〈本文〉
念珠(ねんず)を押し摺(す)りてそばへ寄り来たる程、もともたのもし。御頸(くび)に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して、寿量品(じゆりやうほん)を打ち出(いだ)して読む声はいと貴し。さばかり貴き事もありけりと覚ゆ。少しはがれて高声(かうしやう)に誦(よ)む声、まことにあはれなり。持経者、目より大(おほ)きなる涙をはらはらと落して泣く事限りなし。その時覚めて、御心地いとさはやかに、残りなくよくなり給ひぬ。かへすがへす後世まで契(ちぎ)りて帰り給日ぬ。それよりぞ有験(うげん)の名は高く広まりけるとか。
〈juppo〉少し前に夕方の「純ちゃんの応援歌」再放送で、鶴瓶さんがマラリアの発作に襲われて「キニーネ買うてきて。キニーネ飲んだら治んねん」とか何とか言うシーンがありました。キニーネは19世紀に発見されたマラリアの特効薬で、副作用があるために代替薬に取って代わられて現代では用いられていないようですが、当然このお話の時代にもそのような特効薬はなく、こうしてお経を読んでもらって病気を治していたと・・・病は気からとも言いますし・・・。現代の感覚で読むと「まさかぁー」な話ですけど。坊さん自身、自分の風邪は医者に相談してますしね。
ともかくありがたいお経ですっかり気分爽快になって帰ることになりました。「後世まで契りて」は何を契ったのか、はっきり言ってないですね。普通、古文で後の世までなどと言う時は、生まれ変わっても愛し合おうねみたいな意味ですが、ここでは末代まで信仰するからね、くらいの意味でしょうか。
坊さんが「御頸に手を入れて、我が膝を枕にせさせ申して」いるところは、実際何をどうしているのかよくわかりませんでした。「頸」は「首」とも「頭」とも訳されるようですし、膝ってこんなふうに膝枕してるってこと?と、不安なまま作画しています。
病が癒えたのにマスクを外してもらうのを忘れました。すっかりマスク社会に慣れきってしまったせいだと思います。その方が自然というか。持経者もいない21世紀でも、コロナは終息に向かっていきそうですが、マスクのない日常はいつ戻ってくるでしょう。
次回は多分短いのを。近日中に。できれば。