2009年02月08日

小野の雪A

続きです。
〈本文〉
正月(むつき)にをがみたてまつらむとて、小野にまうでたるに、比叡(ひえい)の山のふもとなれば、雪いと高し。しひて御室(みむろ)にまうでてをがみたてまつるに、つれづれといともの悲しくておはしましければ、やや久しくさぶらひて、古(いにし)へのことなど思ひいで聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、公事(おおやけごと)どもありければ、えさぶらはで、夕暮れに帰るとて、

 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは

とてなむ泣く泣く来にける。

onoyuki2.jpg
〈juppo〉ここからは少し、悲しいお話です。

 惟喬の親王は文徳天皇の第一皇子だったという話は以前しました。第一皇子ですから、皇位継承の最前線にいるはずなんですが、母親の紀静子が藤原氏の出身ではなかったため、右大臣・藤原良房が圧力をかけ、娘の藤原明子の子である惟仁(これひと)親王をわずか数え一才で即位させてしまいます。

 失意の惟喬親王は二十九才で剃髪・出家したという顛末だったそうです。

 絵に描いたような転落の身を雪深い山に訪ねて行って目の当りにする、という悲し過ぎるお話だったんですね。

 一方、馬の頭こと在原業平(と、いわれている人)も、惟喬の親王といとこであったのですから境遇は似たり寄ったりで、そうした親近感から親王を愛していたのだな、と言えるようです。



 さて、前回「私は特に風邪もひかず元気にやっていますが」などと書いた直後に、なんとインフルエンザにかかってしまいました!

 普段、風邪くらいでは病院どころか熱もろくに測らないのですが、今回はいくら寝ても改善しない症状にどんよりしている私に、父が強く「病院に行け」と勧めますので、20年ぶりくらいで歯医者以外の病院に行ってきました。

 病院は歩いて5分くらいのところにあります。自分で運転して行きました。普段行かないので、風邪で病院に行くのに何を着て行ったらいいんだろう、などしばし逡巡した後、寝ていたままの格好にコートを羽織って行きました。

 診断は「インフルエンザA型です。」とのことで、タミフルを処方されたので飲んでいます。突然九九を叫びながら家から飛び出す、というような副作用もなく、着々と快癒に向かっています。さすがタミフル。
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2009年02月04日

小野の雪@

伊勢物語、第八十三段です。
〈本文〉
 昔、水無瀬(みなせ)にかよひたまひし惟喬(これたか)の親王(みこ)、例の狩りしにおはします供に、馬の頭(かみ)なる翁つかうまつれり。日ごろ経て、宮に帰りたまうけり。御送りして、とく往(い)なむと思ふに、大御酒賜ひ、祿(ろく)賜はむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、

 枕とて草引き結ぶこともせじ秋の夜とだにたのまれなくに

とよみける。時は三月(やよい)のつごもりなりけり。親王、大殿籠(おおとのごも)らで明かしたまうてけり。

onoyuki1.jpg
〈juppo〉今年は東京に雪が降らないので、いや、積もるほど降らないので、雪の季節になったらこれを描こう、と思っていたのにほとんど忘れていました。


 『小野の雪』なのに小野も雪も出て来ないではないか、とクレームがつきそうですね。後編をお待ちくださいね。とりあえず、小野さんちのゆきちゃんという方は、ご自分の話だと思って差し支えはないでしょう。


 惟喬の親王と馬の頭といえば、そうです、『なぎさの院』で親交を温めあっていたあの二人です。今後、この二人に訪れる運命は?というのが後編です。それほどでもないかな。



 1月の後半は受験戦争に参戦していたため、他のことはそれを言い訳に何もかもサボりまくった訳ですが、既に私は前線から撤退したので、今月はせいぜいブログを更新しようかと思ってます。あ、それから確定申告に行こう。


 相変わらず、私は特に風邪もひかず元気にやっていますが、花粉症はじわじわ来ています。
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2008年12月14日

野焼き

伊勢物語、第十二段です。
〈本文〉
 昔、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へいて行くほどに、盗人(ぬすびと)なりければ、国の守(かみ)にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて逃げにけり。道来る人、「この野は盗人あなり。」とて、火つけむとす。女わびて、

 武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり

とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともにいて往にけり。

noyaki.jpg
〈juppo〉『上にさぶらふ御猫は』を描く前に、他の作品を描こうとしていた、その作品がこれです。
 
 久しぶりの『伊勢物語』ですが、いつ読んでも『伊勢物語』は男ありけり、いつ読んでも人の娘を盗んでいるな、という感じがしますね。

 火をつけられたらどうしよう、とパニくったあまり思わず詠んだ歌を結局聞きつけられて捕まってしまったというのは「やっちまったなぁ〜!」としか言い様がありませんが、焼き殺されるよりはかなりマシな結末と言えるでしょう。

 その歌で、「若草の」は「つま」にかかる枕詞です。
 「つま」は「愛する人」と言うほどの意味で、ここでは「夫」を指しています。


 数日ヒマな日を過ごして、編み物なんか始めていました。冬になると思い出す編み物。

 おかげさまで、ブログも順調にいつになく更新し続けることが出来ましたが、明日からまた忙しくなりそうなので、またいつものように「たまに更新」なブログに戻ります。

 皆さん、たまに覗いてください。
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2008年04月30日

なぎさの院B

この段、最終回です。
〈本文〉
帰りて宮に入らせたまひぬ。夜ふくるまで酒飲み物語して、あるじの親王、酔(え)ひて入りたまひなむとす。十一日の月も隠れなむとすれば、かの馬の頭のよめる、

 あかなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ

親王にかはりたてまつりて、紀有常

 おしなべて峰も平らになりななむ山の端なくは月も入らじを

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〈juppo〉惟喬親王の花見の話はこれにて終了、です。花見じゃなくて実は鷹狩りに行った話のようですが、ついに狩りの様子は出てきませんでしたね。

 とにかく、よく飲む人たちですよね。人類の歴史には常に酒があるとはいえ。外であれだけ飲んでおきながら、帰って来ても改めて酒宴です。そうそう、そういうことって、あるよね!・・と思い当たる節は誰にでもあると思いますが。あー、もちろん高校生の皆さんはないですよね?

 親王がまっ先に眠くなって寝てしまおうとするのを、ちょうど沈もうとする月にかけて馬の頭と紀有常が「まだ隠れないで〜(寝ないで〜)」という歌を詠んでいます。二人とも相当酔っているはずなのに、こんなにマトモな歌を詠めるのはなぜでしょう。歌は脳の特別な部分が担当していたのでしょうか。

 「山の端」は『枕草子』の「春はあけぼの」にも出て来ますね。山際(やまぎわ)が山に接する空の部分、山の端は空に接する山の稜線、なんて習うと思います。

 その山の端が逃げてくれれば、月は隠れられなくてまだまだ沈めないぞ、と詠んでいるのが微笑ましくもファンタジーですね。


 どうして酒飲みってこう、諦めが悪いのでしょう。
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2008年04月29日

なぎさの院A

続きです。
〈本文〉
御供(おとも)なる人、酒を持たせて野よりいで来たり。この酒を飲みてむとて、よき所を求め行くに、天(あま)の河といふ所に至りぬ。親王(みこ)に馬の頭(かみ)、大御酒(おおみき)まいる。親王ののたまひける、「交野(かたの)を狩りて、天の河のほとりに至るを題にて、歌よみて、杯はさせ。」とのたまうければ、かの馬の頭よみて奉りける。

 狩り暮らしたなばたつめに宿借らむ天の河原にわれは来にけり

親王、歌をかへすがへす誦(ず)じたまうて、返しえしたまはず。紀有常御供につかうまつれり。それが返し、

 一年(ひととせ)にひとたび来ます君待てば宿貸す人もあらじとぞ思ふ

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〈juppo〉すっかり桜も散ってしまいましたが、まだ八重桜が咲いています。そろそろ夏服を出してもいい陽気になりました。それなのに花粉症が残っています。

 惟喬親王ご一行は桜の木の下から、なんと天の河に移動しています。これは北河内郡のとある所の別名だそうで、実は川ではないのかな?と心許ながりつつ描きました。少なくとも、ミルキーウェイではないわけですが、七夕伝説は当時からポピュラーだったんですね。

 紀有常は、業平の妻の父で、惟喬親王の母親の兄弟でもあるんです。えーと、ということは、二人のどちらから見ても叔父さんということで、親王と業平は、従兄弟同士になるんですねぇ。正確には、業平の妻が親王のいとこです。

 この段は自然の中で飲みながら、ほのぼの歌を読むシーンが続きます。今回は、地名から織姫・彦星を連想して詠んだ二首が出てきました。そしてさりげなく、在原業平って人は歌の上手い人だったんだな〜、という内容になっているのでした。
posted by juppo at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

なぎさの院@

伊勢物語、八十二段です。
〈本文〉
 昔、惟喬(これたか)の親王(みこ)と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬(みなせ)といふ所に宮ありけり。年ごとの桜の花盛りには、その宮へなむおはしましける。その時、右の馬の頭(かみ)なりける人を、常にいておはしましけり。時世(ときよ)経て久しくなりにければ、その人の名忘れにけり。狩りはねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩りする交野(かたの)の渚(なぎさ)の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりいて、枝を折りてかざしにさして、上中下(かみなかしも)みな歌よみけり。馬の頭なりける人のよめる、

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

となむよみたりける。また人の歌、

 散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

とて、その木のもとは立ちて帰るに、日暮れになりぬ。

nagisa1.jpg
〈juppo〉東京の桜はもうほとんど散りつつありますが、せっかくのお花見シーズンですので、こんな話にしました。
 
 染井吉野は江戸時代以降に広まったそうで、この頃の桜は山桜などであったかと思われますが、絵は完全に染井吉野がモデルです。

 桜の木の下で、男どもが頭に枝をさして酒を飲んでいる図はアホそのものですが、現代でも桜の枝を折る蛮行が大っぴらに許されているならば、あちこちでこんな図は見かけることでしょうね。


 親王とは帝の息子のことで、惟喬の親王は文徳天皇の第一皇子です。そのまま帝位を継ぐはずでしたが、いろいろあって不遇の人生を送っています。その話はまた。

 『伊勢物語』といえば「男ありけり」で、その男は在原業平をモデルにしたと言われています。今回は、「馬の頭」として登場するのが業平で、馬の頭というのは宮中の馬の管理をする役職の長官のことだそうです。
 業平が馬の頭であったのはホントらしいので、ここではモデルになっているどころではないのですが、敢えて「その人の名忘れにけり」などとして、フィクション仕立てにしているようです。

 
 日本人は本当に桜が好きですよね。咲けばウキウキ、散れば寂しい、見ているだけでこんなに心が動かされてしまう桜は偉大です。
 それで、そんな桜がなかったならば、春の私たちの心は何にも乱されることなく、平穏であったことだろうな、という「世の中にたえて桜のなかりせば・・・」の歌が読まれています。桜がなければ、散ったからといって落胆することもないのだ、という訳です。

 私はこの歌が以前から好きでした。今回これを描くので、今さら業平の作であったことを知った次第です。遅まき過ぎです。


 この歌は、「桜」と「春」の部分を入れ替えると、様々な季節感ある歌が出来ます。

 「世の中に忘年会のなかりせば冬の心はのどけからまし」とか。


 皆さんも是非一首。
posted by juppo at 19:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

あづま下り�

お待たせしました。完結編です。
〈本文〉
 なほ行き行きて、武蔵国(むさしのくに)と下総国(しもふさのくに)との中に、いと大きなる川あり。それをすみだ川といふ。その川のほとりに群れいて思いやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわび合へるに、渡し守(もり)、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いお)を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」といふを聞きて、

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりえければ、舟こぞりて泣きにけり。

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〈juppo〉ついに一行は東京までやって来ました。武蔵の国が今の東京、下総の国は千葉県の上の方です。東京が終点なのかと思っていたら、隅田川を越えて更に北上(この人たちにとっては、下り)するんでしょうか。とりあえず、この段はこれで終わりです。
 都鳥というのは「ゆりかもめ」のことなんです。そうそう、お台場へ行くあの鉄道のことです。いえ、ここでは鳥の名前ですけどね。「白き鳥の」の「の」は毎度おなじみ「同格の『の』」ってヤツです。
 「都鳥」という名前なので、船頭は「都の人なら当然知ってるでしょ。」というノリで答えています。でも都にはいない鳥なんですね。でも「都」が名前についてるくらいだから、都の事を知っているのではないか?との思いを込めて詠んだのが「名にし負はば・・」の歌です。
 それにしても、よく泣きますよねーこの人たち。一度旅立ったら、そう簡単には戻れないし連絡も取れないのですから、感傷的になるのも無理はないのかも知れませんが。そうしてことあるごとに歌に詠む。繊細です。

posted by juppo at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

あづま下り�

続きです。
〈本文〉
 行き行きて、駿河国(するがのくに)に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた・かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者(すぎょうざ)会ひたり。「かかる道はいかでかいまする。」といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

 駿河なる宇津の山ベのうつつにも夢にも人に会はぬなりけり

富士の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに、雪いと白う降れり。

 時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿(か)の子まだらに雪の降るらむ

その山は、ここにたとへば、比叡(ひえい)の山を二十(はたち)ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻(しおじり)のやうになむありける。

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〈juppo〉 一行は静岡県、宇津谷峠のあたりまで来ました。「駿河なる・・」の歌は、その宇津と現(うつつ)をかけて詠んだものです。誰かが夢に出てくるのは、その人が自分の事を想っているからだ、と信じられていたのだそうです。幸せな考え方です。
 塩尻というのは、塩田で作った砂山のことで、そこに海水をかけて水分を蒸発させて塩を採取したんだそうです。
 ところで、比叡山は848メートルで富士山は3776メートルですから、20も重ね上げる必要はないんですが、日本一の山を初めて見て、その景観に圧倒された気持ちを詠んだのでしょうね。
 「富士山てね、ゴミが多すぎるって理由で世界遺産に登録してもらえないんだよ。」なんて現状を教えてあげたら「意味が分からない」と言われそうですね。いや、「世界遺産って何?」ということではなく。
 次回はいよいよ、東京に到着します(『世界の車窓から』みたい)。お楽しみに。
posted by juppo at 19:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月07日

あづま下り�

伊勢物語、第九段です。
〈本文〉
 昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方(かた)に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国、八橋(やつはし)といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く川の蜘蛛手(くもで)なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木の蔭(かげ)におりいて、乾飯(かれいい)食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字(いつもじ)を句の上(かみ)にすえて、旅の心を詠め。」といひければ、詠める。

 から衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。

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〈juppo〉エロい話しかないのか?と思われた『伊勢物語』には、こんなボーイ・ミーツ・ワールドな話もあったのですね。懐かしいですね。『ボーイ・ミーツ・ワールド』。コーリー&トパンガ。まぁそれはいいとして。
 今は東京方面に来ることを「上京」と言いますが、当時は京が都で関東地方は田舎だった訳なので、「東下り」という言い方になるのですね。
 都にいても活躍出来ないと落ち込んだ男が、田舎で一旗上げてやるか、と旅立ったのです。

 堂々と「あいうえお作文」なんて訳してしまいましたが、ここでやっているのは五七五七七の句の一番上の文字を、与えられた文字にしなければならない「折句(おりく)」という和歌の修辞法の一つです。要するに「あいうえお作文」みたいなものです。
 「から衣」は「唐衣」で、中国の衣服のような形の着物です。そういえば、この人たちの着ている詰め襟みたいな着物って、チャイナ服みたいですよね。
 乾飯は、一度炊いたご飯を乾かしたもので、お弁当にしたのだそうです。水でふやかして食べたんですって。フリーズドライですね。フリーズはしてないけど。
 八橋というと京都のお土産のお菓子を連想しますが、ここでは地名です。三河の国は今の愛知県のあたりなので、東の方まではまだ長い道のりです。続きます。
posted by juppo at 00:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

あねはの松

伊勢物語、第十四段です。
〈本文〉
 むかし、男、陸奥(みち)の国にすずろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人は珍らかにや覚けむ、せちに思へる心なむありける。さて、かの女、

 なかなかに恋に死なずは桑子(くはこ)にぞなるべかりける玉の緒(を)ばかり

 歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜ふかくいでにければ、女、

 夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる

といへるに、男、京へなむまかるとて、

 栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざといはましを

といへりければ、よろこぼひて、おもひけらしとぞいひをりける。

aneha.jpg

〈juppo〉夏休みスペシャル第二段は色恋沙汰満開の伊勢物語です。昨日は「うつくしきことかぎりなし」な、かぐや姫を描いていたのに、今日の話はヒドいです。描きながら「こんなの載せていいのか?」と不安になってきたほどです。

 行きずりの恋であるのもヒドイのですが、あまりにも田舎の女をバカにしてるテイストですよね。私もそういうテイストで描いちゃった訳ですけど。今だったら在原業平(と、されている人)の謝罪・失職必至です。
 そういう点を大目に見れば(見られれば)、解釈上はとても面白い話なんです。まず「あねはの松」というのは宮城県栗原郡(現在は栗原市)の歌枕です。歌枕というのは、ある特定の地名を連想させる和歌の技法です。陸奥の国は今の東北地方です。
桑子は蚕のことなんですけど、蚕って夫婦仲が良い象徴なんですね。「玉の緒」は玉を繋ぐ紐を表していて、「短い」→「命が短い」という意味で使われています。

 そして、「きつにはめなでくたかけの」の「きつ」には「水桶」と「狐」、「はめ」には「落とす」と「食べさせる」、それぞれニ通りの解釈があり、漫画に描いたように「水桶に放り込む」という訳の他に「狐に食わせてやる」という訳もあるんですって。「くたかけ」はニワトリを罵っていう言葉で、いずれにせよ「バカなニワトリを殺してやる」ってことなんですけどね。

 田舎の女だから教養がない、教養がないから思い込みが激しい、っていう設定なんですかね。ヤルだけヤッといてさっさと帰るだけでなく景勝地の松を見て「あの松が女だったら」なんて妄想してる男もどうかと思いますけどね。まったく、男ってヤツは・・!というお話でした。
posted by juppo at 21:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

梓弓(あづさゆみ)

〈本文〉
 むかし、をとこ、片田舎にすみけり。をとこ、宮づかへしにとて、別れ惜しみて行きけるままに、三年(みとせ)こざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に、今宵(こよひ)あはむとちぎりたりけるに、このをとこきたりけり。「この戸あけたまへ」とたたきけれど、あけで、歌をなむよみて出(いだ)したりける。
 
 あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそにひまくらすれ

といひいだしたりければ、

 梓弓ま弓槻弓年をへてわがせしがごとうるはしみせよ

といひて、去(い)なむとしければ、女、

 梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを

といひけれど、をとこかへりにけり。女、いとかなしくて、しりにたちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり。そこなりける岩に、およびの血して書きつけける。

 あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる

と書きて、そこにいたづらになりにけり。

adusayumi.jpg
〈juppo〉えー、要するにミニョンにもう会えないと思ったユジンがサンヒョクと結婚しようと思っていたら・・・『冬ソナ』はロクに見たことないんで良くわからないんですけど、まぁそんな話です。3年も妻をほったらかした男も男ですが、結婚の約束をしていながら、元の夫を追いかけて行ってしまう妻も妻かな、と。今夜は初夜だぜ!と思っていたはずの新しい男の立場がありません。当時は「夫が行方不明になって3年経ったら、子どものない女は再婚していーよ」という法律があったらしいです。大ざっぱでいいですね。
 「梓弓」は「ひく」とか「はる」とか「よる」とか「かえる」にかかる枕詞です。弓の形が引いたり寄ったりする様子に男女の中をかけているのですね。
 ところでそろそろ期末テストですよねー。最近は2期制の学校も多く、前期の期末テストは夏休み後にやったりするところもあるようですが、私だったら期末テストを終えてせいせいした気分で夏休みを迎えたいものだな、と思いますがどうですか。どうせ夏休みの宿題は出るわけですけど。ゆとり教育になっても、一向に夏休みの宿題というのはなくならないんですねー。皆さん、頑張って下さい�
posted by juppo at 23:28| Comment(9) | TrackBack(2) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

筒井筒A

後編ですっ。
〈本文〉
 風吹けば沖つ白波たつた山夜半(よは)にや君がひとりこゆらむ

とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。
 まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、今はうちとけて、手づからいひがひとりて、笥子(けこ)のうつは物に盛りけるを見て、心うがりていかずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、

 君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも

といいて見いだすに、からうじて、大和人来むといへり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、

 君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの戀ひつつぞふる

といひけれど、をとこ住まずなりにけり。

tsutsuidutsu2.jpg

〈juppo〉ここで共通の疑問は、「女が自分でしゃもじでご飯をよそった事に何故男はがっかりしたのか?」ということですよね。この時代、ちゃんとした家柄の女はご飯をよそうなんてことは下女にやらせていたので、それを自分でしちゃうのはたしなみがない、ってことだったんだそうです。「そんなことは言い訳で、単に愛が冷めたんだろう」という読み方もあるようですけど。そういう見方をすれば、何度も何度も「いかずなりにけり」「住まずなりにけり」と繰り返しているのも、「行かなくなった、行かなくなった、要するに行かなくなったんだからもういいじゃないスか。めでたしめでたしってことで。」なんて言い訳に聞こえてくる感じもします。しつこいんだもん。
男女の間に行き交う歌はとても愛がこもっていて、素敵なんですけどね。
posted by juppo at 23:45| Comment(7) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

筒井筒@

伊勢物語、第二十三段です。前編をお届けします。
〈本文〉
 むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、大人になりにければ、をとこも女も恥ぢかはしてありけれど、をとこはこの女をこそ得めと思ふ。女はこのをとこをと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、この隣のをとこのもとよりかくなむ。

 筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに

 女、返し、

 くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき

など言い言いて、つひに本意(ほい)のごとくあひにけり。
 さて、年ごろ經るほどに、女、親なくたよりなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の國、高安の郡(こほり)に、いきかよふ所出できにけり。さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、出しやりければ、をとこ、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽(せんざい)の中にかくれいて、河内へいぬる顔にてみれば、この女、いとよう假粧(けさう)じて、うちながめて、
tsutsuidutsu1.jpg

〈juppo〉これはもう、定番ですよね。何しろ私も高校時代に授業で習った覚えがあります。あるのですが、教科書に載っていたことは覚えているけれど内容を理解したとか、どう感じたとか、なんてことを全く覚えてないのは何故だろう。授業をまるで聞いてなかったからですね。
 振分髪は成人前の女の子の髪型。ただ垂らしただけのおかっぱ頭みたいなスタイルだそうです。成人といっても12、3才くらいらしいです。
 千年も前からホントに男ってヤツは・・・なストーリーです。自分が浮気しているものだから相手も・・と思う身勝手さは短絡的過ぎて微笑ましくもあるのですが。続きをお待ち下さい。
posted by juppo at 21:28| Comment(12) | TrackBack(1) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

芥川A

お待たせしました。つづきです。
〈本文〉
やうやう夜も明けゆくに、見れば率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

 白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを
 
これは、ニ條の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてい給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄人(せうと)堀河の大臣(おとど)、太郎國經の大納言、まだ下らふにて内へまいり給ふに、いみじう泣く人あるをききつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

akutagawa2.jpg
〈juppo〉3コマ目から最後までの、ニ條の后の話は、後から付け足されたものなんだそうです。教科書にはこの部分は載っていなかったりします。私も蛇足だなーと思うのですが、一応『伊勢物語・第六段』としてはここまでなので、漫画にしました。「白玉か・・」の歌は、訳で読むより「消えなましものを」という文語の方が口惜しさが伝わってきて悲しいですよね。
posted by juppo at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

芥川@

伊勢物語、第六段です。そんなに長い話でもないんですけど、2回に分けて描きます。
〈本文〉
 むかし、をとこありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上におきたりける露を、「かれは何ぞ」となむをとこに問ひける。ゆくさき多く夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、弓やなぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつついたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎにえ聞かざりけり。

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〈juppo〉雷は神様の怒声だ、と考えられていたんですね。で、「神鳴るさわぎ」という表現になる訳です。
結構基本な作品なのですが、「女のえ得まじかりけるを」なんていう呪文みたいな文に躓いてしまう方もいるかもしれません。この「女の」の「の」は「リンゴの皮」とか「私の家」とかの「の」ではなく、「クジラの大きいヤツ」とか「ドイツ車の新型」などの「の」と同じ用法です。文法用語では『同格の「の」』とか申します。口語でなら「で」になると思えば良いでしょう。「女でさ〜、ちょっと落とせそうになかったのを〜、ずーっと口説き続けてたのをさ〜」とか言ってると思って下さい。
ついでに言うと「え得まじかりける」の「え」は「まじかり」とセットで「〜出来そうもない」という意味です。
さて、ホラーな恋物語の結末は!?つづく!
posted by juppo at 22:01| Comment(7) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

通ひ路の関守

伊勢物語、第五段です。
〈本文〉
 むかし、をとこありけり。東の五條わたりにいと忍びていきけり。密(みそか)なる所なれば、門(かど)よりもえ入らで、童(わらは)べの踏みあけたる築地(ついひぢ)のくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじききつけて、その通ひ路に、夜毎に人をすえてまもらせければ、いけどもえ逢はで帰りけり。さてよめる。

  人知れぬわが通ひ路の関守は、よひよひごとにうちも寝ななむ

とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆるしてけり。
 二條の后に忍びてまいりけるを、世の聞えありければ、兄人(せうと)たちのまもらせ給ひけるとぞ。

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〈juppo〉男の詠んだ歌といい、穴から通っていたところといい、求愛の仕方があまりにも一途で微笑ましいですよね。
posted by juppo at 23:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

初冠(うひかうぶり)

伊勢物語、第一段です。
〈本文〉
 昔、男、初冠して、平城(なら)の京、春日の里にしるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。思ほえずふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地惑ひにけり。男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。

  春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず

となむ、おいつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

  みちのくのしのぶもぢずりたれゆえに乱れそめにし我ならなくに

という歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。




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posted by juppo at 23:21| Comment(19) | TrackBack(0) | 伊勢物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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