2009年11月16日

ベルリンの壁


200911142217000.jpg 先週の土曜日、横浜のドイツ学校で催されていたフリーマーケットに行きました。
写真は、買って来たもの。手作りのケーキやドイツ語の本。洋書は書店で買うとバカ高いので、こういう機会に安く買えると嬉しいですね。
酒饅頭みたいに見える白いモノは、パンです。ハイジがこっそり持ち帰ろうとしてカビだらけにした、あの白パンの小型版です。


 ドイツと言えば、去る11月9日はベルリンの壁崩壊20周年でしたね。ベルリンの壁というのは1961年だかに作られて1989年に崩壊した、東西冷戦の象徴とも言える、ベルリン市街を分断していた壁のことですが、実はベルリンという町は、べつにかつての東西ドイツの境界線にまたがって位置している都市なのではない・・・というようなことも含めて、私たち日本人はドイツのことを知っているようで意外に知りません。


 そこで今日は、20世紀のドイツの歴史を辿るお薦めドイツ映画を紹介しますよ。


『ヒトラーの贋札(にせさつ)』
「ドイツと言えばヒトラーでしょ、もうよく知ってますよ。歴史の教科書に必ず出て来るよ。」と皆さんお思いでしょうが、この映画にヒトラーは出て来ません。
 ヒトラーが計画した「贋札をばらまいて敵国イギリスの基盤を経済から転覆させよう」という作戦に従事させられた、ユダヤ人たちの苦難と奮闘の物語です。命がかかっているとは言え、精緻な贋札を造り出すまでの執念が凄いです。日本人もこういうの、得意そうだなーと思ったら、作ってたみたいです。大戦中、中国の贋札か何か。



 で、ヒトラーが最悪な総裁だったことはもう知ってるけど、当時のドイツ国民の中に、「ちょっとおかしい」と思う人は全くいなかったのか? 

 ・・・という素朴な疑問を抱いた皆さん、いたんです。結構そういう人たちはいたようなんですが、日本が軍国主義だった時と同様、そういった思想は押さえ付けられていたんですね。


『白バラの祈り』
 第ニ次大戦中、「この戦争はちょっとおかしい」と、まともに考えた女学生ゾフィーを描いた実話です。
 大学構内で戦争反対のビラを配ったために逮捕されたゾフィーと仲間たちは一方的な裁判にかけられ、あり得ないスピードで判決を言い渡され・・・。
「恐怖政治とはこういうことか。」という現実を目の当りにします。ラストは本当に衝撃の結末なので、気の弱い方にはあまりお薦め出来ません。
 実話なので、脚色を一切廃した演出という意味での衝撃なんですけどね。


 第二次大戦が終わってその後始末がいろいろあるうちに、米露に代表される東西の睨みあいが激化し、ベルリンの壁建造に至るわけですが、その間の事情に詳しい映画を私は知りません。ドイツ人に聞いても特に有名な映画はないようです。どなたかマニアックにご存知でしたら教えてください。

 そういうわけで、ベルリンには壁が立ちはだかり、双方からの行き来もままならなくなります。


『トンネル』
 それでドイツ人はどうしたかというと、地下にトンネルを掘って壁を超えようとしたんです。実際に数掘られていたそうですよ。
 それでも元は同じ国とは言え、壁が作られてからは許可なく越境すると死の危険もあった分断時代ですから、勝手な地下工事を取り締まる人たちと、見つからないように掘り続ける有志の皆さんとの間の、手に汗握る攻防に時間を忘れて見入ってしまう映画です。


『善き人のためのソナタ』
 東西に分かれたドイツの、東側は共産主義社会でした。自由な思想や贅沢が許されない、極端にいえば今の北朝鮮のような状態だったんです。北朝鮮は極端過ぎますけどね。
 庶民が自由思想に引きずられないように、国民ひとりひとりを見張る仕事をする人がいたそうです。この映画の主人公がそのひとり。
 表立ってそうとは知られないようにしながら、この人のように他人を見張っていた人は相当いたらしいです。気づかないうちにあなたの隣にいる人もあなたのことを・・・というような社会だったみたいです。
 主人公の行動と内省に焦点を当てて作られている映画で、じわじわ感動しますが、そういったこととは別に、「こんなに厳しかったんだ〜」という東ドイツの当時を知るのによい素材な映画です。
 アカデミー賞外国語映画賞を受賞しています。


そしていよいよ、壁が崩壊する日がやって来ます。

『グッバイ、レーニン!』
 ここまで紹介した作品はどれも結構重いんですが、これは楽しい映画ですよ。
 
 共産主義を支持する母親が、倒れて意識不明のまま壁崩壊の日を迎えたため、壁がなくなったことや資本主義社会に変わったことを、目覚めた母親に必死で隠そうとする青年の、涙ぐましいドタバタ生活のお話です。何しろニュース番組まで自分で作ってしまうのですから並大抵の奮闘ぶりではありません。

 個人的に好きなのは、ロシアの超有名キャラ『チェブラーシカ』に出て来た「ピオニール(共産主義国のボーイスカウト)」がこの映画にも出て来ることです。





ドイツの近代史に着目した映画だけざっくり並べましたが、こんな映画もお薦めです。ケストナー作品はどれも、読んでも観ても間違いありません。

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2009年11月01日

学校で勉強すること

 10月の中間テスト対策では、アボガドロ数の他に関係代名詞と確率に取り組んでいた。

 関係代名詞とは、英語で複文を作る時に使うwhichとかthatとかwhoなどなど・・だが、その中で必ず習う語にwhomがある。

 必ず習うけど、10年くらい前に私が某大学のオープンカレッジの英会話クラスに通っていた時、先生が
「whomは1930年代の映画の中で聞くくらいで、現代ではほとんど使いません。」とおっしゃっていた。

 10年前に聞いた話なのに、未だに学校では当たり前のように習うんだな、と思って早速、日本語クラスで会う二十代のアメリカ人やオーストラリア人にその話をした。

 「whomはよく分かりません。」
 「使ったことがない。」
・ ・というのが彼らの反応。

 「日本の高校では、This is the boy whom I met yesterday.なんて習うんですよ。」と言うと、

 「丁寧すぎる・・。」

 彼らの印象では、whomは丁寧というか、フォーマルな表現に使う語で、だから絶滅した訳ではないのだけど、ビジネス文書の冒頭に「To whom it may concern:(関係者各位)」と書かれていたり、電話の応対で「Whom am I speaking?(どちら様ですか?)」と尋ねる時などにしか使わないのだそうだ。

 じゃあまずそういうことから教えろよ!
・ ・・と、思いますよね。高校生の皆さん。

 でも実は、そういうことは授業で説明されているのかも知れません。学校の授業では、勉強しなければならないことの他に「勉強しなくてもいいこと」も教えてくれる場合があるので、よくよく注意して先生のお話を聞いてくださいね。


 ところで、数学で確率を学習すると必ず出て来る問題に、

「トランプのハートのカード13枚の中から2枚のカードを引く時、絵札から1枚、絵札でないものから1枚を引く確率を求めよ。」
なんてのがある。

 この問題の意味が分からない、という人が最近多い。
「絵札からってどういう意味ですか。全部ハートの絵じゃないんですか。」と言うのだ。あー、確かにそうですね。でも、
「ハートは絵じゃなくてマークで、正確にはスートとか言うんだけど、それはともかく、13枚のうち、ジョーカーは入れないでね、王様とか女王様の絵が描いてあるのを絵札と呼ぶのよ。エースも絵みたいだけど、あれは一応数字の1のカードだと思ってください。」
などと、説明しなければならないことになる。

 トランプは1から13まででひと組ですが、そのうち1から10までが字札(数字札?)11から13までを絵札というんですよ、皆さん。


 最近の子どもたちはトランプで遊ばないのかなぁ、と考えさせられた。私が子どものころは、いや大人になっても、セブンブリッジだの七並べだの大貧民だの、ことあるごとにトランプで死闘を繰り広げて人生経験を積んで来たものだ。
 高校生の時、授業中に隣の席からトランプの札が回って来て・・・つまり横並びで机の下で、何かのトランプゲームをしていたり、なんてこともあったな。(6人くらいで)

 そういう経験を積むと、絵札が手元にあるのとないのでは戦況に激しい差が出て来る、なんて身を持って知るので「絵札って何よ?」なんて疑問は全く浮かばないのだが。

 教科書や問題集を作っている大人の皆さん、トランプはもう古いみたいですよ。プリキュアのカードから何枚、ポケモンのカードから何枚、というふうにしないと「分かりにくいよ!」と言われてしまいますので気をつけてくださいね。



 そういうわけで問題の答は、

        3C1×10C1        5
     -------------------- = ------
         13C2        1 3

・・と、こうなります。だから何だ、って感じですね。順列・組み合わせ・確率の問題の答は、みんなそうです。

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2009年09月11日

マヨネーズ

「日本では何でもマヨネーズをかけますよね。」

ある日、アメリカ人にそう言われて、私は「確かにそうだな」と思うと同時に、とても意外だった。
アメリカではそれほど料理にマヨネーズを使わないのか?

使わないらしい。

「えー、でもマヨネーズって(多分)アメリカから来た食品だから、日本人は皆アメリカでもたくさん使ってると思ってますよ。」
日本人の代表みたいにそう言ったものの、そう思っている日本人は私だけですか?

 意外なのと面白かったので別のアメリカ人にも聞いてみると、皆さんそろって冒頭の感想を抱いているということがわかった。皆さんと言っても、サンプル数は3人くらいなんだけど。

「じゃあ、アメリカでは何にマヨネーズをつけて食べますか?」
と聞いてみると、あるアメリカ人は熟考しつつ、
「サンドウィッチとか・・・

サンドウィッチとか・・・

サンドウィッチだけです。」と答えた。

「アメリカではサラダにマヨネーズをかけるのは、よっぽどお金がないか手抜きをする時だけです。」と言ったアメリカ人もいた。

 日本人が西洋野菜をサラダにして食べるようになってから、日本の食卓にマヨネーズが普及したのだと思うけれど、私が子供のころは、それこそサラダにしかマヨネーズは使わなかった。それがどう日本人の味覚を刺激したものか、いつの間にやら温野菜にもマヨネーズ、焼きしいたけにもマヨネーズ、たこ焼き・焼きそば・お好み焼きにもマヨネーズ。テリヤキバーガーにも、寿司やおにぎり、おかきの風味もマヨネーズ。「かつおにマヨネーズ」は『美味しんぼ』にも認定されているし、香取慎吾に至っては雑草にもマヨネーズをつけて食べていたそうだから、まさに日本人にとってマヨネーズは「これさえあれば」の万能調味料の座に君臨したと言えるだろう。

 どうして日本人は、というより何故日本人だけが、こんなにマヨネーズが好きなのか?



 ところで今日は、9月11日ですが、9月11日といえば世界同時多発テロ。・・といえばこの映画です。
映画館で見た時に、CASTの名前にやたら「as himself」と出て来るのが気になってパンフレットを購入して読んだら、管制官とか軍人とか、その日そこにいて仕事をしていた人たちが、そのまま自分の役を演じているということが分かって、その徹底した事実を追い求める製作者の姿勢に改めて感動しました。結末は分かっているのに、何度見てもいい。そして何度見ても「ああっ、もうちょっとだったのに。」と思ってしまう。特典の、演じた俳優が訪ねる遺族の映像はティッシュひと箱分くらい、泣けます。

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2009年08月17日

カラスといえば

『鳥は』はまだ一回分くらい続きがあるのですが、カラスで思い出したエピソードがあったので今回はそれを。

karasu.jpg
 まぁ、ただそれだけのことなんですけどね、っていうエピソードです。
 カラスって何かというと、「賢い」というよりは「狡猾」な逸話に事欠かない鳥ですよね。

 何しろあいつらは、人の食べ残しの在り処をよく知っているなと感心します。

 家庭ゴミを出す際、カラスに食い散らかされないように黄色いネットを被せますけど、そもそもそんなに食べ残しを出さなければ食い散らかされることもない訳で、いちいちネットを被せるより食べ残しを出さない方法を編み出した方が良いのでは?なんて考えてしまいます。

 あるいは、カラスに散らかさない食べ方を仕込む方法はないのでしょうか?

 私が中学生くらいの時、裏の運送屋のお兄さんが、良く来るカラスを「カー子」と呼んで手なずけていましたが、カラスを訓練して食べ残しを始末してくれるようになったら、一石二鳥だと思いませんか。
 一羽のカラスで一石二鳥、なんつって。





 ところで、先週末退院するはずだったうちの父は、残念なことに退院が1週間延びてしまいました。
 母と私の外食&おにぎり生活も継続中です。

 そうやっていい加減な食生活を送っている私たちですが、あだや疎かに出来ないのが、退院してからの父の食事です。

 それで、こんな本を購入しました。

あらゆる人を対象にした料理本が存在する世の中なんですね。


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2009年07月02日

鳩といえば

 枕草子『鳥は』の途中ではありますが、前回鳩の話を書いていて思い出したエピソードがあったので今回はそれを漫画にしました。
箸休めに、どうぞ。

hatoneko.jpg




 鳩というより、ネコのエピソードでしたね。ネコは狩った獲物をその場で食べないんですよね。・・とはいえ、どこにお持ち帰りしたのか、謎です。

 夜遅く帰って来ると、こういうネコの活動に出くわすことがあります。空き地で集会をしているのを見かけたり、とか。

 絵にした方が伝わりやすいだろうな、と思って僭越ながら自分マンガを描いてみたら、出典のある作品をマンガにするのよりずっと楽に描けることが分かったので、これからも機会があればまた描きます。


 でも次回は、『鳥は』の続きを描きます!
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2009年06月04日

『おいしいコーヒーの真実』

今年の誕生日、私はおよそ四半世紀ぶりに健康診断を受けに行った。何しろ普段病院に行かないので。
 今年はインフルエンザで久しぶりに内科の診察券を入手したし、誕生月前後には500円で市の成人検診が受けられるので、身長体重からX線まで、どっぷりではないけどざっくり調べてもらって来た。

 そのあとは仕事もないので半日寝て、日ごろの寝不足を解消した。あまり寝ないで毎日生活すると疲れるけど、こういう休みがある時に一気に寝ダメをする。とても健康的とは思えない生活。健康診断の結果が楽しみ。

 そしてその夜、見たDVDがこちら。



 コーヒーの産地、エチオピアのコーヒー農民たちは私たちが飲むコーヒーの金額とはかけ離れた安い賃金しか受け取っていない。その理由は原産国から消費国にコーヒーが届くまでにいくつもの仲介業者が介在していること、先進国が利権の為に輸出入に関する会議を牛耳っていること、などらしい。
 エチオピアの農民は貧困から抜け出せない。農村には学校もない。


 ・・・何とかしなければ。
 単純な私はすぐそう思う。
(単純だから純子というのではありません。6月生まれだからなんです。)

 
 今まで、「フェアトレード」という言葉を聞いても、「そりゃーいろいろな方面に配慮した消費をしたいけどさ、やっぱり買い物に行ったら安いものを買うよ。」と思ってあまり気にかけていなかったのが正直なところ。
 そんな風に思う人でも、この映画を見ると私のように「何とかしなければ」という気持ちになる。と思う。

 逆に「今ごろ気づいたの!?」と思う方もいるかと。今ごろでも、気づいて良かった。調べると、フェアトレードの商品でも高価なものばかりでもない。購入者が増えれば、もっと求めやすい価格になるかも知れない。
  
 出来ることから始めればいい、と思ってとりあえずブログに書いてみた。

『おいしいコーヒーの真実』公式HPはこちら↓
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/top.php



 ところで、SMAPのクサナギ君が無事に復帰して嬉しいです。さらに、謹慎中に『生きながら火に焼かれて』を読んでいた、と言ってたのがこれまた単純に嬉しかったです。私も以前読んだからです。話題になってたころ友人に借りて読みました。くみちゃんありがとう。

 生きながら火に焼かれたスアドさんは別に犯罪に巻き込まれた訳ではないんです。女性として生まれたことに何の価値も意味もない、そんな世界があることがまず驚愕。クサナギ君にはついでに、FGMのことも知ってもらいたいなぁ。



FGMについてはこちら↓こういう映画や本に触れると「何とかしなければ!」とすぐ思うんですけど、なかなか何かするのは難しい。でも常に、何かしたい、と思っています。



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2009年03月08日

卒業

 どんなことにも、始まりと終わりがある。永遠に続くかのような錯覚を覚える日常にも、別れはやってくる。大抵の場合、突然に。

 前にも書いたが、あるスポーツクラブに20年近く通っている。長年通っている間には泳いでいた時期もあれば自転車を漕いでいた時期もあり、丸1年全く行かなかった時期なんかも経て、ここ13年くらいは主にエアロビクスをやっていた。
 長年通っているのでいろいろなクラスに出たけれど、中でも土曜日の夜の、あるインストラクターのレッスンが楽しくて、そのレッスンに通っているだけでほぼ13年経過した。思えば私も長いが先生も長いな。
 
 「私はその人を常に先生と呼んでいた」訳ではない。すっかり親しく、馴れ馴れしくなっていつも愛称で呼んでいる。でも、ここでは、「ただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」ことにする。

 その先生が突然、3月いっぱいで辞めると言う。私のように、彼女のレッスン目当てで通っている一部の会員の間には衝撃が走った。ところがこの衝撃は、一部の会員の間だけにとどまらなかったのである。

 先生が辞める宣言をしてからおよそ二週間後、クラブから全会員に届いたお知らせに、営業時間の縮小、レッスンの大幅な削減、かててくわえて、今まで存在しなかった「年間登録料」の発生が告知されていたのだ。あー、どこも不景気なんだなぁ〜、と同情的に見ることもできるのだが、フツーに考えれば、利用可能なオプションが減って、会費が安くなるどころか払う金額が増えるとは、どういうことなのよっ!!…となるのが人間性。

 先生も辞めることだし、ここらで私も辞めようかなぁ…。
 そんなことを考えたのは私だけではなかったようで、ジムや更衣室やサウナで、会員同士寄るとさわると「来月からどうする?」「○○さんは辞めてメガ○スに行くって」「ティッ○ネスはどうなの?」てな会話で持ちきり。
 そんな中、辞めるのに一番もっともな理由がある筈の私は、どうしても踏ん切りがつかないでいた。

 そのスポーツクラブが帰り道の途中にある、というのも大きいが、やはり長年馴れ親しんだ場所を去るのには特別な勇気が必要だ。
 まるで離婚に踏み切れない熟年カップルのように、相手にほとほと嫌気がさしているのに、何かと理由を見つけては現状を維持しようとしてしまう。ああ私には決められない。

 結局、私は妥協案を取ることにした。今までより会費が安く、その代わり利用時間にかなり制限のある、別ランクの会員になることにしたのだ。登録料とやらを徴収されてもこれならショックはそれほど大きくない。利用を減らしながら様子を見て、段階的に撤退するという手もある。

 私が何に妥協しようがしまいが、好きなレッスンがなくなることに変わりはないんだけどね。永遠に続くかのような錯覚を覚えた土曜日も、3月28日で終わってしまう。先生には感謝の気持ちでいっぱいだけれど、いっそその日が来なければいいのに、という思いは止めようがない。


 こんな気持ちは、中学校の卒業式以来かも知れない。


エアロにハマる前の私は、アイオワ野球連盟でスコアラーをしていました。…というのは、ウソです。でもそんな気もします。


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2009年02月22日

『漱石の思い出』

 絶対に持っているのに、家の中のどこにあるのか分からない、というものを私はたくさん持っている。

 はい、そうです。それは私が「かたづけられない女」だからです。

 この本も、そうした中の一冊。
 夏目鏡子述・松岡譲著『漱石の思い出』。

 夏目漱石の妻、鏡子が漱石の死後に語った思い出を、漱石の長女、筆子の夫松岡譲が筆録した人間・夏目金之助(漱石の本名)の記録。

 20年くらい前に買って読んだのに、どこに仕舞ったか行方不明になってしまい、私の思い出の片隅にあるだけの本だった。ずっと、また読みたいと思っていたが、先日図書館で発見した。

 何度読んでも面白い。漱石の著作より面白いんじゃないかとさえ思える。

 千円札の顔にまでなった文豪・夏目漱石は、生まれこそ江戸の名家だったが、決して裕福な生活をした人ではなかった。
 国費で行った英国留学中も食費を削って本を買い、帰国してからは生活のために嫌々教壇に立ち、本を書いて入った印税で家計が安定するまでは、夫人は繁く質屋も利用していた。
 そして、死ぬまで借家住まいだった。

 そんな家計のやりくりに始まって、漱石の好きだったもの、嫌ったこと、何度となく繰り返す胃病と神経衰弱、子供が次々に生まれ、末の女の子が小さいうちに亡くなる、やたら泥棒に入られる、などなど、全く家庭生活の範疇を逸脱しない、ドメスティックな漱石論なのだ。

 時に厳しい、冷たいことを言いながら、時には滑稽なことも言う夫・漱石。神経衰弱に陥って不条理な論理で妻をいじめ抜く漱石。
 国語の教科書やお札になった顔からは伺い知れない、そういった飽くまで内輪の、人間臭い、弱い漱石の姿に萌え〜黒ハートなんですよ。

 発表された当時、鏡子夫人は悪妻の異名を負わされたらしいが、読む限りそんな印象はないし、全編夫への信頼と愛に貫かれていると思う。
 いろいろ大変な経験をしながら、この人でなければ勤まらない器の大きな女性像を感じるので、そんな肝っ玉ぶりが悪妻評を呼んだのかも知れない、とは思うけれど。

 何だかんだで仲のイイ夫婦だったのだろうな、と思える。明治時代の結婚生活にちょっと憧れてしまう。
 聞き書きなので文体が語り口調で、その、少し古い日本語も心地いい。筆録した松岡譲氏の才能も特筆すべき作品。



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2009年01月17日

がんばれ!受験生!!

1月も半ばを過ぎ、中学入試まであと半月足らず。今年は久しぶりに中学受験の生徒を担当していて、私の頭の中もそろそろ入試でいっぱいになっている。中学に限らず受験は大変だけれど、その大変な試練を僅か12才で乗り越えなければならないのかと思うと端で見ているこちらまで困憊するほど、中学受験は本当に大変だと思う。


さて受験生を教えることになると当然、私も端から過去問を解く。私が合格しちゃうよ、というくらいに解く。お母さんの年齢が子どもの年齢の2倍になるのは何年後ですか。A君がB君を追い越すのは二人が走り始めてから何分何秒後ですか。出来上がった食塩水の濃さは何%ですか。あ〜、もうそんなこたぁどうでもいいや〜、と思いつつ、そんなこと以外は何も手につかない。あと半月は。


 ところで、入試問題でなくても、国語の教科書や問題集に載っている小説などの抜粋を読んで、感動してうるうるしてしまうことはないですか?私はよくあります。「試験中に泣きそうになったらどうするんだろう。」と言ったら「そんなことは、ないよ。」と以前生徒に一蹴されたけれど。

 確かに自分が学生だった時に、いちいちその文章に何かを感じたなどという、はっきりした思い出はないのだが、大人になってからそういうものに触れる機会が多いせいか、教材の中の作品が、私は時々気になる。気になって、出典が記されていればその本を探して読んでみたりする。
 出典をメモっておいて忘れてしまった作品も数知れないけれど、さだまさしの『精霊流し』や川上健一の『雨鱒の川』を読んだのは中学や高校の入試問題で一部を読んだのがきっかけだった。

 さすがに、恐らく学校の先生が好んで選んで吟味して抜粋しているだけあって、特に入試問題に採用されるような作品で、一部だけ読んでも感動できるものならば、全編読んでもハズレはない。


 皆さんも勉強しながら気になる作品があったら、合格してからでもゆっくり読んでみてください。


 そして中・高・大すべての受験生の皆さん、ゴールはもうすぐです。あと少し、頑張ってください!

 みんなで爛漫の春を迎えましょうかわいい

『Life Is So Good』。高校の英語教科書で抜粋を読み、その後図書館の洋書コーナーで借りて読みました。それまで読み書きが出来なかったGeorge Dawsonさんは98才で初めて学校に行ってアルファベットから学びます。勉強はいつから何を始めても、決して遅過ぎるということはない、ということを教えてくれる一冊。

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2008年12月12日

映画も見てました。

 この秋はずっと『HEROES』にハマっていたので映画を全然見ていない気がしてたけど、振り返ってみると何本か見ていたので今日はそのうちのいくつかについて。

 映画館に出向く心のゆとりが最近なく、全部レンタル。7泊8日。半額デー。TSUTAYAさんありがとう。


 『ナンバー23』
 ジム・キャリーがはた迷惑に空回りするサイコ・サスペンス。アメリカ人から「ラストが衝撃的。お薦めです。」とのお墨付きをもらって見た。
 確かに衝撃的。「えーっ、そういうことだったのか!」という展開もさることながら、「そういうことだったのか」と分かってもジム・キャリーを見捨てない妻と息子の愛にむしろ驚異を感じる。とばっちりを受けて可哀相な目にあってしまった人たちのことが私は気になるけど、概ね安心の結末。
 見終わるとあなたも必ず、「いろいろ組み合わせると23になる数字」を探してしまいます。

 『フリーダム・ライターズ』
 ヒラリー・スワンク主演。アメリカの公立高校の生徒たちがノートに書き綴った、心の中に淀んでいた不安や不満が本になったという、実話。この、実話というのに私は弱い。実話がもとになった映画と聞いただけで、その映画に対する評価は3割増しぐらいになる。ところが見てみると「本当に実話なの?」と疑いたくなるほどの過酷な境遇にいる高校生の話だった。想像を絶する社会に生きる、ヤサグレの極致な高校生を立ち直らせるきっかけになった教師がヒラリー・スワンクなんだけど、彼女の独善独歩のやり方には風当たりも強かっただろうなーなんて現実的な感想も抱いてしまう。
 ところでその風当たりの代表の、主任教師が、何と『ハリ−・ポッタ−と不死鳥の騎士団』のアンブリッジ先生なんですよ。
 「アンブリッジ先生はホグワ−ツに来る前はアメリカの公立高校にいたのか〜」なんて思ってしまったら最後、彼女が出るシーンごとに「ピンクを着ていないな」とか「ティーカップを持ってないな」なんてくだらないことをいちいちチェックしてしまうので、要注意。

 『ヘアスプレー』
 ザック・エフロン狙いで人気が衰えないのか、なかなか7泊に降りてきてくれなくて、やっと今ごろ見た。
 見るまで、純粋にミュージカル映画だと思っていた。純粋にミュージカルなんだけど、『ハイスクール・ミュージカル』とちょっと違うのは、やたらキャストが豪華なことと、公民権運動が絡んだ、結構社会派なストーリーだということ。
(ちなみに『フリーダム・ライターズ』も、そのタイトルの元ネタは『フリーダム・ライド』という、公民権運動のハシリになった、バスの座席に差別をなくそうとする運動のこと。)
 テーマが面白かったのと、ジョン・トラボルタが踊っている!ので、特典映像も見たくなり、次の日DVDを購入してしまいました。

 『僕のピアノコンチェルト』
 天才少年ピアニストの物語。ある日突然天才じゃなくなるので哀しい話かと思っていたら、奇想天外な話だった。主人公の幼年時代の子が愛くるしいことこの上ない。少年時代になるとその可愛らしさは半減するんだけど、この子はフツーに、本当に天才少年ピアニストなので、なかなかどうして、演技も上手いじゃないか!という点で感動的。
 母音の前のSの発音が濁らない、スイス・ドイツ語が聞けます。「スイスのドイツ語はちょっとstrange。」とドイツ人が言ってました。そうだったのか。長年の疑問が晴れました。



 何かに悩んでいる人や前に進めなくて苦しんでいる人は必見。そこにただそうしているより、まず言葉に表してみたらどうでしょう。


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2008年08月11日

オリンピックを見ていたら

 オリンピックで柔道の試合を見ていたら、アナウンサーが「前回のアテネ大会とは」ここが変わりました、ということについて説明していた。

 まず、場外との境の『赤畳』が無くなった。テレビで見ていると、その分狭くなったように感じるのだけど、場外で技が決まった場合、畳の範囲にどちらかの選手の身体の一部でも入っていれば技がかかったことに判定されるので、選手にとっては広くなったのだそうだ。なるほど。

 それから、得点の表示方法が変わった。右から効果、有効、技あり、一本の順に、1 0 1などと数字が並んでいる。効果二つで有効、有効二つで技あり、という風に加算されていくので数字は1か0しか表示されず、点数的に見ると100対1とか、10対1011なんてことになって勝敗が決まる。


 つまり、二進法になっているのである。

 実際には、細かい所で二進法とは違うようなのだけれど、二進法というのはこういうことなんですよ。

 と、いう話をしようかな、と。


 二進法は、最近中学校では学習しなくなったけれど、中学受験をする小学生の皆さんは勉強させられたりする不思議な単元です。ニだけではなくて他の数字の〜進法もあるので、まとめて『n進法』と言ったりします。

 二進法とは、1、2、3、、、と順に数字を数えていこうとする時に、0から9までの数字のうち、0と1だけしか使わない、2以上の数を使ったら負け、みたいなルールで数えていく方法です。

 ですから1はそのままでイイのですが、1の次は2ですから、続けて「1、2、」と言うことができません。では、どうすればイイかと言うと、位を繰り上げて10にしてしまうのです。

 このルールで進んでいくと、十進法の1、2、3、4、5、6、7、8は
1、 10、11、100、101、110、111、1000になります。

 二進法で表された数を、十進法に戻すこともできます。次の規則を使います。

 一の位・・・2の0乗(=1)←0乗はどんな数でも1になるんです。
 十の位・・・2の1乗(=2)
 百の位・・・2の2乗(=4)
 千の位・・・2の3乗(=8)
 ・
 ・
 それぞれの位に当たる数が、1ならアリ、0ならナシ、と考えます。
たとえば、

 10110 なら、
2の4乗×1+2の3乗×0+2の2乗×1+2の1乗×1+2の0乗×0
=16+4+2=22

 と、いうわけです。

 このやり方を使えば、十進法から二進法に変える時も、いちいち順に数えていく必要はありません。たとえば、

 158なんて数でも、
158=128+16+8+4+2だな、ということが分かれば、
  =2の7乗+2の4乗+2の3乗+2の2乗+2の1乗ですから、
10011110
 ・・なんて数字が作れます。実は、十進法→二進法の場合はわり算だけを使う、もっと簡単な方法があるのですが、ここでは分かりやすく書けないので、秘密にしておきます。
 
 
 谷亮子選手が準決勝でルーマニアのドミトル選手と対戦した時、お互い指導ふたつずつで10対10だったのが、技ありを取られた瞬間に100対10になってしまったのですから、NHKのアナウンサーが思わず「谷亮子大ピーンチッ!!」と叫んだのも無理はありません。

 もっとも残り30秒足らずでの技ありですから、何進法で表しても大ピーンチッ!!だったわけですけど。

 ドミトル選手はその後、金メダルを取りましたからね〜。お見事でした。

NO Imageですみません。アテネの時、来る日も来る日もこの本のイラストを描いていた、思い出の一冊なんです。

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2008年07月14日

『刑事コロンボ』

 外国の映画は、字幕で観るのが好きだ。日本語吹替えではなく、オリジナル音声で観たい。その方が映画はより面白い、と思っている。

 だからテレビで放映される洋画はあまり観ない。二重音声でオリジナルを聞くことも出来る訳だが、字幕がついていない。残念ながら字幕無しでオリジナル言語を聞き取る程の耳は持ち合わせていない。


 私が利用する図書館では、ビデオやDVDを借りることが出来る。これを利用しない手があろうか(いやない←反語)。
 何しろ図書館の資料はタダなので、その映画に興味があろうとなかろうと、とりあえず借りて観ることが出来る。DVDは特に、いつ行っても少ししか棚にないので、その日、棚に並んでいる作品は端から借りてみる。

 そうして借りて観ているDVDの中に『刑事コロンボ』がある。(『刑事コロンボ』は映画ではないけど、洋画の棚にあるので)


 せっかくDVDで借りたのだから、オリジナル音声を選択して観始めた。

 ところが、

 何かが違う。こんなのコロンボじゃない。
・ ・・と、いうことで、途中から吹替えに切り替えた。

 あ〜、これこれ。やっぱこれだよね〜。


 ピーター・フォークがいかに名優であろうと、コロンボ警部だけは、小池朝雄の声で「うちのかみさんがね、」とやってもらわなければ、何か似て非なるモノを見せられているようでしっくり来ない、ということが分かった。
 ピーター・フォークの声は、もっと低くて渋い。その声で「My Wife is...」と聞くのも悪くはないけれど、私の知っているコロンボではない。
 子どもの頃にインプットされた人物像にはゆるぎがないのであった。


 ついでに、DVDに収録されているのはオリジナル全長版なので、おそらくテレビ放送時にはカットされたらしきシーンで突然、他の声優(石田太郎かと思ったら、銀河万丈らしい)の声に変わってしまうことがある、ということも分かった。


 そういう訳で、『刑事コロンボ』だけは迷わず日本語吹替えで観ることにしている。

ついでに、DVDではあのテーマ曲は流れない。

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2008年06月21日

算数ができる子・できない子

 たとえばここに、ハナ子とトゲ子という二人の女の子がいるとする。
 
 ハナ子は誰にでも優しく、お人好しで、頼まれたら二つ返事で何でも引き受ける。

 一方のトゲ子は他人にも自分にも厳しく、疑い深く、何か言い付けられると必ず「なんで?」と聞き返す。

 さて、この二人のうち、算数が出来るのはどちらの子か。



 トゲ子である。


 ハナ子は疑うことを知らないので、算数の問題を解く時、一度導き出された解答に、微塵も疑いを挟まない。間違っているかどうかは、答合わせをするまで知らなくていいと思っているし、それまでは自分の出した解答が100%正解である。

 ところがトゲ子の場合、自分の計算した答えも信用ならないので、56÷8=7という解答が得られたとしても、8×7=56と確かめるまでは安心しない。
 確かめることでより正解に近付くし、確かめることで計算力も強化されている。算数がどんどん出来るようになっていくのは自明の理である。

 また、ハナ子は優しいので、間違えて落ち込んだとしてもすぐに自分を許してあげられるが、トゲ子は自分の過ちを許すことができないので、間違った後は一層注意深く問題にあたる姿勢を身に付けていく。


 こうして比較してみると、「算数が出来る子って、ヤな感じの子なわけ?」という印象を持たれるかも知れないが、もちろん、これは私が経験上感じている物差で言っているだけで、必ずしも全ての子に当てはまる定義ではないし、多少当てはまったとしてもぴったりトゲ子になる訳ではない。

 ただ、算数を解くのに曖昧さや優しさは時として邪魔になる。普段から「本当にこうなの?」「どうしてそうなの?」と言うような、理屈っぽさが必要になる。
 そういう観点から分かりやすく分類すると、ハナ子とトゲ子に二分されるというだけの話だ。

 
 ですからね、「うちの子は何で算数がこんなに出来ないの〜。」とお悩みのお母さま方、安心してください。
 あなたのお子さんは、どちらかというと、優しい子なんですよ。

 ついでに「うちの子は算数ができるけど、明らかにトゲ子だわ。」と思われたお母さま方、いいじゃないですか。何しろお子さんは算数が出来るんですから。


 ここまでの話と全く関係ないのだけど、こちらは先日見た映画。『アイリス』。
アルツハイマー病に冒された著明な女流作家の終の日々。人生で大切なことは、成功や名声ではなくて、やっぱり愛なんですね?と思わせられる90分。明晰だった脳が壊れていくに従って、子どものような表情になっていくジュディ・デンチが凄いです。そしてケイト・ウィンスレットは相変わらず脱ぎっぷりがいいな。

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2008年05月12日

激突!

 スピルバーグの話ではなく。


 土曜日の夕方、もう20年くらい通っているスポーツジムの、入り口のガラスのドアに激突しておでこを強打した。

 インストラクターの先生方に「大丈夫?冷やした方がいいんじゃない?」「たんこぶ出来てますよ。」と心配されたが、放置していつも通り90分の軽くはない運動をして帰宅した。

 その後、何の跡も影響も残っていないので、もう体は忘れているのだけど、ちょっぴり思い出に残る話になった。


 そういえば。

 学生の頃、官公庁のオフィスでお茶汲み(事務)のバイトをしていた時、夕方帰る前に片付ける湯呑みを回収して回りながら、歩きながら、眠ってしまったらしくコピー機に激突したことがある。衝撃で目が覚めた訳だがトレイの上の湯呑みは全て無事だったという、プロ根性のアルバイトだったのもいい思い出だ。


 ある時、商店街を歩きながら、目の前に立ちふさがった何かの「のぼり」を手で払いのけようとしたら、それが「のぼり」ではなく「立て看板」だったので、手の甲を板に打ち付ける羽目になった、なんてことも思い出す。この時は手にしばらく傷が残ったっけなぁ。


 取り立てて記事にする程の重要度はない話題ですが、多分皆さんにかなり賛同していただけるのではないかと思います。そうでもないですか。

 肝心なのは、激突後も何食わぬ顔で動作を続けること、ですよね。
 
 痛いけど。



こちらはスピルバーグの『激突!』。そいつの顔が一度も見えないっていうのがね・・・。
posted by juppo at 19:57| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

『ナイト・ミュージアム』と『ホリディ』

 『ナイト・ミュージアム』を見た。博物館の恐竜の骨が夜中に動き出すストーリーにそれ程魅力を感じた訳ではないけれど、ミッキー・ルーニーが出ていると聞いて。
 
 ミッキー・ルーニーといえば、1930年代くらいにアンディー・ハーディー・シリーズとかいう青春ミュージカル映画で大人気だったらしいアメリカのアイドルですよ。いったいいくつになったのよミッキー・ルーニー。(87才だったらしい。『ナイト・ミュージアム』現在。)当時共演していたジュディ・ガーランドは40年も前に亡くなっているというのに。
 もっともジュディの場合はヤク中で40代の若さで亡くなったので、21世紀の今も、かなりキョーレツなババァになって生き残っていてもおかしくはなかった。なっていて欲しかったな。

 87才になったミッキー・ルーニーは元気だった。若い頃の彼をそんなに知らないけど。身長が伸びないことと引き換えに不死身の体を手に入れたのだろうかと思えるほど。


 これと似たような感想を、私は『ホリデイ』で抱いた。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットが失恋した勢いで出かけたバカンスで恋人を見つける、あの映画。たまたま泊まった先で出会った人がジュード・ロウだったら誰でも恋に落ちるだろ、的なあり得ないエピソードのオンパレードな映画だが、私はこういう映画は、結構好き。どうせ映画なんだから、あり得なくていい。ハッピーエンドなのもいい。映画は娯楽なんだから。

 そんなことより、ケイト・ウィンスレットが親しくなるハリウッドの生き残り脚本家の爺さんが、イーライ・ウォラックじゃないですか。

 イーライ・ウォラック。『荒野の七人』の、盗賊団の大ボスですよ。あの、最終的にユル・ブリンナーに倒されるとはいえ、メキシコの村人たちを震え上がらせた悪役が、まぁ小さくなったなぁ〜、すっかりイイ人になっちゃったなぁ〜・・・

 ・・なんてことを考えながら、私は映画を見ることがある。


 今までどちらの映画も「どうせお子さま向け」と食指が動かずにいた大人の方は、じじぃ目当てで是非どうぞ。


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ジュディとミッキー。
元祖『ハイスクール・ミュージカル』ですかね。
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2008年02月20日

ハリー・ポッターと

 ハリー・ポッターシリーズと、私はかなり前向きに付き合ってきた。原作は全て映画公開前に読み、映画は必ず劇場で見、DVDは発売日に特別版をGET。

 自らポッタリアンと名乗る程のマニアの自覚はなかったけれど、ふと気付けば携帯のメール着信音も『るんるんThe Arrival of Baby Harry(映画のメインテーマ)』。

『炎のゴブレット』の映画公開の頃に、若干倦怠感を抱いたりしたものの、映画『不死鳥の騎士団』が素晴らしく、『謎のプリンス』を読み終えた頃にはブームが再燃してDVDを最初から全部見直す「ひとりハリポタ祭り開催中」状態だった。
そして、多くの皆さんと同様、最終巻の内容を知りたくて堪らない身になった。

 そんな時に「柴田さん、英語で読んだら。」とある人に言われ、「なるほど。その手があったか。」と思って『Harry Potter and the Deathly Hallows』を購入した。

 長年英語を勉強してきたおかげで「分からない単語はテキトーに読み飛ばして先へ行く」という技術(ん?)を身につけたので、何とか読み始めたのだが、長い!
 長いし、厚くて重くて持ち歩けないので、寝る前にベッドでちびちび読んだ。
 購入したのは去年の秋ごろだったと思うが、読み終えたのはやっと今朝である。

 読み終わって。

「あ〜あ〜。終わっちゃったなぁ〜。」という虚脱感に、今襲われている。
 もう一度、ホグワーツから手紙が来た、11才のあの夏の日に帰りたい。でももう二度と、同じ気持ちで帰ることは出来ない。寂しい。そんな感じです。
 
 ハリーがひとりでカリカリして、ウジウジグダグダしていた『不死鳥の騎士団』の頃でさえ懐かしい。
 さっさとハーマイオニに「好き」って言えよ、とロンにやきもきさせられていたことも、それ自体を私は楽しんでいたんだなあ、と今になって思う。


 ところで、私はこうして『Harry Potter and the Deathly Hallows』を買って読んだ訳だけれど、今まで日本で出版された翻訳のシリーズを、実は一冊も買って読んだことがない。
 
 全部人に借りて読んだのである。しかも、意図した訳ではないのだが、それぞれ違う人から借りた。『賢者の石』から順に、
 
 姪のYちゃん、元生徒のN君、町田市立中央図書館、中学の同級生の旧姓Dさん、元生徒のNちゃん、元Y社のMさん、に、それぞれ貸していただいた。

 皆さん本当に、どうもありがとうございました。皆さんのおかげで、ハリーとの長きに渡る旅を今日まで続けることが出来ました。私一人で勝手に感無量で恐縮です。


 でも7月に『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売されたら、日本語でもう一度精読したいので、どなたか買って読み終わったら、貸してくださ〜い黒ハート


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デスクトップも
posted by juppo at 22:29| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

児(ちご)のそら似

 当ブログの過去の記事『児(ちご)のそら寝』http://blogs.dion.ne.jp/juppo/archives/5901536.htm
を見てくださった方から、メールをいただきました。
その内容は、「児の姿が小坊主なのは、ちょっと違うのでは」というもの。
児とは「寺で下働きをする少年」であるという知識だけで私は漫画を描いてしまったのですが、実は児(主に『稚児』と明記)とはこんな存在でした。

稚児とは-はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%D5%BB%F9

稚児-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E5%85%90

 上記のサイトを見ていただければ、稚児について詳しくお調べいただけると思います。それによると、
 「ちご」は「ちのみご」から来た言葉と考えられ、本来は乳児、幼児を指す言葉だったが、後には6才くらいまでを指すようになった。
 寺や神社や公家に、様々な階級から行儀見習いや芸道の修行のために連れてこられた子供のことを「稚児」といい、寺では一般的な小坊主とは違って坊主頭ではなく、女性のように化粧をし、お歯黒を付けた場合もあり、極彩色の水干を着た。
 僧侶たちの修行の場である山間部の大寺院では、「男社会における女性的な存在」となり、男色の対象ともされた。
 成人すると俗世界に戻るのが普通だが、中には出家して僧侶になる稚児もいた。

・ ・・というようなことが紹介されています。

 また現代においても、伝統的なお祭りなどで、派手な着物を着てお化粧をした「稚児」に扮した子供達を見ることが出来ます。その姿は小坊主のものではありません。


そういう訳で。

 私の描いた『児のそら寝』は正確なものではなかったのです。すみません。
 ただ、不確かな知識で描いてしまったことは大いに反省するものの、当面描き直すつもりはないのです。
 それは、このままでも物語の大意は充分伝わるだろう、ということと、そこだけ描き直しても到底正確な古典の世界は描き切れない、と思うからです。

 いい加減な気持ちで作品を発表したくはないのですが、そこはやはりマンガなので、多少おかしなところもあると思います。

 もし、学校や塾の先生方にこのブログを授業に使っていただけるなら、そういった「おかしな点」も含めて「ここは実際はこうなんだけど」と、補足していただいた上で、話のネタ程度にご利用いただければ、と思っているのです。

と思っているのですが、ご覧になっていて「これ、ちょっと違うんじゃない?」と思われた方は、是非、これからもコメントなりメールでお知らせください。
その都度私も勉強していきたいですし、直せるところは可能な限り直したいと思います。

以上、ふつつか者で相スミマセンが、今後ともよろしくお願いいたします。


より正しい稚児のイメージ
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posted by juppo at 23:39| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

落とし込む

 友人がブログに書いていた文章の中に、こんな一文があった。
 「何を私たちが知りたいということを落とし込んでいる。」

 ・・・落とし込んでいる。
 私はこの「落とし込む」という言葉を、どこかで聞いた事があるような気もするが、自分では今までの人生で一度も使った事がないので気になった。「落とし込む」って?

 気になったので調べてみた。
辞書をひくと、私の手許にある三省堂国語辞典には「落とし込む」という語はない。
 インターネットの辞書も当たってみたが、やはりない。
 しかし、検索サイトで「落とし込む」を検索すると、膨大な数の用例がヒットした。私が知らないだけで、フツーに使われている日本語のようだ。

 では、どういう意味なのか。

 用例を見ると、
 �.灰襯�の栓をビンの中に落とし込む。
 �⊂�麦粉を水で溶いて味噌汁の中に落とし込む。

 �� は「落とす」で良いのではないだろうか。ビンの中に入ってしまった状況を言い表したいのはわかるが、「中に」とちゃんと言っているのだし。
 �� は「入れる」で良いと思う。入れるものが液体なら「流し込む」、卵のようにちょっと固まっているものなら単に「落とす」とでも言えば良い。

 �� 棚板を落とし込むだけの簡単システム。
 �� UMLをJavaに落とし込む。
 
 このへんからだんだん分からなくなってくる。��はネットショップで売られている収納棚の説明だが、この文を読んだだけでは、私にはどういうシステムなのか分からない。一生懸命想像して、「はめ込むってこと?」という結論がせいぜい出る程度だ。
 �� も私には何の事かさっぱり分からないのだが、唯一聞き覚えのある用例でもある。コンピュータが登場してから、「ファイルをMDに落とす」なんて表現はよく耳にする。・・という事は、「ダウンロードする」ということなのか?

 さらに難解な用例が以下。
 �Α惻卍垢旅佑┐鯆其發僕遒箸傾「猜くつ �
 ��対人関係の問題を自分の問題に落とし込む。
 ��理念をどこまで落とし込むか。

 �� は書籍のタイトル。「反映させる」という意味だろうか?
 �� は素直に考えれば、「当てはめる」とか「置き換える」という意味だと思うが、友人の書いた表現と合わせ考えると、「AをBに落とし込む」とは、「Aについて精査し、情報をふるい落としてBに取り入れる」といったような意味なのだろうか。

 �� は、もはや応用問題である。ここでの「落とし込む」はどういう意味か。30字以内で答えよ。

 
 調べてみて何となく分かったのだが、もともとコンピュータ関連の言葉だったのが、今ではビジネス界で頻繁に使われている表現のようなのだ。友人も、私などは想像も及ばないようなバリバリキャリアな世界で活躍している女性だ。彼女にとってはごく当たり前の表現なのだろう。

 狭い世界から生まれた言葉、いわゆる隠語が一般に行き渡ることは、よくある。
 「落とし込む」も、�?△肌ΙГ隆屬砲呂泙聖箸なC傍mイ�あるように見えるが、ほんの少しの間に普及してしまう言葉なのかも知れない。「パソコン」や「事業」を「立ち上げる」という言い方のように。


otoshikomu.gif  言葉は生きていて、常に変化したり新しく生まれたりする。「ついていけない」と思う事もあるけれど、その移り変わりを目の当りに出来る幸運に、感謝しなければ。

posted by juppo at 23:26| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

『生かされて。』

 図書館で、偶然見つけて借りて読んだ本。

 著者のイマキュレー・イリバギザは、1994年のルワンダ大虐殺を生き延びたツチ族の女性。彼女の両親や兄弟はこの虐殺で殺されたのだが、イマキュレーは他の7人のツチの女性たちとともに、穏健派のフツ族の牧師にかくまわれて殺害を免れたのだという。

 トイレの中に3ヵ月隠れていたのだそうだ。これは私の推測だが、ビジネスホテルの、ユニットバスの、バスタブと洗面台を取っぱらったくらいの?そんな広さだと思う。そんなところに3ヵ月。8人で。
 
 ルワンダの大虐殺について私はずっと、話に聞いても、映画『ホテル・ルワンダ』を見ても、どういうことなのか良く分からなかった。どっちがツチでフツなのか、ということもさることながら、長年敵対していた訳ではなく、民族同士結婚したり隣に住んだりしていながら、なぜ突然どちらかがどちらかを全滅させようと襲い掛かったのか、その図式が理解出来なかったのだ。

 かいつまんで言うと、もともとツチがフツを支配していたという歴史が過去にあり、表面上は仲良くしながらも民族間の軋轢や差別は水面下に常にあり、1994年以前にもこうした衝突が何度もあったらしい。

 私が開いている日本語教室に来ているウガンダ人男性とも、ルワンダ大虐殺の話をしたことがある。(ウガンダはルワンダの隣の国)彼が言うには、当時、ツチの人たちの死体を川に投げ込んだので、その川が流れ込む湖で捕れる魚はしばらく食べられなかったそうだ。
 (ちなみに、ホントはツチは「トゥツィ」のように発音する。カタカナで「ツチ」と言っても通じない。)

 「どうしてそんなことになっちゃったの?信じられない。」と私が言うと彼は、「日本だって戦争してたじゃない。」と言った。

 「それとこれとはちょっと違うんじゃ・・。」と、その時私は思ったのだが、今回この本を読んで、なるほど、大して違いはない、ということが分かった。

 今ではNOVAで歓談しているアメリカ人を、あ、今はNOVAでは歓談してないですね。ともかくそんなアメリカ人たちを、戦争中私たちは「鬼畜米英」と呼んでいた。バッタリ出会いでもしたら、殺される前に、レイプされる前に殺せ、と思っていた。そこにあるのは、理由のない憎しみである。

 もちろん理由のある憎しみもあったと思う。家族や友人を殺されれば、復讐したい憎しみが生まれるのは当然だ。
 そうして憎しみの連鎖が続いていく。

 イマキュレーがこの本で私たちに訴えているのは、憎しみを捨て、赦す心を持つことなのだ。
 憎しみからは何も生まれない。私も常々、「許すことから人間関係は始まる」と思ってはいるが、現実には些細なことで他人を許せなかったり、怒りや悲しみを引きずってしまうことがある。

 イマキュレーは家族を殺した隣人を赦し、赦すことで心の平安を得、一歩ずつ前に進んでいく。ゼロから出発して国連で働く地位まで手にするのだ。

 確かにそれは正しい。相手を赦すことが出来たら自分のわだかまりも消えるだろう、と思う。世界中の全ての人にとって必読の書だな、と。


 でもそう簡単には許せないのがヒトの性だよね。煩悩だよね。
 イマキュレーが達した平安に、世界中が到達する日は来るのだろうか?
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posted by juppo at 23:21| Comment(2) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

解の公式

 数年前、今となっては悪名高いゆとり教育が導入された時、私が最も衝撃を受けたのは、中3数学の教科書に「解の公式が載っていないではないか!」ということだった。(「解の公式って何だっけ?」と思われた大人の方は、画像を参照して下さい。)

kainokoushiki.jpgどんな2次方程式でも(一部を除く)、コレに代入すればたちどころに答えが出るという、魔法のような公式だったのに。

 ゆとり教育は、最初からイヤな感じがした。「君達には分からないだろうから、おじさんたちがちょっと簡単にしてあげたからね。」というメッセージに受け取れた。

「子供のためを思っているようで、子供をバカにしてるなぁ。」と思っていた。教科書を分かりやすくしたつもりかも知れないが、「おじさんたちは本当〜に数学が苦手な生徒の気持ちが分かっていないな。」とも。

 確かに教科書は簡単になって、2次方程式では解の公式を使わなければ解けないような問題は出題されなくなった(平方完成をしなければならなくなって、却って難しくなったところもあったけれど)。
 でも、そんな簡単な問題でも解けない生徒にとっては、「とにかく解の公式を丸暗記して、テストが始まったら用紙のスミに書いて、全部それに代入して!」なんて乱暴な指導であっても、その通りに闇雲に解いて、1点でも得点出来ればそれに越したことはないし、自信ややる気に繋がるというものではないか。

「考える力」を目指す教育が正しいことに間違いはないけれど、考えても分からなければ、「数学なんて死ねばいいのに」と思う生徒がいても無理はない。喜びがなければ興味は持てないからね。

 しかし、こんな私の懸念は杞憂だったらしく、教科書から消えても解の公式は学校では先生方によって教えられていたようだ。そして今回、中央教育審議会とか何とかは遂に!解の公式を中学の教科書に戻すことに決めたそうだ。あ〜良かった。そりゃそうだよね。高校生になって覚えることじゃないよね。高校生になったらb'の公式だよね。

posted by juppo at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする