10年越しの宿題を、やっと片付けます。
〈本文〉中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家(たかいえ)こそいみじき骨は得てはべれ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。」と申したまふ。
「いかやうにかある。」と問ひきこえさせたまへば、「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言(こと)高くのたまへば、「さては扇のにはあらで、くらげのななり。」と聞こゆれば、「これ隆家が言にしてむ。」とて、笑ひたまふ。
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
〈juppo〉この「中納言参りたまひて」は、10年も前の大昔に、ブログを開設したばかりのころに記事にしています。ところが訳に不備があったり言葉足らずだったり、不出来な内容に数々のご指摘をいただいていたのですが、そのまま描き直すこともせず、記事中に説明らしい説明をすることもなく、何とな〜く、あっという間に10年経ってしまいました。本当に10年なんてあっという間ですよ、皆さんご注意くださいね。
ともかく、今回やっと長年の懸念であったこの作品を描き直しました。今まで不完全な内容の作品をお見せし続け、もしかしたら間違った解釈で勉強してしまった方もいらっしゃるかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。すみませんでした。
中納言は中宮定子の弟で、藤原隆家というそうです。「隆家こそ」とか「隆家が」とか、自分のことを名前で言うのが面白くて、こうした場面では必ずセリフに(自分のこと)と入れている私ですが、この時代は本名を名乗るのが目上の人物に対する礼儀だったそうですね。LEDもなかった当時は家屋の中が薄暗くて、相手の顔がよく見えなかったからでしょうか。
今ここに持ってきてはいないんだけど、誰も見たことがないくらい素晴らしい扇の骨を手に入れた、と豪語する隆家に、見たことがない=見えない骨ってのはまるでクラゲの骨ですね、と例えてみせたんです、清少納言さんが。
「かたはらいたし」はもともと「傍ら痛し」で、「傍らで見聞きするのに耐えられない、心苦しい」という意味なんだそうです。ですからここでも、清少納言さんは片腹が痛くなった訳ではなく、中納言に1本取った自分の話を書き記すのはいたたまれなくて書きたくないんだけど、というちょっとした言い訳になっているんですね。
ところで今回これを描き直したのには、先日よりお知らせしているブログの書籍化に関係があります。少しずつではありますが、プロジェクトは進行中であります。
先日、PILOTの友人に頼まれて、大人のぬりえの絵を描きました。友人は飛行機の操縦士ではありません。ハッパフミフミの方です。
http://www.pilot.co.jp/products/pen/nurie/nurie/index.html
↑この中の「妖精」の絵を描きました。色は塗っていただきました。
2016年07月23日
この記事へのトラックバック
このたび授業資料として活用できるイラストを探して、こちらのブログにたどり着きました。
書籍化なさるとのことでしたが、バックナンバーのイラストを使わせていただくことは依然として可能なのでしょうか。差し支えなければ、ぜひ使わせていただきたいと考えております。ご返答をお待ちしております。
当ブログにたどり着き、コメントありがとうございます。
書籍化プロジェクトはこっそり着々と進行中ですが、このブログはこのまま今まで通り運営していくつもりですので、授業でご紹介いただいたりするのも今まで通りOKです!
今後ともよろしくお願いいたします。
愛らしいイラストで作品のあらすじがわかりやすく描かれていてとっても素敵だと感じました。
ぜひ、授業で紹介させていただきたいです。
コメントありがとうございます。
イラストを授業でご紹介いただけたら嬉しいです。是非お使いになって楽しく授業を盛り上げてください!
古文に興味を持つ生徒さんがひとりでも増えることを祈っています。
夜分に失礼いたします。
お返事ありがとうございます。
そうおっしゃっていただけて嬉しいです!
古文に親しみをもってもらえるような授業をしていけたらと思います。これからも陰ながら応援しております。