2008年06月03日

にくきもの�

続きです。
〈本文〉
 なでふことなき人の、笑(え)がちにてものいたう言ひたる。火桶(ひおけ)の火、炭櫃(すびつ)などに、手の裏うち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか若やかなる人などさはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端(はた)に足をさへもたげて、もの言ふままにおしすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、いむとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎ散らして、塵(ちり)掃き捨て、いも定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前巻き入れてもいるべし。かかることは、いふかひなき者のきはにやと思へど、少しよろしき者の式部の大夫(たゆう)などいひしがせしなり。
 ものうらやみし、身のうへ嘆き、人のうへ言ひ、つゆ塵のこともゆかしがり、聞きまほしうして、言ひ知らせぬをば怨(えん)じ、そしり、また、わづかに聞き得たることをば、われもとより知りたることのやうに、こと人に語りしらぶるも、いとにくし。

nikukimono2.jpg
〈juppo〉ムカつく話はまだまだ続きます。そんなに何もかにもカチンと来なさんな、と言ってあげたい程ですが、まったく、浜の真砂は尽きるとも、世に「ムカつき」の種は尽きまじ、なのであります。

 人の立ち居振る舞いを見てムカつく。些細なことですけど、実際こういうことに我慢出来ない思いをすることは現代でもいくらでもありますね。

 自分の座るところだけ塵を掃いて座る。座っても落ち着かなくて服装にも無頓着。(狩衣とは狩りのための衣服が普段着になったもので、前に垂れる布はエプロンのように広げて座るのが作法だったのだそうです。)
 あー、そういうおっさんて、いるよなぁ〜、と21世紀になっても同調出来てしまうのが凄いです。おっさんの進化は平安時代止まりなのでしょうか。

 式部大夫というのは個人名ではなく、役職名です。要するに身分のそこそこ高い人を指しています。

 
 有名な古典の作品だからどんだけ格調高い世界が展開しているのやら、と思って読むと、実はこんな下世話な内容だったというのが面白いですよね。



 ところで、私事で恐縮ですが今日は私の誕生日でした!誕生日の夜にひとりでブログの更新をしているのは世間的に見てどうなのか分かりませんが、私としては、この程度でも、この上ない幸せな誕生日だったことをお伝えしておきます。

 

posted by juppo at 23:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月01日

にくきもの�

枕草子、二十八段です。
〈本文〉
 にくきもの。急ぐことあるをりに来て長言(ながごと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに。」とてもやりつべけれど、さすがに心恥づかしき人、いとにくくむつかし。
 硯(すずり)に髪の入りてすられたる。また、墨の中に石のきしきしときしみ鳴りたる。
 にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんざ)求むるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持(かじ)せさするに、このごろ物の怪(もののけ)にあづかりて、困(こう)じけるにや、いるままにすなはちねぶり声なる、いとにくし。

nikukimono1.jpg
〈juppo〉『枕草子』でおなじみ「〜もの」シリーズです。「にくらしいもの」を並べ立てている章ですが、訳しているとどうしても「ムカつく」になってしまうのです。

 「ムカつく」ことってよくありますよね。特にこの時期に多いのでしょうか。五月病などと言いますが、思っていたことと違う、気持ちが乗らない、などもやもやしてしまう季節なのかも知れません。

 「山程ムカつくこと」は毎日あるけど、「腐ってたらもうそこで終わり〜るんるん」と歌っていたのはかつてのSMAPですが、皆さんもムカつく日々を乗り越えて、たくましく生きていってくださいね黒ハート


 「ムカつく」という言葉が今の意味で使われているのを、私が初めて知ったのは中学一年の時です。その時まで「ムカつく」という語は「胸がムカムカする、気持ち悪い」という意味だけで使われていました。

 じゃあそれまで「ムカつく」ことは何と表現していたのかというと、「頭に来る」と言っていたのだと思います。そのままですね。


 さて、験者とは、修行を積んでお払いなどをする人のことです。陰陽師もこの類いです。

 この時代、病気になるのは「もののけ」のせいだと思われていました。「もののけ」は時に生き霊だったりするんですが、そういう得体の知れないものが取り憑いて、具合を悪くしているのだという理論です。

 こういうやり方で験者に都合がいいのは、病人が助かっても助からなくても「もののけ」のせいに出来るところですね。


 このころ、伝染病か何かで病人が続出し、験者が忙しかったらしいのです。
 修行は積んでいても「もののけ」頼みの業種ですから、プロ意識の程が窺える訳で、病気の流行に便乗して駆けずり回っているのでしょう。居眠りする程忙しい、まさに掻き入れ時なんですね。
posted by juppo at 23:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

雪のいと高う降りたるを

枕草子、第二百九十九段です。
〈本文〉
 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まいりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。
 人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。

yukinoito.jpg〈juppo〉関東地方は雪が降っています。凄く降っているので、電車が止まったり車の運転に支障が出る前に、さっさと帰りたいと思います。焦っています。

 平安時代の家屋は、壁で密封されたものではなく、簾(すだれ)だとか格子を立て掛けただけで、風通しがめちゃくちゃ良かったようです。寒いです。寒いので、十二枚も着物を重ねて着るようになった、なんて話はどこでも見られるのでここではしません(してんじゃん)。
 
 そのようにただでさえ寒いのに、雪が降ったりすると格子を上げていつもは雪を見るんだそうですから、その風流さは尋常ではありません。風流命!って感じですね。
 
 風流である平安人であるならば、雪と言えば「香炉峰の雪」、「香炉峰の雪」と言えば「簾を上げて見る」、というように連想出来てこそ一流、というような話です。

 昔、中国の白楽天という詩人が「香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看(み)る」と詠んだので、中宮定子が清少納言にその一節を思いつくかしら?と謎掛けをして、見事に清少納言はそれに答えた、という訳です。簾を上げれば香炉峰が見える、という訳ではないんです。

 最後はここでも、「それでみんなが『さすが〜』って言うのよ。」と、あからさまな自慢で終わっています。
 自慢話が多くて、清少納言ってちょっとナルだったのかな?とも思えますが、正直に書いて、千年経ってもこうして「凄い人だったんだな」と思ってもらえるのですから、書いたもん勝ちですよね。自慢したいことはどんどん、包み隠さず、堂々と書きましょう、皆さん。

 では、私は雪の中を帰りまーす。
posted by juppo at 21:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

ただ過ぎに過ぐるもの

枕草子、二百六十段です。
〈本文〉
 ただ過ぎに過ぐるもの。帆かけたる舟。人のよはひ。春、夏、秋、冬。

suginisuguru.jpg
〈juppo〉短いですが、これで一段です。
 過ぎていくもの、「速いなぁ」と思うものです。今だったら「帆かけたる舟」が「のぞみ」に代わるくらいで、後は同じになると思います。
 
 「のぞみ」って速いですよね。名古屋から新横浜まで帰ってくるのに1時間半くらいしかかからないので、寝る間もない程です。「のぞみ」が登場した時、「なるほど。『こだま(音)』より速いのが『光』で、それより速いのが『望み』なんだ。じゃあそれより速いのが出来たら何になるのかなぁ?『望み』より速いもの・・・『ウワサ』?」なんてことを一人で考えたりしていましたが、全く今回のお話とは関係ありません。

 
 平安時代ならば、定めて人はゆったりとした人生を歩んでいたのだろうと思ったら大間違いなんですね。
 
 自分が年をとるのが速く感じられるのは言うまでもなく、子供が大人になるのとか、活躍していた人が老いていくのとか、そしてもちろん「えー、もう今年も終わりじゃん!!」と毎年思うのとか、いつの時代も同じように感じているのですね。

 
 先日、読売新聞の記者欄にこの段が紹介されていたのを見て、描こうと思いました。「今年は秋がなくてすぐ冬になる」という情報通り、急に寒くなった10月に「ついこの間まで汗だくだったのに」という思いを抱きつつ描きました。
posted by juppo at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

木の花は�

長らくお待たせしました。この章、完結編です。
〈本文〉
 桐の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土(もろこし)にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみいるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音(ね)のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
 木のさま憎げなれど、楝(おうち)の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。

kinohana3.jpg
〈juppo〉すみません。軽く夏バテてました。汗をかいたことだけが夏の思い出です。夏休み中にたくさん作品を紹介したかったのですが。実を言うと、花を描くのに飽きてしまったというのもあります。こんなに次から次へと花が登場するとは・・。何種類の花が出て来たんでしょう。梅、桜、橘、梨、桐、センダン・・6種類ですね。そんなに多くないですね。でも、「何の花が好き?」と聞かれてこれだけ並べるのは大変ではないですか?「木に咲く花」限定でですよ。そのひとつひとつに、ここはいいけどここは良くないとか、いちいち中国の故事を引き合いに出して表現してみるとか、サラッと書いていて、深いです。昔の人の自然を見る目は豊かですね。私は桐の花なんて実物を見たことがありません。
 本文では『ことごとしき名つきたる鳥』としか言ってませんが、これが鳳凰(ほうおう)のことで神の鳥とか火の鳥とかフェニックスのことです。ダンブルドア校長の部屋で、金の止まり木に止まってるヤツです。金の止まり木は、多分桐ではないでしょう。
posted by juppo at 23:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月08日

木の花は�

続きでーす。
〈本文〉
 梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝(みかど)の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨下(りか)一枝、春、雨を帯びたり。」など言ひたるは、おぼろげならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。

kinohana2.jpg
〈juppo〉前章で梅・桜・橘を絶賛してたのに、一転して梨は何故か、けちょんけちょんです。何があったんでしょう。何がそこまで梨を悪者にするんでしょうか。魅力のない人の顔を例えて言うなんて、あんまりです。
 楊貴妃の泣き顔についてですが、白楽天という人が書いた『長恨歌』という叙事詩の中にこの記述があるんだそうですが、この時、楊貴妃はもう死んでいて、お使いの者が楊貴妃の魂に会って、「皇帝はあなたを懐かしがっていますよ」とか何とか言ったことに対しての、涙なのだそうです。梨の花のようだ、って「そりゃ死人の顔だからめちゃくちゃ白いってことだろ!」とツッコミを入れてもいいのではないか、と。清少納言は勉強家なので、「中国の詩に出てくるんだから、それなりの意味があるはず。」と素直に感じ入っておられる訳ですが。
 この段はまだ続きがあります。次回は『木の花は��』をお届けします。さて、何の花が登場するでしょう。
posted by juppo at 23:32| Comment(2) | TrackBack(1) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月04日

木の花は�

枕草子、三十七段です。おっ!カラーだ!
〈本文〉
 木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
 四月(うづき)のつごもり、五月(さつき)のついたちのころほひ、橘(たちばな)の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金(こがね)の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる朝ぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。

kinohana1.jpg
〈juppo〉木に咲く花ではこれが好き、あれが好き、とひたすら並べた作品です。植物図鑑みたいですね。実際、花は植物図鑑を見ながら描きました。せっかくなので色を塗ってみました。色鉛筆で塗っただけですけど。大人の塗り絵。
 桜なのに、葉と花が一緒に見られるとは?と不思議に思ったら、この桜は「山桜らしい」ということでした。四月の末から五月の初めというのは、今で言うと5月から6月。初夏です。「橘」は辞書を見ると「こうじみかん」と出ています。みかんの一種です。その橘には、ほととぎすが身を寄せる木であるとして『万葉集』の時代からたくさんの歌に詠まれてきたのだそうです。それだけ情緒のある木だー!ということが言いたいのですね。
 これには続きがあるので、多分次回はそれを。
 
posted by juppo at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月27日

二月(きさらぎ)つごもりごろに�

続きです。鼻水は止まりました。
〈本文〉
みないと恥づかしき中に、宰相の御いらへをいかでかことなしびに言ひいでむと、心ひとつに苦しきを、御前(おまえ)に御覧ぜさせむとすれど、うへのおはしまして、大(おお)とのごもりたり。主殿司は、「とくとく。」と言ふ。げにおそうさへあらむは、いととりどころなければ、さはれとて、

 空寒み花にまがへて散る雪に

と、わななくわななく書きて取らせて、いかに思ふらむと、わびし。これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢(としかた)の宰相など、『なほ、内侍(ないし)に奏してなさむ。』となむさだめたまひし。」とばかりぞ、左兵衛(さひょうえ)の督(かみ)の、中将におはせし、語りたまひし。

kisaragitsugomori2.jpg
〈juppo〉 「内侍」はやはり役職名で、天皇のおそばに仕えて文書などを受け持つ係のこと。女官たちの憧れの職業だったそうです。送られた下の句に、とっさにつけた上の句がよく出来ていたので、「これだけの才能ならば昇進させてあげたいくらいだね。」という良い評判を得た、という話です。
 最後まで読んで、「結局自慢話かよ!」と思われた方、そうなんですよ。清少納言という人は才能溢れる人だったようで、「枕草子」にはこうした「ほめられちゃった��」系の話が結構登場します。でも、ただ得意げになっているのではなく、「私のことをみんな凄いとか流石とか言うけど、実はこんなに苦労してるんだからね!」という打ち明け話でもありますよね。この章は。なんだか、今この瞬間にも、誰かがどこかでブログに書いている日記みたいではないですか?実際、日記なんですけど。
 ところで、「風邪がひどくて後編を更新出来ないのでは?」と万が一思われた方がいらしたら、ご心配をおかけしました。風邪はまだ治ってないんですけど、滅法フツーに生活しています。皆さんも季節外れの風邪にお気をつけ下さい。

posted by juppo at 00:07| Comment(4) | TrackBack(1) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

二月(きさらぎ)つごもりごろに�

枕草子、第百六段です。
〈本文〉
 二月(きさらぎ)つごもりごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたるほど、黒戸に主殿司(とのもづかさ)来て、「かうてさぶらふ。」と言へば、寄りたるに、「これ、公任(きんとう)の宰相(さいしょう)殿の。」とてあるを、見れば、懐紙(ふところがみ)に、

 すこし春あるここちこそすれ

とあるは、げにけふのけしきにいとようあひたる、これが本(もと)はいかでかつくべからむと思ひわづらひぬ。「たれたれか。」と問へば、「それそれ。」と言ふ。

kisaragitsugomori1.jpg
〈juppo〉こんな季節に風邪をひいてしまい、鼻水が止まりません。ここで紹介する作品は、せめて季節感のあるものを・・と思ったのですが、高校生の姪に「今古文何やってるの?」と聞いたらこれだ、ということだったので。
もっとも、二月といっても陰暦の二月なので、今の暦に直すと3月の末くらいです。春の話な訳です。「つごもり」は「月ごもり」という言葉から来ているんだそうで、「月末」という意味です。「黒戸」は清涼殿(帝のお住まいですね)の中の一部のこと。「公任」は人の名前で「宰相」は役職名です。公任という知識ある歌人で偉い人から、下の句だけ送られてきた清少納言が、どう上の句を読んで返すのか!?というのが、この作品の見どころになっているのです。その見どころとなる後編は、多分、近いうちに!
posted by juppo at 00:00| Comment(2) | TrackBack(3) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

はしたなきもの

枕草子、第百二十七段です。
〈本文〉
 はしたなきもの、異人(ことひと)を呼ぶに、われぞとてさしいでたる。物など取らするをりはいとど。
 おのづから人の上などうち言ひそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに言ひいでたる。
 あはれなることなど、人の言ひいで、うち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつといで来ぬ、いとはしたなし。泣き顔つくり、けしき異になせど、いとかひなし。
 めでたきことを見聞くには、まづただいで来にぞいで来る。

hashitanakimono.jpg
『うつくしきもの』に続いて今回は『はしたなきもの』です。
「はしたなし」は現代の言葉「はしたない(たしなみがない、下品だ)」とはこれまた意味が少し違って、「端(はした)がない」ことから、「中途半端な」とか「間が悪い」という意味だったんですね。
教科書では「ばつが悪い」とか「決まりが悪い」と訳されたりするんですが、それらの言葉も高校生から見たら既に古語かな、と思って「ビミョー」にしちゃいました。
posted by juppo at 23:31| Comment(7) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

うつくしきものA

続きです。
〈本文〉
 いみじう白く肥えたる児の、二つばかりなるが、ニ藍(ふたあい)の薄物など、衣長にて襷(たすき)結ひたるがはひいでたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、みなうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児(おのこご)の、声は幼げにて文読みたる、いとうつくし。
 鶏のひなの、足高に、白うをかしげに、衣短かなるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに立ちてありくもをかし。また、親の、共に連れてたちて走るも、みなうつくし。かりのこ。瑠璃の壷。

utsukushikimono2.jpg
〈juppo〉後半も、可愛い黒ハートものオンパレードです。前半に引き続き、小さい子に注目していますが、こちらでは着物の着方ひとつとっても可愛らしい黒ハート、と。庭先にいるひよこが歩いているだけで可愛い黒ハートロハスですね。
皆さんも、ご自分の「可愛いモノ」を並べてみてはいかがでしょうか。自分の価値観なんてものが、露になるかも知れません。
posted by juppo at 23:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

うつくしきもの@

枕草子、第百五十一段です。
〈本文〉
 うつくしきもの。瓜にかきたる児(ちご)の顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなる児の、急ぎてはひ来る道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指(および)にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭(かしら)は尼そぎなる児の、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。
 大きにはあらぬ殿上童(てんじょうわらわ)の、装束(そうぞ)きたてられてありくもうつくし。をかしげなる児の、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。
 雛(ひいな)の調度。蓮(はちす)の浮き葉のいと小さきを、池より取り上げたる。葵のいと小さき。何も何も小さきものはみなうつくし。

utsukushikimono1.jpg
〈juppo〉1コマ目の「瓜」は、小さくて苦くて食べられない瓜で、人形遊びに使ったものらしいです。だから子どもの顔を描いたのでしょうね。
 枕草子の人気の鍵はここにある、とさえ思える『並べる』シリーズの一つです。他に『すさまじきもの』『にくきもの』『ありがたきもの』などがあって、それぞれタイトルに合った「もの」を並べて書いただけの作品なんです。今回の『うつくしきもの』はひたすらかわいらしいもの黒ハートを並べています。教科書にはこの前半しか載っていないのかな?と思いましたが、後半があるのでそちらも近日中にUPします。「美し」は現代語の意味と違って、幼いもの・弱いものを愛おしく思い慈しむというような意味です。若い頃の私は、そんな、ただ自分の好きなものを並べただけの文章が、それほど良いものなのかよく分からなかったのですが、今読むと当たり前のようで万人に通じる堅固な答を正しく並べている清少納言の日常を見る目はやっぱり凄いな、と思えます。ここに描いたような小さい子どものなんてことない仕草は、時代を経ても誰が見ても、「かわいらしい」んですから。

 何も何も小さきものはみなうつくし

慈しまねばなりません。

posted by juppo at 21:57| Comment(26) | TrackBack(2) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

中納言参りたまひて

枕草子、第百二段です。

こちらの作品は、2016年7月に中納言参りたまひて(改)として、改めて記事を作成しております。
こちらにたどり着いた方は、↑クリックして移動してください!!

〈本文〉
 中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。」と申したまふ。「いかやうにかある。」と問ひきこえさせたまへば、「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ、人々申す。まことに、かばかりのは見えざりつ。」と、言(こと)高くのたまへば、「さては、扇のにはあらで、海月(くらげ)のななり。」と聞こゆれば、「これ、隆家が言にしてむ。」とて、笑ひたまふ。
 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ」と言へば、いかがはせむ。

chuunagon.jpg

〈juppo〉中宮定子は一条天皇のお后で清少納言が仕えていた人物。隆家は藤原隆家といって定子の弟です。彼等のお父さんが道隆でその兄弟に道長がいて・・なんですけどそれはまた別の機会に。




ところで、最後のコマの「むかつくこと」なんですが、この作品をずいぶん前に描いた時、「かたはらいたきこと」の訳が「見苦しいこと、聞き苦しいこと」であるという知識だけで「むかつくこと」にしてしまいました。

その時も、ちょっと乱暴な訳かな、と思ったのですが、こうしてしまったことで解釈がしにくくなっていることに、最近ご質問を受けて気づきました。
 私は「かやうのこと」が何を指すかを良く考えていなかったんです。


 かやうな=このようなことというのは、直前に語られている中納言の態度に対してだと思っていたのですが、実は、差し出がましい真似をした自分に対して「見苦しい」と感じているのですね。

 「自分の手柄話をするようで見苦しい」と解釈するのが正しいようです。


漫画の方は時間があればいつか描き直したいと思いますが、とりあえずは

「こんな自慢話みたいなことをする自分にむかついている」「そういうカテゴリに入れるべきだけど」くらいの意味だと押さえておいてください。何かとご迷惑をおかけいたします。
posted by juppo at 22:31| Comment(22) | TrackBack(0) | 枕草子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする