〈本文〉
あだし野の露きゆる時なく、鳥部山(とりべやま)の烟(けぶり)立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕(ゆふべ)を待ち、夏の蝉(せみ)の春秋(はるあき)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮(くら)すほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜(を)しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。
〈juppo〉昨日、この記事を投稿しようとしてPCを開いて作業中に、その段階になって漫画に描きもらした箇所がある事に気づきました。そして今日、その描き忘れた部分を描いて付け足しましたので、無事に更新します。付け足し作業はお絵かきソフトで行いました。
さて今回は兼好さんの死生観というか、儚い命でも「そこがいい」話です。
あだし野とは、京都嵯峨野の奥にあった墓地だそうです。東山の鳥部山から上る烟が見える位置にあったんですって。鳥部山の烟というのは、火葬場の煙なんですねー。
そこにある露とか煙というのは、いつもあるものではないと、あったと思うと消えていたりするのだけれど、ずーっとあってもつまらないと思ってるんですね、兼好さんは。
カゲロウとかセミとか、中でも短命なものと比べていますが、確かに生き物の中では人間は長生きですね。それでももっともっと、と願ってしまうのが人間の弱さなのか、死への恐れなのか、そういう欲は尽きないものです。
長いようでもあっという間なのが人生という気もしますが、その限られた生をじっくり味わって生きたらどう?という兼好さんのメッセージなのかな、と思ったところで後半に続きます。
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今後も気になった作品があればリクエストさせて頂きたく思っておりますので、お暇がありましたら是非よろしくお願いいたします🙏
コメントありがとうございます。
シンプルな内容なのかな?とも思えますが、読んでみると言葉の運びが分かり難いところがありますよね。
漫画で少しでも理解しやすくなっていたら、嬉しいです。
もちろん、他の作品もいつでもリクエストをお寄せください。
今回のように少しお待ちいただくかもしれませんけれども。
私は高校教員なのですが、勤務校の生徒は古文が自分とは縁遠いものと感じている子が多く、日々の授業の実践に苦慮しております。そんな生徒たちにとって、柴田様の漫画は、より古文に対して興味をもち意欲的になる大きなきっかけになるのではないかなと感じています。
もしお許しいただけるなら、古典の授業で柴田様の作品を資料として使わせていただけたら・・・と思うのですが、いかがでしょうか。
お返事いただけると幸いです。
コメント、書籍の購入、併せてありがとうございます。
私も学生の頃は、古文や歴史など、昔のことにはとんと興味がありませんでした。大人になってこんなに古文に関わろうとは思いもよりませんでしたが、古文は現代にまで残ってきただけあって、読んでみると面白いお話も多いですよね。
是非、生徒さんたちにもその面白さをわかっていただきたいです。私の作品がお役に立つのであれば、どうぞ授業でお使いください。使い方は先生のお考えで自由になさってください。よろしくお願いいたします。