〈本文〉
これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとする名残とて、各(おのおの)あそぶ事ありけるに、酔(ゑ)ひて興に入るあまり、傍(かたはら)なる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平(ひら)めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事かぎりなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方(おほかた)抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑(まど)ひけり。
〈juppo〉書籍第四弾の告知をして以来、めっきり音沙汰なしですみません。新刊を買ってくださった方、ありがとうございます。ところが、発売した新刊に乱丁が発覚し、発売即回収なんてことになっていたようです。ご購入された方は今一度内容をご確認ください。108ページと110ページに同じ漫画が載っていたら出版元のKSTプロダクションまでご連絡くださいますよう。無料で訂正版をお届けするそうです。
初版は全て刷り直して、そろそろ発売し直しているころかと思います。私はまだ現物を見ていないんですけどね。
そんなアタフタでブログを放置していたわけではなく、初夏のころからは仕事が忙しかったというのが一番の言い訳なんですけど、別の理由もあります。その話は後ほど。
仁和寺といえば「仁和寺にある法師」を昔描きました。「高校古文まだまだこういう話」に収録されています(宣伝)。
今回のお話は『徒然草』でのその次の段なので、石清水八幡宮を知らなかったあのお坊さんのお話がもうひとつあるのかと思って描き始めたら、べつに同一人物ではないようです。仁和寺には話のネタになる坊さんが何人もいたということでしょうか。
お寺にいる子供が登場すると、小坊主にしたりお稚児さんにしたり絵にするときに迷うんですけど、今回はこれから頭を剃って僧侶になる修行に出る子供とのお別れのようなので、まだ髪がある稚児の姿になっています。
お坊さんたちもこんなに酒に酔って乱れるのか、と思われそうですが、そういう話なので。
どんな身分の人でもお酒が入るとこんなもんかもしれません。そして酒の席というのは何かと行き過ぎてしまうのもよくあることですね。
お坊さんが頭にかぶった足鼎とは足つきの釜で、お湯を沸かしたり食べ物を煮るのに使ったものだそうです。銅などの金属製だったようです。
なぜそんなものを頭にかぶってしまうのか。酔っぱらいの前にそれがあったからとしか理解できません。そしてなかなか入らないものを無理やりかぶったので、やっぱり抜けないんですね〜。
コメディの王道みたいな展開になってきました。どう解決するのかは、続きをお待ちくださいね。あと2回続きます。
さて、ブログをサボっていたもう一つの理由です。10月後半から、私は母の介護をするようになりました。
87歳になる母は9月の初めに腰椎の圧迫骨折をして、それでも1ヶ月は多少弱りながらも普通に生活していたのに、10月に入って一週間ほどで急に立つことも出来なくなったのです。食が細くなり、栄養を取れなくなってしまったことも原因のようで、2週間ほど入院して経過観察ののち退院し、その後は自宅で寝ています。
退院しても歩けないのでリハビリに通ったり、最近はデイサービスに行き始めました。
今月は日本語レッスンの仕事がお休みになり、久しぶりに無職になったので、介護をしながらもこうしてブログを再開することが出来ました。
先月あたりは慣れない介護生活への動揺と疲労と体調不良な1週間もあったりして、結構大変でしたが、だんだん慣れてきたので時間を見つけて漫画描きます。頑張ります。
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