2021年07月10日

あだし野の露A

お待たせしました。後編です。
〈本文〉
住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はぢ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思日、夕(ゆふべ)の陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
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〈juppo〉少し前に漢文の漫画をお届けしながら「長生きはするものです」と書いていたわずか後に、「長生きしてどうする」なお話をご紹介することになるとは。そいつはすいませんでしたねー兼好さん、て感じですが、吉田兼好さんも定かでないにしろ70歳くらいまでご存命だったようですよ。

 結局のところ、年をとったら出しゃばらず大人しくして天命を待つがよろしい、ってことでしょうか。年を取るとどうしても、若い頃のように働けないですし、考えも偏るかもしれませんし、容姿もそりゃあ劣化はしますから。
 
 とはいえ、兼好さんの時代から比べたら寿命が圧倒的に伸びた21世紀に、40歳を過ぎたからといってそうそう引っ込んではいられないですね。人生の折り返しにも届いてないですよね。
 子や孫の可愛らしい姿を見ながら、「大人になるまで見届けたい」と願うのも自然なことだと思います。「夕の陽に」というのは寿命を1日の長さに換算して、陽の沈む時刻イコール人生の終わり頃、と言っているようです。

 兼好さんのご説に従えば、年をとっても「生をむさぼらず、もののあはれ」を知りながら生き続けるのであれば何歳になっても良い、ということだと理解したいです。

 誰もが等しく年は取っていくものですからね。永遠ではない人生を「あー面白かった」と振り返って終えられるように、毎日を過ごしていきましょう。
posted by juppo at 22:52| Comment(0) | 徒然草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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