしまう、という話を聞いたことがある。

 日本語の習得が、脳にどのような影響を及ぼすのかは知らないが、日本語は実際、難しい言語だと思う。英語の方がずっと簡単だ。私が英語が出来るかどうかは別として。

 日本人に生まれてよかったとつくづく思うのは、大人になってから日本語を学ぶ必要がなかった幸運を感じた時だ。なにしろひらがなだけで50音もある。しかも50音全て覚えても何も読めも書けもしない。「いす」とか「とり」なら楽勝だけれど、「きって」でもうアウトだ。「っ」とか「ょ」とか「ぎ」は50音に入っていないのだ。
それからカタカナを覚え、漢字に入る頃には日本を大嫌いになってしまいそうだ。

 私達は幼稚園から小学校に通う過程で、そうした積み上げ式の言語習得を実にこつこつこなし、中学生になる頃には誰でも新聞を読めるほどの日本語を身につけている。日本語を学習する外国人にとって、日本語検定1級レベルの日本語は日本人なら高校生くらい、という事実はかなりショックらしい。

 日本人の脳は、そういう日本語習得過程を経て、「あー、言葉って難しいわ」「もういいわ、他の言語なんて」などと思っているのではないか。
 ま、それは妄想として、日本人自身が、言語習得に食傷してしまっていたり、言語は難しいと思い込んでしまうのではないか、と思うのだ。

 だからと言って、私は日本語の方を疎かにしても英語を学ぶべきだとは決して思わない。だから英語教科導入の低年齢化には賛成しない。

 言語の学習は難しいものだと日本人が思い込んでいる証拠に、学校で学ぶ英語はとても厳しい。英単語を10回ずつ書かされたりするが、「英語には書き順も部首もないから書いて覚えるのはナンセンス」と、英語話者は実は思っている。それでも書く練習をせずにいられないのは、スペルミスや三単現のsがないだけでテストで減点されるからだ。学校で勉強すればするほど、英語が嫌いになるだけではないのか、とさえ思う。

 私は学校の英語が全く出来なかったので、一生英語は使わないで生きていこうと当時考えていたほどだが、大人になって外国に旅行した際、それもアメリカやカナダではなく、マレーシアで現地の人と話した時に、初めて「英語勉強しよう」と思った。同時に「私がこれから英語を身につけるより、外人に私が日本語を教えた方が早いしラクなのでは」とも思ったので、その後私は日本語教師になるに至るのだが、その、日本語教師になるための勉強をしているうちに実感したのは結局「日本語より英語の方が簡単だ」ということだった。だから私が英語が出来るかどうかは別として。

 すっかり大人になって英語を勉強し直しながら、外国人と話す機会が増えるにつれて思ったのは、
「英語は出来るか出来ないかではなく、話すか話さないか、だな」ということだ。

 どれだけ単語を知っていても、相手に伝える気持ちがなければ何の役にも立たない。反対に、英語なんて大して知らなくても、分かってもらいたい気持ちさえあれば、何かしらは伝わるはずなのだ。
 年配の日本人が、オール日本語だけでアメリカ人と会話していたりする。必要なのは言葉そのものではなく意思なのだな、と思う。
 
 私は、日本人は、そういう会話の仕方が得意な民族ではないかと思っている。

 日本語はそもそも語彙も表現も豊かで複雑だけれど、日本人はその上で「行間を読む」のが好きだし、得意だ。
 最たるものが俳句だろう。俳句は十七文字しか使わずに森羅万象を表現する制約をもちながら、さらに、直接的な表現を嫌う。

 俳句だけでなく、日本人が何かを表現する時はいつも、直接言うのは野暮で遠まわしにしたり掛け言葉にしたりするのが粋だ、とされてきた。

 それが、私が考える日本人が英語が出来ないもうひとつの理由だ。

 日本人は、自己主張が嫌いなのだ。

 日本人はNOが言えないとは昔から言われている。私が外国人に日本語を教えるようになってからも、日本人のはっきり言わない性質に対する外国人の不満をよく耳にする。

 そういう時、私は外国の方に、
「サムライの時代には、『武士に二言はない』と言って、一度言ったことを後で覆したりしたら、切腹だったんですよ。」というような説明をする。だから、おいそれとはYESもNOも、日本人は言えないのだ、と。

 もちろん21世紀の日本人の全てが、そこまでの責任を自分の発言に感じている訳ではないのだが、「はっきり言うのは野暮」に加えて「責任取れるのか?」という恐怖が、日本人のDNAには刷り込まれていて、常に遠まわしに、どちらとも取れるような発言をするように仕向けているのではないか。

 SMAPの中居君は、今後日本一の司会者になっていくのだなーと思われている方も多いだろう。私もそう思っている。
 多分中居君自身そう思っているというか、そうなりたいというか、彼の中にはトークに対する確立した方法論があるように思われる。

 中居君は、よくこういう話し方をする。
「○○だったりだとか、××だったりだとか、変な話、△△じゃないですけども、僕なんかの場合、・・・だったりするのかなって。」

 ○○や××にお好きな言葉を入れて、文節と文節の間に2、3回「ねぇ、」を挿入してお使いになってみてください。あなたも今すぐ、中居君になれる。
 
 私はこれを、ひそかに「中居文型」と呼んでいるのだけど、ふと気づくと、中居君のみならず、テレビに出てくる若い男子や女子は皆この文型で話しているではないですか。

 テレビを見ながら心の中で「いや、それ別に変な話じゃないよ。」とか「△△じゃないですけど、って言っといて△△の話じゃん。」などと突っ込むこと多々、なのだ。

 恐らく、中居君が確立した方法論の一つに、こういった当たり障りのない、肯定でも否定でもないような、それでいて言いたいことは伝わる表現を選ぶ項目があるんだろう。

 それは日本人皆が好む表現なのだ。そのつもりがなくても、相手の気に障る言い方を避け、無難に会話しようしようとするあまり、どんどん回りくどい言い方になっていく。

「座ってください」と言えばいいだけなのに、「座ってもらってもいいですか」なんて言い方になる。

 日本人は行間を読む。相手の顔色を読む。空気まで読まなければ日本人としてやっていけない。そんな日本人が英語を話そうと思っても、何から話し始めて何と言って言葉を切ったら良いか分からないのも無理はない。

 だから日本人は英語が出来ない、と私は思う。
 それのどこがいけないのだ、とも思う。

 日本人が世界に向けてアピールすべきは、英語力ではなく、日本人としてのアイデンティティーと誇りではないのか、と。
「日本人ですから日本語を話します。英語は話しません。日本人と話したかったら日本語を学んでください。空気も読めるようにしておくこと。」くらい堂々としていたらいい。
 英語が必要なら通訳を通せば良いことだし、これからの時代には同時通訳機の技術ももっと進むだろうし。
 世界から見た日本人像も、
「日本人は最後の最後までNOと言わないが、一度NOと言ったらそれは100%、絶対のNOだ。」というのがグローバルスタンダードになるように、態度を固めていけばよい。

 大事なのは日本人として、胸を張って外国人と対することだ。その自信はどこから得るか。英語だけではないと思う。



 あっ、もうひとつあった。日本人が英語が出来ない3つ目の理由。

 日本語と英語の発音は周波数が違うので、日本人の耳にはどうしても聞こえない英語の発音があるのだという。どれだけ勉強してもLとRが聞き分けられないのには、ヘルツに原因があるらしいのだ。
それならば。

 誰か日本人にも英語の音が聞き取れる、英語耳補聴器を作ってくれませんか。イヤホンみたいなものでも、携帯アプリでも。もう誰か作ってますか?出来ているなら配布しましょうよ。
 技術に頼ればいいというものでもないかもしれないけど、学習指導要領で試行錯誤するくらいなら、そういうところに財を投じてもよいのでは。

←小三治師匠はアメリカに語学留学の経験がおありなのですね。しかも大人になってから。涙ぐましくも抱腹絶倒な体験記はこちらに収録。
posted by juppo at 23:57| Comment(8) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中居君文型、、
なるほど、興味深いですね。
Posted by 吉野@コーチングスキル at 2013年06月01日 09:34
吉野@コーチングスキル様
コメントありがとうございます(^ ^)
読んでいただき、恐縮です。
Posted by 柴田 at 2013年06月01日 13:25
日本人と英語について、興味深く読みました。
わたしは、中学生までは英語が得意と思っていて、高校の英語で脱落したクチの人です。詰め込まれて吐きそうになるくらいの毎日の英語学習にイヤ気がさし、あぷあぷしながらなんとかやったけど、それで全然話せないのだから、日本の英語教育ってサギじゃないか、と思っています。
やっぱり、「話す必然」がないとダメなのかも。きっと英語しか話せない友だち一人が来ることで、自分がすぐに変わりますよね。
まわりの空気を読みすぎる性質というのは、これからグローバル社会を渡って行くとか、クリエイティブな何かを生み出すという意味では、ちょっとマイナスかなぁと思っていて、もうちょっと主張できて、まわりももっと寛容になればいいのに。と個人的には思ってますけど、若い人たちは、さらに空気を読んでるような気がします。「激おこぷんぷん丸!」(激しく怒ってますよ)を聞いて、激しく怒ってさえこの表現て、どんだけ気を遣ってる言葉なんだと、ちょっと気の毒にさえ思ったりしています。使ってる人たちは、そこまで意識してないかもですが。
アイデンティティーといえば、昔の話、フランスで英語で話しかけても英語で返してくれなかった話も思い出しました。冷たいようだけど、一理はあるかと。
長くなっちゃいました。すみません。またこういう意見とか古文漫画、楽しみにしています。
Posted by sue at 2013年06月02日 01:23
sueさま

いつも読んでいただいて、ありがとうございます。今回は特に、ダラダラ長く書いてしまったのに読んでいただけたとは・・感激です。

私も、最近の若い人たちは、一昔前より更に空気を読むようになった気がします。

気を遣いあうのは悪いことではないですから、そういう長所を活かしつつ、グローバルな場面でも活躍できる日本人が育っていくといいですよね。

私も学生時代に英語なんて必要ないと思っていた原因は、周りに外人なんていなかったことが大きいです。

そんな鎖国同然の時代から見れば、今の学生さんたちは学校にネイティブの先生がいたり、英会話教室もたくさんあったり、と環境が整っていて羨ましいです。
海外に行くことも昔と比べればチャンスが広がっているようですし。チャンスは是非有効に使って欲しいですね。
Posted by 柴田 at 2013年06月02日 01:42
はじめまして。いつもブログ拝見しています。気になったんでコメントしてみました。僕が中学のころの国語の先生も「外国人のほうが日本語を学べばいいんだ」と主張していたんです。といっても、まあ実現しないことなんで毎日、英文法やら英単語やら覚えないといけないわけなんですが(笑)、やっぱり早期の英語教育に関しては僕も不安に思うことが多々あります。日本語は日本人の文化なんだから、グローバル化なんて言葉にも負けずにどんどん「日本」を主張していったらどうだろうか、日本文化が廃れていくんじゃないかって。まぁそうやって強く自己主張できないのが日本人なんで、しょうがないのかもしれませんね。大手の日本企業でも、英語を社内公用語にするなんていうニュースがありましたが、自分の国の文化を大切にしないで、大丈夫なのかって不安に思います。実際それでうまくいっても失うものは大きいんじゃないでしょうか。日本人なら日本語を大切に、国も、英語教育をするなら、その前にきちんと日本人としての自覚をもたせるような教育をしてからにしてほしいです。
長々失礼しました。これからも古文漫画楽しみにしていますね。
Posted by 悠 at 2013年07月04日 21:59
悠さま、
コメントありがとうございます!
私は実現可能性の低い妄想で、1日でいいから国連の公用語を日本語にしてみたらどうだろうと思ったりします。
各国の代表がたどたどしい日本語で会議してたら・・なんて想像です。
でもそういう会議の場には通訳常駐ですよね。通訳や翻訳を職業とする方たちもいるのだから、誰でも英語を習熟する必要もないですよね。
やっぱりその前に、他国に突っ込まれない歴史観を確立したり文化を継承して行く方が大事だと思います。
英語で外国人と触れ合うことで、より日本を意識することもあるので、ある程度の英語力は必要かもしれませんけどね〜。
Posted by 柴田 at 2013年07月04日 22:22
こんにちわ。

 浦島太郎ばりの時間差コメントで、きっと、目にされることもないかもしれませんが、一言。

 私は仕事の関係で、先日あの池上彰氏の講演会を聞く機会に恵まれました。それは高校生向けの講演会で「21世紀のグローバル社会を生きる力」というような内容でした。

 その時、氏は「日本人は英語を話せないと言うが、実は学校教育レベルがあれば十分英会話は出来る。問題は、ただ話すべき内容を持っていないということだ。」
 「海外の社交界と言われる世界で活躍するような人々は、仕事以外の教養(オペラや芸術などの)の話をするもので、その時にそれに見合うだけの知識と教養を持っていないから、話すべき言葉を持たないのだ。」とおっしゃっていました。

 私は未だに英語は苦手で、話さずにすむなら話さずに死にたい(笑)と思っております。それだけではなく、日本に来る外国人が日本語を勉強してこい!という意見に激しく同意いたします。(笑)

 柴田さんもおっしゃっていましたが、僕も日本人が日本人としてのアイデンティティーというか、日本人の思考をいうものを、むしろグローバルスタンダードになるものとして主張していいような気がします。

 自分の意見を強く主張するのは、私個人は、子供の思考に近いと思います。
 空気を読む、というのがデメリットはあるとはいえ、自分本位でなく他人に重きを置いて考えるという意味では大人の思考であると思うのです。

 ですから、日本人が西洋の思想が一番と考えるというのは、明治維新から何にも変わっていないのでは、という気がするのです。

 そろそろ、日本式思考をグローバルスタンダードにするよう主張してみもいいのかなと思います。

 勿論、それに伴う責任というのも発生するので大変だろうとは思いますが…。 

Posted by なめさん at 2016年01月22日 16:47
なめさん様

コメントありがとうございます。
古い記事は改めて読むと恥ずかしいのであまり目を通しませんが、コメントはいついただいても嬉しいので必ずチェックするようにしています。

池上彰氏の講演をタダで聞けたかのような内容のコメントで、大変ありがたかったです。

私は最近、ある予備校の英語の先生が「日本の高校生は英語を勉強し過ぎ」という記事を書いていらしたのを読みました。
社会や国語など、その年齢でもっと勉強すべきことはあるのに、大学受験のためにひたすら難しい英語ばかり勉強せざるを得ないのはなんだかもったいない、というお話だったと思います。
外国人が聞きたい日本の文化や歴史などをしっかり学んでから、英語で発信出来るようになりたいものです。
勉強のし過ぎで英語嫌いになるのもまた、もったいないことですよねー。

日本が難民を受け入れるかどうかという問題もよく話題になりますが、日本が受け入れるかどうかより、外から来る人がどれだけ日本を理解して日本に受け入れられる気があるか、ということの方が大事なのでは、と思います。
日本には他の国にない文化や考え方があるのですから、それは堅持しつつ、外国と交流出来るのが理想ですよね。
Posted by 柴田 at 2016年01月23日 12:22
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

30日でネイティブに
Excerpt: アメリカ特許取得の英会話教育法 遠藤メソッド式英会話速習プログラム。超高速英会話習得法 30日でネイティブになれる秘訣。
Weblog: 遠藤メソッド式英会話速習プログラム
Tracked: 2013-06-25 15:09

本当に話せる英会話
Excerpt: 過去に英会話で挫折した人も次々と英会話を習得している 約2万人の指導実績からできたプログラム 英会話習得に関する悩みは全て解決。
Weblog: 高松英会話
Tracked: 2013-08-01 21:22