2024年05月08日

春はあけぼのA

続きです。言い忘れてましたが、カラーです。
〈本文〉
まいて雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も白き灰がちになりてわろし。
akebono2.jpeg
〈juppo〉後半は秋から冬です。それぞれ些細なことなんですけど、確かにそういう風景などは季節を象徴していて良いよね、というリストになってますね。

 「つとめて」は早朝のことで、冬は早朝がとにかく良い、というのは何となくわかる気がします。冬の早朝の、寒さで張り詰めたような空気って、その時期にしか感じられない肌感覚で独特で、清々しいものがありますよね。その寒さでなかなか布団から出られない気持ちになると、いやいやそんな良いものではないよ、と否定したい気持ちになるのももっともですけどね。
 この季節のここが好き!というのは人それぞれ、地域それぞれだと思います。皆さんはどうですか?と話し合ってみるところまでが、『枕草子』の読み方ですよね。SNSに投稿したら「私ならこれ」と様々なコメントが寄せられるんだろうなと思います。

 寄り道でお届けした「春はあけぼの」でした。この後はまた源氏物語ダイジェストに戻ります。
しばしお待ちください。
posted by juppo at 04:51| Comment(7) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月06日

春はあけぼの@

寄り道です。『枕草子』ですが、今ごろこれ?です。
〈本文〉
 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。
akebono1.jpeg
〈juppo〉このブログを始めた頃だったか始める前だったか、この「春はあけぼの」の下描きを途中まで描いて、めんどくさくなって仕上げるのをやめてしまったのは覚えています。その後、数々の『枕草子』作品を漫画化しているうちに、当然これもブログにupしている気に、勝手になっていました。していませんでした。

 この春私は、ひょんなことから光村図書の小学校国語教科書五年「銀河」を入手しました。その、小学校の教科書に、「春はあけぼの」が載ってるではありませんか。もちろん口語訳付きなんですけど、他にも『方丈記』や『徒然草』も載ってるのです。なるほど、小学生から古文に親しんでもらおう、ということなのですね。
 それでふと、「春はあけぼの」といえばブログに載せたよなぁ、と思って探したら、なかったんです。描いてないんですから。

 そんなわけで急遽、源氏物語ダイジェストを中座して、これを描いたというわけです。描いてなかったからです。
 有名な『枕草子』の冒頭ですから、いちいち漫画にしなくても皆さん内容はお分かりでしょう、という気持ちもどこかにありました。内容とは要するに、四季それぞれの、ココが良い!という時間帯や情景を並べているのです。ここでは「山ぎは」と「山の端」の違いに注意!というくらいで、さほど難しい点はありません。
 秋冬に比べて春夏は短くて、もう秋の途中まで来て「続く」ですが、後半も同じ6コマです。

 続きは近日中に。「末摘花」はそれからまとめます。

posted by juppo at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月04日

大蔵卿ばかり

そうです、枕草子です。
〈本文〉
 大蔵卿ばかり耳とき人はなし。まことに、蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべうこそありしか。
 職(しき)の御曹司(みぞうし)の西面(おもて)に住みしころ、大殿(おおとの)の新中将宿直(とのい)にて、ものなど言ひしに、そばにある人の、「この中将に、扇の絵のこと言へ。」とささめけば、「いま、かの君の立ちたまひなむにを。」と、いとみそかに言ひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「なにとか、なにとか。」と耳をかたぶけ来るに、遠くゐて、「にくし。さのたまはば、けふは立たじ。」とのたまひしこそ、いかで聞きつけたまふらむとあさましかりしか。
okurakyo.jpeg
〈juppo〉今回はリクエストじゃありません。知人が「枕草子」にこんな話がある、と教えてくれたのを、いただきました。
 短くてオチのある話ですね。このまま現代のコマ漫画として雑誌に載っててもおかしくないような。

 大蔵卿の本名は藤原正光です。藤原兼通の六男だそうです。偉い人らしいですが、「枕草子」にはよくこういう偉い人を影で笑うようなエピソードが出てきますよね。平安時代の宮中では、ネタになる人材に事欠かなかったんですね。
 「耳とき人」の「とき」は「とし」で「早い」という意味ですが、耳が早いと言ってしまうと情報収集力に長けている人みたいになってしまいます。というより純粋に聴力に優れている人のようです。
 何しろ蚊のまつげが落ちる音が聞こえる・・・というのは大げさな比喩のようですけど、そばにいても聞こえないささやき声が聞こえるというのは相当です。
 その、聞こえてしまった話の内容は何かというと、そばにいる人が清少納言さんにささやいた「扇の絵のこと」の話を、大蔵卿が帰っていなくなってから、中将に話すことにしたい、ということです。
 その「扇の絵のこと」が一体何のことなのか、ここでは不明なんです。清少納言さんて人は何かと話題が豊富ですから、数ある持ちネタのひとつなんでしょう。
 それを大蔵卿がいなくなってから話したいのは何故なのか、も、ここでは不明です。不明ですけど、こいういうシチュエーションてありますよね。「その話は〇〇さんがいない時に!」てこと。
 〇〇さんにそれを聞かれてしまうと最悪ですから、皆さんもお気をつけください。
posted by juppo at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月01日

あてなるもの

久しぶりにオールカラーです。短いです。「枕草子」四十段です。リクエストにお応えしています。
〈本文〉
 あてなるもの 薄色(うすいろ)に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削(けづ)り氷(ひ)に甘葛(あまづら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。水晶(すいさう)の数珠(ずず)。藤(ふぢ)の花。梅花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごのいちごなど食ひたる。
atenaru.jpeg
〈juppo〉形容動詞「あてなり」には「高貴な」とか「身分が高い」という意味があります。「竹取物語」で、かぐや姫目指して「あてなるも賤しきも」男たちが押しかけてきた場面などもありました。
 「上品な」という意味もあり、ここでは身分がどうとかいうよりそこに品があって素敵♡なものを集めたようです。

 1コマ目、「薄色」とだけ言って何色かはっきり言ってなく、辞書にはいくつか色の候補が出てるんですけど、「薄紫」という訳があったのでそうしました。薄紫の「袙」というのは、表に着るものと肌着の間に着る着物のことだそうです。「汗衫」は「汗」という字が入っている通り、夏の衣類のようです。童女が着るものだとか。本当はもっと裾が長いです。多分。
 ところで「かざみ」とタイプしても「風見」としか変換されないので、一字ずつ変換しました。「衫」は「さん」で変換されます。豆知識。
 「かりのこ」はガンや鴨やアヒルの卵で、確かに鴨の卵って綺麗な色なんですね。

 そして3コマ目、平安時代にもかき氷があった、というのが今回のハイライトです。リクエストは書籍出版元の時岡氏から来ましたが、このエピソードがイチ押しだったようです。甘葛は今でいうどの植物のことか、はっきりしてないみたいです。あまちゃづるのことかも、な説もあるようです。この甘葛かき氷を再現しようと試みるプロジェクトが各地で展開されている模様です。

 可愛いとかキレイとか、うっとりするものはいろいろありますが、「品がある!」と見えるもの限定で並べているのが面白いですよね。どれも確かに「品がある」ものかどうかは、個人の感想ですよね、と言いたいところですが。

 次回は漢文から。の予定です。
posted by juppo at 21:58| Comment(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月30日

三月三日はC

最終回です。
〈本文〉
あやしうをどりありく者どもの、装束(さうぞ)きしたてつれば、いみじく定着(ぢやうぎ)などいふ法師(ほふし)のやうに、練りさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどほどにつけて、親、をばの女、姉などの、供しつくろひて率(ゐ)てありくもをかし。
 蔵人(くらうど)思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾(あや)ならぬはわろき。
mikka4.jpeg
〈juppo〉五月ももう終わりですねー。タイトルは「三月三日は」ですけど、ここでの賀茂祭は五月に行われているので、そう季節外れでもありません。

 お祭りの日が待ちきれない子どもも、いざ当日が来るとかしこまって参加しているようです。「定着」というのは、法会の際、香炉を持って歩くお坊さんのことだそうです。
 お祭りの様子より、それに出かける人たちの様子を、何よりその装束に関心を寄せているところは、清少納言さんならではだという以前に、絵にしやすくて助かりました。
 「蔵人」は天皇のお側にお仕えする役職で、この男性は昇進したいと思っているわけですが、清少納言さんにとってそんなことはどうでも良く、ただし青の袍が綾織物でないのは良くないと、こういう微妙な価値観が「枕草子」の人気の秘密なのかなー、と思ったところでおしまいです。

 最近リクエストが少なくなっていて、今回は季節ものをお届けしましたが、次回はリクエストをいただいた作品を描きます。何を描くかは言わないでおきます。
posted by juppo at 18:50| Comment(6) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月26日

三月三日はB

「三月三日は」の第三回。三づくしです。続きです。
〈本文〉
 祭近くなりて、青朽葉(あをくちば)、二藍(ふたあゐ)の物ども押し巻きて、紙などにけしきばかりおし包みて行きちがひ持(も)てありくこそをかしけれ。据濃(すそご)、むら濃(ご)なども、常よりはをかしく見ゆ。
童(わらは)べの、頭(かしら)ばかり洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるもあるが、屐子(けいし)、沓(くつ)などに、「緒(を)すげさせ、裏をさせ」などもてさわぎて、いつしかその日にならなむといそぎおしありくもいとをかしや。
mikka3.jpeg
〈juppo〉相変わらず葵祭がどんなお祭りなのかよくわからないまま描いている私ですが、今回は祭の準備の様子です。

 青朽葉は「青みがかった朽葉色。朽葉は赤みを帯びた黄色」と、説明にあります。一体何色になるのでしょうか。
 二藍は「藍と紅の中間の、青みのある赤」だそうで。あえてわかりにくく言ってないか?と疑わしい表現です。検索して現物を見た方が早そうです。

 まあ何しろ、いつもより品も色も良い布地を用意して、祭りに行く装いを凝らそうというわけです。小さな子さえ準備に怠りはありませんが、そこは子どものこととて、いろいろとちぐはぐな様子を暖かく見守る清少納言さんなのです。

 「屐子」は足駄のような履物だそうなんですけど、「屐」という字が難しくて漢和辞典で調べたら、読みは「ケキ/ゲキ」で、この文字だけで「はきもの」の意味を持っています。「歯のある木製の履物、下駄の意」だそうですよ。漢和辞典には靴のような絵がありましたが、「屐子」で画像検索すると下駄がいっぱい出てきます。

 葵祭には全く詳しくありませんが、お祭りに行く日を待ちながら、着て行くものを選んだり準備したりする楽しみは良くわかります。普段着でない装いに、またワクワクするものですね。


 早くも次回は最終回です。近いうちに必ず。
posted by juppo at 23:27| Comment(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月22日

三月三日はA

続きです。今回は四月になっています。
〈本文〉
 四月、祭のころ、いとをかし。上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじやうびと)も、うへの衣(きぬ)の濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲(しらがさね)とも同じさまに、涼しげにをかし。木々の木(こ)の葉まだいとしげうはあらで、わかやかに青みわたりたるに、霞(かすみ)も霧もへだてぬ空のけしきの、何(なに)となくすずろにをかしきに、すこし曇りたる夕つ方、夜など、しのびたる郭公(ほととぎす)の、遠く空音(そらね)かとおぼゆばかりたどたどしきを聞きつけたらむは、なに心地かせむ。
mikka2.jpeg
〈juppo〉訳本によっては、ここからの四月のお話まで、「正月一日は」で括っているものもあります。また、月ごとに分けて章立てしているものもあります。ここでは、三月四月でまとめました。
 それでここからは四月です。

 祭とは賀茂祭ですが、葵祭のことです。どちらにせよ、東京モンの私にはあまり馴染みがありません。賀茂祭が正式名称で、5月15日に行われるんですね。四月になっているのは、陰暦だからです。
 私が知らないだけで、平安時代には祭といえば賀茂祭のことだったそうです。それだけ楽しみでもあったようで、こぞって着飾って車に乗って見物に行ったんですね、貴族の皆さんは。
 「うへの衣」は袍(ほう)のことです。と言われても「ホウってなんだよ!」ですよね。偉い人が偉い式典で一番上に着る着物のことです。正装です。
「けぢめ」は今だと「けじめをつける」となりますが、区別とか違いという意味です。
 清少納言さんは自然のものへの観察同様、ヒトのおしゃれにも鋭い視線を向けています。

 「霞も霧もへだてぬ空」とは、霞や霧が空を「隔てない」ということで、「隠してない」ということですね。澄みきった空を表しているわけです。
 ウグイスが練習で鳴くような鳴き方は耳にすることがありますが、ほととぎすもそんな鳴き方をするんですね。

 あと2回続きますが、ネタバレするとここからお終いまで祭の話です。ことほど左様に、四月といえば「祭よ!」ということだったのでしょう。
posted by juppo at 22:57| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月18日

三月三日は@

五月も半ばを過ぎたところですが、以前描いた「正月一日は」の続きです。
〈本文〉
 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲きはじむる。柳などをかしきこそさらなれ。それもまだ、まゆにこもりたるはをかし。ひろごりたるはうたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる桜を、長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそをかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちき)して、まらうどにもあれ、御せうとの君達(きんだち)にても、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。
mikka1.jpeg
〈juppo〉ここからの4回は、三月四月についてのお話です。五月も半ばだというのに。
 三月三日といえば桃の節句ですね。この頃から、貴族の子女がお人形やらで遊ぶ日であったようですが、お話にはその様子は出てきません。「上巳(じょうし)の節句」と言って三月上旬の巳の日に祝ったそうです。水辺でお祓いをする「曲水宴(きょくすいえん)」とかいうイベントもあったようです。
 そんなことはどうでも良かったのかどうかわかりませんが、清少納言さんはあくまで外の世界に目を向けていますね。「木の花は」や「鳥は」など、「枕のペディア」と呼びたいような自然を羅列したシリーズが「枕草子」にはありますが、それを補うような内容ですね。

 「柳」が「まゆにこもりたる」というのは、柳の葉がまだ開ききってなくて丸くなっているのを表現しています。絵にしたように、人の眉と蚕の繭をかけて言ったりしてるそうです。
 4コマ目の桜は、この時代は山桜でソメイヨシノではありません。

 木や花だけでなく、今回は周りの人の装いにも細かい関心を寄せている清少納言さんです。
「桜の直衣」は表が白で裏が赤の直衣で、「出袿」はその直衣の下に着る袿を、見えるように出して着ることだそうです。1980年代にトレーナーの下のシャツの裾をはみ出させて着るのが流行りましたが、そんな感じですかね。そんなファッションもこうして解説する時代が来たと思うと、100年や200年はあっという間なんでしょうね。

 次回は近日中に。今月中にあと3回、更新します。
posted by juppo at 13:41| Comment(3) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月28日

正月一日はD

2月も今日で終わりです。とりあえず、最終回です。
〈本文〉
 除目(ぢもく)のころなど内わたりいとをかし。雪降りいみじう氷(こほ)りたるに、申文(まうしぶみ)持(も)てありく四位五位、わかやかに、心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭(かしら)白きなどが、人に案内言ひ、女房の局(つぼね)などに寄りて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説(と)き聞かするを、若き人々はまねをし笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏したまへ、啓(けい)したまへ」など言ひても、得たるはいとよし。得ずなりぬるこそいとあはれなれ。
shougatsu5.jpeg
〈juppo〉2月は短いとわかっていても、毎年思いのほか短いなと痛感します。今年もやっぱり短いです。油断がなりません。
 とりあえず最終回というのは、この章にはまだ続きがあるのです。ただこの後は三月、四月のお話で一月についてはここまでなので、続きはその頃になったら描こうかな、と。

 「除目」は人事異動のことです。昇進した人がお礼を言いに参内するんですね。有望な若者が宮中を歩いているわけで、勝ち組な人たちですから頼もしく見えるのも道理でしょう。一方、おっさんはどこまでいってもおっさんで、自慢話などをするのを影でマネされています。こういう、ちょっと困った人の特徴をあげつらって笑いに変える、ちょっと良くない楽しみ方はこんな頃からあったのですね。おそらくこの頃も、もちろん今も、本人の耳や目に届かないようにということだけは、くれぐれも気をつけなければいけませんね。
 そして、最後の一文は係り結びですね。

 お約束通り、今月中に最後までお届けできてホッとしています。来月はまた、「竹取物語」に戻るかもしれませんし、この続きを描くかもしれません。「それよりコレを描いて!」とリクエストがおありの方は、早めにお知らせください。リクエストは常時受け付けてますけどね。
posted by juppo at 20:48| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月23日

正月一日はC

暖かいです。花粉症です。続きです。
〈本文〉
 あたらしうかよふ婿(むこ)の君などの内へまゐるほどをも、心もとなう、所につけてわれはと思ひたる女房ののぞき、けしきばみ、奥の方(かた)にたたずまふを、前(まへ)にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま」とまねき制すれども、女(をんな)はた知らず顔(かほ)にて、おほどかにてゐたまへり。「ここなるもの取りはべらむ」など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り笑ふ。男君(をとこぎみ)も、にくからずうちゑみたるに、ことにおどろかず顔すこし赤みてゐたるこそをかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそをかしけれ。内わたりなどのやんごとなきも、今日(けふ)はみな乱れてかしこまりなし。
shougatsu4.jpeg
〈juppo〉2月というのに汗ばむほど暖かくなったと思ったら、また寒くなるようです。2月ですから。致し方ありません。

 さて宮中は、雪で凍るほど寒かったはずの一月半ば、引き続きバトルフィールドと化しております。身分の上下も関係なく、終いには女も男も関係なく、ひたすら人のスキを狙っての打ち合いに興じているようですね。皆さん笑ってるから微笑ましい余興なのかと思ったら、やっぱり泣いたり怒ったりする人もいたようで、その後の人間関係に亀裂が生じなかったのかと心配になります。もともとお正月のめでたい行事のようなので、笑って済ますのがお約束だったのでしょうけれど。少なくとも清少納言さんの目には「をかしけれ」と映っているわけですし。
 それで、打たれた女性がその後実際に子宝に恵まれたのか、ということも気になるところです。偶然にもその後男児を生むことになった人を叩いた実績のある人は当然「私が打ったからよ!!!」と鼻高々だったことでしょうね。

 さらにもう1回あります。今月中にお届けすると思います。
posted by juppo at 23:27| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月18日

正月一日はB

寒いです。続きです。
〈本文〉
 八日、人のよろこびして走らす車の音、ことに聞えて、をかし。
 十五日、節供(せく)まゐりすゑ、かゆの木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房(にようばう)などのうかがふを、打たれじと用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきもいとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ち当てたるは、いみじう興(きよう)ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるも、ことわりなり。
shougatsu3.jpeg
〈juppo〉一月のカレンダーは半ばまで進んでいきます。宮中での歳時記が正確に綴られるとともに、後半は貴族らしからぬバトルシーンが展開されています。

 最初のコマは、七日に新たに位が授けられた男性貴族がお礼を言いに参内している様子です。

 前回予告した通り、七日の七草粥の後、十五日にもお粥を食べる習慣があったようです。「かゆの木」は、そのお粥を炊いた木の燃え残りを削ったものだそうです。それで女性の腰を打つと、男の子を授かると言われていたんですって。そんな意味合いは置き去りにされて、もはや行動自体が目的になっている感じですけどね。人のスキをうかがって奇襲をかける、鬼ごっことか缶蹴りとか、そういう遊びは廃れないものですね。他の動物と違って人間には、成功の要素の中に「してやったり」が入ることに喜びを感じてしまう習性があるんでしょう。

 平安時代の人々は、新年を祝う行事を粛々と行いながら、こんな風にカラダを動かして楽しんでもいたのかと思うと、なんだか親しみを感じませんか。昔も今も、この時期は寒いですからね。温かいものを食べて、カラダを動かして私たち現代人も元気に過ごしたいものですね。

 まだ、続きます。
posted by juppo at 02:57| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月13日

正月一日はA

もうすぐバレンタインですね。続きです。
〈本文〉
舎人(とねり)の弓ども取りて馬(むま)どもおどろかし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官(にようくわん)などの行(ゆ)きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をならすらむなど思ひやらるるに、うちにて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白きもの行きつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見苦しく、馬のあがりさわぐなども、いとおそろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
shougatsu2'.jpeg
〈juppo〉もうすぐも何も、明日がバレンタインデーという今日更新していますが、今回のお話はまだ一月七日です。殿上人らが集まって何をしているのかというところで「つづく」にしていました。大したことはしていませんでした。平安時代の、宮中にいる人たちも案外くだらないことをして楽しんでいたのですね。そんな光景でも清少納言さんは、どんな人ならここで暮らすことができるのかしらと、うっとりしていらっしゃいます。
 「主殿司」「女官」はともに女官なんですけど、ただの「女官」は「にょうかん」と読んで、位が低いらしいです。
 「九重」が宮中のことで、九つの門をくぐって入る天国のような場所に例えているんですね。

 そういう人や場所をきらびやかに感じたすぐ後で、宮中ってのはずいぶん狭いなと思っていたり、舎人の顔色が黒いだのと細かい点まで批評しているあたり、正直かつ辛辣です。そうかと思うと今度は暴れる馬が怖いと。馬を見に来たのではなかったのかと。

 一月七日といえば七草粥ですが、我が家ではそういう習慣がなかったので今年の一月七日にも私は七草粥は食べませんでした。
 前回、宮中でも七草を摘んでいるシーンがありましたけど、結局七草粥を食べる描写はありません。でもこの後また別の日に、お粥が出てくるんですよ。その辺は次回。
posted by juppo at 03:35| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月01日

正月一日は@

深夜にこっそり更新しています。今回は「枕草子」です。
〈本文〉
 正月一日(ついたち)は、まいて空のけしきもうらうらとめづらしう、霞(かす)みこめたるに、世にありとある人は、みな姿、かたち心ことにつくろひ、君をもわれをもいはひなどしたる、さまことにをかし。
 七日、雪間(ゆきま)の若菜摘み、青やかにて、例(れい)は、さしも、さるもの目近(めぢか)からぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ。白馬(あをうま)見にとて、里人(さとびと)は車清げにしたてて見に行(ゆ)く。中御門(なかのみかど)の戸閾(とじきみ)、引き過ぐるほど、頭(かしら)一所(ひとところ)にゆるぎあひ、さし櫛(ぐし)も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふもまたをかし。左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)のもとに、殿上人(てんじやうびと)などあまた立ちて、
shougatsu1.jpeg
〈juppo〉夜更かしをしている間に2月になってしまいましたが、今回から5回ほど、平安時代の1月の様子をお届けします。正月は「しょうがち」と読んだり「むつき」と読んだりするようです。
 「うらうら」は「うららかに」と訳しても良かったのですが、「うららか」も最近使わなくなった気がして避けました。「春のうららの〜」という歌もありますが、「うらら」ってどんな?と、言い表しにくい言葉ですよね。そういう陽気になって初めて「こういう感じ!」と言えるというか。そういう言葉は大事にしていきたいですけどね。

 それで、1000年前から1月には新年を祝っていたんですね。今と変わらないのは、装いを整えてお祝いの挨拶をするばかりでなく、7日には七草を摘んで食べ、万病邪気を払っていました。中国から伝来した行事だそうです。
 「あおうまの節会」は「白馬」だけど「あおうま」と読みます。元は本当に青い馬、と言ってもいわゆる青ではなく青みがかった黒馬で、「アオ」と呼ばれたりするお馬さんを宮中の庭で見る行事で、だんだん白い馬を使うようになったそうですが読み方だけ「あお」が残ったんですって。青い馬を見ることで、これまた邪気を払うとか、中国から伝わって来ました。この行事が現代でも神事として、7日に行われるんですね。
 
 今も昔も新しい年を迎えて祝ったり願ったり心を新たにしたり、そんな1月を皆さんはどうお過ごしでしたか。続きは近いうちに。
posted by juppo at 03:12| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月31日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにC

5月の終わりとともに、最終回です。
〈本文〉
 二日ばかり音(おと)もせねば、うたがひなくて、右京(うきやう)の君のもとに、「かかる事なむある。さる事やけしき見たまひし。しのびてありさまのたまへ。さる事見えずは、かう申したりと、な散らしたまひそ」と言ひやりたるに、「いみじう隠させたまひし事なり。ゆめゆめまろが聞えたると、な口にも」とあれば、さればよと思うもしるく、をかしうて、文(ふみ)を書きて、また密かに御前(おまへ)の高欄(かうらん)に置かせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落して、御階(みはし)の下(しも)に落ちにけり。
onmae4.jpeg
〈juppo〉えーと、テレビの次はブルーレイレコーダーが壊れ始めました。家電の故障連鎖です。続けて来ますよね、こういうの。

 さて、他に何もしないうちに5月も終わるし、この章も最終回です。最終回は短めです。3話目からは二日おきのインターバルでお話が進んでいます。前回、届いた畳が届け間違いであったなら誰か何か言ってくるんじゃ、と思いながら二日過ごし、何もないのでやっぱり中宮様からの贈り物だったのか、と確信に至ったようですね。
 そこまでに至っても、中宮様に直接お礼を言う前にさらに裏を取ろうとして女官仲間に問い合わせています。「右京の君」てのがその人です。
 当時はいちいち文を書き、手元まで届けてやりとりしていますけど、LINEなどで質問したり相談したりする私たちの生活と変わらないですよねー。

 最後に中宮様に宛てて書いたお手紙の内容がわからないままですが、右京さんがバラしたことがバレないように気を使っているでしょうから、はっきりお礼ではなく、いわゆる「匂わせ」な内容だったのでしょうか。
 その手紙の行方が不明なままで終わっています。「御前の高欄」に置いたのがどのように置いたのか判然としないのでただ乗せただけの絵にしちゃってます。「まどひけるほどに」という経過は、中宮様の手に届くまでにその手紙を手に取った誰かが失くしたり間違えたり忘れたり・・な、無限の可能性を秘めた「まどひ」ですね。結局、届いたのかどうかもわからないようなので。
 
 次回は多分、漢文です。近いうちに。

 
 1年前の今日、5月31日は京都にいました。母と清水寺に行きました。清水の舞台まで一緒に登った母は今、要介護5です。1年でこんな風になるとは。高齢とはいえ、予想外でした。介護生活は相変わらずですが、とにかく食が進まないので、「少なくても、食べやすくてカロリーの高いものは何か」ということを常に考えて模索する日々です。よくある栄養補助食品もいろいろ試して、ネスレの「アイソカル」がその分野では今我が家の人気No. 1です。その後、ハーゲンダッツのアイスクリームのカロリーがハンパないことを突き止めたので、これからの季節、冷蔵庫に切らさないようにしたいと思います。世のダイエッターの方々とは逆のベクトルで情報を探っているのであります。
posted by juppo at 18:24| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにB

我が家にも、アベノマスクが届きました!続きです。
〈本文〉
 二日(ふつか)ばかりありて、赤衣(あかぎぬ)着たる男(をとこ)、畳を持て来て、「これ」と言ふ。「あれは誰(た)そ。あらはなり」など、ものはしたなく言へば、さし置きていぬ。「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて取り入れたれば、ことさらに御座(ござ)といふ畳のさまにて、高麗(かうらい)など、いときよらなり。心のうちにはさにやあらむなんど思へど、なほおぼつかなさに、人々出だして求むれど、失(う)せにけり。あやしがり言へど、使(つかひ)のなければ、言ふかひなくて、所たがへなどならば、おのづからまた言ひに来(き)なむ。宮の辺(へん)に案内(あない)しにまゐらまほしけれど、さもあらずは、うたてあべしと思へど、なほ誰(たれ)か、すずろにかかるわざはせむ。仰(おほ)せ言(ごと)ナメリト、いみじうをかし。
onmae3.jpeg
〈juppo〉前回、このお話を描く前に疫病ネタを探して諦めたことを打ち明けましたが、図らずもステイホームな清少納言さんということで、これもまたタイムリーなネタだったなということにさっき気づきました。こじつけと言わても致し方のないことですが。

 ステイホーム中の清少納言さんがリモートで宮中とやりとりをしているんですよね。前回の紙の束に続いて今回は唐突に畳が届きます。お籠り生活には宅配が必須なのは千年前からの常識なんですね。
 この届け人の男は「赤衣着たる」とあるので、実は着物を赤く塗ってあります。うっかり白黒でスキャンしてしまったので、赤いということは残念ながら文章からしか分かっていただけないのですけど。

 紙の束には中宮様からのメッセージがついていたので送り主は明らかでしたが、今回は差出人も届けた人も、送り先さえよく分からない。今でもそうですが、届け間違いででもあったらその旨申し出があるだろうと判断するしかないのです。

 「御座」はいわゆるゴザのことではなく、高貴な人が座る「御座所」の畳の上に重ねて敷く畳のことだそうです。
 「高麗縁」は1話目から登場してるのに詳しく説明をしてませんでしたね。1話の中で絵にしてあるので、こんな縁だということが伝わっていればそれで良いんですけど、「白地の綾に雲形または菊花などの紋様を黒く織りだしたもの」だそうですよ。何か伝統的な畳のへりの一つなんですね。
 その高麗縁も、そもそも清少納言さん自ら中宮様の前で言及したことなので、どう考えても中宮様からのお届けだけど、はっきりしないために考えを巡らせ続ける清少納言さんです。
 あと1話残っていますが、果たして謎は解けるのでしょうか!?

 ところで、壊れたテレビはまだ処分できずに車に載っています。テレビとの旅はいつまで続くのか。
posted by juppo at 23:34| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにA

新しいテレビを購入し、各種コードと格闘の末接続が整い、充実したテレビライフを取り戻しました!続きです。
〈本文〉
 さて後(のち)ほど経(へ)て、心から思ひ乱るる事ありて、里にあるころ、めでたき紙、二十を包みて給はせたり。仰(おほ)せ言(ごと)には、「とくまゐれ」などのたまはせて、「これは聞(きこ)しめしおきたる事のありしかばなむ。わろかめれば、寿命経(ずみやうきやう)もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつる事をおぼしおかせたまへりけるは、なほただ人にてだにをかしかべかし。まいて、おろかなるべき事にぞあらぬや。心も乱れて、啓(けい)すべきかたもなければ、ただ、
 「かけまくもかしこきかみのしるしには
    鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな
あまりにやと啓せさせたまへ」とて、まゐらせつ。台盤所(だいばんどころ)の雑仕(ざふし)ぞ御使(つかひ)には来たる。青き綾(あや)の単衣(ひとへ)取らせなどして。
 まことに、この紙を草子(さうし)に作りなどもてさわぐに、むつかしき事もまぎるる心地して、をかしと心のうちにもおぼゆ。
onmae2.jpeg
〈juppo〉前回、テレビのことで頭がいっぱいで言い忘れましたが、この作品を描く前に疫病を扱った作品を描こうかな、と探していました。こんな状況ですので。先人たちが流行病とどう向き合っていたか、何か得るものがあるのではないかと思って。いろいろ探したんですけど適当なものが見つからず、見送りました。こういうのがあるよ、とお知恵をお持ちの方はリクエストください。

 さて、前回は中宮様の御前にいらした清少納言さん、今回はなにやら思い悩むことがあったとかで里に引きこもっておいでです。何があったんでしょうか。ここでは悩みのもとは明らかになりません。
 相思相愛の中宮様からは贈り物攻撃です。前回、紙がどうの畳がどうのとかなりマニアックなこだわりを発表していたので、気に入りそうな贈答品を選ぶのもたやすいですよね。

 「寿命経」というのはお経の中でも延命を祈願する経文だそうです。これも前回、清少納言さんが良い紙を手に入れたら生きていけそう、なんて言ってたので、中宮様は謙遜気味に「良い紙じゃないから書けないかも」と言ってるんですね。
 「台盤所」は女官たちの控室、「雑仕」は下級の女官のことです。配達に来ただけのお手伝いにお礼の品をあげてしまうほど、清少納言さんの気持ちはだいぶ高まっているようです。悩んでいる時や落ち込んだ時は、このように好きなものに囲まれるに限りますね。そういう時は少し贅沢をしても、自分を慰めるために、好きなものを皆さんも用意しましょう。

 
 ところで無事に繋がった新しいテレビですが、実は以前通りに繋がってないところがまだあります。その部分は急を要さないのでまあいいとして、問題は古いテレビの処分です。新しいテレビを買った家電屋で修理ができるかどうか聞いたら、もう無理だろうとのこと。ではどこかで引き取ってもらおうと思ったら、思い出しましたが「家電リサイクル法」とかいうのが出来てテレビはおいそれと捨てられないのですね。地元町田市の処理場では処分できず、不用品を引き取るお店などでも5000円かかるというんです。そのテレビを買った店に持っていくか、郵便局で「家電リサイクル券」を購入して隣の市の引取り所に運ぶしかないようです。10年以上前に、亡き父がこのテレビをどこで買ったか私にはわかりません。知っていたとしても保証書でもなければ買ったことを証明できない。保証書を探すか、郵便局に行くかの2択です。そうこうしている間、古いテレビがどこにあるかというと、車に積んであるのです。家に置いておくと邪魔なので。車の中でも邪魔なんですけど。早く処分したい。
posted by juppo at 22:07| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどに@

テレビが壊れました。他に何も考えられない中で更新しています。久しぶりに『枕草子』、二五九段です。長いタイトルですね。
〈本文〉
 御前(おまへ)にて人々とも、また物仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしうむつかしう、かた時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙(しきし)、みちのくに紙(がみ)など得(え)つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。また高麗(かうらい)ばしの筵(むしろ)、青うこまやかに厚気が、縁(へり)の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを、ひきひろげて見れば、何か、なほ、この世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなき事にもなぐさむなるかな。姨捨山(をばすてやま)の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせたまふ。候(さぶら)ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」など言ふ。
onmae1.jpeg
〈juppo〉テレビなしではステイホームで過ごせません。テレビのない文化的な生活に挑むチャンスなどとは考えない私は新しいのを買いに走りましたが、コロナのせいで家電屋も早仕舞いしているではありませんか。急遽NHKプラスのアプリをダウンロードして、チコちゃんはスマホで見ました。明日また家電屋に行ってきます。明るいうちに。

 以前、『姨捨』という作品を描いた時に、「『枕草子』に姨捨山のエピソードが出てくる」とコメントを寄せていただき、いつかそちらも作品化しようとその時思ってから何年経ったことやら、と、いつものような化石候補の一つです。

 清少納言さんの好き嫌いの激しさは今に始まった事ではないですけど、紙だの筆だの畳だので命さえ惜しくなるとは。そんなことで心が慰められるなら、慰めがたい気持ちを表す「姨捨山の月」を見るのはどんだけ慰められない人なのか、と中宮さまは問うておられるんですね。
 「息災の祈り」は仏教の言葉で、災難を防ぐ祈りだそうです。あっさり「安全祈願」としてしまいましたが、まぁそういうことですよね。

 この作品にはかなり畳へのこだわりが綴られてます。今後も出てきます。今回の「筵」は薄い敷物のことで、「ひきひろげて」見たりしてるので、折りたたんだりできるものだそうです。ここでは「ひきひろげて」と原文にあるのでそう書きましたが、私は「布団をひく」という言い方には違和感を抱いています。「しく」ではないかと。「敷布団」なら。

 私の違和感はともかく、全部で4回でご紹介します。続きは近いうちに。
posted by juppo at 04:15| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月03日

五月ばかりなどに

5月だから五月ネタでちょうどいいな!と思いながら描いているうちに6月になってしまいました。リクエストにお応えします。
〈本文〉
 五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいとあをく見えわたりたるに、上(うへ)は釣れなくて草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、ふかくはあらねど、人などのあゆむにはしりあがりたる、いとをかし。
 左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などに、さし入るを、いそぎてとらへて折らんとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。
 蓬(よもぎ)の車に押しひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかりたるもをかし。
satsukibakari.jpeg
〈juppo〉でも、ここでの五月(さつき)は旧暦ですから、今の暦ではこれからの季節なんですよね。春を過ぎて暖かくなり、野山も明るさを増してくる季節です。お出かけには最適です。梅雨にも入っているころですから、晴れ間を見て出かけたのでしょうね。

 景色が主な話題なので、久しぶりに塗り絵でお送りしています。

 「山里をありく」と始まっていますが、「ありく」は「歩く」ではないんですね。牛車に乗ってるんです。気ままにうろついている様を表す語のようです。「あゆむ」だったら「歩く」の意味なんですって。「散策」では結局歩くという意味になっちゃうんですけど、他に言葉が思いつかず、こうしました。

 「上はつれなくて」下に水がある状態てのがどういうのかよくわからなかったんですけど、自然の地形にある水場で池や川とはまた違うのかな、「えならざりける水」ということはそれでも相当情緒がある景色なのかな、うーん、やっぱりよくわからない・・な結論で描いたのがコレです。

 それとおそらく、清少納言さんは他の女官の方々とも連れ立ってお出かけしているような気もするんですけど、台詞的に他に女性の登場人物がいないのを良いことに、ひとり(プラス従者の方たち)でお出かけしたように描いちゃいました。ここには描いてないけど、前後に他の牛車もいるのかも〜、なんて想像で読んでいただいても良いかと思います。

 「蓬の車に押しひしがれたりけるが」てのはアレですね、おなじみの「同格の『の』」ですね。
漫画ではそういうふうに訳していませんが、「蓬で、車に押しつぶされたのが」というように訳します。でもそう訳すとちょっとしつこい感じですよね。
 道々車輪に踏まれて潰れたよもぎが、そのまま車輪にくっついて、車輪が回って上の方にくるたびに香りがしてくるということなんですね。のどかですね〜。

 今日、6月3日は日曜日で、すごくいいお天気ですが、暑くてとても野山に出かけようなどとは思えない日和です。平安時代にはそんなに暑くなかったんでしょうね。暑い時もあったんでしょうけど。牛車の中なら熱中症にはならないのかもしれませんが、現代人の感覚では水をこまめに飲んで!とアドバイスしたくなるお話です。
 千年前の気候に思いを馳せた誕生日でした。
posted by juppo at 15:48| Comment(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

宮にはじめてまゐりたるころH

最終回です!!ああ〜、長かったですねぇ〜。
〈本文〉
とあるに、めでたくもくちをしうも思ひみだるるにも、なほ昨夜(よべ)の人ぞねたくにくままほしき。「『うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑに憂き身のほどを見るぞわびしき』なほこればかり啓し直させ給へ。式の神もおのづから。いとかしこし」とて、まゐらせてのちにも。うたてをりしも、などてさはたありけんと、いとなげかし。
hajimete9.jpeg
〈juppo〉最後の2回分は、8コマで1回分にまとめられるかな、と思ったら長いので2回に分けたのですが、残った分がまた微妙な長さで、4コマにしても良かったのですけど何とか薄めて伸ばして6コマにしました。最初のコマなんて大分薄まってますよね。結構その回ごとに、行き当たりばったりで描いています。
 6コマにした結果、6通りの清少納言さんのリアクションをお楽しみいただくだけの回になった感じです。

 前回に引き続き、くしゃみ犯を恨み続ける清少納言さんです。くしゃみなんて生理現象ですから、タイミングが悪かったとしても当人のせいではないのに、自分の立場でしか物を考えられないレベルに恨んでますよね。こんな失態は「サザエさん」だったら山ほど出てくると思いますが、この時の清少納言さんにとっては生涯の汚点だくらいの嘆きなんですね。若さなんですかねー。

 今年の花粉症はいつもより重めで、私もまだくしゃみに苦しめられています。それに今年はいつもより目が痒いです。ということは、杉よりヒノキに反応しているのでしょうか。花粉症との付き合いが長いわりにちゃんとした診断を受けたことがないので、毎年正確に何の花粉症なのか自分ではわかってないんですよね。ただ鼻をかんでいます。

 そして先日、ついに「ペリーヌ物語」を全話見終えました。感動しました。感動で余計鼻をかむ羽目になった今年の春でした。
 ひとりでくじけず生きてきたペリーヌも偉いのですけど、何と言ってもビルフラン様お抱えのフィリップ弁護士が有能すぎです。弁護士なのに後半は探偵と化しています。見たところそうお若くもないのに、単身インドに行かされたりヨーロッパ中を調べ歩かされたりしていたかと思うと、感動を超えて心配になってくる終盤でした。無事にペリーヌの身の上が明かされて、フィリップ弁護士も重責を解かれて本当に良かったです。おそらく本放送の時はこんな心配はせずに見てたんですよね。失礼いたしました、フィリップ弁護士。

 鶴ひろみさん追悼の気持ちで見始めた「ペリーヌ物語」でしたが、ちょうど見終わったところで高畑勲氏の訃報のニュースに触れました。高畑さんはペリーヌには携わっていらっしゃらないようですが、その後番組だった「赤毛のアン」で脚本・演出担当だったんですね。せっかくなので続けて「アン」を見ようかなぁ、と考えています。
posted by juppo at 22:32| Comment(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

宮にはじめてまゐりたるころG

ぼちぼちやってたらやっぱりこんなペースに。続きです。
〈本文〉
ものなど仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ、御いらへに、「いかがは」と啓するにあはせて。台盤(だいばん)所のかたに、はなをいと高うひたれば、「あな、心憂。そら言(ごと)をいふなりけり。よし、よし」とて、奥へ入らせ給ひぬ。いかでかそら言にはあらん。よろしうだに思ひきこえさすべきことかは。あさましう、はなこそそら言はしけれ、と思ふ。さても誰か、かくにくきわざはしつらむ、おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりもおしひつぎつつあるものを、まいていみじ、にくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬればおりたる、すなはち、浅緑なる薄様(うすやう)にえんなる文を、「これ」とて来たる、あけて見れば、
 「『いかにしていかに知らましいつはりを空にただすの神なかりせば』となん御けしきは」
hajimete8.jpeg
〈juppo〉あと少しで終わるのですが、8コマにはちょっと長いので2回に分けます。そういうわけで、次回がいよいよ最終回です。
 今回、漫画はだいぶ前に描いてたんですが、生活に追われてPCを3週間も開かない日々でした。3月が31日まであってよかったです。

 前回までは伊周さんらにからかわれていた清少納言さん、今回は中宮様と夫婦のような会話をしていますね。「我をば思ふや」は「私のこと愛してる?」と訳しても良いみたいですよ。唐突な告白ですよね。
 ここで大きなくしゃみをしたのは、台盤所という女房たちの控え室にいるらしい誰かです。当時、くしゃみは不吉なものだとされてた話は「にくきもの」でも出てきましたが、ここでは会話の途中で第三者が咳払いをして嘘を指摘するような役割を果たしてしまった、ということのようです。
 現代では不吉というより、くしゃみをすると誰かが噂をしていると解釈したりしますよね。私が子どもの頃は「一褒められて、二憎まれて、三惚れられて、四(よ)風邪ひく」なんて言われてましたよ。今でも言いますか?
 くしゃみの回数で噂の種類が決まるということなんですが、花粉症が猛威を奮っている今、回数を数えるどころではないですね。まだ花粉症になっていない方は、早くなってください。毎年そう呪いながら鼻をかんでいます。

 タイミングよく(悪く?)くしゃみをした当人を清少納言さんも呪いつつ、退室したところに中宮様からのお手紙が来たと。
 「ただすの神」は京都の下賀茂にあるとかの糺ノ森(ただすのもり)とかにいる神様だそうです。地元では有名な森と神様ですか?
 中宮様の詠んだ歌を聞き書きした女房からの手紙なので、伝聞の形で書かれています。

 最終回は近いうちに!
 今月中に!とは断言しません。

 
 あ、ペリーヌはトロッコ押しから猛スピードで出世して今お屋敷住まいの秘書です。そこからがまだまだあるんですね。工場の後継を狙うビルフランの甥と工場長の会話が、ほとんどお代官様と越後屋です。

 
posted by juppo at 01:07| Comment(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする