2018年09月08日

市振@

リクエストにお応えします。久しぶりの『奥の細道』です!
〈本文〉
 今日は親知らず・子知らず・犬もどり・駒(こま)返しなどいふ北国(ほくこく)一の難所を超えて疲れはべれば、枕引き寄せていねたるに、一間(ひとま)隔てて表の方に、若き女の声二人ばかりと聞こゆ。年老いたる男(おのこ)の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし。伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて、明日はふるさとに返す文したためて、はかなき言づてなどしやるなり。
「白波の寄するなぎさに身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の業因いかにつたなし。」
と、もの言ふを聞く聞く寝入りて、
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〈hippo〉市振は「いちふり」ではなく「いちぶり」と読むのですね。新潟県の地名なんですね。
市振駅はえちごトキめき鉄道(トキてつ)日本海ひすいラインの親不知の隣の駅で、その間8.6qだそうですが、「奥の細道」の世界ではこの間は20qに渡る難所であると解説されています。便利な世の中になってよかったですが、芭蕉さんはもうクタクタな模様です。
 1コマ目に道の駅親不知ピアパークをついでに書きこんだのは純粋に私の興味を引いたからに他なりません。私は鉄旅よりドライブ派なので、道の駅情報を目にすると「いつか行きたい」思いに駆られます。
 何しろ、芭蕉さんの時代には当然鉄道もなく、ここを通過するのは難行苦行だったんですね。犬もどりとか駒返しという地名も、犬や馬にも越えられない険しさを表しているのでしょうか。

 「一間隔てて」は、一部屋あけてということではないようです。要するに、隣の部屋の話し声を聞いてるんですね。
 この時代、お伊勢参りはとてもポピュラーな行楽(?)で、誰でも一生に一度は行くというほどだったそうです。この遊女たちは、解説によると主人には無断で旅をしているとかで、そういうのを「抜け参り」と言ったそうですが、お伊勢さんに行くのは特別なことなので、無断で出かけても咎められることなく帰ってこられたんだそうですよ。そんなことなら一言断って出ても良さそうな気もしますけどね。
 この年、元禄2年(1689年)は伊勢神宮の式年遷宮に当たっていて、そういえば芭蕉さんもこの後大垣にたどり着いてから遷宮を見に行こうと、また船に乗ったなんてくだりがありましたね。

 遊女がしたためている手紙の「白波の・・・」という文章は、もともと『新古今集』に
 白波の寄するなぎさに世を尽くすあまの子なれば宿も定めず
という歌があり、これを詠んだのが遊女だったと伝わってるそうで、芭蕉さんがそれをパク、もとい、オマージュに作ったようです。そもそも遊女が隣の部屋に泊まっていたこと自体、芭蕉さんの創作だと見られているみたいです。でもそんな事実は気にしないで読んだ方が面白いですよね。

 そんなに長くないのですが、2回で描きます。続きは多分、わりとすぐに!
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posted by juppo at 03:58| Comment(0) | 奥の細道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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