〈本文〉
人の草仮名(さうがな)書きたる草子(さうし)など、とりいでて御覧ず。「誰(たれ)がにかあらん。かれに見せさせ給へ。それぞ世にある人の手はみな見知りて侍らん」など、ただいらへさせんと、あやしきことどもをのたまふ。
ひと所だにあるに、また前駆(さき)うち追はせて、おなじ直衣(なほし)の人まゐり給ひて、これはいますこしはなやぎ、さるがう言(ごと)などし給ふを、わらひ興(きよう)じ、我も「なにがしが、とあること」など、殿上人のうへなど申し給ふを聞くは、なほ変化(へんげ)の者、天人などの下りきたるにやとおぼえしを、さぶらひ馴れ、日ごろ過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。かく見る人々もみな家のうち出でそめけむほどは、さこそはおぼえけめなど、観じもてゆくに、おのづから面馴れぬべし。

〈juppo〉2月は忙しかったです。2月は短いからとか、平昌ずっと観てました、てこともあるんですけど、いつになくイラストの仕事が繁盛して、ずっと絵を描いていました。月末の1週間に締め切りが3つあるという、自分史上最高なくらいの売れっ子月間でした。
そういうわけで1月に3回も更新できたのにその後ぷっつりでしたが、続きです。
中宮さまや伊周に恐縮し続けていた清少納言さんの前に、もう一人やんごとないご身分の方が現れました。このエピソードは余分な気もしないでもないですが、こうしておどおどしながら始めた宮仕えも慣れてしまえばどーということはない、という独白に繋がっているシーンなんですね。
おどおどしている自分の前で涼しげに笑っている女房の皆さんも、新人の頃はきっと自分と同じようにおどおどしていたんだろう、と観察する余裕まで出てきたようです。
この、直衣の人というのは伊周の父の道隆か、弟の隆家らしいです。よくわからないまま描いてしまってます。
仕事って、こうして慣れていくんですよねー。最初は向いてないのでは?なんでこの仕事始めちゃったのかな?なんて悩む日があっても、続けていればいつの間にか先輩になっちゃうんですよね。そうなるとむしろ慣れなかった日々が懐かしかったり、ね。
ずいぶん長くなりましたが、まだ続くんです、この段。続きは今月中には!
ところで「ペリーヌ物語」はこの1ヶ月の間にだいぶ消化しました。もうおじいさんのいるマロクールで働いているペリーヌことオーレリィです。おかあさんが亡くなるのがこんなに前半だったんだなあ、というのが改めて見て意外でした。パリで寝ついてから亡くなるまで4話かそこらあるので、本放送を見ていた時は1ヶ月くらいかかっているわけですが、DVDだと1日で見てしまう話数ですから、あれよあれよという間でした。
3月はイラストの仕事も一段落してちょっとヒマになるかと思ったら、今度は日本語の先生の仕事が繁盛してきました。今年は仕事運が上々のようです。
なるべくブログの更新には時間を作りたいと思っておりますが、ぼちぼちやります。
大スターに囲まれてオタオタする新人マネージャーみたいですよね、清少納言さん。