『徒然草』第二十二段です。リクエストにお応えしています。それから、後ほど重大発表があります!
〈本文〉
何事も、古き世のみぞ慕(した)はしき。今様(いまやう)は、無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠(たくみ)の造れる、うつくしき器物(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。『古(いにしへ)は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数(とものれうのにんじゅ)立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ*、最勝講(さいしょうかう)の御聴聞所(みちやうもんじょ)なるをば「御講(ごかう)の廬(ろ)」とこそ言ふを、「講廬(かうろ)」と言ふ。口をし』とぞ、古き人は仰せられし。
〈juppo〉昔は良かった、今時の若い連中と来たら・・という話です。『徒然草』にはよくこの手の話が出てくるような気がします。結局、兼好法師もジジィなんだなと思わざるを得ませんが、昔に比べて今はいろいろと残念だと思う気持ちは、いつの時代も変わらないということですね。「今様の人は」と言っていますが、今と言っても何百年も前なんですからねー。
反古(ほご)という言葉は、今でも「反古にする」なんて使い方で残ってると思いますが、ここでは失敗して捨てた手紙を指しています。これも未だに使う言い方だと思いましたが、よりわかりやすく「ボツ」にしてあります。
失敗作でも昔の手紙の方が、今時の手紙より優れた言葉が綴られていると言ってるのですね。
「車もたげよ」、「火かゝげよ」の部分はわかりやすい言葉に置き換えて訳しましたが、それぞれ「牛車に牛をつけること」「灯火の灯心をかき立てること」を言ってるのだそうです。
「主殿寮」は昔の役所の名前で、そこの役人の仕事の一つに灯燭に灯をともすのがあったそうです。
「最勝講」は宮中で行われていた法会のことだそうです。 偉いお坊さんの話を天皇が聴講した場所を、「御講の廬」と言ったのに、略して「講廬」などと言う者がいる、と年寄りが嘆いている訳です。
こういう話を読むと、乗っかって「最近の気になる言葉」を羅列したくなるところですが、冒頭で申し上げました通り重大発表があるので今回は羅列しません。
なんと、このブログのサービス提供先LOVELOGが、終了するそうなんです!
ブログ更新・編集は3月で、閲覧は6月でそれぞれ終了するそうです。
こんなことなら、2年前KDDIに見切りをつけた時に、さっさと引っ越してしまえば良かった・・と頭を抱えています。
2年前、軽くブログの引っ越しをしかけたんですけど、完全移行せず、めんどくさくなって新居は今、閉鎖しています。
でも、こうなったらその時引っ越しかけた新居に、完全転居することにします。
ですからブログ自体は、閉鎖しません。
3月まではこのまま、ここで更新を続けますのでどうぞおつきあいください。
追々引っ越し先を大々的に告知しますので、よろしければそちらの方にもお出かけくださいますように。
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長いことお待たせしてしまって、すみませんでした!(>_<)
更新も頻繁に出来ず恐縮ですが、今後ともよろしくお願いします。