〈本文〉
御前(おまへ)にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしうむつかしう、かた時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙(しきし)、みちのくに紙(がみ)など得(え)つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。また高麗(かうらい)ばしの筵(むしろ)、青うこまやかに厚気が、縁(へり)の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを、ひきひろげて見れば、何か、なほ、この世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなき事にもなぐさむなるかな。姨捨山(をばすてやま)の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせたまふ。候(さぶら)ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」など言ふ。

〈juppo〉テレビなしではステイホームで過ごせません。テレビのない文化的な生活に挑むチャンスなどとは考えない私は新しいのを買いに走りましたが、コロナのせいで家電屋も早仕舞いしているではありませんか。急遽NHKプラスのアプリをダウンロードして、チコちゃんはスマホで見ました。明日また家電屋に行ってきます。明るいうちに。
以前、『姨捨』という作品を描いた時に、「『枕草子』に姨捨山のエピソードが出てくる」とコメントを寄せていただき、いつかそちらも作品化しようとその時思ってから何年経ったことやら、と、いつものような化石候補の一つです。
清少納言さんの好き嫌いの激しさは今に始まった事ではないですけど、紙だの筆だの畳だので命さえ惜しくなるとは。そんなことで心が慰められるなら、慰めがたい気持ちを表す「姨捨山の月」を見るのはどんだけ慰められない人なのか、と中宮さまは問うておられるんですね。
「息災の祈り」は仏教の言葉で、災難を防ぐ祈りだそうです。あっさり「安全祈願」としてしまいましたが、まぁそういうことですよね。
この作品にはかなり畳へのこだわりが綴られてます。今後も出てきます。今回の「筵」は薄い敷物のことで、「ひきひろげて」見たりしてるので、折りたたんだりできるものだそうです。ここでは「ひきひろげて」と原文にあるのでそう書きましたが、私は「布団をひく」という言い方には違和感を抱いています。「しく」ではないかと。「敷布団」なら。
私の違和感はともかく、全部で4回でご紹介します。続きは近いうちに。