〈本文〉
「この世にののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはんや。世を棄(す)てたる法師の心地にも、いみじう世の愁(うれ)へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえん」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。
あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深(ふか)うつきぬ。

〈juppo〉前回、源氏の訪問を聞きつけた坊さんは今回、ミーハー気質満開で「見に行こうぜ!」と女性たちを誘っています。時々思うんですけど、古文に登場するお坊さんたちって、ノリがいいですよね。現代のお坊さんたちの中にも、ロックコンサートを開く方がいたり、ノリはそれぞれだと思いますが、およそ「僧侶」に連想される落ち着きはらった悟りの境地にいる人のイメージから遠い坊さんが古文にはよく出てくるなぁ、と思いませんか。
源氏のことを「光る源氏」と呼んでいますが、変換ミスではありません。「光源氏」がフルネームなのではなく、「光」はもともと「光りかがやく君」と呼ばれたことからくる形容詞なんですよね。
ノリノリな坊さんの呼びかけに応えて女性たちが自分を見に来るぞ、と察した源氏はとっとと退却してます。つつ、偶然見かけた美女を思い出して幸福感に浸っているようです。自分が「すき者」である自覚はあるようです。誰もが「すき者」である必要はないと思いますが、こうして嬉しいことをつくづく思い出して幸せな気持ちになれるというのは、大事なことですよね。日頃気分が沈む経験や腹立たしい出来事が頭の中を占めてしまうような時でも、大なり小なり幸せな記憶を呼び起こして自分を慰められたら、いいと思います。眠れない時も楽しいことを思い出すといい、と元SMAPのクサナギくんが言ってました。
守備範囲の広さには定評のある光源氏ですが、祖母と孫である尼君と若紫両人とも射程内に納めています。若紫のことを、藤壺の代わりに、と考えていますが、父・桐壺帝の中宮、つまり奥さんである藤壺に想いを寄せる源氏は、このとき里に下がっているとかで会えないその人にちょっと似てる若紫に惹かれてしまったのですね。実は若紫の父親が藤壺の兄なんですって。若紫は藤壺の姪なんですね。似てるワケです。
源氏が幼女の面影で胸をいっぱいにしたところで、この章はとりあえず終了です。続きとか、ここに至る前とか、描く機会があればまたいずれ。

材料は古着や古布。

マスクの備蓄はまだあるんです。最近あまり外出もしないので減らないし。単に作りたかったので作りました。こういう事態になると、不恰好なマスクでも恥ずかしくなく使えますしね。
とても久しぶりに古典(国語総合ですが)を担当することになりました。現在通信制高校に勤務中で、更に今回のコロナ関係で全く授業もしないまま生徒にレポートを実施させることになってしまったので、学習の助けに……と検索し、書籍が3冊出版されていた(手持ちは1冊目だけでした)ので、Amazonでポチッと購入して拝読しました。
第1回目のレポートは古文の予定で「児のそら寝」「絵仏師良秀」&古典文法の基礎を一気に盛り込むので、生徒の理解のために、また是非2作品の漫画を補助教材プリントとして使用してよろしいでしょうか?(「絵仏師良秀」は書籍に収録されていなかったので、ネットから頂きます)
何卒よろしくお願いします。
併せて、次回は漢文なのですが、教材が漢文の基礎(金言格言)、「株を守る」「五十歩百歩」「虎の威を借る狐」です。泣きそう……もしできましたら「株を守る」「五十歩百歩」どちらかでも執筆いただけると有り難いです。
忘れずにいてくださってありがとうございます。
書籍のご購入も、重ねてお礼申し上げます。
新学期で(特に今年は)お忙しい中、コメントしていただき恐縮です。
通信制の課題作成にはご苦労も多いことかと思います。私の絵がお手伝いになるなら幸いです。どうぞご自由にお使いください。
リクエストいただいた漢文の作品については、少しお待ちいただくことになりそうですが、なるべく早くお応え出来れば、と思います。
よろしくお願いいたします。