2018年01月31日

宮にはじめてまゐりたるころE

続きです。まだまだ続きます。
〈本文〉
なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ちいでしにかと汗あえていみじきには、なにごとをかはいらへもきこえむ。
 かしこき影とささげたる扇をさへとり給へるに、ふりかくべき髪のおぼえさへあやしからんと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ち給はなんと思へど、扇を手まさぐりにして、絵(ゑ)のこと、「誰(た)がかかせたるぞ」などのたまひて、とみにも賜(たま)はねば、袖をおしあててうつぶしゐたり。裳(も)・唐衣(からぎぬ)にしろいものうつりて、まだらならんかし。
 ひさしくゐ給へるを、心なう、苦しと思ひたらんと心得させ給へるにや、「これ見給へ。これは誰が手ぞ」と聞こえさせ給ふを、「賜はりて見侍らむ」と申し給歩を、なほ、「ここへ」とのたまはす。「人をとらへて立て侍らぬなり」とのたまふも、いといまめかしく、身のほどにはあはず、かたはらいたし。
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〈juppo〉
今月だけで3回もブログを更新できたことに密かな喜びを感じています。これが普通どころか、それでも超低頻度だとは分かってるんですが。

 この章は長いです。まだ先があります。いい加減、宮中の人たちに慣れたらどうよ清少納言さん、て感じですが「宮にはじめてまゐりたるころ」なので、初めての頃はこんなにオロオロしてたわ〜という状況をことさら強調してるんでしょうね。

 真正面にい続ける伊周から顔を隠したくて、扇や髪で隠そうとするけど上手くいかず、挙句にうつ伏せてしまうのですが、そんな事態になってさえお化粧が崩れるのを心配しているのは女心ですね〜。見習いたいとすら思う、普段全く化粧をしなくなった私です。

 裳、唐衣は清少納言さんが着ている衣装のことで、裳は袴の上に後方だけつけるものですが、絵にしてません。唐衣は上着です。

 さすがの中宮様は空気を読んで伊周を呼び戻そうとしますが、伊周は戻ってきませんね。「いまめかしく」は「古めかし」の対義語なんですね。今っぽいとか、若い感じという意味なので、「イケてる」とでも訳そうかと思ったんですけど、清少納言さんは自分のことをそんなに若い感覚には不釣り合いだと感じているようなので、やめました。伊周が事実に反して「人をとらへて」なんて冗談を言ったことに対して才能を感じているんですね。

 果たして清少納言さんはこの状況から解放されるのか?以下次号、です。


 ところで「ペリーヌ物語」はその後見始めて9話まできました。ボスニアあたりから出発して、今イタリアです。そんな旅だったんだなぁ、とかみしめつつ見ています。
 40年ぶりに改めて見ると「バロンの扱いが酷いな」と思わずにいられません。「気まぐれな犬」だと歌われているほどですから、そう忠実な犬ではないはずとは言え、アメデオやヨーゼフのように、いつも寄り添う親友的な存在としては全然描かれていなかったことに多少驚いています。ペリーヌとの対比で笑いを取るキャラになってるんですね。
posted by juppo at 23:56| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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