〈本文〉
八日、人のよろこびして走らす車の音、ことに聞えて、をかし。
十五日、節供(せく)まゐりすゑ、かゆの木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房(にようばう)などのうかがふを、打たれじと用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきもいとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ち当てたるは、いみじう興(きよう)ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるも、ことわりなり。

〈juppo〉一月のカレンダーは半ばまで進んでいきます。宮中での歳時記が正確に綴られるとともに、後半は貴族らしからぬバトルシーンが展開されています。
最初のコマは、七日に新たに位が授けられた男性貴族がお礼を言いに参内している様子です。
前回予告した通り、七日の七草粥の後、十五日にもお粥を食べる習慣があったようです。「かゆの木」は、そのお粥を炊いた木の燃え残りを削ったものだそうです。それで女性の腰を打つと、男の子を授かると言われていたんですって。そんな意味合いは置き去りにされて、もはや行動自体が目的になっている感じですけどね。人のスキをうかがって奇襲をかける、鬼ごっことか缶蹴りとか、そういう遊びは廃れないものですね。他の動物と違って人間には、成功の要素の中に「してやったり」が入ることに喜びを感じてしまう習性があるんでしょう。
平安時代の人々は、新年を祝う行事を粛々と行いながら、こんな風にカラダを動かして楽しんでもいたのかと思うと、なんだか親しみを感じませんか。昔も今も、この時期は寒いですからね。温かいものを食べて、カラダを動かして私たち現代人も元気に過ごしたいものですね。
まだ、続きます。