寒いです。最終回です。
〈本文〉
二位殿やがていだき奉り、「浪(なみ)のしたにも都のさぶらふぞ」となぐさめたてまつって、ちいろの底へぞ入(い)り給ふ。
悲哉(かなしきかな)、無常の春の風、忽(たちまち)に花の御すがたを散らし、なさけなきかな、文段(ぶんだん)のあらき浪、玉体を沈(しづ)めたてまつる。殿(てん)をば長生(ちやうせい)と名づけて、ながきすみかと定め、門をば不老と号(かう)して、老(おい)せぬとざしとかきたれども、いまだ十歳のうちにして、底のみくづとならせ給ふ。十善帝位の御果報、申すもなかなかおろかなり。雲上(うんしやう)の竜くだって海底の魚となり給ふ。大梵高台(だいぼんかうだい)の閣(かく)のうへ、釈提喜見(しやくだいきけん)の宮の内、いにしへは槐門棘路(くはいもんきよくろ)のあひだに九族をなびかし、今は舟のうち、浪のしたに御命を一時(いつし)にほろぼし給ふこそ悲しけれ。
〈juppo〉水に関わる悲しいニュースを聞いて、この回を公開するのを少し躊躇していました。安徳天皇は「いまだ十歳のうち」とありますが、前にお話ししたように、六歳でこのような悲しい最期を迎えています。
「浪のしたにも・・・」は有名な台詞ですね。貴族として、また幼い子を道連れにするにあたって、これ以上ない言い方と思えます。だから一緒に行きましょうね、楽しいところですよ、と言っているのでしょう。そこまで考えると悲しさ倍増です。
後半は難しい言葉の羅列です。「長生殿」とか「不老門」というのは、中国の唐にあった宮殿とか門の名前だそうで、安徳さんがそこに住んでいたわけではないと思いますが、安徳さんの住まいをそう呼んで、唐の栄華になぞらえているんですね。
「大梵高台」とか「釈提喜見」の方は、大梵天と帝釈天の住まいだそうです。こちらは仏教関係ですね。そのくらいの、上の上にある地位に、一族が君臨していたのに〜という嘆きに繋がっていくように、かなり大げさに喩えていますね。九族とは九代にわたる親族とも、一族の中の九人とも解釈できるようです。「九族」と「一時」とで対の修辞になってるので、誰から誰までの九代かなどと、平家の系図を調べなくても良いと思います。
琵琶の音に乗せて詠って聴かせる物語だけに、朗々と悲しさを盛り上げる終盤になっている感じです。
そもそもそういうお話ではありますが、こんな風に小さい人とか、愛すべき人物の最後は本当に哀れを催すシーンになっていますよね。ご冥福をお祈りいたします。
2022年10月06日
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こちらのイラストが非常にわかりやすく、また見やすいので、授業で生徒に配付するプリントにぜひ載せさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?
たいへん不躾なコメントをしてしまい、申し訳ございませんでした。プリントへの転用はいたしません。
コメントありがとうございます。
授業でお使いになる程度でしたら、プリントにしていただいても構いませんよ〜。
生徒さんたちにも楽しんで学んでもらえたらと思います。
それはありがたいです!!
とてもわかりやすくマンガにまとまっているので、ぜひ使わせていただきます!
いつも活用させていただいています。
リクエストなのですが、『大鏡』「道真左遷」をお願いします!
リクエストありがとうございます!!
すぐにでもお応えしたいのですが、今年はいろいろと忙しく、ブログの更新も滞りがちです(><)
いつとお約束できませんが、いずれ描きます!
気を長くしてお待ちください(>人<;)