朝晩すっかり寒くなりました。まだ日中は汗ばんだりもするんですけどね。寒暖差に負けないよう、踏みとどまっています。続きです。
〈本文〉
月のあかき夜(よ)、
海ならずたたへる水のそこまでにきよき心は月ぞ照らさむ
これいとかしこくあそばしたりかし。げに月日(つきひ)こそは照らしたまはめとこそはあめれ」
まことに、おどろおどろしきことはさるものにて、かくやうの歌や詩などをいとなだらかに、ゆゑゆゑしういひつづけまねぶに、見聞く人々、目もあやにあさましく、あはれにもまもりゐたり。もののゆゑ知りたる人なども、むげに近く居(ゐ)寄りて外目(ほかめ)せず、見聞くけしきどもを見て、いよいよはえてものを繰り出(いだ)すやうにいひつづくるほどぞ、まことに希有(けう)なるや。繁樹、涙をのごひつつ興(きよう)じゐたり。
「筑紫におはします所の御門(かど)かためておはします。大弐(だいに)の居所(ゐどころ)は遥かなれども、楼(ろう)の上の瓦(かはら)などの心にもあらず御覧じやられけるに、またいと近く観音寺(くわんおんじ)といふ寺のありければ、
〈juppo〉筑紫での道真さんの様子が語られ始めますが、ほぼ詠んだ歌や詩で構成されています。そして今回から、やにわに世継が脚光を浴びてワンマンショー状態になっています。
道長が書いたものが残っているのでそれらを組み立てて書かれた物語なんですよね。そこここに脚色も入っています。前回、駅長に詠んだ詩がありましたが、あれも後付けらしいです。明石の駅長と親しかったところまでは事実ですが、あの詩のような境地にその時道長が達していたかどうかは疑わしいと。駅長を励ますどころではなかったのでしょうか。
失意のどん底にいるばかりでなく、左遷されてからはあまり良い生活を送れなかったようなので、今回から着衣が少しくたびれた感じになってもらいました。
世継の爺さんは相当年をとっているだけあって博識で、昔のことを逐一正確に覚えていて語る人なんですね。話も上手くて、聴衆を惹きつける人気者のようです。「おどろおどろしき」とは恐ろしいということではなく、おおげさなという意味です。
聞き手の中に突如登場した繁樹、この爺さんも「雲林院の菩提講」に出ていた人です。夏山といえば繁樹、と名付けられた人でした。
安楽寺は筑紫での道長の住まいで、大弐とは大宰府の役人の偉い人らしいです。「大弐の居所」イコール「大宰府」なんですね。この時の大弐が藤原興範という人だったというだけで、その人は出てきません。
次回以降も、聞けば聞くほどお気の毒な道真さんの身の上を、世継が面白おかしく語ります。お楽しみに。
2023年11月21日
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