次回から『鴻門の会』というお話をお届けします。その準備を少しずつしていました。その準備中に、登場人物が多くて誰が誰だかよくわからないし、この場面までのいきさつに触れないでは内容に入って行きにくいな、と思ったので、今回は本編に入る前の予告篇です。
イラストに描いた人たちが出てきます。実際には登場していない人も話に出てくるので描いてあります。
この頃、今の中国に秦という大きくて強い国がありました。治めていたのは始皇帝です。始皇帝は紀元前210年に50歳で亡くなります。その前後、秦の圧政に不満があった農民の反乱が起こります(陳勝・呉広の乱)。蜂起した陳勝、呉広は半年で破れ殺されますが、そんな情勢に呼応して「天下を取ってやる!」と立ち上がったのが項羽と劉邦です。
項羽(BC232〜202)は楚という国の人で将軍の家系の出です。ここでは項王と呼ばれています。
劉邦(BC247?256?〜195)は漢という国の農民の子です。警察官のような仕事をしていましたが、沛という土地の県令になったことから、以来沛公と呼ばれています。
群雄割拠の様相の中、楚の懐王が指揮を取り、項羽らを将軍にした主力軍を東から、劉邦の別働隊を西から咸陽に向かわせ、「先に関中に入った人が王様になりなよ」と号令を出します。咸陽は秦の都です。その一帯を関中と呼んでいます。
先に咸陽に入ったのは果たして劉邦の軍でした。そこで劉邦は、財宝を略奪しようとする兵士らを制し、それまで死ぬほど厳しかった秦の法律を「ルールは3つでいいよ」と緩和し、秦の民からも大歓迎を受けます。
しかし、劉邦が関中に入れたのは、関中の東の関である函谷関を項羽が兵士に守らせていたおかげもあったため、項羽はただでさえ面白くないところに、戦国時代ならではの、劉邦の部下・曹無傷の裏切り&密告により、「劉邦許すまじ」と大激怒してしまいました。
そのまま項羽軍vs.劉邦軍になりそうなところ、項羽の叔父である項伯が「まあまあ」と、話し合いの場を設けたのが、『鴻門の会』なのであります。紀元前206年の出来事です。ここに出てくる人たちは皆、紀元前の人なんですよねー。
というわけで、次回から本編をお読みいただきますが、まだ描いていません。ゴールデンウィークにご期待ください。
ありがとうございます!!
ご期待に応えられるよう、頑張ります!!