〈本文〉
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝(みかど)の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨下(りか)一枝、春、雨を帯びたり。」など言ひたるは、おぼろげならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。

〈juppo〉前章で梅・桜・橘を絶賛してたのに、一転して梨は何故か、けちょんけちょんです。何があったんでしょう。何がそこまで梨を悪者にするんでしょうか。魅力のない人の顔を例えて言うなんて、あんまりです。
楊貴妃の泣き顔についてですが、白楽天という人が書いた『長恨歌』という叙事詩の中にこの記述があるんだそうですが、この時、楊貴妃はもう死んでいて、お使いの者が楊貴妃の魂に会って、「皇帝はあなたを懐かしがっていますよ」とか何とか言ったことに対しての、涙なのだそうです。梨の花のようだ、って「そりゃ死人の顔だからめちゃくちゃ白いってことだろ!」とツッコミを入れてもいいのではないか、と。清少納言は勉強家なので、「中国の詩に出てくるんだから、それなりの意味があるはず。」と素直に感じ入っておられる訳ですが。
この段はまだ続きがあります。次回は『木の花は��』をお届けします。さて、何の花が登場するでしょう。