2014年07月06日

村上天皇と中宮安子A

 続きです。期末テスト中の皆さん、ご苦労様です。
〈本文〉
「渡らせ給(たま)へ」と申(まう)させ給へば、思ふにこのことならむ、とおぼしめして、渡らせ給はぬを、たびたび、なほも御消息(ごせうそこ)ありければ、渡らずばいとどこそはむづからめと、恐ろしう、いとほしくおぼしめして、おはしましたるに、「いかで、かかることはせさせ給ひたるぞ。いみじからむさかさまの罪ありとも、この人々をばおぼしめし免(ゆる)すべきなり。いはむや、まろが意(こころ)ざまにて、かくせさせ給ふは、いとあるまじく心憂(こころう)きことなり。ただ今召(め)し返(かへ)せ」と申させ給ひければ、「いかでか、ただ今は免さむ。音聞(おとぎ)き見苦しきことなり」と聞こえさせ給ひけるを、「さらにあるべきことならず」と、責め給ひければ、「さらば」とて、帰り渡らせ給ふを、「おはしましなば、ただ今しも免させ給はじ。ただこなたにてを召せ」とて、御衣(おんぞ)をとらへ奉(たてまつ)りて、立て奉らせ給はざりければ、いかがはせむとおぼしめして、この御方(おほんかた)に職事(しきじ)召してぞ、参(まゐ)るべきよしの宣旨(せんじ)を下させ給ひける。これのみにもあらず、かやうなる事(こと)ども、いかに多く聞こえ侍(はべ)りしかは。
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〈juppo〉後半はほとんど夫婦ゲンカの8コマでした。完全に尻に敷かれる村上天皇です。中宮安子は、調べたら13歳くらいで村上さんに嫁いでいます。嫁いだ時はまだ天皇ではありませんでした。村上天皇を継ぐ冷泉天皇、その次の円融天皇を産んだ人なのだそうです。そしてこの『大鏡』ではおなじみの、藤原道長は甥にあたるそうですよ。
 帝にとっては本妻ですし、子供を何人も産んでいるらしいので、もっとどーんと構えていても良さそうな気もしますが、この気性の荒さがあってこそ本妻の座を死守し得たのかもしれません。38歳くらいで亡くなってしまうようですけど。

 一方の帝はどう見ても后を愛してますよね。なんだかんだ言っても妻の要求を最後には飲んでますからねー。「さかさまの罪」というのはその名の通り、従うべき主君や親を裏切る罪のことだそうですが、そんな罪を犯しても自分に免じて許すべきだ、という主張です。その自信は一体どこから・・・と呆れるほどの強さに押されるしかなかったとしても、恐らくこういう事が日頃から繰り返されていて、そのつど帝が引いてるんだろうな、と思わせる結末であります。

 このお話は今回で終了です。前回書いた通り、ここに至る前半部分はいつか機会かリクエストがあったら、描こうと思います。


 さて、期末テストが終わればもうすぐ夏休みですね!皆さん、夏休みの予定はもうお決まりですか?

 我が家では最近、奥多摩方面の温泉巡りがブームです。
IMG_0485.JPGこれでも東京都。
IMG_0526.JPG秋川渓谷では忍者を募集しております。
IMG_0565.JPG先週は山梨まで。
posted by juppo at 02:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

村上天皇と中宮安子@

リクエストにお応えします!大変長らくお待たせいたしています。『大鏡』です。
〈本文〉
 藤壷(ふぢつぼ)、弘徽殿(こきでん)、上(うへ)の御局(みづぼね)は、ほどもなく近きに、藤壷の方(かた)には小一条女御(こいちでうのにようご)芳子(ほうし)、弘徽殿にはこの后(きさき)安子(あんし)上(のぼ)りておはしましあへるを、いとやすからずおぼしめして、えやしづめがたくおはしましけむ、中隔(なかへだ)ての壁に穴をあけて、のぞかせ給(たま)ひけるに、女御の御容貌(おほんかたち)の、いと美しうめでたうおはしましければ、むべ時めくにこそありけれと御覧(ごらん)ずるに、いとど心やましくならせ給ひて、穴よりとほるばかりの土器(かはらけ)の割れして、打たせ給へりければ、帝(みかど)のおはしますほどにて、こればかりには、え堪(た)へさせ給はず、むづかりおはしまして、「かやうのことは、女房(にようばう)はえせじ。伊尹(これまさ)・兼通(かねみち)・兼家(かねいへ)などが、言ひもよほしてせさするならむ」と仰(おほ)せられて、皆殿上(てんじやう)にさぶらはせ給ふほどなりければ、三所(みところ)ながら、かしこまらせ給へりしかば、その折(をり)に、后いとど大(おほ)きに腹立たせ給ひて、
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〈juppo〉ご無沙汰してしまいました。ブログを更新しない間に日本代表はもうブラジルから帰国してしまったではありませんか。大会前にはW杯って1ヶ月もやってるんだぁ〜と感想を抱いたものでしたが。

 こちらのリクエストは中間試験前にいただいたのですが、気づくともう期末試験前か後ですね。本当にいつもスミマセン。

 先週、近くの中学校の期末テスト対策学習会のお手伝いに呼ばれて行った際に、図書室で訳を作って来ました。
 図書室にあった『大鏡』は厚くて固い本でしたので内容が詳しく載っており、ここの部分は「右大臣師輔」の章にあり、中宮安子についてはここの少し前の部分から話が始まっていて、その部分もついでに図書室で訳したのですが、多分教科書に載っているのはここからかなー、と思ったのでここから描きます。

 描かなかった前の方の部分というのは、主にその右大臣師輔についての説明です。右大臣には息子が11人、娘が5、6人いて、第一の姫が安子です。安子は多くの女御の中でも輝く存在だったそうですが、ちょっとイジワルで嫉妬深い性格だった、というようなことが前の部分に書かれているのです。

 その内容を知っていてもいなくても、この部分の解釈に影響はないと思うので、特にリクエスト等いただかない限りはその部分は漫画にしないことにします。とりあえず。

 ちょっとイジワルで嫉妬深いので、隣の部屋に他の女がいるだけで落ち着かない安子です。藤壷、小徽殿の上の部屋というのは帝の住まいである清涼殿の、女御が控える部屋です。「壁に穴をあけ」とありますが、実際にはこの2人がいる部屋は壁1枚で隔たっている訳ではないので、穴から覗いたり、焼き物のかけらを投げ入れたりすることは不可能なんだそうです。一説にはこのエピソードが起こった当時は壁だけだった、とするものもあるようですが。

 伊尹・兼通・兼家の3人は安子の兄弟です。安子のせいにはせず、兄弟たちにそそのかされたんだろうと思う帝には優しさを感じますが、安子は感じなかったようで、兄弟たちがそのせいで謹慎させられたことにまたご立腹・・・というところで続きます。

 ところで全くの余談ですけど、芳子、安子という名前はどうしても「よしこ」「やすこ」と読んでしまいますよねー。別にそれでいいと思いますけど。読み方がテストに出ない限りは。この記事を書く時もずっと「やすこ」で入力・変換しましたよ。『枕草子』の中宮定子も「さだこ」です。「ていし」で変換すると「停止」になってめんどくさいので。

 
posted by juppo at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

肝試しB

 完結編です。テスト前に全部ご紹介出来なくて、ホントすみません。
〈本文〉
入道殿はいと久しく見えさせ給(たま)はぬを、いかがとおぼしめすほどにぞ、いとさりげなく、ことにもあらずげにて参(まゐ)らせ給へる。
「いかにいかに」と問はせ給へば、いとのどやかに、御刀(おほんかたな)に、削(けづ)られたる物を取り具(ぐ)して奉(たてまつ)らせ給ふに、「こは何ぞ」と仰(おほ)せらるれば、「ただにて帰り参りて侍(はべ)らむは、証(そう)さぶらふまじきにより、高御座(たかみくら)の南面(みなみおもて)の柱のもとを、削りてさぶらふなり」と、つれなく申し給ふに、いとあさましくおぼしめさる。こと殿達(とのたち)の御気色(みけしき)は、いかにもなほなほらで、この殿のかくて参り給へるを、帝よりはじめ、感じののしられ給へど、羨ましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞさぶらひ給ひける。なほ、疑はしくおぼしめされければ、持ていきて押しつけて見給ひけるに、つゆたがはざりけり。その削り跡は、いとけざやかにて侍めり。末(すゑ)の世にも、見る人はなほあさましきことにぞ申ししかし。
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〈juppo〉賢明な読者の皆さんはもうお気づきだったかと思いますが、結末は当然、道長のひとり勝ちです。カッコイイ所を見せておしまい、ってことです。

 でも、今こうして読んでみると、実際そう大したことはしてないと思いませんか?
 夜道をひとりで出かけて行って、柱を削って帰って来ただけですよ。

 道隆、道兼がヘタレで任務を遂行出来なかったから、ただひとり成功した道長がこうまで持ち上げられているのは、行き過ぎな感じですよね。贔屓の引きたおしになってしまいそうです。
 他人の失態を利用して英雄ぶるのってどうなの?というか。道長本人に、そんな気はなかったのかもしれませんけれども。

 高御座は、帝がお座りになる玉座のことだそうです。そんな恐れ多い建造物を破損して、それは大丈夫なのか?と心配になります。

「なほなほらで」という部分が、何か変な言葉みたいで面白かったんですけど、「なお なおらで」と切って読むんですね。尚、直らないで、ということですね。

 ところで、今年も花粉症の季節がやってまいりました。
 今年の花粉は去年より少ないと聞いていた通り、今月に入っても大した症状は出なかったのですが、ここ2週間くらい鼻水が止まりません。毎年のことなので、鼻をかみ続けることくらい何でもないんですけど、続けていると頭が痛くなって来るのが困りものです。
 こうして毎年、春を迎えるのだなと思えば忌み嫌うばかりのものでもないんですけどね〜。
posted by juppo at 00:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

肝試しA

 順調に更新します。続きです。
〈本文〉
「私の従者(ずさ)をば具(ぐ)しさぶらはじ。この陣(ぢん)の吉上(きちじやう)まれ、滝口(たきぐち)まれ、一人を『昭慶門(せうけいもん)まで送れ』と仰せ言(ごと)たべ。それより内には一人入(い)り侍(はべ)らむ」と申し給へば、「証(そう)なきこと」と仰せらるるに、「げに」とて、御手箱(おほんてばこ)におかせ給へる小刀(こがたな)申して立ち給ひぬ。今二所(ふたところ)も、にがむにがむ各々おはさうじぬ。
 「子(ね)四(よ)つ」と奏(そう)して、かく仰せられ議(ぎ)するほどに、丑(うし)にもなりにけむ。
 「道隆は右衛門(うゑもん)の陣より出(い)でよ。道長は承明門(しようめいもん)より出でよ」と、それをさへ分かたせ給へば、しかおはしましあへるに、中関白殿(なかのくわんぱくどの)、陣まで念じておはしましたるに、宴(えん)の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術(ずち)なくて帰り給ふ。粟田殿(あはたどの)は、露台(ろだい)の外(と)までわななくわななくおはしたるに、仁寿殿(じじゆうでん)の東面(ひんがしおもて)の砌(みぎり)のほどに、軒と等しき人のあるやうに見え給ひければ、ものもおぼえで、「身(み)のさぶらはばこそ、仰せ言(ごと)も承(うけたまは)らめ」とて、各々立ち帰り参(まゐ)り給へれば、御扇(おほんあふぎ)をたたきて笑はせ給ふに、
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〈juppo〉大分夜更かしをしている殿上人たちです。午前2時の丑三つ時になって、帝はノリノリです。肝試しのルートを決めてますね。

 「陣」はここでは、警護の役人が詰めている所です。「吉上」、「滝口」はそれぞれ役職名です。
「昭慶門」は道長の目指す「大極殿」の前にある門です。
「右衛門」は門の開け閉めなどを担当する人たちのことで、門が左右にあるうちの右側の門です。「承明門」はその門とは違う方向にあって、出口から別々に行けと言ってるのですね。
 「宴の松原」は道隆の向かう豊楽院の手前にあったらしい松林のことのようです。「露台」は建物の一部で、屋根のない台のことですが、ここでは建物と建物の間にある渡り廊下のようなところだそうです。

 このように、建物の名前やら建築様式の呼び名やらがたくさん出てくるので、地図を描こうかと思いましたが、どこまで行ったかはそんなに重要じゃないと思って描かないことにしました。
 内裏図は辞書や便覧などにも載っているはずですので、お手元にある方は参照しながら3人の肝試しルートを辿ってみるのも面白いかと思います。結局、道隆が一番近い所で脱落した模様です。ほとんど外に行ってない感じですけど、なにしろ夜中の2時で平安時代ですからね〜。外には魑魅魍魎がうろついて陰陽師と戦いを繰り広げていた時代です。

 それにしても、というかそんな時代だからなのか、肝試しなんてやってたんですね〜、昔の人も。物の怪と共存してた時代の肝試しは「試す」レベルでは終わらないのではないかと案じられますが、深夜に、明かりもあまりない所で、一人で行って何かして帰ってくる、という肝試しルールが1000年前から変わらずに21世紀に継承されていることに感銘を受けますよね。

 残るは道長の行方だけですね。あと1回、続きます。
posted by juppo at 04:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月04日

肝試し@

ああっ、ブログの引っ越しをしただけで2月が終わってしまいました!他にしていたのは雪かきだけです。リクエストにお応えします!お待たせいたしました。『大鏡』です。
〈本文〉
 さるべき人は、とうより御心魂(みこころだましひ)のたけく、御守(おほんまも)りもこはきなめりとおぼえ侍(はべ)るは、花山院(くわさんゐん)の御時(おほんとき)に、五月(さつき)しもつやみに、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜(よ)、帝さうざうしくやおぼしめしけむ、殿上(てんじやう)に出(い)でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々物語など申し給(たま)ひて、昔おそろしかりける事どもなどに申しなり給へるに、「今宵(こよひ)こそいとむづかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだに、けしきおぼゆ。まして、もの離れたる所などいかならむ。さあらむ所に、一人往(い)なむや」と仰(おほ)せられけるに、「えまからじ」とのみ申し給ひけるを、入道殿(にふだうどの)は、「いづくなりともまかりなむ」と申し給ひければ、さる所おはします帝にて、「いと興(きよう)あることなり。さらば行(ゆ)け。道隆は豊楽院(ぶらくゐん)、道兼は仁寿殿(じじゆうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿(だいごくでん)へ行け」と仰せられければ、よその君達(きんだち)は、便(びん)なきことをも奏(そう)してけるかなと思ふ。また、承(うけたまは)らせ給へる殿ばらは、御気色(みけしき)かはりて、益(やく)なしとおぼしたるに、入道殿は、つゆさる御気色もなくて、
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〈juppo〉ちょっと長い話なので、3回くらいで描きます。1回目の今回はまだ肝試しには誰も行ってません。ミッションが告げられたところまで、ですね。

 花山院については以前出家の話を描きました。この帝は在位が短くて、17歳で即位して19歳で出家してますから、今回「花山院の御時」と言ってるのは帝が17、8歳の時ってことですね。
 いとやんごとなきご身分の方はヒマを持てあまして、下々の者に無体な要求を突きつけるものなのだな、と思えるシチュエーションですが、何しろ若い帝なので、大目に見てあげましょう。

 「しもつやみ」は、下旬の月のない晩という意味の言葉です。
 「さる所おはします帝」の「所」は具体的な場所の事ではなく、「そういうところのある帝」という意味です。この文の前に「所」が何度も出てくるので、ややこしいですよね。

 「豊楽院」、「仁寿殿の塗籠」、「大極殿」はそれぞれ、帝の住まいであった内裏の近所の建物です。「殿上の間」は、内裏の中の、清涼殿の中にある、部屋のことです。
 いつでもやる気の道長の何気ない一言のせいで、とばっちりを食った形の道隆・道兼の運命やいかに!?

 続きます。
posted by juppo at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

宣旨くだりぬ

タイトルが違いますが、前回の続きです。
〈本文〉
 されば、上の御局(みつぼね)にのぼらせ給ひて、「こなたへ」とは申させ給はで、われ夜の御殿(おとどお)に入らせ給ひて、泣く泣く申させ給ふ。その日は、入道殿は上の御局に候はせ給ふ。いと久しく出でさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、戸をおしあけて、出でさせ給ひける御顔は赤みぬれつやめかせ給ひながら、御口はこころよく笑(ゑ)ませ給ひて、「あはや、宣旨くだりぬ」とこそ申させ給ひけれ。いささかの事だにこの世ならず侍るなれば、いはんや、かばかりの御有様は、人のともかくもおぼしおかむによらせ給ふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。その中にも、道理すぎてこそは、報じ奉りつかうまつらせ給ひしか。御骨をさへこそはかけさせ給へりしか。
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〈juppo〉前回申し上げました通り、『関白の宣旨』をというリクエストでしたので、何しろ宣旨がくだるところまでは描かなければと思い、この章まで描きました。前回の分と合わせて試験範囲だった方、今回の方がむしろ試験のメインだったという方、多分もう試験は終わっていることでしょうから、お詫びいたします。遅れてすみませんでした。

 そういう訳で、ついに道長に宣旨がくだりました。これで晴れて関白ってヤツになれるらしいです。どれほどの快挙なのかよくわかりませんが、女院が涙で顔をつやめかせるほどですから、そうとうお目出度いことなのでしょうね。

 女院の力添えで関白になった道長は恩返しを心に誓い、以降恩を返し続けたようです。
 最後のコマで女院の骨を「かけさせ給ひ」というのは、首にかけたらしいんですけど、描いてから「こんなかけ方ってある?骨壺を首から下げたくらいなのでは?」と不安になりました。
 でも、道理を超えるレベルの報恩なんですよね。中でも、というくらい際立った振る舞いについての叙述のようなので、こんな感じでよいのでしょうか。まぁ、逸話ですし、実際道長がそんな事をしたかどうかも確定的ではないようなので。

 ともかく、試験が終わった皆さん、お疲れ様でした!
 ホッとして風邪などひいてないと良いのですが。試験休み、冬休みは是非エンジョイしてくださいね〜。


 ところで先日、ふとしたことから浅草に行って来ました!20年ぶりくらいに浅草寺仲見世を歩いたんですけど、あまりにも人だらけなのに圧倒されました。20年前はこんなじゃなかった。駅前に人力車もあんなに停まってなかった・・と、浦島気分で参詣しました。

 今年は、東京タワーに行き、両国国技館で相撲を見、この度久々に浅草に詣でたりと、1年かけて東京見物した年でした。そんな中、東京スカイツリーにはまだ行った事がないんですね。まだまだまだ混んでいて行列に並びに行くだけだと思うと、足が向かないんですよね。まだ混んでいる間に、横浜ランドマークタワーで今さら展望を楽しむのはどうだろう、なんてちょっと考えたりしています。

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2013年12月09日

道長と東三条女院

おはようございます。珍しく早朝の更新です。リクエストにお応えしています。
〈本文〉
 女院(にようゐん)は、入道殿をとりわき奉らせ給ひて、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿(そちどの)はうとうとしくもてなさせ給へりけり。帝、皇后ノ宮をねんごろにときめかさせ給ふゆかりに、帥殿はあけくれ御前にさぶらはせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、ことにふれて申させ給ふを、おのづから心得やせさせ給ひけむ、いと本意(ほい)なきことにおぼしめしける、ことわりなりな。入道殿の世をしらせ給はむことを、帝いみじうしぶらせ給ひけり。皇后ノ宮、父おとどおはしまさで、世の中をひきかはらせ給はむことを、いと心ぐるしうおぼしめして、粟田殿にもとみにやは宣旨(せんじ)くださせ給ひし。されど、女院の道理のままの御事をおぼしめし、また帥殿をばよからず思ひ聞こえさせ給うければ、入道殿の御事をいみじうしぶらせ給ひけれど、「いかでかくはおぼしめし仰せらるるぞ。大臣超えられたることだに、いといとほしく侍りしに、父おとどのあながちにし侍りしことなれば、いなびさせ給はずなりにしにこそ侍れ。粟田のおとどにはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむいと便(びん)なく世の人もいひなし侍らむ」など、いみじう奏せさせ給ひければ、むづかしうやおぼしめしけむ、後にはわたらせ給はざりけり。
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〈juppo〉相変わらず人物関係がややこしいので、相関図を入れておきます。

 『関白の宣旨』でリクエストをいただきましたが、手元にある訳本にはそういう章がなく、この「道長と東三条女院」と「宣旨くだりぬ」という2タイトルで、道長の宣旨について述べられているようなので、その2編を描くことにしようと思います。
 そういう訳で、まだ宣旨はくだっておりません。宣旨というのは人事の辞令みたいなもののようです。ここでは粟田殿や道長を関白にする命令のことですね。

 女院の詮子は実は出家しているので女院という称号がついています。その女院は道長の姉で帥殿の叔母、ということになりますが、断然道長びいきのようで、早く宣旨をくだせ、と息子の帝をせっついているところで終了です。

 続きにあたる「宣旨くだりぬ」は近日中に。テストに間に合ったでしょうか。
posted by juppo at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

雲林院の菩提講A

続きです。ちょっぴりです。
〈本文〉
主(ぬし)はその御時の母后(ははきさい)の宮の御方(おんかた)のめしつかひ高名(かうみやう)の大宅(おほやけ)の世継(よつぎ)とぞいひ侍りしかしな。されば、主の御年(みとし)は、おのれにはこよなくまさり給へらむかし。みづからが小童(こわらは)にてありし時、主は二十五、六ばかりのをのこにてこそはいませしか」といふめれば、世継、「しかしか、さ侍りしことなり。さても、主の御名(みな)はいかにぞや」といふめれば、「故太政大臣殿にて元服つかまつりし時、『きむぢが姓(しやう)はなにぞ』と仰せられしかば、『夏山となむ申す』と申ししを、やがて繁樹(しげき)となむつけさせ給へりし」などいふに、いとあさましうなりぬ。
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〈juppo〉あっという間に年の瀬です。高校生の皆さんはテスト中でしょうか。

 前回登場したじじい2人が名乗り合っている今回です。
 よぼよぼのじじいは大宅世継という名前です。年下の、ややよぼよぼのじじいは夏山繁樹というそうです。名前だけ聞くと、イケメンライダー系俳優みたいですよね〜。
 姓が夏山なので、夏の山なら木が繁ってるよね、と大臣にその場で名前をつけられたんですね。

 世継じじいの経歴で、「その御時の母后の・・・」と「の」だらけの文が出てきますが、結構そのまま訳しちゃいましたが、要するにその時の帝のお母さんが住んでいた御殿で働いていた人、という意味です。

 今回でこの章は終了で、結局じじい達の自己紹介で終わっていますが、この次の章で2人の年齢が明らかになるんです。それぞれ何歳なのかここでは明かしませんが、化け物みたいな尋常じゃない年齢です。超高齢化と言われる21世紀もビックリな。
 最後に、端で聞いている名もない侍がビックリしてるのも、2人が話している内容があまりに昔の出来事なので「えっ、その時の人がここに!?」という驚きのようです。

 ところで、ここに来て『大鏡』のリクエストが立て続いておりまして、お預けになっている『若紫』には当分戻れそうにありません。
 私は高校生の時『大鏡』を古文の授業で習った覚えがないんですけど、高校生ってこんな難しいお話を読むんだなぁ〜と感心しています。

 テスト中の高校生の皆さん、乾燥には気をつけて勉強頑張ってください。
 
posted by juppo at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月18日

雲林院の菩提講@

 引き続き、リクエストにお応えします。『大鏡』です。『若紫』はどうなっているのでしょうか。
〈本文〉
 さいつ頃(ころ)、雲林院(うりんゐん)の菩提講(ぼだいかう)に詣(まう)でて侍りしかば、例人(れいひと)よりはこよなう年老い、うたてげなる翁(おきな)ふたり、媼(おうな)といきあひて同じ所にゐぬめり。あはれに同じやうなるもののさまかなと見侍りしに、これらうち笑ひ見かはしていふやう、「年頃(としごろ)昔の人に対面(たいめ)して、いかで世の中の見聞く事をも聞こえ合はせむ、このただ今の入道(にふだう)殿下の御有様をも申し合はせばやと思ふに、あはれに嬉しくもあひ申したるかな。今ぞ心やすくよみぢもまかるべき。おぼしき事いはぬは、げにぞ腹ふくるるここちしける。かかればこそ昔の人は、ものいはまほしくなれば、穴を掘りてはいひ入れ侍りけめと覚え侍り。かへすがへす嬉しく対面したるかな。さても、いくつにかなり給ひぬる」といへば、今ひとりの翁、「いくつといふこと、さらに覚え侍らず。ただし、おのれは、故太政(だいじゃう)のおとど貞信公(ていしんこう)、蔵人(くらうど)の少将と申しし折(をり)の少舎人童(こどねりわらは)大犬丸(おほいぬまる)ぞかし。
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〈juppo〉雲林院は「うりんいん」と読むようですが、「ういんりん」と言いそうになりますね。
 『大鏡』と言えば、藤原道長が嫌味なほど活躍するお話ですよね。今回のこれは、その『大鏡』の「序ノ一」、プロローグに当たる章なんです。

 登場する年寄り3人のうち、2人のじじいが実は『大鏡』の語り部なんだそうです。「今の入道殿」と言っているのが、道長のことを指します。おばあさんは1人のじじいの奥さん(後妻だそうです)です。
 語り部なんですが、その年寄りどもを端から見ている若侍がもう1人いるんです。その若侍が聞き耳を立ててじじい達の思い出話を書き記したのが『大鏡』である、という構成になっているようです。

 このじじい達が誰なのかは後半に出てきます。長いのでその前で今回は終わってしまいました。続きは近日中に、ということで。

 すっかり放置の『若紫』の続きも近日中に。年内にとか言ってましたが、どうでしょう。気がついたら、今年ももう残す所1ヶ月半ではありませんか。皆さん、気がつかないうちに地球の自転が速まったりしてると思いませんか。時間が経つのが早い。早すぎる。
posted by juppo at 23:37| Comment(4) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

三船の才

 『若紫』がまだ途中で紫の上が登場してもいないところですが、リクエストをいただきましたので差し挟みます。久しぶりの『大鏡』、読み切りです。
〈本文〉
 ひととせ、入道殿の大井川に逍遥(せうえう)せさせ給ひしに、作文(さくもん)の船・管弦(くわんげん)の船・和歌の船と分かたせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言殿の参り給へるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」とのたまはすれば、「和歌の船に乗り侍らむ」とのたまひて、詠み給へるぞかし。

 をぐら山あらしの風の寒ければ
     もみぢのにしき着ぬ人ぞなき

申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。御みづからものたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩(からうた)を作りたらましかば、名のあがらむこともまさりなまし。口をしかりけるわざかな。さても殿の、『いづれにとか思ふ』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし」とのたまふなる。一事(ひとごと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道もぬけ出で給ひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
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〈juppo〉「三船の才」は「みふねのさい」と読むのかと思ったら、「さんせんのさい」と読むようです。「三舟の才」とも言うようです。こちらは「さんしゅうのさい」と読みます。
 和歌、漢詩、管弦の三つに秀でている人のことを指す言葉で、ここに登場する藤原公任という人がまさしく、そういう人であったというお話です。

 入道殿こと道長は、公任が三つの船のうちどれに乗っても、それなりの才能を見せることを分かっていて、期待を込めて「どの船に乗るのかな」と言ったんですね。一方公任はそれほど期待されたことに「心おごり」してしまったと。

 後半の冒頭「申しうけ」という語は、一語で「申し出る」と「引き受ける」という意味を両方持った動詞「申し受く」です。一人コール&レスポンスな便利な言葉ですね。

 「をぐら山・・」の歌は、紅葉が風で着物の上に舞っているのが、錦を着ているようで綺麗だなぁ、って感じですね。せっかくなので一部カラーでお届けしています。

 
 半年楽しませてもらった「あまちゃん」も終わってしまい、気づくと今年もあと3ヶ月なんですね。2学期も長いようであっという間かもしれません。これから中間があって期末があって、クリスマスなんてすぐですよね〜。

 次回はまた、『若紫』に戻りまーす。
posted by juppo at 01:00| Comment(22) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

天皇御出家

前回の続きです。リクエストにお応えします。
〈本文〉
 あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出でさせ給ひけるに、有明(ありあけ)の月のいみじくあかかりければ、「顕証(けんしょう)にこそありけれ。いかがすべからむ」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽(しんじ)・宝剣わたり給ひぬるには」と、粟田殿(あはたどの)のさはがし申し給ひけるは、まだ帝(みかど)出でさせおはしまさざりけるさきに、手づから取りて、春宮(とうぐう)の御方にわたし奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじくおぼして、しか申させ給ひけるとぞ。さやけき影をまばゆくおぼしめしつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がり行きければ、「わが出家(すけ)は成就するなりけり」とおぼされて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿(こきでん)の御文(おんふみ)の日ごろ破(や)り残して御目もえ放たず御覧じけるをおぼし出でて、「しばし」とて、取りに入らせおはしまししかし。粟田殿の、「いかにおぼしめしならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづからさはりも出でまうで来(き)なむ」と、そら泣きし給ひけるは。
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〈juppo〉いよいよ出家なさる花山天皇です。

 ただ出家した晩の様子を話しているだけなんですけど、そこに渦巻く陰謀について詳しく知らないと、内容が把握出来ないようになっていて、それで複雑なんですね。

 花山帝は19歳で出家しましたが、その若さで帝の位を下りて仏門に入ったのは、仏教を盲信していたからだけではない様です。

 帝の脇でじたばたしている粟田殿という人物は、藤原道長の兄の道兼で、彼らのお父さんの藤原兼家という人が、今回の事件の黒幕です。

 花山天皇の次に位についたのは一条天皇です。その、一条天皇を産んだのが、兼家の娘なのです。

 藤原家は天皇家を裏で操るのみならず、一族の血を引いた者を天皇家に入れることで、権力を確固たるものにしようとしているのですね。

 神璽・宝剣は歴代の天皇に受け継がれるもので、それをさっさと移動させてしまって既成事実を作ろうとしていたり、ぐずぐずしている天皇をウソ泣きしてまで追い立てていたり、父の命令ですから道兼も必死な訳です。

 帝がぐずぐずしているのは、やはり出家に戸惑いがあったからの様です。
 それでも結局出家してしまうのは、大事な手紙をくれた弘徽殿の女御というのが、花山帝の奥さんの一人な訳ですが、この前年妊娠中に亡くなっているのだそうで、そうした悲しみを抱いていたから、とか、自分の前の代の天皇もやはり出家していて、政治に翻弄されるより気楽な暮らしができるらしいことを見ていたからだ、とか、いろいろ理由はあるようです。

 やんごとなき御身分でいるのも、なかなか楽ではないようです。21世紀になっても、そのへんはあまり変わってないかも知れません。


 さて、そろそろ受験シーズンですね。
 受験生の皆さん、風邪などひかないように、あともう少しの間、全力で駆け抜けてくださいね〜!
posted by juppo at 17:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

花山天皇

超久々の、『大鏡』です。
〈本文〉
 次の帝花山天皇と申しき。冷泉院の第一の皇子(みこ)なり。御母、贈(ぞう)皇后宮懐子(くわいし)と申す。太政大臣伊尹(これまさ)のおとどの第一の御女(むすめ)なり。この帝、安和元年戊辰(つちのえたつ)十月二十六日丙子(ひのえね)、母方の御祖父(おほぢ)の一条の家にて生まれさせ給ふとあるは、世尊寺(せそんじ)のことにや。その日は、冷泉院の御時の大嘗会(だいじゃうえ)の御禊(ごけい)あり。同ニ年八月十三日、春宮(とうぐう)に立ち給ふ。御年ニ歳。天元(てんげん)五年二月十九日、御元服(ごげんぷく)、御年十五。永観ニ年八月二十八日、位につかせ給ふ。御年十七。寛和ニ年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二日の夜、あさましくさぶらひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺(はなやまでら)におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと、二年。その後(のち)二十二年おはしましき。
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〈juppo〉リクエストをいただきました。皆さん本当にいつもありがとうございます。お陰さまで「次は何を描こうかな〜」なんてことで頭を悩ますことはすっかりなくなりました。それどころか、いただいたリクエストにすぐに対応出来ず、忘れた頃にこっそり更新、といった有り様です。どうか是非、暖かい目で見てください。

 今回は、この作品にリクエストをいただいたのではありません。この次に来る「花山院の出家」という章へのリクエストでした。
 要するに花山という名の天皇が出家する話なのですが、その前に花山帝の生い立ちが語られた章があったので、じゃあついでにここから、と描いたものです。


 以前描いた『大鏡』の作品は藤原道長が嫌味なほど大活躍するお話でしたが、今回は道長は出て来ません。
 摂関政治で羽振りを利かせていた藤原一族の陰謀で、位を退くことになった悲劇の帝のお話の様です。

 帝って、古典では何だかいつもこういう政治の犠牲になって、立場がないですよね〜。


 次回は、花山帝が出家する日の詳細です。お楽しみに(いえ、楽しい話ではないんですけど)。
posted by juppo at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

競(くら)べ弓A

お待たせしましたっ。続きです。
〈本文〉
 中の関白殿、また御前(おまへ)に候(さぶら)ふ人々も、
「いま二度(ふたたび)延べさせ給へ」
と申して、延べさせ給ひけるを、安からずおぼしなりて、
「さらば、延べさせ給へ」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より、帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」
と仰せらるるに、同じものを中心(なから)には当たるものかは。次にぞ帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななくけにや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政(せっしゃう)・関白すべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じ所に射させ給ひつ。饗応し、もてはやしきこえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、
「何か射る。な射そ。な射そ。」
と制し給ひて、ことさめにけり。入道殿、矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。
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〈juppo〉4コマ描いただけで、一週間もお待たせしてしまってスミマセン。道長公はホントに凄いお人じゃ、という話です。後に成功したからこそ凄い話ですが、成功してなかったらただの自信過剰です。一方、伊周や『枕草子』の隆家兄弟は私の描き方もあってほとんどバカ兄弟ですけど、これも後に没落してしまったからこうなってしまうのであって、一方を立てれば他方は立たず、というのは物語のセオリーだし、本人に会っていればまた違う印象なのでしょうが、物語はこうして不公平に伝わっていくものなんですね。
 本文を読んで特に分かりにくいのは「延べさせ」とか「射させ」とか「出でさせ」の「させ」の意味だと思います。これを使役の助動詞(〜させる)と思って読んでしまうと意味不明です。これは、尊敬の助動詞なので、「お延ばしに」とか「射られた」とか「出ていかれた」と言っているのです。そこを押さえて読むだけでも、意外とスッキリしますよ。漫画では敬語表現は全く使ってないんですけど。すみません。
 個人的には本文の「無辺世界を」という表現が好きです。あり得ない所に飛んでいった雰囲気が良く出てますよねぇ。
posted by juppo at 20:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

競(くら)べ弓@

大鏡、巻五です。
〈本文〉
 帥殿(そちどの)の南の院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿のわたらせ給へれば、思ひかけず、あやしと、中の関白殿おぼし驚きて、いみじう饗応(きゃうおう)し申させ給うて、下臈(げらふ)にはおはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせ給ひけるに、帥殿の矢数、いま二つ劣り給ひぬ。
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〈juppo〉6月になりました。私は一つ年をとりました。
 『大鏡』はここでは初めてご紹介します。「望月のかけたることもなしと思へば」と詠んだ、藤原道長のスーパーヒーロー列伝です。藤原氏は当時栄耀栄華を極めた一族なんですが、それは日本史などでも勉強することだし、私はそんなに詳しくないし長くなるので、ここでは説明はしません。ただ、物語の中で同じ人物をいろんな名前で呼んでるのが紛らわしいので、一族の簡単な系図を入れました。これを入れたためにマンガの方がちょっぴりしか描けなくて申し訳ないんですけど、続きをお待ち下さい。
 系図の中にある「隆家」とか「定子」は『枕草子』に登場しています。そして道長の娘「彰子」に仕えたのが「紫式部」なんです。古文の世界はどこかで何かが繋がっているのですね
posted by juppo at 23:22| Comment(11) | TrackBack(1) | 大鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする