続きです。メリクリです。
〈本文〉
花山寺におはしまし着きて、御髪(みぐし)おろさせたまひて後(のち)にぞ、粟田殿は、「まかり出出て、おとどにも、かはらぬ姿、いま一度見え、かくと案内(あない)申して、かならずまゐりはべらむ」と申したまひければ、「朕(われ)をば謀(はか)るなりけり」とてこそ泣かせたまひけれ。あはれにかなしきことなりな。日頃、よく、「御弟子にてさぶらはむ」と契りて、すかし申したまひけむがおそろしさよ。東三条殿(とうさんでうどの)は、「もしさることやしたまふ」とあやふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者(むさ)たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどはかくれて、堤(つつみ)の辺(わたり)よりぞうち出でまゐりける。寺などにては、「もし、おして人などやなしたてまつる」とて、一尺(ひとさく)ばかりの刀どもを抜きかけてぞまもり申しける。
〈juppo〉聖なる夜に、悲しいお話をお届けしなければなりません。ここまで描いてこそ「花山院の出家」をcompleteなのは、信じた者に裏切られて不本意なまま出家するに至った帝の悲運を見届けるためだったのですね。
名前を整理します。「粟田殿」はここにいる道兼のことです。道兼の父「おとど」は藤原兼家です。5コマ目に登場していますが、自分が過去にこのブログですでにそのキャラを描いてなかったかどうか、しばし調べました。多分初登場です。
この父と、息子道兼の間では帝だけに出家させてそれに付き合うつもりはないことは、打ち合わせ済みだったようですね。そうとは知らず、剃髪してしまってから陰謀に気づいた帝のショックやいかばかり・・です。
道兼は父親に様子を見せたら戻ってくると言ってるのですけど、戻ってくる気がないことにはすぐに気づく帝です。もっと細々したやりとりや素振りがあったのかもしれませんが、ここでは大筋しか語られていません。何しろ、頼りになる護衛をつけましたよ、ってとこで唐突に終わりです。この続きはないんです。
ですから次回は「くらもちの皇子」に戻ります。
2020年12月24日
この記事へのコメント
コメントを書く