ああっ、ブログの引っ越しをしただけで2月が終わってしまいました!他にしていたのは雪かきだけです。リクエストにお応えします!お待たせいたしました。『大鏡』です。
〈本文〉
さるべき人は、とうより御心魂(みこころだましひ)のたけく、御守(おほんまも)りもこはきなめりとおぼえ侍(はべ)るは、花山院(くわさんゐん)の御時(おほんとき)に、五月(さつき)しもつやみに、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜(よ)、帝さうざうしくやおぼしめしけむ、殿上(てんじやう)に出(い)でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々物語など申し給(たま)ひて、昔おそろしかりける事どもなどに申しなり給へるに、「今宵(こよひ)こそいとむづかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだに、けしきおぼゆ。まして、もの離れたる所などいかならむ。さあらむ所に、一人往(い)なむや」と仰(おほ)せられけるに、「えまからじ」とのみ申し給ひけるを、入道殿(にふだうどの)は、「いづくなりともまかりなむ」と申し給ひければ、さる所おはします帝にて、「いと興(きよう)あることなり。さらば行(ゆ)け。道隆は豊楽院(ぶらくゐん)、道兼は仁寿殿(じじゆうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿(だいごくでん)へ行け」と仰せられければ、よその君達(きんだち)は、便(びん)なきことをも奏(そう)してけるかなと思ふ。また、承(うけたまは)らせ給へる殿ばらは、御気色(みけしき)かはりて、益(やく)なしとおぼしたるに、入道殿は、つゆさる御気色もなくて、
〈juppo〉ちょっと長い話なので、3回くらいで描きます。1回目の今回はまだ肝試しには誰も行ってません。ミッションが告げられたところまで、ですね。
花山院については以前出家の話を描きました。この帝は在位が短くて、17歳で即位して19歳で出家してますから、今回「花山院の御時」と言ってるのは帝が17、8歳の時ってことですね。
いとやんごとなきご身分の方はヒマを持てあまして、下々の者に無体な要求を突きつけるものなのだな、と思えるシチュエーションですが、何しろ若い帝なので、大目に見てあげましょう。
「しもつやみ」は、下旬の月のない晩という意味の言葉です。
「さる所おはします帝」の「所」は具体的な場所の事ではなく、「そういうところのある帝」という意味です。この文の前に「所」が何度も出てくるので、ややこしいですよね。
「豊楽院」、「仁寿殿の塗籠」、「大極殿」はそれぞれ、帝の住まいであった内裏の近所の建物です。「殿上の間」は、内裏の中の、清涼殿の中にある、部屋のことです。
いつでもやる気の道長の何気ない一言のせいで、とばっちりを食った形の道隆・道兼の運命やいかに!?
続きます。
2014年03月04日
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