〈本文〉
とかくすれば、頸(くび)のまはりかけて血たり、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪(た)へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(みつあし)なる角(つの)の上に、帷子(かたびら)をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり、率(ゐ)て行きける道すがら、人のあやしみ見る事かぎりなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。
〈juppo〉面白すぎる、昔の人。何やってんでしょう。どうしても脱げないので割ってはずそうとしていますが、前回申し上げたように足鼎というものは金属製だそうなので、陶器かなんかだったらよかったんですが、そう簡単に割れるものとは思えませんよねー。お寺の鐘をつくような状態になるのではないかと想像できます。中の人は耐え難いでしょうね。
帷子は単衣(ひとえ)の着物です。それを被ってても被ってなくても、人目を引くのは避けられないでしょう。隠されているものにこそ、人は興味を惹かれるものですからね。
最後のコマで感想を述べているのは筆者の吉田兼好さんです。「徒然草」は兼好さんの徒然なる随筆なので、ご本人に語っていただきました。時々こんな風に登場してます。
さて医者には打つ手があるのでしょうか。次回、完結編です。もう描いてあるので年内に更新します。予想外の結末を、なるべく焦らしてお届けしたい気持ちです。
気がついたら今年もあと10日なんですね。今年は平成から令和への改元があったために、令和になってまだ半年くらいなのに!と意表を突かれた感じがしませんか。えっ、もう令和2年になっちゃうの?な感じ。それはそうなんですけど、やっぱり今までとちょっと違う。昭和から平成になった時は昭和64年は1週間しかなかったので、平成元年は普通の1年に感じられたんじゃなかったかなぁと思います。今年が短かすぎる気がするのは決して歳のせいじゃないんだ!という話です。
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