〈本文〉
山はかぎりなくおもしろし。世にたとふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乗りて、追風(おひかぜ)吹きて、四百余日になむ、まうで来にし。大願力(だいぐわんりき)にや。難波(なには)より、昨日(きのふ)なむ都(みやこ)にまうで来つる。さらに、潮(しほ)に濡れたる衣(きぬ)だに脱ぎかへなでなむ、こちまうで来つる」とのたまへば、翁、聞きて、うち嘆(なげ)きてよめる。
くれたけのよよのたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見し
これを、皇子聞きて、「ここらの日ごろ思ひわびはべりつる心は、今日(けふ)なむ落ちゐぬる」とのたまひて、返し、
我が袂(たもと)今日かわければわびしさの千種(ちぐさ)の数も忘られぬべし
とのたまふ。

〈juppo〉すっかり寒くなりましたね。と思ったら12月なんですね。不思議と年末感がないのもコロナのせいなんでしょうか。そうなんでしょう。
さて長らくお届けし続けたくらもちの皇子の冒険譚は今回で終了です。皇子の語る話が終わっただけで、このエピソードはまだ続くんですけど。
蓬萊の山で枝を折ってしまったら、もうとっとと帰るだけですが、「心もとなく」感じてさっさと帰って来たというのがまた信憑性を持たせてますよね。なにやら不思議な山に登って不思議な枝を折った体験にありそうな感覚です。
体験談の後は翁と皇子の歌のやり取りです。「よよ」は竹の節と節の間を表す「よ」を重ねて言ったもので、そういう竹を取っていたということと、「代々」にかけてるんですって。
返す皇子の歌の「ここら」は「この辺」という意味ではなく、長いとか多いという意味だそうです。
「大願力」は仏教用語です。阿弥陀さまが衆生の成仏を願ってくれてる力だとか、神仏に祈る力のことだとか、解釈はいろいろあるようです。
ここまで練りに練った作り話を聞かされ、金にモノを言わせた偽物の玉の枝を渡されて、さすがのかぐや姫も陥落しそうです。しないですけどね。その辺は次回以降で明らかに。
もう少し、続けます。