2009年07月19日

鳥は�

続きです。
〈本文〉
「ゆるぎの森にひとりは寝じ。」と争ふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(おし)いとあはれなり。かたみにいかはりて、羽の上の霜は払ふらむほどなど。千鳥いとをかし。
 鶯(うぐいす)は文(ふみ)などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、さま・かたちもさばかりあてにうつくしきほどよりは、九重(ここのえ)のうちに鳴かぬぞいとわろき。人の「さなむある。」と言ひしを、「さしもあらじ。」と思ひしに、十年(ととせ)ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。
tory2.jpg
〈juppo〉夏休みが始まりましたね。今年もやっぱり、宿題がたくさん出ているのでしょうか、皆さん。

 今回は鳥の種類がそんなに多くありません。
 
 鷺が妻を奪い合うのがおもしろい、と言っていますが、そこの「ゆるぎの森」とは、琵琶湖西岸にある高島という地の歌枕で、
「万木の森」とか書くそうです。

 オシドリは「おしどり夫婦」なんて言いますけど、それだけ仲むつまじい鳥なのですね。

 最後にウグイスが宮中では鳴かない、という不思議に触れて終わっていますが、このエピソードが途中です。

 そういう訳で、まだ続きます。




 パソコンのキーボードの、「i」のキーが時々押せなくなりました。いや、押せるんですけど、押しても文字が打てないのです。今は打てていますが、この記事の〈本文〉を書いている時までは打てませんでした。

 そういう時はどうするかというと、「き」や「し」などは「kyo」「sho」と打って「きょ」「しょ」と印字してから小さい「ょ」を消すのです。じゃあ肝心の「い」はどうするかというと、「ye」と打つと「いぇ」と出ますから、小さい「ぇ」を後で消します。

 問題なのは英字で「i」を打つ時です。仕方がないのでそういう時は、いちいちどこかにある他の英文から「i」だけコピーして張り付けます。自分の姓が「shibata」であることを、これほど忌々しく思ったことはありません。

 ・・かなりめんどくさいです。
 さっさと買い替えればいいのですが、なんでも工夫次第でどうにかなるもんだな、なんて都合の良い感慨に耽りつつ、また、今日も「i」のご機嫌を伺いつつ、今回の記事を書き終わろうかとしているところです。

 いつまで持つでしょうか。
posted by juppo at 22:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

鳥は�

枕草子、四十一段です。
〈本文〉
 鳥は、異所(ことどころ)のものなれど、鸚鵡(おうむ)いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。ほととぎす。くひな。鴫(しぎ)。都鳥。ひわ。ひたき。
 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心ぐるし。
 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居(くもい)まで聞こゆる、いとめでたし。頭(かしら)赤き雀。いかるがの雄鶏(おどり)。たくみ鳥。
 鷺(さぎ)は、いとみめも見ぐるし。まなこいなども、うたてよろづになつかしからねど、

tori1.jpg〈juppo〉今回この作品を描くにあたって、野鳥図鑑を購入しました。ポケット判のです。ところが買ってから「しまった!オウムは野鳥じゃない!」ことに気づいてそれだけは結局携帯で画像検索したり、「たくみ鳥って何鳥?」という謎が解けずにさんざん調べた挙げ句、手元にあった古語辞典に当たるとあっさり「ミソサザイのこと」と答が出ていた、なんていう間抜けな大騒ぎをしていました。

 そういう訳で「たくみ鳥」は漫画では「ミソサザイ」になっています。たくみに巣を作ることから、とか何とか、だそうです。

 同じ『枕草子』の「花は」の時と同様、カラーにしてみました。せっかく図鑑も買ったことですしね。

 普段、鳥を見ても「あー、鳥だ」としか思わない私には、こんなに鳥の種類があって、それをひとつひとつ名前を知って判別出来るなんて信じられないことです。
 それぞれの鳥の特徴もしっかり押さえているんですからね〜。

 私がよく見る鳥といえば、カラスと鳩くらいです。
 
 鳩は駅のホームにいつもいますね。ホームで電車を待っている時、クリーニングから戻ってきたばかりのコートの袖に、上から落とし物をされたことがあります。そういう悪意のない迷惑があるとはいえ、別に嫌いではありません。
 とにかくいつもいるんですけど、絶対電車に乗って来ないのが不思議です。


 さて、先日受けた健康診断の結果は良好でした。基本的な検査しかしていませんが、これで安心して不健康な生活が続けられるというものです。

 私が日本語を教えているドイツ人やアメリカ人は、やはり春の健康診断の結果をもらってきて、「ジムで今までの2倍走るように言われた。」とか「理想体重には20�l遒箸気覆韻譴个い韻覆い蕕靴ぁ�」と頭を抱えていました。

 「そういうのを日本語で『大きなお世話』って言うんですよ。」と言いそうになったのをぐっとこらえました。
 まぁカラダを動かすのはいいことですからね。私も健康でいられるのは、特別カラダにいいことはしていないけれど定期的に運動しているからなのかな、と思います。

 皆さんも気持ち良くカラダを動かして、健康的にお過ごしください。


 この章、続きます。
posted by juppo at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

上にさぶらふ御猫はE

幾多の中断を乗り越えて、今夜、涙の最終回です!
〈本文〉
うへの女房なども聞きて参り集まりて、呼ぶにも今ぞ立ち動く。「なほこの顔などの腫れたる、物のてをせさせばや。」と言へば、「つひにこれを言ひあらはしつること。」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所(だいばんどころ)の方(かた)より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ。」と言ひたれば、「あな、ゆゆし。さらに、さるものなし。」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりもはべらむ。さのみもえ隠させたまはじ。」と言ふ。
 さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひ泣き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。
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〈juppo〉大変長らくお待たせいたしました。翁丸の物語はこれにて終了です。

 タイトルが『上にさぶらふ御猫は』なのに、猫が主役だったのは最初の部分だけでしたね。タイトルといっても、冒頭のフレーズをフィーチャ−してるだけですからね。


 台盤所とは、女官たちの控え室のようなところです。そこで翁丸のニュースを聞き及んだのが忠隆ですが、彼は翁丸を打ちのめした張本人ですから、彼に知られると今度こそ息の根を止められるかもしれないので「さるものなし」と、ごまかしたのでしょう。

 こうして最後まで読んでみると、「この話は本当ですか!?清少納言さん!」と問い質したい気持ちになりませんか。ちょっと、作ってるんじゃーないですか、と。

 平安時代の犬は本当に、このように人に劣らぬ感情を持っていたのかも知れませんけどね。

 いや、平安時代だけでなく、現代でも、私たちの見ていないところで、まさに人知れず犬たちは涙を落としているのかも知れません。
 そのうち『エチカの鏡』で紹介されるかも。


 ・・・あなたのペットは、泣きますか?・・・(円グラフ)
posted by juppo at 23:08| Comment(8) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月10日

雨のうちはへ降るころB

この段、最終回です。
〈本文〉
「これがやうに仕(つか)うまつるべし」と書きたる眞名(まんな)のやう、文字の、世に知らずあやしきを見つけて、そのかたはらに、「これがままに仕うまつらば、ことやうにこそあべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々とりて見て、いみじうわらひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。

amenouchi3.jpg〈juppo〉先月からずっと忙しかったのですが、急にヒマになりました。このまま年末休みに突入する訳ではありませんが、ヒマなうちにブログの更新に励みたいと思います。はい、他に取り立ててすることはありません。


 前回説明しそこないましたが、『作物所』というのは宮中のいろいろな調度を作ったり細工したりする役職のことだそうです。信經はそこの長官だったことがあるのですね。

 『繪やう』は『繪様』で、絵のことなんですけど、図案などのことも指すようです。何かの図案のデザインの指定を信經がしたところ、その字が汚さ過ぎて読めないどころか、図案に影響してしまうだろ、とまで言われているんですね。

 ヒドイ話だと思いませんか。現代の我々には測り知れないことですが、漢字がきれいに書けないからって、そんなに責められるべきことなんでしょうか。

 現代でも、字がきれいに書けるに超したことはないと思いますが、そう出来るか出来ないかなんて、取るに足りないことですよね。そうでもないですか。

 人が真面目にやっていることを笑う、という仕打ちにも、いや〜なものを感じます。

 清少納言のヤな女な一面が炸裂したお話でしたね。「そりゃー嫌われますよー。自業自得ですよー。」と、私が彼女の友人だったら言ってあげたいところです。

 もちろん清少納言は、「私はこんなに嫌われてるのよー!」ということも、堂々と書き残してしまえる強さを持っていた女性だったのでしょうね。

 同じ女性として、それくらいの強さを私も持ちたいものです。
posted by juppo at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

雨のうちはへ降るころA

はい、続きです。
〈本文〉
かたきに選(え)りても、さることはいかでかあらんと、上達部(かんだちめ)・殿上人まで、興(きょう)あることにのたまひける。また、さりけるなめり、けふまでかくいふ伝ふるは」と聞こえたり。
「それまた時がらがいはせたるなめり。すべて、ただ題がらなん、文(ふみ)も歌もかしこき」といへば、「げにさもあることなり。さば、題いださん。歌よみ給へ」といふ。「いとよきこと」といへば、「御前(ごぜん)に、おなじくは、あまたを仕(つか)うまつらん」などいふ程に、御返り出で来(き)ぬれば、「あな、おそろし。まかり逃(に)ぐ」といひて出でぬるを、いみじう、「眞名(まな)も假名(かんな)もあしう書くを、人のわらひなどすれば、隠してなんある」といふもをかし。
 作物所(つくもどころ)の別當(べたう)するころ、誰(た)がもとにやりたりけるにかあらん、ものの繪(え)やうやるとて、

amenouchi2.jpg〈juppo〉そういえば、『HEROES』はシーズン1を全部見ました。感動しますよ〜。全部見ると。愛と家族の物語なんですよ。

 続けてシーズン2を見たいのはやまやまなんですが、7泊8日に降りて来るまで待とうと思っているところです。うっかりDVDBOXなんて買わないように、自分を戒めてもいます。


 さて、今回のお話は、前回のダジャレの応酬から「ボケとツッコミ」のあり方へ話題が移っています。

 信經という人は「笑い」に対して一家言あった人のようで、面白いコメントはそれをフッた人の方に功績があるのだ、と論じているのです。

 現在でも、ボケとツッコミの分担があるお笑いコンビでは、ボケ担当の方がブレーンであることが多いですよね。

 信經の持論は、ボケの才能というよりは「秀逸なフリがあれば誰でも面白いことが言えるんだよ」というようなことです。

 ところが「じゃあフってやるから歌を詠んでみ」、と水を向けられると逃げ出してしまうような胡散臭いヤツでもありました。

 清少納言が、どこへ向かうとも知れないお笑い論を戦わせていたのは、どうも信經がこういうイヤなヤツだったからで、本人がいなくなった途端に悪口を言い出しています。

 清少納言もなかなか、ヤな女ですよねー。時々。


 本人のいないところで悪口を言うのはそもそも、ルール違反ですよね。

 昔、新宿2丁目のゲイバーのおネェ様に聞いた、話術の極意のひとつに、「そこにいない人の悪口をさんざん言った後で、最後に、『でも、イイ人よ揺れるハート』って言っとけば、丸く収まるのよ。」という説があります。


 皆さんも、心ならずもそこにいない人の悪口を言ってしまったら、最後に「でも、イイ人よ揺れるハート」と言っておくのをお忘れなく。



 この段、もう少しだけ続きます。
posted by juppo at 22:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

雨のうちはへ降るころ@

枕草子、第九十八段です。
〈本文〉
 雨のうちはへ降るころ、けふも降るに、御使(つかひ)にて、式部の丞(ぞう)信經(のぶつね)まいりたり。例のごと褥(しとね)さし出でたるを、つねよりも遠くおしやりていたれば、「誰(たれ)が料(れう)ぞ」といへば、わらひて、「かかる雨にのぼり侍(はべ)らば、足がたつきて、いとふびんにきたなくなり侍りなん」といへば、「など。せんぞく料(れう)にこそはならめ」といふを、「これは、御前(おまへ)にかしこう仰(おほ)せらるるにあらず。信經が足がたのことを申さざらましかば、えのたまはざらまし」といひしこそをかしかりしか。
 「はやう中后(なかきさい)の宮に、えぬたきといひて、名だかき下仕(しもつかへ)なんありける。美濃(みの)の守(かみ)にて亡(う)せにける藤原時柄(ときがら)が蔵人なりけるをりに、下仕どものある所にたちよりて、『これやこの高名(かうみゃう)のえぬたき、などさも見えぬ』といひける、いらへに、『それは、時がらにさも見ゆるならん』といひたりけるなん、

amenouchi1.jpg
〈juppo〉おっと。気づいたらもう11月も終わりじゃーないですか。早いですね。ついて行けませんねー。私の中では、まだ9月の半ばくらいな感覚なんですが、皆さんどうですか。

 「おいおい、翁丸の話の続きがあるんじゃなかったのかい。」と思っている方、そうなんです。まだ少し続きがあるので・・・なんて言ったとおり、もう少し続きがあります。

 その翁丸の続きはまたまたちょっとお休みして、今回はリクエストをいただきましたので、『枕草子』第九十八段です。

 リクエストをくださったあいすぴっく様、ありがとうございました。こんなにお待たせしようとは私も思っていませんでしたが。
 ところで第九十八段て、この話でしょうか?私の手元にある岩波文庫では、これ百三段なんですけど。大丈夫でしょうか。



 いつも申し上げていることですが、昔の人の笑いのツボというのは、二十一世紀に生きる私たちには難解極まりないものであることがあります。

 今回のエピソードは、平安時代のダジャレがいくつか登場するんです。ダジャレというのは、もとの言葉とそれに掛けられた言葉のどちらもなじみのある場合にだけ面白いのであって、ドイツ人に「これドイツんだ?オランダ。」というシャレを教えてあげても、さっぱり通じなかったりします。
(私は教えてあげたことがあります。一応、意味と「何が面白いのか?」を説明した上で。「『どいつ』は『だれ』の失礼な言い方で〜、」「ドイツは失礼ですか?」「いえいえそうではなく〜」なんて会話をしながら。結構気に入ってもらえて、「取引先の日本人に言っても大丈夫か?」と聞かれたので「それはちょっと・・・」と答えておきました。)

 平安時代のシャレも、今の私たちにとっては外国語同然なので、意味が分かったとしても「それの、どこが面白いんですか?」という疑問から逃れることは出来ないんですね〜。

 そういう覚悟で、読んでください。


 「足拭きマット」のくだりは、「氈褥(せんぞく・毛織り物のこと)」と「洗足」をかけています。「料」は「〜用」ということで、清少納言は信經に、

 「洗足用に使ってくださいよ〜。氈褥なだけに。」とボケている訳です。


 「えぬたき」は「エヌたき」などと遊んでしまいましたが、本文でこの「え」はワ行の「え」なんです。私のPCではワ行の「い」と「え」が出ない(探せない)ので、今に始まったことではないですが、「え」で表記してあります。

 清少納言は、突然この「えぬたき」の話を始めています。ダジャレつながりで引用したエピソードのようです。

 「とき柄」という言い方は、今あまりしませんよねー。でも「お日柄」とか「時節柄」などと言うように、ちょうどその時、というような意味があるのですね。下仕ながら、うまいこと返したな、という場面で今回はおしまいです。


 続きは、なるべく、長々お待たせしないうちに描きたいと思います!いつもそう思ってるんですけどねふらふら
posted by juppo at 21:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

上にさぶらふ御猫はD

忘れた頃に、続きです!
〈本文〉
 暗うなりて物食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる、つとめて、御(おおん)けづり髪(ぐし)・御手水(みちょうず)など参りて、御鏡を持たせさせたまひて御覧ずれば、さぶらふに、犬の柱のもとにいたるを見やりて、「あはれ、きのふ翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心地しけむ。」とうち言ふに、このいたる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。「さは翁丸にこそはありけれ。昨夜(よべ)は隠れ忍びてあるなりけり。」とあはれに添へてをかしきこと限りなし。
 御鏡うち置きて、「さは翁丸か。」と言ふに、ひれ伏していみじう鳴く。御前(おまえ)にもいみじうおち笑はせたまふ。右近の内侍召して、「かくなむ。」と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして渡りおはしましたり。「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり。」と笑はせたまふ。
okinamaru5.jpeg
〈juppo〉長らくお待たせいたしました。翁丸は死んじゃったんだろうな−、と落胆していた皆さん、生きてましたよ揺れるハート良かったですね。ほっとしました。


 翁丸がいじらしいのは、島流しになったために身分を明かせないからと他人(?)のふりをしていたばかりでなく、「かわいそうにたらーっ(汗)」と同情されて初めて涙を流すところですよね。


 辛い目に遭うより、優しくされて泣いてしまうという経験、皆さんありませんか?


 そんな繊細な心を持っているなんて・・と帝も感心している訳です。笑い事じゃない、という気もしますけどね。

 私は猫派なんですけど、描いていて「犬飼いたいな−」とうっすら考えてしまいました。


 これでめでたく一件落着、でいいと思うのですが、まだ続きがあります。もう1回分くらいあります。そのうち描きます。お待ちください。



 さて『HEROES』はその後もノリノリで見続けています。ところがここで問題が。

 マイTSUTAYAでは、いつ借りても『HEROES』は半額、というキャンペーンをやっていたのです。それでどんどん借りてたんですけど、「次は9巻だっ!」と借りに行ったら、キャンペーンが終わっていてもう半額じゃないんです。

 定価で借りる気持ちがさらさらない私は、手ぶらで帰ってきました。

 9巻はフツーの半額デーに借りることにします。明日です晴れ

 
posted by juppo at 18:53| Comment(4) | TrackBack(1) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

除目に司得ぬ人の家(すさまじきもの)A

続きです!
〈本文〉
ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる。」など問ふに、いらへには、「何の前司(ぜんじ)にこそは。」などぞ必ずいらふる。まことに頼みける者はいと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、ひとりふたりすべりいでて往(い)ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどしてゆるぎありきたるも、いとほしう、すさまじげなり。

jimokuni.jpg〈juppo〉お待たせしました。残りです。ご主人が国司に選ばれなかったエピソードの中に、様々な「がっかり」の形態があるものですよね〜。

 前回はあまりにも期待し過ぎていることに対しての、哀しいまでの「がっかり」でしたが、今回はもちろん本人も「がっかり」ですし、周りの人が「うちのご主人はどこそこに決まった」なんて話しているのが聞こえてきてしまうことの「がっかり」だとか、「それでも来年こそは」と、へこたれずに期待する使用人の人たちの「から元気」にも「がっかり」、という訳です。

 よく見てますよねぇ、清少納言。

 1コマ目、前司とあるのは、今回国司になれなかった殿様ですが、以前は国司だったので今の身分は「もと国司ですよ〜」という苦しい肩書きを言ってるのです。この部分、少し私の思い違いがあって分かりにくかったので実は更新当初の絵を差し換えました。絵といっても台詞を変えただけですが。詳しくはコメント欄をご覧ください↓


 さて、こんなにお待たせしてしまったのは相変わらず忙しかったからなんですけど、寝る間もない程忙しい日々の中、『HEROES』にハマっています。

 「ヤッタ−!!」の、アレです。面白いですねぇ。

 「ヤッタ−!!」のヒロことマシ・オカさんがキュートでたまらないです。妙に高い声、眼鏡に丸顔、内股でよちよち歩く様子はいかにもアキバ系なんですけど、「こういう人、大学時代にいたな」というような思いを抱いて親しみが持てるんですよ。

 緊迫感みなぎるシーンの連続の中、彼と同僚のアンドウ君のコンビ(?)が登場すると、何だかほっとします。

 アンドウ君役の人が実はチャイニーズ・アメリカンらしく、日本語がたどたどしいのも笑えます。アメリカ人にそのことを言うと、必ず「えっ、そうなの?」というリアクションが返ってきます。アメリカではアンドウ君は流暢な日本語を喋っていることになっているのですね。

 ちなみに吹替え版では、この二人の声も吹き替えられているので、アンドウ君は流暢な日本語を喋っています。
posted by juppo at 23:39| Comment(7) | TrackBack(3) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

除目に司得ぬ人の家(すさまじきもの)@

枕草子、第二十五段です。
〈本文〉
 除目(じもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。ことしは必ずと聞きて、早うありし者どもの、ほかほかなりつる、いなかだちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、いで入る車のながえもひまなく見え、物まうでする供に、われもわれもと参り仕うまつり、物食ひ、酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門(かど)たたく音もせず。怪しうなど耳立てて聞けば、先追ふ声々などして、上達部(かんだちめ)など皆いでたまひぬ。物聞きに宵(よい)より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いと物憂(う)げに歩み来るを、見る者どもはえ問ひにだにも問はず。


jimoku1.jpg
〈juppo〉『上にさぶらふ御猫は』がまだ全然途中なのですが、リクエストをいただきましたので急遽この作品を差し挟ませていただきます。

 途中で差し挟んだ上に中途半端なことには、これは『すさまじきもの』という段の後半三分の一くらいの内容です。

 実は『すさまじきもの』は以前ちょっと描きかけていたのですが、正直描いていてつまらないので2コマくらいでやめてほったらかしてしまいました。(しかもそれがどこに行ったか分かりませんたらーっ(汗))真面目に描いておくべきでした。ホントにすみません。

 現代では「凄まじい」という形容詞は、「凄まじい食欲」とか「凄まじくブサイクなヤツ」などと、「凄い」の最上級的に使っている語ですよね。

 この当時の「すさまじ」は、なんとそういう意味ではなく、「興醒めのする」とか「がっかりする」という意味だったんですって。

 つまりこの段は、「がっかり」なことを並べ立てた話ですので、描いていてつまらないと思う私の気持ちもお察しいただけると思う訳です。いえ、全然察していただく必要はないんですけど。この段はいずれ改めて最初からちゃんと描きますので〜ふらふら


 この章は、期待していたのに地方の官吏に任命されなかった人の話です。割とそのままです。

 「除目」というのがその任命式のことで、「司」というのは「国司」などの役職のことです。「国司」は今の県知事くらいの人のことだそうです。

 無事に任命されれば、どこかの国に派遣されたりして『土佐日記』の貫之さんみたいな生活を送るところなのでしょうが、残念な結果に終わった模様です。

 任命されなかったことより、期待して大勢集まって来て大騒ぎしていたのに・・・というあたりに、真の「がっかり」があるのですね。

 車の「ながえ」というのは牛車をひく牛につける棒の部分のことです。「先追ふ声々」とは、行列の先頭を歩く公家の人が、下を向いて「おーしー」とか言ってたんだそうです。記録か何かが残っているのだと思いますが、どうしてそんな昔のことが分かるのか、不思議ですよねー。

 
 まだほんの少しあるので、続きます。『御猫』の続きは、さらにその後でexclamation×2
posted by juppo at 21:55| Comment(10) | TrackBack(1) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月11日

上にさぶらふ御猫はC

結構長い話ですね。
〈本文〉
「それ。」とも言ひ、「あらず。」とも口々申せば、「右近(うこん)ぞ見知りたる。呼べ。」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か。」と見せさせたまふ。「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か。』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは『打ち殺して捨てはべりぬ。』とこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや。」など申せば、心憂がらせたまふ。
okinamaru4.jpeg
〈juppo〉私がちびちび描いているせいもあって、話が全然進展しなくて面白みがなくなって来たかも知れません。すみませんふらふら

 だからこの犬は翁丸なのか、どーなのか、イライラしますよね〜。今回のお話で、ダメ押しのように翁丸のスペシャリスト・右近が登場して、ついに「違う犬だ」と断定されてしまいました。

 実はここまでしつこく、この犬が翁丸なのかどうかもめるのには、多少理由があるのです。それがこの後のお話で多少明らかになるのです。


 とにかく早く明らかにしろ、と思われる皆さんの気持ちはよ〜く分かります。分かるのですが、もうしばらくお待ちくださいモバQ
posted by juppo at 23:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

上にさぶらふ御猫はB

続きます。
〈本文〉
 御厠人(みかわようど)なる者走り来て、「あないみじ。犬を蔵人(くろうど)二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが、帰り参りたるとて調じたまふ。」と言ふ。心憂(う)のことや、翁丸なり。「忠隆・実房(さねふさ)なんど打つ。」と言へば、制しにやるほどにからうじて鳴きやみ、「死にければ、陣の外(と)にひき捨てつ。」と言へば、あはれがりなどする、夕つ方、いみじげに腫(は)れ、あさましげなる犬のわびしげなるがわななきありけば、「翁丸か。このごろかかる犬やはありく。」と言ふに、「翁丸。」と言へど、聞きも入れず。
okinamaru3.jpeg
〈juppo〉東京ドームは最高でした黒ハートありがとうSMAPexclamation×2


 「御厠人」というのは宮中のトイレ掃除をする女官のことだそうです。清少納言は普段こういう(身分の低い)人に会わないので、「・・・とかいう人」というニュアンスで「なる者」をつけて呼んでいます。

 「蔵人」とは天皇のそばに仕える役人のことです。マイク真木の息子ではありません。

 「陣」は、ここでは警護の武士が詰めている所、のことだそうです。



 それにしても酷い目に遭い続けますね。平安時代の犬。動物愛護協会が黙っちゃいませんよ、という虐待シーンです。

 叩かれて死んだ犬が翁丸なのか、現れたボロボロの犬は死んだはずの翁丸なのか、なんだかミステリーになってきましたね。

 続きがまだまだありますので、お楽しみに揺れるハート
posted by juppo at 23:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

上にさぶらふ御猫はA

お待たせしました!ちょっとだけ、続きです!
〈本文〉
 「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月(やよい)三日、頭(とう)の弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜腰にさしなどしてありかせたまひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ。」などあはれがる。「御膳(おもの)のをりは、必ず向かひさぶらふに、さうざうしうこそあれ。」など言ひて、三四日(みかよか)になりぬる、昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむ、と聞くに、よろづの犬とぶらひ見に行く。
okinamaru2.jpeg
〈juppo〉急に寒くなりましたね。暖房onの中で描きました。

 いや〜、すみません。�,鯢舛い燭辰僂覆靴任匹譴世厩洪靴靴覆い任い燭海箸�あせあせ(飛び散る汗)
何しろ試験期間に入ってしまったので、それはもう忙しかったんですよ。私の忙しさなんて実は人並みの半分くらいなんですけどね。

 忙しくなると、寝なくなるのがいけないのです。寝る間もない程忙しくなるのは、私が基本的に夜寝ないからなんですけど(夜型なんです!)、夜も寝ないで昼間もろくに寝ないと、「眠くてたまらない」を越えて「寝ないと死んでしまう」と感じる体調になるんですよ〜。忙しくても、ちゃんと寝た方がいいですよ。

 
 猫と帝はどこへ行ったんだ?という展開ですが、そもそもこれは『枕草子』だったので、ここからは清少納言本人が登場します。帝があれほど猫にご執心だったのに、中宮サイドは犬寄り、なんでしょうか。

 「頭の弁」とは何やら役職の名前です。ここでは藤原行成(ゆきなり)という人のことだそうです。

 3、4日経ってうるさく鳴く犬ははたして翁丸なのでしょうか?続きが楽しみですね〜。お前が言うな、って感じですけど。
 

 続きは気長にお待ちください。


 お待たせしておいて何ですが、私は忙しい日々も去り、週末ゆっくり寝て、明日は東京ドームでぇぇするんるん
posted by juppo at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

上にさぶらふ御猫は@

枕草子、第九段です。
〈本文〉
 上(うへ)にさぶらふ御猫(おおんねこ)は、かうぶりにて命婦(みょうぶ)のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、端(はし)に出(い)でて臥(ふ)したるに、乳母(めのと)の馬命婦(うまのみょうぶ)、「あなまさなや。入りたまへ。」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりていたるを、おどすとて、「翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ。」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾(みす)のうちに入りぬ。
 朝餉(あさがれい)のおまへに、上おはしますに、御覧じていみじう驚かせたまふ。猫を御ふところに入れさせたまひて、男(おのこ)ども召せば、蔵人忠隆(くろうどただたか)・なりなか参りたれば、「この翁丸打ち調じて、犬島へつかはせ、ただいま。」と仰せらるれば、集まり狩りさわぐ。馬命婦をもさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし。」と仰せらるれば、御前(おまえ)にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして追ひつかはしつ。
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〈juppo〉今回は、伊勢物語でひとつ描こうかな〜、と思っていたのですが、2ヵ月ぶりに塾に来たYちゃんが試験範囲にこれが入っていると言っていたので急きょ、『枕草子』です。

 日本は久しく犬ブームで、今や10才以下の子供を犬の数が上回っていると聞きますが、平安時代の人気度は猫>犬だったのでしょうか。

 清少納言は猫好きなのかな、という気はしていましたが、帝も堂々と猫派です。
 「かうぶりにて」というのは冠をもらった、つまりそれなりの身分をもらったということです。
 この時代は貴族の中でも位があって、五位以上でないと清涼殿(帝の住まい)に出入りすることは出来なかったのです。そういうわけで、この猫は五位の位をいただいています。宮中にいさせるために位を授けたってことですかね。

 世話をする女官までついています。その馬命婦が、犬の翁丸に「食べちゃいなさい」と言ったのは、もちろん本心ではなく、ちょっと噛み付いてやれ、くらいのニュアンスだったようですが、それを本気にしたというのは「やっぱり犬はバカなのよ」という平安人の犬差別が、何となく描かれている気もしますね。
 仮に人間の言葉がわかったのなら、天才犬じゃないかと思うんですけど。

 帝はこのバカ犬を島流しの刑に処する訳ですが、犬にそこまでしないでしょうし、「犬島」というのも架空の島のようです。要するに、ちょっとしたシャレなんですけど、犬にとってはそんなシャレで追い出されるんですから、たまったものではありません。

 「滝口」というのは宮中の警護をしていた武士のことだそうです。


 犬好きの方にとっては心が痛い話ですよね〜。私はどちらかというと猫派ですが、犬も好きです。

 「犬をそんなにいじめるなよ〜」と思った皆さん、続きがありますので、しばしお待ちください犬
posted by juppo at 23:29| Comment(6) | TrackBack(4) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

にくきもの�

この段、最終回です。
〈本文〉
 今参りのさし越えて、物知り顔に教へやうなること言ひうしろみたる、いとにくし。
 はなひて誦文(ずもん)する。おほかた、人の家の男主(おとこしゅう)ならでは、高くはなひたる、いとにくし。
 蚤(のみ)もいとにくし。衣(きぬ)の下にをどりありきてもたぐるやうにする。犬のもろ声に長々と鳴きあげたる、まがまがしくさへにくし。
 あけていで入る所たてぬ人、いとにくし。

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〈juppo〉清少納言がこの段を書いて、もし皆の前で発表する機会があったとしたら、「あるあるあるある!」の大合唱だったことでしょうね。
 今読んでも、「いるいる、そういうヤツむかっ(怒り)」と思うシーンが並んでいますからね。

 くしゃみのくだりは、21世紀の私たちから見ると、言い掛かりとしか思えないのですが、何ごとにも礼を重んじる平安人ならではの怒り、なんでしょうね。

 くしゃみは当時不吉なものとされていて、おまじないを唱えないと不幸を招くと思われていたんですって。欧米の方が、くしゃみをした人に対して「bless you!」と言うようなことを、自分でしていたのですね。

 蚤がムカつくのは分かりますが、着物を「もたぐる」ようにする蚤とは、どれだけ巨大だったのでしょうか。単に感覚なんでしょうか。

 
 開けた所を閉めない人、これはムカつきます。脱いだ靴下を放置する人もイヤですね。

 何ごとも「人の振り見て我が振り直せ」といいますから、周りを不快にしないよう、気をつけて行動しましょうね、という清少納言のメッセージなのかも知れません。
posted by juppo at 22:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

にくきもの�

さらに、続きです。
〈本文〉
 ねぶたしと思ひて伏したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風(はかぜ)さへその身のほどにあるこそ、いとにくけれ。
 きしめく車に乗りてありく者。耳も聞かぬにやあらむといとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。
 また、物語りするに、さしいでして、われひとりさいまぐる者。すべてさしいでは、童(わらわ)もおとなもいとにくし。
 あからさまに来たる子ども・童べを、見入れらうたがりて、をかしきもの取らせなどするに、ならひて、常に来つつ、い入りて調度うち散らしぬる、いとにくし。
 家にても、宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、空寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔にひきゆるがしたる、いとにくし。

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〈juppo〉「いとにくし」が止まりません。何かあったんでしょうか、清少納言。

 確かに、それはムカつくよね〜ということばかりですけど。

 寝ている時の蚊。眠りにつく頃に来るんです。起きるといないんです。陰謀を感じます。やっぱり平安時代もそうだったのですね。

 牛車の音が憎らしいのは今で言うと、電車の中のイヤホンの音もれなんかに匹敵するのかも知れませんね。「耳も聞かぬにやあらむ」とは穏やかではありませんが。今なら放送禁止でしょう。

 音にイライラさせられることって、ありますよね。個人的に私がイヤなのは、映画館の中でレジ袋や紙袋をガサガサさせている人、あれ、やめてもらえないでしょうか。


 子どものいたずらにも容赦がない筆者です。「小さきものはみなうつくし」と言っていた人と同一人物とは思えない過激さです。 

 一般的なことから些細なことまで、憎らしい目録はもう少し、続きます。


 ところで、訂正したいことがひとつ。

 『にくきもの� 戮硫鮴發如�験者が忙しいのを「掻き入れ時」と表現しましたが、実は「書き入れ時」と書くのが正しいのだそうです。

 商店などでは、繁盛すると帳簿に書き入れる作業も忙しくなったことから出来た言葉なのです、と、NHKのことばおじさんが言っていました。

 ことばおじさんがそう言うのですから間違いないんでしょう。


 私などは人間が出来ていないので、若い人の言葉使いを「いとにくし」と感じることも少なくないのですが、落ち着き払って「言葉は、変わっていくものなんですねぇ。」と言うことばおじさんには脱帽です。

 見習いたいものですよねぇえ。

posted by juppo at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

にくきもの�

続きです。
〈本文〉
 なでふことなき人の、笑(え)がちにてものいたう言ひたる。火桶(ひおけ)の火、炭櫃(すびつ)などに、手の裏うち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか若やかなる人などさはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端(はた)に足をさへもたげて、もの言ふままにおしすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、いむとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎ散らして、塵(ちり)掃き捨て、いも定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前巻き入れてもいるべし。かかることは、いふかひなき者のきはにやと思へど、少しよろしき者の式部の大夫(たゆう)などいひしがせしなり。
 ものうらやみし、身のうへ嘆き、人のうへ言ひ、つゆ塵のこともゆかしがり、聞きまほしうして、言ひ知らせぬをば怨(えん)じ、そしり、また、わづかに聞き得たることをば、われもとより知りたることのやうに、こと人に語りしらぶるも、いとにくし。

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〈juppo〉ムカつく話はまだまだ続きます。そんなに何もかにもカチンと来なさんな、と言ってあげたい程ですが、まったく、浜の真砂は尽きるとも、世に「ムカつき」の種は尽きまじ、なのであります。

 人の立ち居振る舞いを見てムカつく。些細なことですけど、実際こういうことに我慢出来ない思いをすることは現代でもいくらでもありますね。

 自分の座るところだけ塵を掃いて座る。座っても落ち着かなくて服装にも無頓着。(狩衣とは狩りのための衣服が普段着になったもので、前に垂れる布はエプロンのように広げて座るのが作法だったのだそうです。)
 あー、そういうおっさんて、いるよなぁ〜、と21世紀になっても同調出来てしまうのが凄いです。おっさんの進化は平安時代止まりなのでしょうか。

 式部大夫というのは個人名ではなく、役職名です。要するに身分のそこそこ高い人を指しています。

 
 有名な古典の作品だからどんだけ格調高い世界が展開しているのやら、と思って読むと、実はこんな下世話な内容だったというのが面白いですよね。



 ところで、私事で恐縮ですが今日は私の誕生日でした!誕生日の夜にひとりでブログの更新をしているのは世間的に見てどうなのか分かりませんが、私としては、この程度でも、この上ない幸せな誕生日だったことをお伝えしておきます。

 

posted by juppo at 23:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

にくきもの�

枕草子、二十八段です。
〈本文〉
 にくきもの。急ぐことあるをりに来て長言(ながごと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに。」とてもやりつべけれど、さすがに心恥づかしき人、いとにくくむつかし。
 硯(すずり)に髪の入りてすられたる。また、墨の中に石のきしきしときしみ鳴りたる。
 にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんざ)求むるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持(かじ)せさするに、このごろ物の怪(もののけ)にあづかりて、困(こう)じけるにや、いるままにすなはちねぶり声なる、いとにくし。

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〈juppo〉『枕草子』でおなじみ「〜もの」シリーズです。「にくらしいもの」を並べ立てている章ですが、訳しているとどうしても「ムカつく」になってしまうのです。

 「ムカつく」ことってよくありますよね。特にこの時期に多いのでしょうか。五月病などと言いますが、思っていたことと違う、気持ちが乗らない、などもやもやしてしまう季節なのかも知れません。

 「山程ムカつくこと」は毎日あるけど、「腐ってたらもうそこで終わり〜るんるん」と歌っていたのはかつてのSMAPですが、皆さんもムカつく日々を乗り越えて、たくましく生きていってくださいね黒ハート


 「ムカつく」という言葉が今の意味で使われているのを、私が初めて知ったのは中学一年の時です。その時まで「ムカつく」という語は「胸がムカムカする、気持ち悪い」という意味だけで使われていました。

 じゃあそれまで「ムカつく」ことは何と表現していたのかというと、「頭に来る」と言っていたのだと思います。そのままですね。


 さて、験者とは、修行を積んでお払いなどをする人のことです。陰陽師もこの類いです。

 この時代、病気になるのは「もののけ」のせいだと思われていました。「もののけ」は時に生き霊だったりするんですが、そういう得体の知れないものが取り憑いて、具合を悪くしているのだという理論です。

 こういうやり方で験者に都合がいいのは、病人が助かっても助からなくても「もののけ」のせいに出来るところですね。


 このころ、伝染病か何かで病人が続出し、験者が忙しかったらしいのです。
 修行は積んでいても「もののけ」頼みの業種ですから、プロ意識の程が窺える訳で、病気の流行に便乗して駆けずり回っているのでしょう。居眠りする程忙しい、まさに掻き入れ時なんですね。
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2008年02月03日

雪のいと高う降りたるを

枕草子、第二百九十九段です。
〈本文〉
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まいりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。
 人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。

yukinoito.jpg〈juppo〉関東地方は雪が降っています。凄く降っているので、電車が止まったり車の運転に支障が出る前に、さっさと帰りたいと思います。焦っています。

 平安時代の家屋は、壁で密封されたものではなく、簾(すだれ)だとか格子を立て掛けただけで、風通しがめちゃくちゃ良かったようです。寒いです。寒いので、十二枚も着物を重ねて着るようになった、なんて話はどこでも見られるのでここではしません(してんじゃん)。
 
 そのようにただでさえ寒いのに、雪が降ったりすると格子を上げていつもは雪を見るんだそうですから、その風流さは尋常ではありません。風流命!って感じですね。
 
 風流である平安人であるならば、雪と言えば「香炉峰の雪」、「香炉峰の雪」と言えば「簾を上げて見る」、というように連想出来てこそ一流、というような話です。

 昔、中国の白楽天という詩人が「香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看(み)る」と詠んだので、中宮定子が清少納言にその一節を思いつくかしら?と謎掛けをして、見事に清少納言はそれに答えた、という訳です。簾を上げれば香炉峰が見える、という訳ではないんです。

 最後はここでも、「それでみんなが『さすが〜』って言うのよ。」と、あからさまな自慢で終わっています。
 自慢話が多くて、清少納言ってちょっとナルだったのかな?とも思えますが、正直に書いて、千年経ってもこうして「凄い人だったんだな」と思ってもらえるのですから、書いたもん勝ちですよね。自慢したいことはどんどん、包み隠さず、堂々と書きましょう、皆さん。

 では、私は雪の中を帰りまーす。
posted by juppo at 21:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

ただ過ぎに過ぐるもの

枕草子、二百六十段です。
〈本文〉
 ただ過ぎに過ぐるもの。帆かけたる舟。人のよはひ。春、夏、秋、冬。

suginisuguru.jpg
〈juppo〉短いですが、これで一段です。
 過ぎていくもの、「速いなぁ」と思うものです。今だったら「帆かけたる舟」が「のぞみ」に代わるくらいで、後は同じになると思います。
 
 「のぞみ」って速いですよね。名古屋から新横浜まで帰ってくるのに1時間半くらいしかかからないので、寝る間もない程です。「のぞみ」が登場した時、「なるほど。『こだま(音)』より速いのが『光』で、それより速いのが『望み』なんだ。じゃあそれより速いのが出来たら何になるのかなぁ?『望み』より速いもの・・・『ウワサ』?」なんてことを一人で考えたりしていましたが、全く今回のお話とは関係ありません。

 
 平安時代ならば、定めて人はゆったりとした人生を歩んでいたのだろうと思ったら大間違いなんですね。
 
 自分が年をとるのが速く感じられるのは言うまでもなく、子供が大人になるのとか、活躍していた人が老いていくのとか、そしてもちろん「えー、もう今年も終わりじゃん!!」と毎年思うのとか、いつの時代も同じように感じているのですね。

 
 先日、読売新聞の記者欄にこの段が紹介されていたのを見て、描こうと思いました。「今年は秋がなくてすぐ冬になる」という情報通り、急に寒くなった10月に「ついこの間まで汗だくだったのに」という思いを抱きつつ描きました。
posted by juppo at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

木の花は�

長らくお待たせしました。この章、完結編です。
〈本文〉
 桐の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土(もろこし)にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみいるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音(ね)のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
 木のさま憎げなれど、楝(おうち)の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。

kinohana3.jpg
〈juppo〉すみません。軽く夏バテてました。汗をかいたことだけが夏の思い出です。夏休み中にたくさん作品を紹介したかったのですが。実を言うと、花を描くのに飽きてしまったというのもあります。こんなに次から次へと花が登場するとは・・。何種類の花が出て来たんでしょう。梅、桜、橘、梨、桐、センダン・・6種類ですね。そんなに多くないですね。でも、「何の花が好き?」と聞かれてこれだけ並べるのは大変ではないですか?「木に咲く花」限定でですよ。そのひとつひとつに、ここはいいけどここは良くないとか、いちいち中国の故事を引き合いに出して表現してみるとか、サラッと書いていて、深いです。昔の人の自然を見る目は豊かですね。私は桐の花なんて実物を見たことがありません。
 本文では『ことごとしき名つきたる鳥』としか言ってませんが、これが鳳凰(ほうおう)のことで神の鳥とか火の鳥とかフェニックスのことです。ダンブルドア校長の部屋で、金の止まり木に止まってるヤツです。金の止まり木は、多分桐ではないでしょう。
posted by juppo at 23:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする