〈本文〉
正月(むつき)にをがみたてまつらむとて、小野にまうでたるに、比叡(ひえい)の山のふもとなれば、雪いと高し。しひて御室(みむろ)にまうでてをがみたてまつるに、つれづれといともの悲しくておはしましければ、やや久しくさぶらひて、古(いにし)へのことなど思ひいで聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、公事(おおやけごと)どもありければ、えさぶらはで、夕暮れに帰るとて、
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは
とてなむ泣く泣く来にける。

〈juppo〉ここからは少し、悲しいお話です。
惟喬の親王は文徳天皇の第一皇子だったという話は以前しました。第一皇子ですから、皇位継承の最前線にいるはずなんですが、母親の紀静子が藤原氏の出身ではなかったため、右大臣・藤原良房が圧力をかけ、娘の藤原明子の子である惟仁(これひと)親王をわずか数え一才で即位させてしまいます。
失意の惟喬親王は二十九才で剃髪・出家したという顛末だったそうです。
絵に描いたような転落の身を雪深い山に訪ねて行って目の当りにする、という悲し過ぎるお話だったんですね。
一方、馬の頭こと在原業平(と、いわれている人)も、惟喬の親王といとこであったのですから境遇は似たり寄ったりで、そうした親近感から親王を愛していたのだな、と言えるようです。
さて、前回「私は特に風邪もひかず元気にやっていますが」などと書いた直後に、なんとインフルエンザにかかってしまいました!
普段、風邪くらいでは病院どころか熱もろくに測らないのですが、今回はいくら寝ても改善しない症状にどんよりしている私に、父が強く「病院に行け」と勧めますので、20年ぶりくらいで歯医者以外の病院に行ってきました。
病院は歩いて5分くらいのところにあります。自分で運転して行きました。普段行かないので、風邪で病院に行くのに何を着て行ったらいいんだろう、などしばし逡巡した後、寝ていたままの格好にコートを羽織って行きました。
診断は「インフルエンザA型です。」とのことで、タミフルを処方されたので飲んでいます。突然九九を叫びながら家から飛び出す、というような副作用もなく、着々と快癒に向かっています。さすがタミフル。