2022年09月21日

先帝身投A

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、彼岸の中日を前にぐっと涼しくなりました。続きです。
〈本文〉
 二位殿は、このありさまを御らんじて、日ごろおぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色のふたつぎぬうちかづき、ねりばかまのそばたかくはさみ、神璽(しんし)をわきにはさみ、宝剣を腰にさし、主上(しゆしやう)をいだきたてまって、「わが身は女なりとも、かたきの手にはかかるまじ。君の御共に参る也。御心ざし思ひまゐらせ給はん人々は、急ぎつづき給へ」とて、ふなばたへあゆみ出でられけり。主上、ことしは八歳にならせ給へども、御としの程よりはるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしく、あたりも照りかがやくばかり也。御ぐしくろうゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」と仰(おほせ)ければ、
sentei2.jpeg
〈juppo〉前回は戦も大詰めを迎えてバタバタした雰囲気でしたが、ここからは静かに終わりを迎えようとする皆さまのお話です。
 二位殿とは平清盛の妻、時子のことです。「にぶ色」は濃い灰色で、喪に服する人の着る色だったとか。そういう着物を二枚重ねに頭から被っています。「ねりばかま」の「ねり」は叩いたり灰汁で練って柔らかくした絹で仕立てた袴だそうです。わきにはさんだり腰にさしたりしてるのは、いわゆる「三種の神器」の勾玉と草薙の剣ですね。三種というからにはもう一つあるはずです。もう一つは八咫(やた)の鏡で、三つ揃って天皇家に代々伝わる宝物だそうです。
 清盛と時子の娘・徳子が高倉天皇に嫁いだので天皇家の宝がここにあるんですね。敵の手に渡ってはいろいろと大変、ということで身体にしっかり携えています。
 徳子はその後生き延びるようですが、時子は孫の安徳天皇を道連れにここで果てる覚悟です。

 安徳天皇は今年8歳になるとありますが、これは数え年で実年齢は6歳だったようです。それでも大人びた容姿とは。やんごとなき身分のお方は6歳にしてしっかりしていたんでしょうね。
 しかしながら、漫画ではより幼く見えるように描いています。もちろんその方が哀れを催すからです。
 安徳天皇の髪型は、この後「びんづら」に結っていることが語られているので、結っておきましたが、背中を過ぎた長さらしいので、多分こんな感じ?でこうなりましたよ。

 船べりまで歩み出たからには、もう飛び込むばかりになっている場面で「続く」です。でも後2回ありますから。先帝の身投を皆でじっくりゆっくり、見守りましょう。
posted by juppo at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 平家物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がない ブログに表示されております。