2019年04月02日

LINEスタンプを作りました

ご無沙汰していてすみません。

何もしてないワケではなく、次の更新の準備もしてるんですけど、合間に地味な作業を重ね、この度「高校古文こういう話」のLINEスタンプを作りました。

LINEを利用している方へ限定のお知らせになってしまい恐縮です。
私も今まで利用してなかったんですけど、販売するために始めました。

ご興味のある方は、こちらからご覧ください。

https://line.me/S/sticker/7171192

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posted by juppo at 11:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

11月20日発売のお知らせ

 3冊目の本が出来上がりました!

 11月20日発売です!!

 なかなか本屋さんでは見かけないと思いますので、よろしければ下のリンクをぽち、としてくださいませ。


posted by juppo at 23:16| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

11月20日発売のお知らせ

『五月ばかり、月もなう』の完結編もお待たせしておりますが、先日来お知らせしてからお待たせし続けていた、当ブログ書籍化第二弾の続報です!
 続報というか、今度こそ本当に発売のお知らせです!!

 お待たせしました!11月20日に発売になるようです。
今回も、全国の書店に平積み・・・という運びには残念ながらなりませんが、ご興味のある方は下のリンクをポチッとしてくださいませ。

 ブログともども、どうぞよろしくお願いいたします。

posted by juppo at 17:06| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

台北に行ってきました!

 iPhoneを使っていると、時々ソフトウェアアップデートのお知らせが来ますが、促されるままにOKしてどんどんiOSを進化させてしまった結果、PC(MacBookAirの中古)がついて行けないほどにアップグレードされてしまったらしく、同期が出来なくなってしまいました。
 これはMacの方も進化させなければ、と試行錯誤していた最中、今度はMacのSafariが起動しなくなってしまいました。
 メールは出来るので前回の「先従隗始A」は記事をPCから送信してiPhoneで投稿しました。
 その後、SafariじゃないブラウザをAppStoreで購入してネット環境を構築し、MacOSの進化の続きに着手しているところです。今のところ、Safariの復活まで進化しました。

 先月台北に旅行した話を前回の記事のついでにするつもりでしたが、そんなゴタゴタですっかり面倒になって、後回しにしたのでした。

 そういう訳で、台北に行ってきました!

 以前、台湾に行ってみたいな〜といろいろ調べている中で、台北に「梅子」というレストランがあることを発見しました。10月に母の誕生日があり、その日の食事を梅子でするのも一興だなと思ったのが台北行きのきっかけです。母の名前が、梅子なので。
 
 梅子を梅子に連れて行く他に特に目的はなかった旅でしたが、せっかくの台北なので有名な故宮博物院に行きました。
http://www.dpm.org.cn/www_oldweb/japan/default.html
 翡翠で出来た白菜と豚肉の彫刻だけでも見られれば、と思い宿泊ホテルから電車、バスを乗り継いで向かいました。
 台北市内は電車でどこでも行けるようで便利でした。そして運賃が安かったです。一駅70円くらい。バスは50円くらい。
IMG_1718.JPG無事に白菜にはお目にかかれましたが、豚肉は外遊中とかで見られませんでした。

 そのあと、ホテルから二駅くらいの距離にある、袖珍博物館というところに行きました。
IMG_1749.JPGhttp://www.mmot.com.tw/
 ドールハウスと人形の博物館です。べつに台北に来たら是非、というような観光スポットでもないと思うんですけど、旅行前にガイドブックで見つけて心を奪われていたので、時間が空いたのを幸い、またも電車を乗り継いで行きました。
 世界の、古今の人形やドールハウスの陳列は、私には故宮博物院より価値あるものでした。母にはそれほどでもないようでしたが。
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 その陳列の最後の方で、日本の昭和30年頃の町並みをテーマにしたジオラマが展示されていたんですけど、これが何と、NHK朝ドラ「てるてる家族」をテーマにしたジオラマだったんですよ!
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「てるてる家族」は2003年の朝ドラですが、この秋までBSで再放送されていて、私は今回初見ですっかりハマっていたのです。毎日録画して全話コンプリートしたばかりでした。最後の方は、どうか台風でBSが視聴困難になりませんように、と祈る毎日だったほどです。
 そのドラマ世界に、喫茶シャトーに、こんなところで会えるなんて〜(><)行って良かったです。
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 博物館のはしごでくたくたになった午後でしたが、ホテルで休憩ののち回復して無事に、梅子でディナーをいただきました。それほど豪華な食事はしませんでしたが、美味しかったです。台湾料理は薬膳な感じで、優しい味なんですね。
IMG_1780.JPG
 台北の街は若い人が多く、その若い人たちが皆さん親切でした。母が私の見てないところでよろけてたりすると、誰かしら支えてくれてたり。電車に乗ると皆さん率先して席を譲ってくれたり。駅やお店のスタッフは大抵英語ができるようで、どこに行っても迷ったり困ったりすることはありませんでした。
 日本のおもてなしも、賛美されているようでまだまだだなぁ、と思わずにいられませんでした。

 短い旅だったので、また行きたいです。ゆっくりしたいです。
posted by juppo at 22:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

10月20日発売のお知らせ

 能登殿を葬り、10年越しの描き直しをupした後、まだお応えしていないリクエスト作品に着手しようと調べたり考えたりしているうちに夏が終わってしまいました。

 本当にいつもスミマセン。暑いのがいけないんです。オリンピックがいけないんです・・・などと、言い訳ばかりしているこのブログですが、何度かお知らせしていたとおり、本当に本になっちゃいましたよ〜!!

 10月20日発売です。
 お近くの本屋さんに並ぶかどうかはわかりません!Amazonでは予約受付中です!
 立ち読みできないじゃないか!と、お嘆きの皆さんは今まで通り、ブログでお楽しみくださいね。


posted by juppo at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

宮古島クエスト

 1月14日から16日まで、二泊三日で母と宮古島に行って来ました!

 父の一番上の兄、柴田一郎は戦争中、宮古島でマラリヤに罹って亡くなりました。私にとって伯父に当たる人ですが、そんな事情で会ったこともない伯父です。宮古島には従軍していた歩兵第三十連隊の慰霊碑があります。碑が建った時だと思いますが、父は生前慰霊祭か何かに呼ばれて宮古島に行きました。その写真を見たからそう知っているのであって、詳しい話は父から何も聞かないままになってしまいました。戦後七十年という節目の年だったこともあり、母と、1度私たちも宮古島に行ってみようか、という話が昨年あたりから持ち上がりました。
 その話を、父の一番下の弟、猛叔父にしたところ、亡くなってすぐに伯父が埋葬された場所があるからそこを見て来てほしい、自分は20年くらい前に行って探したけれど見つからなかった、と言われました。そして、終戦後すぐに連隊の中隊長が父の父(つまり私の祖父)に宛てて送ってくれた手紙のコピーを、伯父の死亡通知のコピーとともに手渡されたのです。

 中隊長からの手紙によると、伯父たちの隊は満州から宮古島に移動してきたのですが、大陸との気候の違いやマラリヤなどの風土病、施設や食料、薬の不足に兵隊さんたちは苦しめられたそうで、伯父も2ヶ月間病床に臥したのち、昭和20年1月14日に亡くなったのだそうです。
 遺骨は分骨し、一部を残して船で本州に送られることになりましたが、途中那覇で攻撃されてしまい、海に沈んだようです。
 残りの骨を、「宮古島の中核陣地であった野原越(のばるごし)部落東方台上の重砲陣地」の跡地の「合同墓地」に葬ったと手紙にはありました。

 ではその野原越というところを探しに行けばいいのね、というくらいの感覚で大して下調べもしないまま、出発したのでありました。


1日目
 まず、私たちは出発の飛行機に乗り遅れました。そんなことになったらどうしよう、と事前に不安になったりもしましたが、まさか本当にそんなことになるとは。そんな人もいるんですね。私たちですが。
 今回は羽田空港まで車で行くから楽勝だな、なんて思ってたのが甘かったです。幸い、早朝の便でオフシーズンでもあったためか空港は空いていて、JALのスタッフのお姉さんに「どどどうしたらいいでしょう!」と泣きついたら代わりの便の席をすぐ取ってくださいました。朝イチの直行便に乗る予定でしたが、その次くらいの那覇経由の便を差額なしで用意していただきました。「直行便がご用意出来なくて申し訳ありません」とまで言ってくださいましたが、恐れ多いです。JALさん、ありがとう。
IMG_1251.JPGコーヒーのおかわりまでいただきました。
 おかげで午前中に到着する予定がお昼過ぎくらいに着いた程度の遅れで、ほぼ事なきを得ました。トヨタレンタカー宮古島営業所のスタッフの方達には、おそらく何度も迎えに来させてご迷惑をおかけしましたが。

 無事に宮古島空港に到着し、まず宮古島まもる君を記念撮影。・・・と思っていたのですが、あとで調べたら空港勤務はまもる君の兄弟のいたる君だったことがわかりました。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/宮古まもる君
 宮古島まもる君と18人の兄弟たちは、島中で島民の交通安全を不眠不休で見守っています。

 大して下調べもして来なかったので、まずどこを訪ねたらいいか、トヨタレンタカーで「兵隊さんのお墓を探したいんですけど。」とお聞きしました。とりあえず観光協会がある場所を教えていただき、地図のコピーまでしていただいて、ヴィッツで観光協会へ向かいました。
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 観光協会は図書館の2階にありました。そこでも「兵隊さんを埋めたところを探したいんですけど」と中隊長からの手紙を見せてお尋ねすると、対応してくださった職員の方は「ちょっとお待ちください」とどこへやら誰かに電話をかけて詳しい話を聞いてくれて、しばし後「わかりました。」と戻って来て、「野原越のその場所にはもう骨は埋まっていません」「島中の埋葬地から骨を集めて慰霊碑に埋葬し直したそうです。」と教えてくれました。最初に書いた連隊の慰霊碑のことです。碑がある場所も地図を出して説明してくださいました。また、供養を続けているお寺が近くにある、との情報もいただきました。
 結局、お墓参りをするならその慰霊碑に行くしかない、という結論に至った訳です。その日は雨で午後も遅い時間になりつつあったので、また他に目的もないので、翌日慰霊碑に行くことにしてそのままホテルにチェックインしました。


2日目
http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/isizaka/kaigachou/e3.htm
 陸上競技場の隣に宮古テレビの社屋があり、第三十連隊の慰霊碑はその裏にある、と昨日観光協会で聞いていたので今日はそこに向かいます。もともと伯父のお墓参りが目的の旅でしたので自宅からお線香を持って来ていましたが、ホテルにそれを忘れて出ました。そんなことばっかりの旅です。しかしお線香ならコンビニでも必ず売っているという確信があったので、ホテルに戻らず行きがけに購入しました。 
 宮古島には行く先々にココストアというコンビニがありました。関東では見ないコンビニなので、ファミマ等があっても決して入らず行く先々でココストアを利用し、コーヒーを買いました。
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 もちろんお線香も売っていました。ところがこのお線香がまた東京では見たことのない形状のものでした。こちらではこれがスタンダードなんでしょうか。
IMG_1378.JPG1列に繋がってて、平たいんです。
 慰霊碑は第三十連隊のものだけでなく、他の連隊の碑や特攻隊員の碑もありましたが、それらが並んで立つ一角は通りから入り込んだひっそりとしたところで、近くを走っていても目印も何もないのです。ナビに住所を入力してもぴったりの場所には案内されず、観光協会で教えていただいてなかったら見つけられたかどうか、という立地でした。
IMG_1272.JPGひっそり。
 今日も雨が降っていて、母は「涙雨だね、私たちが来たからかな。」と言います。なんだかそんな感じがしないでもない空模様でしたが、島の方が言うには宮古島も最近は異常気象で、とのことでした。
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 慰霊碑に参ってお線香をあげたあと、前の日にメールした猛叔父から「ぜひ野原越にも行ってほしいな〜」との返信が来ていたので、行くだけ行ってみることにしました。
 宮古島空港から島の中央に向かってまっすぐ走って行くと、野原越交差点に当たります。その交差点にもあったココストアでコーヒーを買うついでに店員のお姉さんに、この辺に昔合同墓地があった場所を知らないか尋ねると、「自衛隊の辺りじゃないかと思うんですけど」とのこと。交差点から坂を上がって進むと高台に自衛隊の基地があります。じゃあ自衛隊に行って聞いてみよう、と向かいました。
 自衛隊基地にはさすがにずかずか入って行けません。でも門の前まで行って車を停めると守衛の隊員さんが出て来るので、これまで通り兵隊さんのお墓を探しています、と中隊長の手紙を見せました。その手紙を手に若い隊員さんは雨の中、守衛小屋と私たちの間を何度も行ったり来たりしてくれて、おそらく中で他の隊員さんに聞いてくれたあげく、「島の人にも聞いてみたんですけど、基地の中に確かにその埋葬場所と、壕もいくつかあったんですが、今は施設を建設中で入ることも見ることも出来ません。」と説明してくれました。
 基地の中に入れたとしても、最初にお骨を埋めた場所にはもう何か建物が建ちつつあって、その場に行っても跡を見ることも出来なくなっていた訳です。
 仕方がないので基地周辺から、建設中ということはあの辺かな、と思う辺りを撮影。
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IMG_1357.JPG基地の回りは一面畑が広がっていました。

 これにて目的は全て達成された訳ですが、せっかくなので昨日観光協会で聞いた、連隊の供養をしてくださっているというお寺、祥雲寺に行ってみることにしました。
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 祥雲寺は観光協会の近くにありました。ここにも何か碑があるのかな、と敷地内を歩いていると「何か?」とご住職が出て来てくださったので中に入れていただき、碑のようなものはないけど位牌があってこちらで供養してます、と祭壇を見せていただきました。
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 慰霊碑と同様、いくつかの連隊の位牌が並んでいました。お線香をあげさせてもらって(お寺にあったお線香は普通のものでした)手を合わせ、ご住職からも「島のあちこちにあったお墓は植物の成長も速いので跡地が分からなくなっていたり、だんだん忘れられていっているんですよ」というお話も伺いました。

 さて、これでもう他に何もすることはありません。この時点で2日目のまだ2時半です。夕方はホテルに帰って大相撲初場所をテレビで見ればいいとして、それまで何をしようか、その場で観光案内を広げて考えることになりました。

 結局その日はそのあと、「島の駅みやこ」に寄ってから「宮古島海中公園」に行きました。
IMG_1294.JPGIMG_1305.JPGIMG_1304.JPG
 ここは海中に作った部屋の中から海の中を見ることが出来る施設です。階段を下りるだけでダイビング同様の経験ができるのです。
 お天気が悪かったにしては、海の中はよく見えました。部屋から海中を見るというアイデア自体に感心しました。窓が小さいのは水圧に耐えるためで、万が一地震や津波でガラスが破損した場合には窓ごとに扉が閉じるようになっているんですって。
 翌日、スーパーで会った地元のおばさまが言うには、「海中公園は第三セクターが作ったので、市があんまり力を入れてなくてね。」ということでした。確かに、そこへ行くまでの道が妙に畑の中の細い道だったり、整備されてないといえばそうでした。


3日目
 羽田に帰る直行便は夜8時発の予定です。お墓参りも済ませて、3日目は完全フリーです。完全無計画でもありましたが、やっと3日目にして良いお天気になりました。20度くらいあったようで、半袖・サンダル履きの人もいました。
 無計画といっても島に来てから入手した観光案内などで見繕って、今日は午前中に「うえのドイツ文化村」に、そのあと「宮古島温泉」に行くことにしました。
 宮古島になぜドイツ?と思ったら、明治6年にドイツの船が宮古島南岸に座礁した事故があったそうなんですね。トルコのエルトゥールル号みたいな逸話がここにもあったのですね。
http://www.hakuaiueno.com/guidance.html
IMG_1339.JPGIMG_1329.JPG
 午後は空港周辺のスーパーなどで時間をつぶし、夕方早めに空港に行きました。行きの飛行機に乗り遅れたからでもないんですけど、早めに着いてお土産買ったり、ツアーのクーポンでマッサージ屋さんに行ったりしました。


 沖縄に行くの自体、実は今回が初めてで、那覇には乗り継ぎで降りただけでまだ行ったことがない訳ですが、沖縄には何度も行きたくなる、という気持ちがわかりました。
 どこに行っても皆さん親切で気候そのままのように温かく、戦争の跡が忘れられつつあるのは淋しく感じる人もいらっしゃるでしょうけれど、決して忘れている訳ではなく、でもひっそり残してあって、島じゅうに平和が満ちあふれているような穏やかさは代え難い価値があると思いました。
 70年経ったらこんな風になったよ、と見せてあげられたら、亡くなった兵隊さんたちは悪い気はしないんじゃないかな、と私は思います。
 お世話になった島の皆さま、行くきっかけをくれた一郎伯父さん、ありがとうございました。


その後
 帰って来て週が明けたら東京は大雪、寒くて私は風邪をひきました。その翌週には沖縄にも寒波が襲来、2月に入ったら北朝鮮のミサイル騒ぎで宮古島自衛隊基地にも緊張が漲っていることだろうなぁ、と思うと、本当に良いタイミングで旅行出来たと思います。父や伯父の見えざる導きがあったのかもしれません。
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2014年02月09日

引っ越しました

関東地方が「近年にない」大雪に見舞われた週末の深夜に、意外なほどあっさり、ポチッとブログの引っ越しが完了してしまいました。

あまりにもあっさり出来たので、慌ててお知らせをiPhoneから投稿しています。

今ご覧いただいているこのブログは、Seesaaに引っ越したものです。
しばらくの間は、LOVELOGのアドレスからリダイレクトとか何とかで自動的にこちらが表示されるようですが、新しいURLは

http://juppo.seesaa.net/

です。

いずれこのアドレスからしかアクセス出来なくなるそうですので、ブックマークしてくださっている方は、お早めに上書きをお願いいたします。

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雪に埋もれた我が家ビフォア・アフター。
雪かきして都知事選に無事に出かけました。
明日は筋肉痛です。
posted by juppo at 18:48| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月31日

日本人は英語が

 日本人は英語が出来ない。学校で10年英語を勉強しても外国人と話せない。世界に伍するグローバルな人材を育成しなければ、と、小学校での英語の教科化やその導入の低年齢化など、が画策されているらしい。

 そういうことなのか?私はニュースを聞くたびに思う。勉強しても英語が出来ない大人たちが、何故子供達にますます英語を勉強させようとするのだろう。

 日本人はどうして英語が出来ないのか、まずそこの所をよくよく考える必要があるんじゃないだろうか。私は2つの理由があると思う。

 ひとつは、私達の母語である日本語が、複雑かつ独特な言語であるということ。

 私達の脳は、生まれたときには英語を吸収する能力を持っているのだが、日本語を習得するに従ってその能力を失ってしまう、という話を聞いたことがある。

 日本語の習得が、脳にどのような影響を及ぼすのかは知らないが、日本語は実際、難しい言語だと思う。英語の方がずっと簡単だ。私が英語が出来るかどうかは別として。

 日本人に生まれてよかったとつくづく思うのは、大人になってから日本語を学ぶ必要がなかった幸運を感じた時だ。なにしろひらがなだけで50音もある。しかも50音全て覚えても何も読めも書けもしない。「いす」とか「とり」なら楽勝だけれど、「きって」でもうアウトだ。「っ」とか「ょ」とか「ぎ」は50音に入っていないのだ。
それからカタカナを覚え、漢字に入る頃には日本を大嫌いになってしまいそうだ。

 私達は幼稚園から小学校に通う過程で、そうした積み上げ式の言語習得を実にこつこつこなし、中学生になる頃には誰でも新聞を読めるほどの日本語を身につけている。日本語を学習する外国人にとって、日本語検定1級レベルの日本語は日本人なら高校生くらい、という事実はかなりショックらしい。

 日本人の脳は、そういう日本語習得過程を経て、「あー、言葉って難しいわ」「もういいわ、他の言語なんて」などと思っているのではないか。
 ま、それは妄想として、日本人自身が、言語習得に食傷してしまっていたり、言語は難しいと思い込んでしまうのではないか、と思うのだ。

 だからと言って、私は日本語の方を疎かにしても英語を学ぶべきだとは決して思わない。だから英語教科導入の低年齢化には賛成しない。

 言語の学習は難しいものだと日本人が思い込んでいる証拠に、学校で学ぶ英語はとても厳しい。英単語を10回ずつ書かされたりするが、「英語には書き順も部首もないから書いて覚えるのはナンセンス」と、英語話者は実は思っている。それでも書く練習をせずにいられないのは、スペルミスや三単現のsがないだけでテストで減点されるからだ。学校で勉強すればするほど、英語が嫌いになるだけではないのか、とさえ思う。

 私は学校の英語が全く出来なかったので、一生英語は使わないで生きていこうと当時考えていたほどだが、大人になって外国に旅行した際、それもアメリカやカナダではなく、マレーシアで現地の人と話した時に、初めて「英語勉強しよう」と思った。同時に「私がこれから英語を身につけるより、外人に私が日本語を教えた方が早いしラクなのでは」とも思ったので、その後私は日本語教師になるに至るのだが、その、日本語教師になるための勉強をしているうちに実感したのは結局「日本語より英語の方が簡単だ」ということだった。だから私が英語が出来るかどうかは別として。

 すっかり大人になって英語を勉強し直しながら、外国人と話す機会が増えるにつれて思ったのは、
「英語は出来るか出来ないかではなく、話すか話さないか、だな」ということだ。

 どれだけ単語を知っていても、相手に伝える気持ちがなければ何の役にも立たない。反対に、英語なんて大して知らなくても、分かってもらいたい気持ちさえあれば、何かしらは伝わるはずなのだ。
 年配の日本人が、オール日本語だけでアメリカ人と会話していたりする。必要なのは言葉そのものではなく意思なのだな、と思う。
 
 私は、日本人は、そういう会話の仕方が得意な民族ではないかと思っている。

 日本語はそもそも語彙も表現も豊かで複雑だけれど、日本人はその上で「行間を読む」のが好きだし、得意だ。
 最たるものが俳句だろう。俳句は十七文字しか使わずに森羅万象を表現する制約をもちながら、さらに、直接的な表現を嫌う。

 俳句だけでなく、日本人が何かを表現する時はいつも、直接言うのは野暮で遠まわしにしたり掛け言葉にしたりするのが粋だ、とされてきた。

 それが、私が考える日本人が英語が出来ないもうひとつの理由だ。

 日本人は、自己主張が嫌いなのだ。

 日本人はNOが言えないとは昔から言われている。私が外国人に日本語を教えるようになってからも、日本人のはっきり言わない性質に対する外国人の不満をよく耳にする。

 そういう時、私は外国の方に、
「サムライの時代には、『武士に二言はない』と言って、一度言ったことを後で覆したりしたら、切腹だったんですよ。」というような説明をする。だから、おいそれとはYESもNOも、日本人は言えないのだ、と。

 もちろん21世紀の日本人の全てが、そこまでの責任を自分の発言に感じている訳ではないのだが、「はっきり言うのは野暮」に加えて「責任取れるのか?」という恐怖が、日本人のDNAには刷り込まれていて、常に遠まわしに、どちらとも取れるような発言をするように仕向けているのではないか。

 SMAPの中居君は、今後日本一の司会者になっていくのだなーと思われている方も多いだろう。私もそう思っている。
 多分中居君自身そう思っているというか、そうなりたいというか、彼の中にはトークに対する確立した方法論があるように思われる。

 中居君は、よくこういう話し方をする。
「○○だったりだとか、××だったりだとか、変な話、△△じゃないですけども、僕なんかの場合、・・・だったりするのかなって。」

 ○○や××にお好きな言葉を入れて、文節と文節の間に2、3回「ねぇ、」を挿入してお使いになってみてください。あなたも今すぐ、中居君になれる。
 
 私はこれを、ひそかに「中居文型」と呼んでいるのだけど、ふと気づくと、中居君のみならず、テレビに出てくる若い男子や女子は皆この文型で話しているではないですか。

 テレビを見ながら心の中で「いや、それ別に変な話じゃないよ。」とか「△△じゃないですけど、って言っといて△△の話じゃん。」などと突っ込むこと多々、なのだ。

 恐らく、中居君が確立した方法論の一つに、こういった当たり障りのない、肯定でも否定でもないような、それでいて言いたいことは伝わる表現を選ぶ項目があるんだろう。

 それは日本人皆が好む表現なのだ。そのつもりがなくても、相手の気に障る言い方を避け、無難に会話しようしようとするあまり、どんどん回りくどい言い方になっていく。

「座ってください」と言えばいいだけなのに、「座ってもらってもいいですか」なんて言い方になる。

 日本人は行間を読む。相手の顔色を読む。空気まで読まなければ日本人としてやっていけない。そんな日本人が英語を話そうと思っても、何から話し始めて何と言って言葉を切ったら良いか分からないのも無理はない。

 だから日本人は英語が出来ない、と私は思う。
 それのどこがいけないのだ、とも思う。

 日本人が世界に向けてアピールすべきは、英語力ではなく、日本人としてのアイデンティティーと誇りではないのか、と。
「日本人ですから日本語を話します。英語は話しません。日本人と話したかったら日本語を学んでください。空気も読めるようにしておくこと。」くらい堂々としていたらいい。
 英語が必要なら通訳を通せば良いことだし、これからの時代には同時通訳機の技術ももっと進むだろうし。
 世界から見た日本人像も、
「日本人は最後の最後までNOと言わないが、一度NOと言ったらそれは100%、絶対のNOだ。」というのがグローバルスタンダードになるように、態度を固めていけばよい。

 大事なのは日本人として、胸を張って外国人と対することだ。その自信はどこから得るか。英語だけではないと思う。



 あっ、もうひとつあった。日本人が英語が出来ない3つ目の理由。

 日本語と英語の発音は周波数が違うので、日本人の耳にはどうしても聞こえない英語の発音があるのだという。どれだけ勉強してもLとRが聞き分けられないのには、ヘルツに原因があるらしいのだ。
それならば。

 誰か日本人にも英語の音が聞き取れる、英語耳補聴器を作ってくれませんか。イヤホンみたいなものでも、携帯アプリでも。もう誰か作ってますか?出来ているなら配布しましょうよ。
 技術に頼ればいいというものでもないかもしれないけど、学習指導要領で試行錯誤するくらいなら、そういうところに財を投じてもよいのでは。

←小三治師匠はアメリカに語学留学の経験がおありなのですね。しかも大人になってから。涙ぐましくも抱腹絶倒な体験記はこちらに収録。
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2013年01月03日

海軍ととらやの日々

 皆さん、明けましておめでとうございます。
年々更新頻度が下がる当ブログですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今回は久々に、DVDとか映画とかの話を。

 一時期、アニメのDVDをよくレンタルして、毎週のように何かしら観ていたが最近はさっぱり。その頃観た中でイチオシはこれ。

『カールじいさんの空飛ぶ家』。笑えて泣けて犬だらけ。いじめられっ子は自信を取り戻し、じいさんは妻を亡くした喪失感から立ち直りつつ、両者の間に生まれる友情にただただ感動。私はDVDを購入してしまいました。

 海外ドラマも相変らず見ている。『24』、『HEROES』をそれぞれ完走し、『Dr.HOUSE』、『BONES』を途中まで観て、次のシーズンはそれぞれまだ新作なので借りるのを控えて「じゃあ何を観ようかな」と迷った時に、かねてよりこのブログにコメントしてくださっていたスターゲイトさんから再三お勧めいただいた『NCIS〜ネイビー犯罪捜査班〜』をやっと見始めた。

 ネイビーと名乗るだけに海軍の機関であるらしく、事件の被害者は必ず海軍兵士。捜査官も軍人上がりだったりするので多分に暴力的なところがあり、和気藹々と戯れているようで若い新人をいびって楽しんでいるチームの雰囲気とか、怒ってばっかりいるボスのキャラクターがどうも苦手で、最初はそれほど楽しめなかったが、シーズン1を観終えシーズン2に突入し、もう15、6話観たところで急にギブス(ボスの人)の魅力に気づき、それからどっぷりハマっている。ところが!
『NCIS』って日本ではシーズン2までしかDVD化されてないじゃーないですか。もう2を全部見終わってしまった今、続きは一体どうやって観ればいいんですかぁ!?やっとドラマ自体も面白くなってきたところなのに。まだまだ明かされないギブスの過去とか家族とか、いろいろあるのに(・・というようなことは、知っている)。
 嘆いても仕方がないので、気を長くしていつか観られる日を待とうと思う。

 そして、ではそろそろ旧作に下りて来ていそうな『BONES』か『Dr.HOUSE』の続きでも見ようかな、とTSUTAYAに行ってみると、なんとあらかた貸し出し中。
まったく、私も含めてどいつもこいつも、正月休みに他にすることはないのかと。


 さて、映画はというと。
我が家ではこの1年をかけて、『男はつらいよ』全48作を鑑賞していた。毎週1本ずつ借りて、何だかんだで丸1年かかり、ついこの間完遂した。

 実は私はこの年になるまで、寅さんをちゃんと観たことがなかった。ちゃんと映画を観たことがなくても、日本人なら誰でも知っているくらい有名な映画でありキャラであるけれど、もしあなたが私のように、この映画を一度も見たことがないなら、はっきり言うけれども、あなたが日本人なら、死ぬまでに一度は、1本でいいから観た方がいい映画です。間違いありません。

 まぁ、48本あるうちどの1本を観てもだいたいどれも同じような話です。それなのに、48本全部面白い。次に何が起こるかわかっていても面白い。
もっとも最後の何本かは、寅さん役の渥美清氏の体調も良くなかったらしく寅さんの出番が減り、その分甥の満男の青春ロードムービーみたいになっていたり、とらやがとらやでなくなっていたり、ちょっと異質な感じもして痛々しくもあるけれど、最後まで観て思うのは「もっと観たかったなあ。」ということだけだ。

 日本がどんな姿になっても、いつの時代になっても、日本に寅さんはやっぱり必要だ、と思う。女性に弱くて義侠心が強くて内弁慶で、お金を持っていなくても誰にでもすぐ受け容れられて日本中どこでも(ウィーンでも)人気者になる、そんな寅さんが今でもいてくれたらなぁ、と。

いえ、これは買ってませんよ、BOX。
 全部観終わってしまった今の空虚な気分たらなく、もう次に何の映画を観ようかなんて考えられないほどだ。全く観てないこともないけれど。

 そんなこんなで明けた新年、昨日私はすることがなく、久しぶりに一人で映画館に出かけ『最強のふたり』を観た。観ましたよ〜、カマダ先生!単館系ぽかったのでDVDになるまで観られないかと思っていたのに、まさか市内で観られるとは。
 これまた間違いなく、いい映画でした。オススメです。DVDになってからでも、是非。

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2012年11月30日

11月の草津温泉

えぇ〜、もう11月も終わりなんですか?

毎年、今年の夏も暑かったなぁーという感想を抱くだけで1年が終わっていくと思いませんか。
11月なんて、11月だなと自覚する間もなく終わってしまった感じがします。

気づいたら1ヶ月ブログを更新していなかったので、急遽近況だけ書き込みます。



今年の春、私は塾を閉店してから、教える仕事が減ることに物足りなさを感じて、いろいろ探して東京都の教育人材バンクというのに登録しました。それで時々、公立の中学校や高校に派遣されて、ボランティアやアルバイトで先生をやっています。

学校の教室で授業するのなんて教育実習以来ですたらーっ(汗)

特に10月からその仕事が増えたために、仕事そのものも大変なんですが、慣れない通勤で肩こりが最悪な状態になってしまいました。

今週はぽっかり休みが出来たので、

そうだ!温泉に行こう!

と、思い立ち、草津温泉にやって来ました。

いえ思い立ってすぐ来た訳じゃないですよ。半月ほど前に休みに気づいて予約したんですよ。

母を乗せて長距離ドライブして来ました。
ゆっくり温泉に浸かって、今この記事は宿の布団で、iPhoneで書き込んでいます。

そうです。前回docomoにもう愛着が持てなくなった話をしましたが、その直後に、近所にソフトバンクショップが開店したのを幸い、あっさり乗り換えました!

乗り換えた途端にiPhone5です。いきなり最先端で四苦八苦していますが、Mac好きにはやっぱりいいツールですね。
image.jpg写真も撮ってそのままUPるんるん草津に着いたらもう暗かったので、これは途中の関越道横川SAですが。
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2012年09月16日

シドニーに行ってきました!

『貝合せ』がまだ途中ではありますが、前回「オーストラリアに行くことになりました!」なんてコメントで終わっておいて、その後すでに彼の地に行って帰って来てしまったので、間にその話を挟みます。

 大学生の姪、茜ちゃんが8月後半から1ヶ月、シドニーでホームステイをすると言うので、「いいな〜。私も行きたいな〜。」と、ごく普通の感想を抱いたのが始まりです。

 安いツアーを見つけて茜ちゃんが滞在している間に母と行こうと思い立ち、安いツアーが今イチないので一時は計画を放棄したものの、8月に入って父の三回忌も無事終わり、母に話をすると「行ってみたい」と、思いのほか乗り気だったので、お盆休みも目前に急遽写真を撮りパスポートを更新し、H・I・Sでバタバタとツアーを探し、9月6日から3泊5日直行便でシドニーフリープラン!の旅に出たのです。始動してから帰国するまで1ヶ月の出来事でした。

 目的は茜ちゃんに会うことだったので、何の予定も特別立てずに滞在先のホテル周辺をひたすらうろうろしました。と言っても、1日目は徒歩で、2日目は電車、3日目はモノレールに乗って・・・と行動半径は徐々に広げました。3日目はついでにタクシーにも乗って、茜ちゃんのステイ先ご家族を訪ねて夕飯をご馳走になるという、忘れられないウルルンな思い出も作ってきました。

 こんな機会でもなければオーストラリアに行くどころか、とっくに期限の切れたパスポートを新しく作ることもなかったのでは、と思うと本当に茜ちゃんには感謝です。せっかく勉強で来ているのに、3日間とはいえ毎日ホテルまでバスで来てくれて、私と母の無計画な旅に付き合ってくれました。

DSC00376.JPG 茜ちゃんがいない時間には、母と公園やマーケットを歩きました。ホテルに隣接してチャイナタウンがあり、その一画にパディスマーケットという大きな商業施設がありました。中はアジアンな香りのするごちゃごちゃした小さな店舗がどこまでも続いています。はぐれたら母は帰国できないのでは!?と思うほどの迷路ぶり。青物市場、怪しいお土産屋さん、原色のドレスを売る店・・・見てるだけで楽しくて買物はちょっとしかしませんでした。

DSC00393.JPG 3人で出かけたのは、『地球の歩き方』の表紙にもなっているオペラハウスを眺められるサーキュラーキー。観光客も多かったですが海鳥がたくさんいて、カフェで食事をする客の足元でおこぼれを狙っていました。

DSC00362.JPG 鳥は日本のように鳩を始めどこにでもいて、違うのは比較的大きな鳥が人のそばに平気でいたことでした。泊ったホテルの近くのセントラル駅周辺の風景も、道路と建物がもの凄く規格が大きいことを覗けば、なんだか新宿にいるみたいな、日本に近いものを感じる街でした。ダイソーもありました。日本では105円の品が250円くらいしました。物価は日本より高いんですって。

DSC00436.JPG 最後に観光したのは、ダーリングハーバーという港にある動物園「ワイルドライフ」です。ほとんどの動物がガラスで仕切られた展示室にいるので、獣臭さが全くないオシャレな動物園でした。動物に触ったり抱いたりすることも出来ないのはちょっと残念でしたけど、夜行性の動物や爬虫類も間近で見ることが出来ました。DSC00441.JPG暗室で眠りこけるウォンバット。

 あっという間の3泊5日、とっても楽しかったです。去年の今頃はまだ入院していた母も、長いフライトに参ることなく元気に行って帰って来られました。2人とも10年パスポートを作ったので、機会があればこれからも海外にどんどん行きたいと思っています!
DSC00497.JPG茜ちゃんのステイ先は郊外の大きなおうち。シェアハウスをやっていて、茜ちゃんの他にスイス人、ロシア人が同居中でした。
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2012年03月11日

KDDIを訴える

 いえ、訴えてません。それくらいのことは考えた、という私の気持ちの現れです。今回は本当に頭に来たので、訴えないまでもこのようなインパクトのあるタイトルで実際に起こったことをここに書いておくことにしました。


 塾にあるPCのインターネット回線のプロバイダをKDDIにしたのは、そもそもKDDIに「セサミBB」というコンテンツがあったからだが、そのコンテンツが終了してしまっても、メールアドレスがあるし、何よりもこのブログをKDDIのブログサービスで始めてしまったし、解約する理由もないので利用し続けていた。

2月末で塾を閉鎖することになり、自宅に回線を移す際に、プロバイダの変更も検討したがサービスの内容より利用料金より、ブログを継続する必要から、私はKDDIに回線の引越しだけを依頼することにした。
それまで自宅では、ドコモの携帯でインターネットに接続していた。今もしている。KDDIの回線にまだ接続できていないからだ。

引越しする旨をKDDIに電話で伝えたのが2月20日月曜日。その際、今まで利用していたADSLのプランはもう提供していないので、プランの変更をするように提案された。
プランを選択し、後はモデムが自宅に届くのを待つばかりになった。

3月1日木曜日
日付が変わった途端、それまで自宅ではメールソフトでなくWEB上でメールをチェックしていたのが、ログイン出来なくなる。ブログも同様。モデムが届くまで何も出来ないのか?と心細くなったものの、ひとまず諦めてモデムの到着を待つことに。

3月2日金曜日
 プランの変更によってログインIDなども新しいものが送られて来ていたので、まさか今までの契約は解約扱いになってしまったのでは?ブログはログイン出来ないだけでなく消去されてしまったのでは?とふと不安になり、午後、KDDIに電話で問い合わせる。
その時点で、新しい回線の工事は完了しているので、課金される開通日を早めればブログも利用できるようになる、今日中にau one netのホームからセルフページにログインすれば、明日の昼くらいにはブログも見られる様になる、という回答。ログインの方法を教えてもらう。
既に何人かから「ブログやめちゃったの?」と聞かれて「やめてないんです〜」としか答えられず。返答できればまだいいけれど、一体どれくらいの人が同じ感想を抱いているかと思うと、気が気ではなくなってくる。

3月3日土曜日
 昼を過ぎてもブログが見られない。セルフページへのログインの仕方が正しくなかったのかもしれないと思い、再度ログイン。

3月4日日曜日
 引き続き、ブログ見られず。夕方KDDIに電話する。
ブログサービスをそのまま移行するのに、プランをもう一つ追加する必要がある、というので追加を承諾すると、1時間後には見られるようになると言う。

 1時間経っても見られない。もうその頃にはカスタマーサービスセンターには電話できない時刻である。

3月5日月曜日 
 昼前にKDDIに電話で問い合わせ。1時間どころか今日になってもブログが見られない旨伝えると、いろいろ確認した後、2時間経てば見られるようになると言う。
「昨日もそう言われたんですけど。」
「申し訳ありません〜。2時間お待ちいただければ。」
その、1時間とか2時間とかの設定時間の内訳も何も分からないけど、私には言われたとおり待つしかなす術がない。

ところが、2時間待っても4時間待っても見られない。
事ここに至っては、どれほど温厚なゾウであっても、ブチ切れて鼻を振り上げ暴れ出してもおかしくない仕打ちを受けている気分になる。

カスタマーサービスセンターというところに電話をしたことがある方なら大体分かると思うけれど、電話をかけて2コールくらいでオペレーターが「はいはい」と出てくることなどありえない訳で、「ただいまカスタマーサービスセンターへの電話が混み合っております。」「しばらく待ってからおかけ直しいただくか・・・」などの前置きを一通り聞いた後、一体どんな用があるのだ、と用件別に「○○の方は1を、××の方は2を・・・」とか「お客様のお電話番号を・・・」とあれこれ番号をプッシュさせ、その上で更に「オペレーターを呼び出しております・・・」と、誰かが他の電話を切ってくれるまでまた待たされる。

それをここまでに3回繰り返させられている。最初に引越しの件で電話したのは回数に入れていない。
昼前の電話から悠々4時間経った後、またそれを繰り返すことになった。4回めである。つながったけれども「お客様〜電話が遠いようなんですが〜」「じゃ1回切ります」というやり取りだけで切ったのも含めると、5回だ。

それでも私としては、何回かけることになろうと、とにかくブログの閲覧だけでも出来るようにして欲しい。それで何度も電話をかけるのに全く埒が明かなければイライラもしようというもの。引越しを告げただけで解約した訳でもないのに、サービスが利用できないのには納得がいかない。

「見られるようになってませんか?」
「PCはここにないですけど、携帯からも見られませんよ。」
「auの携帯でしょうか?」
「ドコモです。」
「ドコモさんの携帯ですと・・・」
仕様が違うからとか、操作が分からない、とか言い出しそうなのを
「私が見られるか見られないかじゃなくて、一般の人はどの携帯からでもどのPCからでも見に来るじゃないですか!!」
「さようでございますね〜。」
・・・こんなやり取りの後、やっとオペレーター自身のPCで、閲覧できないことを今さら確認。技術系の担当に代わるので、とまた待たされた挙句、

「サーバーに問い合わせるので2、3日後にお電話します。」
なんて言う。

 ここまで来て2、3日〜〜〜!?
 今までの4回の電話は何だったのよ!?

 言いたいことは山ほどあるけど「がっかりです。」としか言えず、その2、3日を待つしかない私。

 KDDIの社員にとって私のブログなんてどうでもいい内容のものかも知れないけれど、私にとっては5年もかけてやっとここまで皆さんに見ていただけるようになったという愛着がある。
 こんなブログでも、毎日200人〜500人の方に訪問していただいている。定期テスト期間中などは700人を超す方に見に来ていただいたこともある。閉鎖してしまう前日、2月29日の訪問者は447人だった。ちょうど学年末試験の期間でもあり、どれほどの方がアクセスして「このサイトは現在公開してません」というようなメッセージを見て、「もうないのか」と思われたことか、と思うと、ブログの「信用を著しく失墜させた」としてKDDIに損害賠償を請求するというのはどうだろう、なんてことをこの夜私は真剣に考えることになる。

3月6日火曜日
 結果、2、3日は待たなかった。翌日のこの日の午後、KDDIから電話が来て、「もう見られるようになっています。ログインも出来ます。」と伝えられ、早速携帯からアクセスするとその通りだったので、ひとまず「やめてません!」の記事を携帯から投稿。

 訴訟まで起こすのは無理だとしても、消費者センターのような所に苦情を持ち込もうかと、最寄の国民生活センターの所在地を確認したりしていたけれど、無事にブログが復活したので、そこまでの労力は費やさないことにした。

とは言え、収まりきらないのでこれだけは言っておく。


KDDIは最低な通信会社です。
プロバイダを検討している方には絶対にお勧めしません。

私も、ブログがなければさっさと乗り換えているところです。

・・・という訳で、今後はどこかに当ブログの完全移植が出来ないものかと検討を始めることにします。KDDIのブログサービスを使わずにこのブログを引き続き公開することが出来るようになったら、プロバイダも変えたいと思います。

どなたか名案をお持ちの方は、ぜひご教授ください。

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2012年03月06日

やめてません!!

塾の引っ越しは無事に終わりました。
スチール机からホワイトボードまで、結局全部自分で運び出しました。
最後にゴミ処理場に運んだ重量は100sでした。

引き揚げてきた荷物で自宅は足の踏み場もない状態なので、完全には終わっていませんが、まぁ一段階です。


さて、その引っ越しに伴い、インターネットの回線も引っ越しをしたところ、ブログが閲覧出来ない状態になってしまっていました。「やめちゃったの!?」と思われた方もいらしたと思います。実際そう聞いてくれた方もいました。


やめてません!!

今日やっと復旧したので、とりあえずご報告まで。
復旧するまでの顛末に、引っ越し疲れで休む間もなかったその話は、今度ゆっくりと。


確定申告も今日行ってきました!
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2010年12月22日

クリスマスのおはなし

 もうすぐクリスマスです。今年もクリスマスには皆さんの家にサンタさんは来ますか?

「来る。」または「多分来る。」と答えた人は、この後のお話を読まないでください。とてもつまらないことが書いてあります。

 **********************************

 さて、私は長年塾の先生をやっている訳だが、クリスマスの時期になると小・中・高校生に必ず次の質問をしてきた。

 「いつまでサンタクロースを信じていましたか?」

 万が一の事を考えて、小学生にはまず「サンタさんは来る?」と探りを入れる質問をし、「サンタなんていないし。」など極めて現実的な返答を得てから、聞くことにしていた。

 サンタクロースを信じたことがない私にとって、小学校高学年くらいの年齢まで信じていたと答える生徒が結構多いことは新鮮な驚きだった。
 最高記録は中2まで信じていたという男子で、学校の先生が英語の授業中に「もちろん皆もう信じてないと思うけどさー、」と軽く言ったのに対して一人ひそかに衝撃を受けた経験を語ってくれたものだった。
 未だ私の知る限りこの記録は破られていない。

 この男子の経験を聞いて私が感心したのはその子の純粋さもさることながら、ご両親のクリスマス演出にかける努力だ。涙ぐましい。

 生徒たちの経験をいろいろ聞いてみると、どの家のご両親も毎年クリスマスプレゼントを隠したり、聞かれてもたくみにはぐらかして答えたり、とさまざまにクリスマスを完璧に迎えるべく奮闘しているらしかった。

 日本人ってこういう演出が大好きだなー、と思う。自国の伝統行事には年々興味をなくしていくわりに、外国から新しく入ってくる行事でお祭り騒ぎをするのが好き。ハロウィンが終わったとたんに街中クリスマス色。年が明ければバレンタイン。伝統じゃなくてもいい。正しい行事のあり方でなくてもいい。

 バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈る習慣(及びホワイトデーの習慣)は日本だけのものだということには、皆さん薄々気づいてきていると思う。
 同様に、クリスマスにチキンとケーキを必ず食べるのは日本くらいのものだ、ということをご存知ですか。

 アメリカやヨーロッパの人に、日本ではクリスマスにはケンタッキーフライドチキンが大繁盛する、という話をすると非常に面白がられる。欧米では別にクリスマスだからといって特別にチキンを食べたりしないそうだ。

 では何を食べているのか。日本語教師をやるようになって私は必ず外国人の生徒さんに次の質問をするようになった。

「クリスマスに必ず食べるものは何ですか?」

 答えは様々なのだ。あるアメリカ人は「クッキーとハム。」と答えた。
「ハムぅ?」と、私は多少拍子抜けした感想を抱いた。声には出さなかったけど。
 ドイツ人は「ポテトサラダ」と言うし、スペイン人は「魚料理」と答えた。

 要するに、何でもいいらしい。クリスマスだからと決まったメニューがある訳ではなく、各家庭で、伝統的に聖なる夜に食べてきた料理を食べるらしい。  ドイツ人の若い夫婦は、ポテトサラダのご主人と奥さんそれぞれの家庭の味が違うので、毎年どちらの味で調理するか揉めると言っていた。お雑煮の味の地域差みたいなものかな。

 日本でクリスマスに必ずチキンとケーキを食べるのはK○Cと不○家の戦略によるものなのか。
 
 クリスマスにチキンを買いそびれた、ケーキの予約をしそびれた、と言って家族から極悪人のように扱われてしまうお父さんたち、これからは安心して正しいクリスマスのあり方で、ご家庭の伝統料理を召し上がってください。

 ところで日本の子供たちが根強く信じているサンタクロースも、欧米の子供たちは意外に就学年齢に達するころには信じなくなるという。個人差はあるだろうけど。


 さらに今年、私はサンタクロースに関する衝撃的な話を聞いた。以下、ハンガリー人から聞いたサンタクロースの話のまとめ。

● ハンガリーではサンタクロースはクリスマスではなく、聖ニ      
 コラウスデー(12月6日)の前の晩に来る。
● (ここが重要→)ハンガリーのサンタクロースはゴブリンを連  
 れて来る。ゴブリンは日本の鬼みたいなもの。
●ハンガリーの子供たちは自分の靴を磨いて窓辺に置き、サンタ  
 を待ち受ける。
●良い子にはサンタがお菓子をくれる。靴の中に。
● 悪い子にはゴブリンが木の枝(!)をくれる。靴に挿してい
 く。

 サンタクロースを信じる幼い子供たちは、12月6日の朝、自分の靴の中にお菓子が入っているか、枝が挿してあるか発見して一喜一憂するらしい。
 ハンガリーの両親たちは、教育的配慮から大抵お菓子と枝の両方を用意し、「あなたはいい子だったけど反省すべき点もある」からそれをもらったのだと、子供たちを諭すのだという。

 お菓子はプレゼントとしてはちょっとしょぼいな、と思うところだが、クリスマスにも子供たちはもっといいものをもらうそうなのでご安心を。

 そのゴブリンのキャラクターが想像するだけでとても面白かったので、私は「ゴブリンはサンタの弟子なのか?」「ゴブリンはサンタになる修行をしているのか?」と重ねて質問した。そういう訳ではないらしい。ゴブリンはサンタの監督下にあるが、単に常に、コンビで活動しているのだとか。想像を絶するでしょ。

 この設定は何もハンガリー独自のものではないようだ。ご存知の通り聖ニコラウスというのはサンタクロースのモデルになった人で、一方クリスマスはキリスト生誕のお祝いな訳で、最初からセットになっていたわけではない。クリスマスにサンタが来るのはハンガリー人曰く「アングロサクソンの文化」なのだそうだ。

 サンタが赤いコスチュームなのはコ○・コーラの戦略だという話もあるし、調べてみると毎度おなじみの行事にもいろいろトリビアがあってもっと面白くなるかも知れませんよ。


 何はともあれ、皆さん楽しいクリスマスをお過ごしください。

 メリー・クリスマス!

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2010年11月01日

アンドウ君と特撮の日々

 野沢那智さんのご冥福をお祈りします。
 私も当時、パックメイトでした。 

 今年は訃報を耳にする機会が多かったなぁ、と年々思うようになるのが、年をとっている証拠なのでしょうね。
 昔、金パの話で盛り上がった友達が既にいない、というのは私の年ではちょっと早すぎる気もしますが。(そういう友達がいたんです。)


 さて、本題。
 我が家も今年の夏はいろいろあったので、レンタルDVDも自粛気味だったとは言え、春から数えると結構な数を見ている。

 海外ドラマは『Dr.House』シーズン2を、終盤はユメ落ちじゃないか、ちょっとネタ切れなんじゃないか、でもシーズン3も見るな、などとモヤモヤした気持ちで見終わり、続けて『HEROES』シーズン3を見始めたところで父の病状が悪化したため中断したらどこまで見たか分からなくなって、同じエピソードを2度見たり。見直したら確かに見たことがあるんだけど、細かいところを覚えていないのはその時既に私が疲れていたからだろうなぁ、なんて思いながら見ていた。
 アンドウ君は日本語が上手くなったなぁ、というのが何よりの感想。ぼそぼそ喋るヒロより、よっぽど聞きやすい日本語を話す。活躍シーンも増えてるし、人気があるんだね。
 未来を垣間見せておきながら、過去に行って状況を変えていくので「あれはこーなるはずじゃなかったのか!?」なシーンだらけ。分かってるつもりで見ているとそうならない、というところが製作の狙いと見た。

 その後は、『BONES』シーズン4を。スイーツが、気持ち悪いキャラなのに憎めない。この人、スイーツを演じるために生まれてきたようにしか見えないんだけど、他の作品にも出演してるんだろうか。

 
 キッズ作品も順調に見続けている。アニメ映画に食傷した頃、特撮シリーズモノまでキッズの棚に並んでいるのを発見し、『ウルトラQ』をコンプリートしようかと、借りてみた。

 私は初代ウルトラマンはTVで見た世代だが、『ウルトラQ』をオンタイムで鑑賞した記憶はない。それでも、当時大学生だった石坂浩二がナレーションをしていたとか、ガラモンやカネゴンが登場していたとか、一般常識としての知識は持っていた。
 でも結局、その程度の知識しかなかったので、今回全話通して見て純粋に楽しめたのだ。
 まず特撮と言うにはあまりにも手作りな映像がいい。飛んでる怪獣を吊ってるワイヤーが見えちゃったり、町並みがミニチュアだったりするのは今見ると確かに安いけど、当時は斬新だっただろうし、何よりそのアイディアが素晴らしい。
 それから繰り広げられる物語がシュール。これは当時、特に怪獣路線を狙ったというよりは『トワイライトゾーン』みたいな奇妙な世界を描きたかったからなのかな、と思う。
 そして私のイチ押しは、事件を解決するメイン登場人物の中でも紅一点の、由利ちゃんこと江戸川由利子カメラマンだ。

 「ウルトラ警備隊」とか「地球防衛軍」といったアグレッシブな団体はまだこの時はなく、由利ちゃんは新聞社のカメラマンだし、彼女と常にトリオで行動する万城目淳と戸川一平は民間航空会社のパイロットに過ぎない。
 専門的なことは任せろ的に登場する博士も、一体何の博士なのか、その見た目以上の博士らしさはほとんどない。

 そういう、結構普通の人たちが、「偶然そこにいたらたまたま怪獣が現れて」程度の遭遇率で怪獣と闘って倒してしまう。そして当時それを見ていた子供達も多分そういうもんだくらいに思っていた、その軽さがたまらない。
 異変を知らされて取材に行くのであっても、どんな現場にもタイトスカートにパンプスで駆け付ける由利ちゃんに、一話毎にぐいぐい持っていかれます。   
 恐ろしい怪獣に遭遇した後でも由利ちゃんの笑顔で癒される、やっぱり女は愛敬だな、と日本中のオヤジを納得させたであろう彼女に、私のオヤジ魂もやられたのでありました。

 


CGの特撮しか知らない世代にもオススメ。

 他にもアニメは見ていて、今回もいくつか紹介&勝手に評価をしようと思っていましたが、それはまたいずれ。


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2010年08月14日

それから。

初めて携帯から投稿します。


8月9日月曜日、午前6時59分に父が亡くなりました。

それまでも気の休まらない毎日でしたが、それからの日々はさらに慌ただしいものになりました。


『いでや、この世に』の続きは病室のテーブルで描き始めていたのですけど、そういう訳で作業が中断しています。

ご覧いただくまで、もう少しお待たせすることになりそうです。


おかげ様で私は元気です。少し、疲れていますが。


父の病気を心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
posted by juppo at 21:32| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

医者とアニメの日々

 『BONES』のシーズン3を最終話まで見て、「ええ〜、こんな結末ってないよ。」と残念な気持ちになったのがいつだったかもう思い出せないけどその後、続けてシーズン4を借りたいと思いつつ未だ準新作なので借りるのを躊躇したまま今に至っている。

 『HEROES』も『24』もいつまで経っても最新シリーズのDVDは準新作。頑に7泊に降りてくるまで待つ姿勢の私は「じゃあ他のドラマを」ということにして、アメリカ人が「面白いですよ」と言っていた『Dr.House』を見始めた。見始めた頃はまだ「海外ドラマシーズン1全て100円」キャンペーンをやっていたけど、途中でそのサービスが終了してしまい、その後は半額の日に借りている。マイTSUTAYAでは7泊の作品の通常レンタル料金が199円に下がったので、半額だと99円。199円でも以前の半額くらいだから、その値段で借りてもいいかな、とちょっと思うこともあるけど、99円で借りられるとなるとそれ以上は払いたくないのが貧乏人の悲しさ。

で、『Dr.House』。見始めて初めて『ドクターハウス』というのは「医者の家」という意味ではなかったことが分かった。ハウス先生はブラックジャックくらい有能な医者のようだが、毎回エピソードが終わる5分前にならないと病名も分からないというのはどうなんだ。水戸黄門並みの事件解決力。それまでの50分くらいの間、患者は完全に実験台になってしまってないですか。
 そのマンネリを楽しむところにこのドラマの良さがあるとは思うけど。すっかりおじさんになったロバート・ショーン・レナードが出てくる度にそれだけで笑えたり。
 何だか分からないけど難しい病気がこの世には存在するんだな、と思いながら見ていると、自分も何か病気なんじゃないか、と無意味に不安になる人もいそう。


 それ以外に映画も相変わらずレンタルして見ていますが、土日のキッズ作品100円レンタルも相変わらず利用しています。これまた今は99円で借りられるようになりました。

 以下、最近見たアニメ。今回は個人的な評価を次のようにつけます。
◎ …オススメ! ○…まぁ、いいです。 ●…私はダメ。私はね。


『アトランティス 失われた帝国』○
『アトランティス 帝国最後の謎』●
(地底にもうひとつの世界がある、という発想はもうそんなに奇抜じゃないのが残念。おじいちゃんの意志を継いで冒険の旅に出るというエピソードは素直に感動するけど。2作目は短編集で声もマイケル・J・フォックスじゃないので、見る価値は激減します。)

『カーズ』○
(お薦めコメントをいただいて見ました。子どもは好きだよね、こういうの。大人が見てもあちこちマニアな面白さはあるんだけど、私は最後まで「なんで車なんだ〜」という疑問を拭えなかった悲しい大人です。遺作ではないけどP・ニューマン最晩年作。そう思うだけで泣ける。)

『ライアンを探せ!』○
(父ライオンの声がキーファー・サザ−ランドだなぁ、ということに途中で気づいたけど、最初から分かっていたら、ずっとジャック・バウア−の声に聞こえてしまいそうで危険です。)

『マダガスカル』◎
『マダガスカル2』◎
(面白い。ただ面白い。食物連鎖とか、弱肉強食という概念は一切無視。1作目ではアレックスが野生に目覚めるというテーマだったのに、2作目ではマーティーがつけられた噛み傷は友情の証くらいにしか扱われていない。そういう、自然の摂理を無視するのってどうかと思わないでもないけど、キャラクターが全員面白いので許せてしまう。3作目も制作中らしいです。)

『WALL-e』○
(地球人はどこへ行ったのかと思ったら回遊中だったのね。ネタバレになるけどあの体型では地球に住めないよ、未来の地球人の皆さん。)

『アイス・エイジ3』○
(ここでも地底の世界。しかも恐竜が生きていたという。)

『森のリトル・ギャング』○
(アメリカのアニメにはオポッサムが良く出てきますが、良くいるらしいんですね。うるさく鳴いてあまり好かれていないらしいです。)

『ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢』○
(ウォレスは発明家だったはずなのに職を転々としてるよね。グルミットにガールフレンドができるのがいいです。)

『シャーク・テイル』●
(サメがマフィアでロバート・デ・ニ−ロとか、タイタニックに住んでいるとか、そういう小ネタしか見どころがない。サカナの擬人化がひたすら気持ちワルイ。)

『サーフズ・アップ』◎
(これはいい。超オススメ。子ども向けに作ってないのがいい。ドキュメンタリーの体で作ってるのもいい。サーフィンに詳しかったらもっとイイと思う。)

そういう訳で、今回のイチオシはこれ。私はまだ買っていません。ちなみに女の子ペンギン・ラニの声はBONESの妹ですね。

posted by juppo at 23:10| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

10年の後

 今からちょうど10年前、2000年の今ごろ、私は窮地に立たされていた。
 窮地なんて言うと今では自分でも大げさに聞こえるけれど、その時の気持ちは本当にそのくらいギリギリだった。

 それまでの10年ほど、私はずっととある学習塾の講師で、教室長としての雑務をこなしたりもしていた。
 各地にいくつも教室がある塾だったのだが、その塾の経営状況がよろしくないらしい、という話が前年から聞こえてきた。その年に入ると給与が振り込まれなくなった。そして、

 2月のある日、突然、社長から教室閉鎖の連絡が来た。ハガキで。ぺらっ、と。

 失業かー。仕事探さないとなぁー、と最初は当たり前に考えた。給与も振り込まれない職場なんだから、失業する前に見切りをつけてもいいくらいだった。

 でも、そんなごたごたな最中でも生徒が来れば、私だけでなく他の講師も当たり前に授業をしていた。
 (給与はその後、本部と何度も書類の行き来などを経て、無事全員分払ってもらったと思う。私の分以外は。
 私が結局もらえなかった2ヵ月分の給与については、さらにその後労働基準監督署に手続きをしてお役所からいただいた。8割ほど。)

 経営のごたごたには関係ない生徒の皆さんに、私は「終わりです。さようなら。」と告げることはできなかった。


 それで、

 何とかして授業の継続だけでも出来ないかと考えているうち、ふと、私が教室を丸ごと引き継ごうかな、と考え始めた。

 そう考えるに至ったきっかけのひとつに、塾で借りていた部屋の問題があった。社長は私の給与のみならず、その部屋の家賃も2ヵ月払っていなかったので、不動産屋からの催促等の連絡は自然私に入るようになり、私が払わされた、ということは全くないが、不動産屋としては借り手のいない部屋に荷物だけ依然と残っているのも不都合なので、私に居抜きで借りないか、と提案してきたのである。

 既に被害者同士となってしまった不動産屋と私との相談はかなり友好的に進んだ。
 だからといって私は、すんなり事を運んだ訳ではない。
 
 第一に、始める資金がなかった。第二に、「やっていけるのか?」という不安を抱かずにいられなかった。

 第一の弊害は、母が「あんたやりたいんでしょ。」と言って取り払ってくれた。資金提供をしてくれたのである。この時点で、私の塾の影の社長は母になっている。

 第二の問題は、胃が痛くなるほど悩んだ末、「もうお金の事考えるのやめよう。白髪になっちゃう。」と、考えるのをやめた。
 ひとりでも生徒が来てくれる間は、私がアルバイトをしてでも続けよう、という結論に達したのだ。

 そしてもう一つ、私の塾を始めるに当たって決めたことは、

 「塾で儲けようなんて思わない」
ということ。

 これだけは実際、その後10年堅く守り続けることになった。一切儲からない。私には、多少「教える」才能が仮にあったとしても、商売の才能は全然ない、ということが10年かけて分かった。


 まぁそういった次第で、10年前に私は塾を始めた。野心に燃えて起業した訳でもなんでもなく、流れで自営業になってしまった。

 多大なトラブルを残して消えた社長の周りにいた人たちから、最初少しばかりのちょっかいが入った。詳細は書かないが、後で何かあっても困るので、市役所の無料法律相談に私は出向き、私が生徒丸ごと、備品もそのまま教室を引き継いで運営して行くことに何か問題があるかどうか、相談した。

 その結果、弁護士の先生から「全く問題ない」と保証のお言葉をいただき、私は胸を張って(とは言いがたい。その時は頼りない気持ちで)看板を書き換えた。
 看板を新しく注文するお金もなかったので、もとの塾名の看板に、アクリル絵の具でロゴを描いた粘着シートを張り付けた。もちろん私が描いた。イラストレーターなので。東急ハンズのスタッフのお兄さんと、どうしたら手描きでも雨で消えないように出来るか相談したことも忘れられない。それは粘着シートの上に、さらに透明なシートを張ることで解決した。

 経営に余裕が出来たらちゃんとした看板に変えよう、と思ったまま10年、結局今もその看板がかかっている。汚くなって、恥ずかしいんだけど。

 社長がいくつ教室を経営して手広くやっていたか知らないが、事件は会議室で起きるのではなく、塾の仕事は教室でするものなので、それまで教室で一緒に働いていた講師や、生徒の皆さんは私の味方になってくれた。それが一番嬉しかった。
 
 私が引き継いだ時点で辞めた生徒はひとりもなく、その後他の講師はいなくなって私だけが教えるようになっても、高校卒業などキリのいい時まで通ってくれたり、「友達が」「後輩が」「いとこが」と新入生を紹介してくれたり、の連続で10年持ちこたえてきた。
 看板も出しているけど、実際そういう紹介で入って来る生徒の方が多い。会員制の秘密クラブみたいだなと思いつつ、そんな感じで細々と10年。



 2年毎にやってくる教室の更新時期が今年また来て、そうか、10年経ったのかと気づいた今月、折からの不況に今後の事を改めて考えざるを得ないところに、私はいた。

 そろそろ、終わりにしようかなぁ。やめたら楽になるだろうなぁ、親孝行もしたいしなぁ、と。
 10年やっと持ちこたえて来たものの、各支払日が近づく度に「もーう、結婚しちゃおうかなぁ〜。」なんて相手もいないのに夢見てしまうこともしょっちゅうだし。


 でもまだ生徒が来てくれているので、10年目の更新はした。10年の間に教室は、授業がない時は私のアトリエと化し、今この部屋がなくなったらそれはそれで何かと不自由なので。
 とりあえず、あと2年は頑張ってみようと思う。その後のことは、2年かけて考えようかな、と思っている。



 2年のうちに、そんなこと忘れてしまうかも知れないし。
 さらに10年経ったらどうなっているかなんて、だから全く考えられない。

今回の記事内容とは何の関係もありませんが、小説『十年の後』はこちらに収録されています。

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2009年11月29日

骨とアニメの日々

 10月は週に5本もDVDをレンタルしていて観るだけで大変だった話をちょっとだけして、詳細を書かずにいたので今日こそその話を。気づいたら10月どころか11月ももう終わりそうだし。

 私が利用しているTSUTAYAでは、レンタル半額デーが毎週何曜日と決まっていなくて、第2・第4週の火・水と、時々土日に設定されている。半額の日にDVDを借りて、翌週返却に行くとその日は半額デーじゃない訳です。
 半額じゃなければ借りたくない。でも何も借りずに手ぶらで帰るのは物足りない。
 そんな時に、あれが始まったのです。『海外ドラマシーズン1が全品100円!!』キャンペーン。

 『24』はシーズン6まで観ちゃったしシーズン7はまだ新作だし、この際他のドラマにもハマってみるか、と思い、以前1巻だけ観てそれきりになっていた『BONES〜骨は語る〜』のシーズン1を見始めた。
 いつ借りても100円なので、半額DVDを返す日が半額デーじゃなくても大丈夫。

 面白いです。骨からの捜査という1話毎の見どころと、主人公の過去が徐々に明らかになって行くという長期的な見どころが飽きさせない構造。サスペンスとしても面白いし、ヒューマンドラマ的な泣かせるエピソードもあり。
 もうシーズン1は観終わって、100円レンタル対象外ながら、シーズン2を半額デーに借りて観ています。


 一方、『BALLAD 名もなき恋のうた』を映画館で観たその頃の私は、ついでにしんちゃんの原案アニメも観たいな、と思ってキッズコーナーへ行ってみた。

 ところが考えることは誰しも同じようで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』は全て貸し出し中。

 その時、それまで知らなかったけれど毎週土日はキッズ作品はレンタル105円だということを知った。

 そうだったのか。そういうことなら土日はアニメだ!と単純に決定。
普段後回しにしていたアニメ作品を端からレンタルして、観た。

 以下借りて観たアニメ。()内は感想。

『ハッピーフィート』
(テーマはエコ。よくある視点だけど人間界から発信機つけて帰って来たマンブルには意表をつかれる。ペンギンが可愛くない。別にタップを踏まなくてもいい気もする・・)

『カンフーパンダ』
(アメリカ人はこういう「友情・努力・勝利」って少年ジャンプなテーマが好きだね。いや、イイ映画ですよ。キャラクターがいちいち面白いし。ラーメン屋のお父さんがいつ「お前は本当の息子じゃない」と打ち明けるのか、そればっかり気になったけど。)

『レミーのおいしいレストラン』
(リングイネはもうちょっと頑張ってもいいと思う。鼻がデカい。人もネズミも。)

『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』
(『チーズホリデー』のころはわざわざ映画館まで観に行ったのに、長編はどうかな、と敬遠してた。長編もいいわ〜。冗長だという意見もうなずけるけど。ブタ鼻のうさぎが可愛くない!と思ったけど終わる頃には超ラブリーになってくる。鼻すりすりしてるのとか。)
勢いで、DVDを買ってしまいました。


『オープン・シーズン』
(これが意外に良作。絵がリアルすぎないのがいい。アニメはこれくらいでいい。)

『オープン・シーズン2』
(ペットのフリフリ犬がオカマキャラで、声がクリスピン・グローヴァーだというだけで、100点。)

『アイス・エイジ』
(ピンチの度に友情が深まる。吊り橋効果ムービー。)

『アイス・エイジ2』
(ピンチがなければ愛も芽生えなさそうだけど、自分をオポッサムだと信じ込んでいるマンモスのキャラクターは良かった。)

『シュレック2』
(1のストーリーをほとんど覚えていない。キャストがやたら豪華。)

 この他にも、半額デーにはフツーの映画を借りてたんですね。そんなこんなで週5本。一度減らしたのに今は4本です。

 アニメ作品は当然害のないストーリーで、そこそこ感動出来るし、結構見る価値のある作品が多いけど、普段はどうしても、わざわざ映画館に行ったりレンタルしてまで観ない。
 でも105円なら、ね。これからも半額じゃない土日はアニメを借りるつもりです。何かお薦めのアニメがあったら教えてください。
 

そうこうしているうちにやっと借りられたしんちゃん。感動しました。正直、『BALLAD』より泣けました。

posted by juppo at 21:47| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

ベルリンの壁


200911142217000.jpg 先週の土曜日、横浜のドイツ学校で催されていたフリーマーケットに行きました。
写真は、買って来たもの。手作りのケーキやドイツ語の本。洋書は書店で買うとバカ高いので、こういう機会に安く買えると嬉しいですね。
酒饅頭みたいに見える白いモノは、パンです。ハイジがこっそり持ち帰ろうとしてカビだらけにした、あの白パンの小型版です。


 ドイツと言えば、去る11月9日はベルリンの壁崩壊20周年でしたね。ベルリンの壁というのは1961年だかに作られて1989年に崩壊した、東西冷戦の象徴とも言える、ベルリン市街を分断していた壁のことですが、実はベルリンという町は、べつにかつての東西ドイツの境界線にまたがって位置している都市なのではない・・・というようなことも含めて、私たち日本人はドイツのことを知っているようで意外に知りません。


 そこで今日は、20世紀のドイツの歴史を辿るお薦めドイツ映画を紹介しますよ。


『ヒトラーの贋札(にせさつ)』
「ドイツと言えばヒトラーでしょ、もうよく知ってますよ。歴史の教科書に必ず出て来るよ。」と皆さんお思いでしょうが、この映画にヒトラーは出て来ません。
 ヒトラーが計画した「贋札をばらまいて敵国イギリスの基盤を経済から転覆させよう」という作戦に従事させられた、ユダヤ人たちの苦難と奮闘の物語です。命がかかっているとは言え、精緻な贋札を造り出すまでの執念が凄いです。日本人もこういうの、得意そうだなーと思ったら、作ってたみたいです。大戦中、中国の贋札か何か。



 で、ヒトラーが最悪な総裁だったことはもう知ってるけど、当時のドイツ国民の中に、「ちょっとおかしい」と思う人は全くいなかったのか? 

 ・・・という素朴な疑問を抱いた皆さん、いたんです。結構そういう人たちはいたようなんですが、日本が軍国主義だった時と同様、そういった思想は押さえ付けられていたんですね。


『白バラの祈り』
 第ニ次大戦中、「この戦争はちょっとおかしい」と、まともに考えた女学生ゾフィーを描いた実話です。
 大学構内で戦争反対のビラを配ったために逮捕されたゾフィーと仲間たちは一方的な裁判にかけられ、あり得ないスピードで判決を言い渡され・・・。
「恐怖政治とはこういうことか。」という現実を目の当りにします。ラストは本当に衝撃の結末なので、気の弱い方にはあまりお薦め出来ません。
 実話なので、脚色を一切廃した演出という意味での衝撃なんですけどね。


 第二次大戦が終わってその後始末がいろいろあるうちに、米露に代表される東西の睨みあいが激化し、ベルリンの壁建造に至るわけですが、その間の事情に詳しい映画を私は知りません。ドイツ人に聞いても特に有名な映画はないようです。どなたかマニアックにご存知でしたら教えてください。

 そういうわけで、ベルリンには壁が立ちはだかり、双方からの行き来もままならなくなります。


『トンネル』
 それでドイツ人はどうしたかというと、地下にトンネルを掘って壁を超えようとしたんです。実際に数掘られていたそうですよ。
 それでも元は同じ国とは言え、壁が作られてからは許可なく越境すると死の危険もあった分断時代ですから、勝手な地下工事を取り締まる人たちと、見つからないように掘り続ける有志の皆さんとの間の、手に汗握る攻防に時間を忘れて見入ってしまう映画です。


『善き人のためのソナタ』
 東西に分かれたドイツの、東側は共産主義社会でした。自由な思想や贅沢が許されない、極端にいえば今の北朝鮮のような状態だったんです。北朝鮮は極端過ぎますけどね。
 庶民が自由思想に引きずられないように、国民ひとりひとりを見張る仕事をする人がいたそうです。この映画の主人公がそのひとり。
 表立ってそうとは知られないようにしながら、この人のように他人を見張っていた人は相当いたらしいです。気づかないうちにあなたの隣にいる人もあなたのことを・・・というような社会だったみたいです。
 主人公の行動と内省に焦点を当てて作られている映画で、じわじわ感動しますが、そういったこととは別に、「こんなに厳しかったんだ〜」という東ドイツの当時を知るのによい素材な映画です。
 アカデミー賞外国語映画賞を受賞しています。


そしていよいよ、壁が崩壊する日がやって来ます。

『グッバイ、レーニン!』
 ここまで紹介した作品はどれも結構重いんですが、これは楽しい映画ですよ。
 
 共産主義を支持する母親が、倒れて意識不明のまま壁崩壊の日を迎えたため、壁がなくなったことや資本主義社会に変わったことを、目覚めた母親に必死で隠そうとする青年の、涙ぐましいドタバタ生活のお話です。何しろニュース番組まで自分で作ってしまうのですから並大抵の奮闘ぶりではありません。

 個人的に好きなのは、ロシアの超有名キャラ『チェブラーシカ』に出て来た「ピオニール(共産主義国のボーイスカウト)」がこの映画にも出て来ることです。





ドイツの近代史に着目した映画だけざっくり並べましたが、こんな映画もお薦めです。ケストナー作品はどれも、読んでも観ても間違いありません。

posted by juppo at 21:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする