後半です。もちろん、もれなく鶯が出てきます。
〈本文〉
あるやうこそはとて、もて参りてさぶらひしを、『なにぞ』とて御覧ずれば、女の手にて書きて侍りける、
勅(ちよく)なればいともかしこしうぐひすの
宿はととはばいかが答へむ
とありけるに、あやしくおぼしめして、『何者の家ぞ』とたづねさせ給ひければ、貫之のぬしの御女(みむすめ)の住む所なりけり。『遺恨(ゐこん)のわざをもしたりけるかな』とて、あまえおはしましける。繁樹今生(こんじやう)の辱詬(ぞくがう)は、これや侍りけむ。さるは『思ふやうなる木もて参りたり』とて衣(きぬ)かづけられたりしも、からくなりにき』とてこまやかに笑ふ。
〈juppo〉日付が変わってもう3月です。ちらほら梅が咲き始めていますね。梅に鶯は当時から切っても切れない関係で、梅あるところ鶯あり、なのにその鶯ほったらかしで梅だけ移動させてしまった失敗の記録でした。
どんなに偉い人の命令でも、鶯の意見を無視して梅を持ってきてはいけない、という教訓がある話では別にありません、が、そんなことにも遺恨を感じる風流、が主題でしょうね。
「辱詬」は恥辱のことで、命令とはいえ実行したことを繁樹さんは大いに恥じております。それでいて最後の「こまやか」な笑いというのは、ちょっぴり笑っているというより、「心から」とか「心の底から」笑うという意味だそうです。恥じているのか。一生の恥であっても遠い昔のことになってしまうと「何もかも懐かしいなぁ」と温かい気持ちになるのか、ちょっとそんな感覚もわかるお年頃の私です。
今でも使う言葉でも意味が違うと厄介ですね。「あまえ」が「恥じる」の意味だとか。終止形は「あまゆ」なんです。深く考えずに読んでいると、「なに甘えてんだ」な感想を抱くことになってしまいますね。
「貫之のぬしの御女」の貫之とは、そうです紀貫之のことです。その娘とはこれまた歌人の紀内侍(きのないし)なんですね。「ぬし」は前回も出てきて、説明しませんでしたが敬称です。「〜殿」などと同じ働きだそうです。
久しぶりの大鏡はこれにて終了です。次回はまた漢文、かもしれません。
学年末考査はすでに終了し、後は修了式を待つのみとなっています。
古典の点数はとても良かったです!!平均点よりも21点高く、初めて80点台をとることができました。古典の成績も、いつも以上のものになっていると思います。
柴田さんの漫画を書く際の「古文、漢文の単語、一文字一文字を丁寧に調べる」姿勢を、自分の勉強の中でも癖づけるようにしていった成果が出てきたのかな、とこのサイトに出会えたことを感謝しています。
実は柴田さんのこのサイトや御著書を、私の友人や部活の後輩たちに密かに布教中です。「すごく助かります」「何でもっと早く教えてくれなかったの」と、かなり好評です。私と同じく、御著書「高校古文こういう話シリーズ」を買い揃えた人もいました。
「とある高校3年生」になった際も、またリクエストに応えて頂けると幸いです。本当にありがとうございました。これからも応援しています。
コメントありがとうございます。この度は布教活動のご報告まで!本当にありがとうございます。こんなに嬉しいことはありません。
リクエストいただいた作品、描くのが遅くなってしまって申し訳ありませんでした。3学期がもう終わってしまうな〜期末テスト終わっちゃったかな〜と、気になっておりました。間に合ったかどうかはともかく、成績が上がったのは良かったですね!このブログがなくても、きっと普段の努力の表れだと思います!
もう一ついただいたリクエストもまだ作品化出来ずにいて、ごめんなさい。
近いうちに、と思ってます。復習になるかと思いますが、お目にかけられれば。