2007年07月25日

こどもだから、読めませーん

 時々、『ピタゴラスイッチ』を見る。
『ピタゴラスイッチ』ではいつも、ピタとゴラがあることについて「○○って何?」と、無知を露呈するところから物語が始まる。
「それはワシの○○○ページに書いてあるのであ〜る。」
「じーっ・・・。」
「こどもだから、読めませーん。」
「しかたがないのう。では、テレビのジョンを呼ぼう。テレビのジョーン。」
「はいはーい。お呼びですかぁ。」


 ・・・ピタとゴラは一体いつになったら字が読めるようになるんだろう?百科おじさんも、いい加減「こいつら、こどもだから読めないんだった。」ということを察して、とっととテレビのジョンを呼んだら良いではないか。
 だいたい、「こどもだから、読めませーん。」てのは子供蔑視ではないのか?それとも、子供には決して読めない、難解な言語で書かれているのだろうか。アラビア語とか。

 そんなことをつらつら考えていたのだが、先日見た放送ではなんと!「じーっ・・・。」「こどもだから、読めませーん。」のくだりをすっ飛ばして、いきなりテレビのジョンが呼ばれたのである!おぉっ、こんなこともあるんだ!

 その日の番組は、ピタとゴラが歌っている場面から始まり、スーも歌が好きでスー!ということで、テレビのジョンにたくさん歌を見せてもらうことになったのだ。そして『もりのおく』とか『フレーミーのうた』とか『ピタゴラ装置41番のうた』など、番組でお馴染みの歌をたくさん見せてくれた。初めて聞く曲もあって、尚更新鮮だった。


 ところで、私はずっとピタとゴラのどちらかはメスだと思っていたのだけれど、別のある日に見た回で二人とも「ぼく」と言っているのを聞き、「どっちもオスだったのか!」ということを知った。

 それを知ってみると、この番組ってほとんど男しか出ていない、ということにも思い当たったのである。喋ってる人も歌ってる人も、「いつもここから」も!
 「おとうさんスイッチ」だって「おじいちゃんも可!」だけど、おかあさんやおばあちゃんは不可!なんだろうし、女の子がスイッチを操縦しているところも見たことがない。
sue.gifどうしてそこまで男社会?と、謎は深まるばかりなのだが、そんな偏った作り方も、ピタとゴラのいつもの反応のように純粋に「面白い!」と思えるのだ。
 見たことない方は是非一度。



スーはメスですか?
 
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2007年05月27日

Mr.山田の不在

 ちょっと前に、中学2年のYちゃんと英語を勉強していたときのこと。

 Yちゃんの学校では英語の教科書に『COLUMBUS 21』を使っている。その日私たちはUNIT 2を読んでいた。主人公ヒロの妹サナエがサッカーの試合で大活躍したことを、母親に伝えるというシーンだった。2ページ目に、こんな会話が出てきた。

Mother:Why don't you tell Dad about today's game?
(母:今日の試合のことを、パパにも知らせてあげたらどうかしら?)
Sanae:Sure.I'll e-mail him with a couple of pictures.
(サナエ:だよね。写真つけてメールしてみる。)
 註:訳は私がつけました。

 ここで、ふとある疑問が。

私「えっ、お父さん一緒に住んでないの?べ、別居中?」
Yちゃん「そういえばこの教科書でお父さんて見たことない。」
私「どうしよう。『パパにも知らせてあげたらどう?新しい奥さんの家にいるから』なんて展開だったら。」(どうしようってこともないけど。)

 私たちはこの問題を捨ておけず、教科書の他のページを探した。去年使っていた1年生の教科書も引っぱりだしてきた。

 教科書の登場人物が定まっている場合、本の最初の方に登場人物紹介のページがある。COLUMBUS 21の場合はヒロのモノローグの形で、あらすじも書いてあった。
 
 はたして、ヒロとサナエのお父さんことMr.山田は、「仕事でアメリカにいる」ということが分かったのである。

 「なんだ〜。そうだったのか〜。」ふたりとも胸をなでおろした。続くUNIT 3ではアメリカにいるお父さんを訪ねていくことも分かった。結局お父さんはそこにしか登場しないのだが(3年間で)。


 COLUMBUS 21は光村図書出版が発行している教科書である。光村図書といえば、国語の教科書を発行する会社として認識度が高いのではないかと思う。私も小学校や中学校で光村の国語教科書を読んでいた。

 その光村図書出版が新たに英語の教科書を作るぞ、という話は前々から聞いていた。重松清氏がストーリーの原案を作った、という話も私は知っていた。そんなことは知っているだけでは何の役にも立たないのだが、こうして実際教科書を手にし(ちなみに私は地元の本屋さんで、学校で使われている教科書を購入する。必要に応じて。)、それを使っている現役中学生の声を聞いて、この教科書の新しさがよくよく分かって来たのである。

 教科書に決まった登場人物がいるのは特に珍しいことではない。今の英語教科書は会話文中心なので、彼らにその会話をさせるのだ。

 そこに加えてCOLUMBUS 21では、登場人物が3年間を通して一つのドラマを演じているのである。

 主人公ヒロは中学生の男の子で、彼の家に、お父さんがアメリカでお世話になっている人の孫、Jenniferがホームステイしに来る。ヒロはサッカーが好きだけどなかなかレギュラーになれずに悩んでいるのだが(妹の方がサッカーはうまいらしい)、雪合戦でいじめられていたJenniferをかばってあげるという男らしさを突然発揮したりする。

 Yちゃん始め、現役中学生たちの興味の対象は「ヒロとJenniferは最後どうなっちゃうの?」ということのようだ。
 その後、好奇心に捕われた私が3年生の教科書を買ってきて見せてあげたので、Yちゃんだけは一足先に充実した読後感を味わっている。
 一方私は、2年の最後のUNIT 9のタイトルが『Goodbye, Leo!
』(Leoはヒロが飼っている犬)だったので、「えーっ、Leoはどうなっちゃうのよぅ?」ということが一番気になっていたのだが、こちらは寂しい結果となってしまった。


 3年間通してこの教科書を読める子が羨ましいな、と思う。中には3冊全部は読まないで中学を終えてしまう子もいると思うが、たまたまそうなっただけにしては、もったいなさすぎる。

 英語を勉強しながら、本や映画のようなストーリーにも触れられる。カラフルだし最新の国際情勢も紹介している。会話が多いことも私の時代から見るととても親しみやすい。私が中学生の時にこの教科書で勉強していたら、もう少し英語好きな中学生だったことだろうか?
2007-0527-2147.jpgCOLUMBUS 21:http://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyoka/eigo/eigo%5Fc/
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2007年05月01日

出来ました!

 昨日、ぐだぐだ状況をお伝えしていたイラストの仕事が完了した。

2007-0501-2332.jpg

昨日は真っ白だった紙がこんな状態に。

 あ〜、出来てよかった。イラストレーターをやっていて、この瞬間が一番嬉しい。原稿料をいただくのも嬉しいが、気分としてはそれより、印刷されたものが手許に届く時より嬉しい。印刷されたものを見るのはむしろ恥ずかしい(時間がたっているせいか、自分の絵の拙さを見て毎回凹むんですよ)。

 
 絵を描く手順はだいたい皆様ご存じかと思うが、まず鉛筆で下書きをしてその線をペンでなぞる。消しゴムをかけて下書きを全て消してから墨を塗ったり、はみだしたところを修正液で消したり、必要に応じてスクリーントーンなどを貼って出来上がり。

 考えてみると、鉛筆で描く絵は最終的に全部消されるために描いていることになる。

 紙一面に鉛筆で絵や文字を描き、描き上がったら消しゴムで全部消して白紙に戻すことを想像すると、「なんて虚しいんだ。鉛筆。」と思わないでもない。
 タダのカスにしかならない消しゴムも不憫だ。

 しかし、両者の存在なくしてこの作業は全うされない訳で。
  
 そういう人に私もなりたい。

 ・・・とは思わないけどね。

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2007年04月30日

白紙

 イラストの仕事をいただいた。とある、季刊の冊子に掲載される1ページの漫画。描くべき内容を送ってもらい、それからシナリオを作って漫画にする。

 締め切りは連休明けだそうだ。・・・と、いうことは私の連休は仕事をする日々なのね。いえ、いいんです。自営で自由な仕事柄、普段人様が働いている平日の昼間に寝ていたり、映画見に行ったり出来るんですから。

 そういう訳で、早速その仕事に取りかかっているのだが、いつもそうなのだが、私はその、取りかかるところまでに本当〜に時間がかかる。

 「絵を描く仕事というのは、自分が始めなければ何も始まらないんだなぁ」と、いつも思う。

 いつもそう思いながら、最後には仕上がっているんだけど、真っ白な紙を前にすると「本当に出来るんだろうか?」としか思えない。いつも。

 さっさとやればいいだけの話なのだが、勉強するのと同じで、やろうと思うと雑誌に手が伸びたり携帯に手が伸びたり。


 どうして携帯電話にゲーム機能なんてついてるのかなぁ。

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このタダの紙が作品になる瞬間は訪れるのか?
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2007年04月28日

『僕の大事なコレクション』

 先日、TSUTAYAでDVDをレンタルして見た映画。

 イライジャ・ウッド演じるユダヤ系アメリカ人の青年ジョナサンが、祖父の故郷ウクライナを旅して家族の歴史を紐解く物語。原題は『Everything is illuminated(全ては解明された)』で、こっちのタイトルを見れば「なるほど、解明されるのだな」ということを予め予想しながら見ることができる。

 邦題にある「コレクション」とは何かというと、ジョナサンが病的なコレクターで、特に家族に関するものを何でもジプロックに入れて持ち帰り、部屋の壁に展示しているところから来ている。こちらのタイトルとその意味だけ知って見ると、「おたくの映画かな」なんて思うかも知れない。

 私が言いたいのは、どちらの先入観で見ても、また先入観などなく見ても、「いい映画ですよ」ということだ。

 物語の前半は、ウクライナにやってきたジョナサンと、彼を案内するウクライナ人青年のアレックス、その祖父で自分は目が悪いと主張しながら運転手をするアレックス(家族3代同じ名前なんですって)、そのジジィの盲導犬、といいつつ別に全然盲導犬じゃないちょっと頭のおかしい犬の、目的の村までの珍道中。
 
 青年アレックスはアメリカびいきで英語も出来るけれど、アメリカに対する理解がかなり偏っていたり、ジョナサンがベジタリアンなので肉は食べられないと言うと、行く先々で「体でも悪いのか?」と聞かれたり。(ウクライナにはベジタリアンはいないんだろうか?)

 彼らの掛け合いトークを楽しんでいるうちに、実はただのドタバタロードムービーじゃないことが分かる、シリアスな後半にいつの間にか連れていかれる。

 ジョナサンの祖父が後にした村の秘密。偏屈な頑固ジジィだと思っていたアレックス老人の過去が、実はそこに意外な形で絡んでいたりする。

 最後には、イライジャ・ウッドのもう一つの『指輪物語』だったのか、ということも含めて、「全ては解明される」映画。「全て」は言い過ぎかなー?と、私はちょっと思ったけど。 

 イライジャ君の緑の目がビン底メガネで増幅されて、変人ぶりが満喫出来るところもツボ。ものすごく純粋そうに見える無垢な瞳なのに「やっぱり変だよあんた」って言いたくなる演技に注目です。
2007-0426-1829.jpg
←これは『ロード・オブ・ザ・・・』
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2007年04月11日

How are you?

 どんな言語でもそうだけれど、英会話の基本は挨拶で、Hello. How are you? I'm fine,thank you. And you? なんて会話は基本中の基本。中学校の英語の授業も、必ずと言っていいほどこの会話で始まる。ところが大人になって、個人的に英会話を勉強するなり、英語を話す外国人と話す機会ができると、このHow are you?に少なからず戸惑いを覚える事がある。

 戸惑いと言ったら大げさかも知れないけれど、How are you?の返事に悩んでしまうのだ。こんなふうに。
「いつもいつも fine では芸がないし、Not so bad とか good とか混ぜた方がいいかなぁ?ちょっと今日は頭が痛いんだけど、I have a headache って言ったら心配させるかなぁ?」

How are you? は挨拶の一部で、何もそんなに大げさに捉える必要はない事はだんだん分かってくるのだけど、私たちはどうしてそんなことに悩んでしまうのか?
 
 日本語にそういう挨拶がないからだ。

How are you? は訳すと「元気ですか?」とか「ごきげんいかが?」という意味で、もちろんそれに当たる日本語はこの通り存在する。
 でもそういう挨拶って、手紙やメールでなら書くけれども、しょっちゅう会う人に言うだろうか?少なくとも私は言わない。
 日本語を勉強する外国人が、会うたびに「元気ですか?」と言うので、「日本ではそんなに『元気ですか?』とは聞かないんですよ。」と説明することもある。

 日本人はそもそも、直接的な物言いを好まない。よく日本人ははっきりモノを言わないとか、NOと言えないとか、非難される事があるけれど、それは国際社会に出たらそれではいけない、ということであって、直接な言及を避ける日本語の特色は、決して悪い事ではないと私は思う。

 いちいち「元気?」と聞かなくても、会った相手の表情や仕草を見れば、その人が元気かそうでないか、ある程度のことは分かる。顔を見て「疲れてる?」とか「嬉しそうだね」と言ってあげる、察する態度がもともと日本人には備わっているのだ。
 それが日本の文化で、日本語はその文化の上に出来上がったものだから、それに慣れ親しんでいる私たちは外国語を学ぶのに苦労する事もあるし、反対に外国人に日本のことを理解してもらうのもとても難しい。


howareyou.jpg どちらがいいとか悪いとかいう事ではない。会うたびに How are you? と聞きあう事も素敵だし、相手の気持ちを言われる前に察しようとする態度も素晴らしい。
 
 そんなふうに、日本語と外国語の違いはその国の文化や風習の違いにも通じている、という事を理解すると、外国語学習に対する興味もちょっと違ってくるかも知れない、と私は思う。

posted by juppo at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

数学について

 算数・数学を勉強する生徒からされる質問でもっとも多いのは「こんなこと勉強して、何か社会に出て役に立つことあるの?」だと思う。
そう聞かれる度に、生徒には言わないけれども「正直、役に立つことはあまりないなぁ〜。」と思う(言っちゃうこともあるけど)。

 実生活で私は、編物のゲージを取るのに連立方程式を使ったり、携帯電話の料金プランのお得具合を調べるのに不等式を使って計算したりして、「知ってて良かった」感をちょっぴりだけ味わったことがあるが、そんなことは出来なくても何も困ることはない。編み方は本に書いてあるし、料金プランは携帯ショップのお姉さんに相談すれば良い。

ましてや、日常生活で√(ルート)の計算なんて絶対しないし、測量技師にでもならない限り、サイン・コサイン・タンジェントなんて高校を卒業したら一生お目にかからないだろう。

 では一体、何のために数学を勉強するのか?私はこう思っている。

 数学というのは、決められた規則に厳密に従いながら、自由な発想のもとに試行錯誤し、答えを見つけることを学ぶ学問なのだ、と。平たく言えば「ルールを守る」ことと「諦めない」ことを学ぶための学習だと思うのだ。こういうことなら、何か役に立ちそうでしょ。

 数学では、ささいなことでも決められたルールに従わなければ、絶対に正解は得られないが、ルールを守ってさえいれば、どんなやり方をしても構わない(注:ただし、あくまでも正しいやり方ですよ)。失敗したとしても、自分で過ちを見つけられれば何度でもやり直すことが出来るのだ。後は、途中で諦めないこと。これらを充分に学んで大人になることは、かなり重要だと思うでしょ?実はそういうことを学んでいるんですよ。皆さんは。

 だから、もし「数学ぜんぜん分かんない。向いてないみたい。」と思っている方でも、諦めないでください。
諦めずに問題に立ち向かい、疑問を持ち、解決しようと努力するだけでも、そこから何かを確実に学び取っているんですよ。


sansuu.jpg
posted by juppo at 21:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

シンクロ

「SMAPの新曲が聴ける」との情報を得て、そんな極めて狭量かつ歪んだ目的で「世界水泳」を見ていたら、ひとつ驚いたことがあった。
 シンクロにソロの種目があるということだ。
知らなかった。

 シンクロのソロって。
 意味が分からない。
 何にもシンクロナイズしてないじゃん。ひとりでやっても。

・・・なんてことを考えながら

2007-0319-2251.jpg今日していたシゴト。
posted by juppo at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

自己紹介

 今さらながら、自分のことを書きます。漫画を描く余裕がない時は、こんなふうにタダの文章を挿入していこうかと。
 イラストレーターと名乗っていますが、確かにイラストを描いて収入を得ているのですが、普段は塾の先生をやっています。自営業で小さな部屋を教室にして、ひとりで何から何までやっています。
 もともと教免は国語で取ったんですけど、長年やっているうちに塾では数学も英語も担当するようになってしまいました。定期テストの前になると生徒がいろいろ持ってくるので、物理だとか化学だとか家庭科だとかまで面倒見ることもあります。どれも大して専門知識など持ち合わせていないのですが、ゆとり教育のおかげか何とかなるもんです。

 もうずいぶん前に、古文を教えていて、生徒が「口語訳を読んでもどんな話か分からない。」と言うので、コピー用紙の裏に下書きもせず、落書き程度に漫画に描いて「こういう話だよ。」と渡したところ、「こういう話だったんだ。」という反応がありました。そんなことで分かるのならばと、それ以来新しい話ごとに描いて配っていたのが溜まったのを、今回一つずつ清書してお見せしているという訳です。

 
2007-0318-2315.jpg落書き時代の『芥川』

 ところで私の塾では、日本語教室もやっています。私が日本語教師もやっているからです。生徒は当然、外国人です。そんな話もまたできたらなー、と思います。
posted by juppo at 23:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする