引き続き、リクエストにお応えします。『大鏡』です。『若紫』はどうなっているのでしょうか。
〈本文〉
さいつ頃(ころ)、雲林院(うりんゐん)の菩提講(ぼだいかう)に詣(まう)でて侍りしかば、例人(れいひと)よりはこよなう年老い、うたてげなる翁(おきな)ふたり、媼(おうな)といきあひて同じ所にゐぬめり。あはれに同じやうなるもののさまかなと見侍りしに、これらうち笑ひ見かはしていふやう、「年頃(としごろ)昔の人に対面(たいめ)して、いかで世の中の見聞く事をも聞こえ合はせむ、このただ今の入道(にふだう)殿下の御有様をも申し合はせばやと思ふに、あはれに嬉しくもあひ申したるかな。今ぞ心やすくよみぢもまかるべき。おぼしき事いはぬは、げにぞ腹ふくるるここちしける。かかればこそ昔の人は、ものいはまほしくなれば、穴を掘りてはいひ入れ侍りけめと覚え侍り。かへすがへす嬉しく対面したるかな。さても、いくつにかなり給ひぬる」といへば、今ひとりの翁、「いくつといふこと、さらに覚え侍らず。ただし、おのれは、故太政(だいじゃう)のおとど貞信公(ていしんこう)、蔵人(くらうど)の少将と申しし折(をり)の少舎人童(こどねりわらは)大犬丸(おほいぬまる)ぞかし。
〈juppo〉雲林院は「うりんいん」と読むようですが、「ういんりん」と言いそうになりますね。
『大鏡』と言えば、藤原道長が嫌味なほど活躍するお話ですよね。今回のこれは、その『大鏡』の「序ノ一」、プロローグに当たる章なんです。
登場する年寄り3人のうち、2人のじじいが実は『大鏡』の語り部なんだそうです。「今の入道殿」と言っているのが、道長のことを指します。おばあさんは1人のじじいの奥さん(後妻だそうです)です。
語り部なんですが、その年寄りどもを端から見ている若侍がもう1人いるんです。その若侍が聞き耳を立ててじじい達の思い出話を書き記したのが『大鏡』である、という構成になっているようです。
このじじい達が誰なのかは後半に出てきます。長いのでその前で今回は終わってしまいました。続きは近日中に、ということで。
すっかり放置の『若紫』の続きも近日中に。年内にとか言ってましたが、どうでしょう。気がついたら、今年ももう残す所1ヶ月半ではありませんか。皆さん、気がつかないうちに地球の自転が速まったりしてると思いませんか。時間が経つのが早い。早すぎる。
2013年11月18日
2013年10月09日
三船の才
『若紫』がまだ途中で紫の上が登場してもいないところですが、リクエストをいただきましたので差し挟みます。久しぶりの『大鏡』、読み切りです。
〈本文〉
ひととせ、入道殿の大井川に逍遥(せうえう)せさせ給ひしに、作文(さくもん)の船・管弦(くわんげん)の船・和歌の船と分かたせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言殿の参り給へるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」とのたまはすれば、「和歌の船に乗り侍らむ」とのたまひて、詠み給へるぞかし。
をぐら山あらしの風の寒ければ
もみぢのにしき着ぬ人ぞなき
申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。御みづからものたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩(からうた)を作りたらましかば、名のあがらむこともまさりなまし。口をしかりけるわざかな。さても殿の、『いづれにとか思ふ』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし」とのたまふなる。一事(ひとごと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道もぬけ出で給ひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
〈juppo〉「三船の才」は「みふねのさい」と読むのかと思ったら、「さんせんのさい」と読むようです。「三舟の才」とも言うようです。こちらは「さんしゅうのさい」と読みます。
和歌、漢詩、管弦の三つに秀でている人のことを指す言葉で、ここに登場する藤原公任という人がまさしく、そういう人であったというお話です。
入道殿こと道長は、公任が三つの船のうちどれに乗っても、それなりの才能を見せることを分かっていて、期待を込めて「どの船に乗るのかな」と言ったんですね。一方公任はそれほど期待されたことに「心おごり」してしまったと。
後半の冒頭「申しうけ」という語は、一語で「申し出る」と「引き受ける」という意味を両方持った動詞「申し受く」です。一人コール&レスポンスな便利な言葉ですね。
「をぐら山・・」の歌は、紅葉が風で着物の上に舞っているのが、錦を着ているようで綺麗だなぁ、って感じですね。せっかくなので一部カラーでお届けしています。
半年楽しませてもらった「あまちゃん」も終わってしまい、気づくと今年もあと3ヶ月なんですね。2学期も長いようであっという間かもしれません。これから中間があって期末があって、クリスマスなんてすぐですよね〜。
次回はまた、『若紫』に戻りまーす。
〈本文〉
ひととせ、入道殿の大井川に逍遥(せうえう)せさせ給ひしに、作文(さくもん)の船・管弦(くわんげん)の船・和歌の船と分かたせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言殿の参り給へるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」とのたまはすれば、「和歌の船に乗り侍らむ」とのたまひて、詠み給へるぞかし。
をぐら山あらしの風の寒ければ
もみぢのにしき着ぬ人ぞなき
申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。御みづからものたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩(からうた)を作りたらましかば、名のあがらむこともまさりなまし。口をしかりけるわざかな。さても殿の、『いづれにとか思ふ』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし」とのたまふなる。一事(ひとごと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道もぬけ出で給ひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
〈juppo〉「三船の才」は「みふねのさい」と読むのかと思ったら、「さんせんのさい」と読むようです。「三舟の才」とも言うようです。こちらは「さんしゅうのさい」と読みます。
和歌、漢詩、管弦の三つに秀でている人のことを指す言葉で、ここに登場する藤原公任という人がまさしく、そういう人であったというお話です。
入道殿こと道長は、公任が三つの船のうちどれに乗っても、それなりの才能を見せることを分かっていて、期待を込めて「どの船に乗るのかな」と言ったんですね。一方公任はそれほど期待されたことに「心おごり」してしまったと。
後半の冒頭「申しうけ」という語は、一語で「申し出る」と「引き受ける」という意味を両方持った動詞「申し受く」です。一人コール&レスポンスな便利な言葉ですね。
「をぐら山・・」の歌は、紅葉が風で着物の上に舞っているのが、錦を着ているようで綺麗だなぁ、って感じですね。せっかくなので一部カラーでお届けしています。
半年楽しませてもらった「あまちゃん」も終わってしまい、気づくと今年もあと3ヶ月なんですね。2学期も長いようであっという間かもしれません。これから中間があって期末があって、クリスマスなんてすぐですよね〜。
次回はまた、『若紫』に戻りまーす。
2011年01月24日
花山院の出家@
前回の続きです。リクエストにお応えします。
〈本文〉
あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出でさせ給ひけるに、有明(ありあけ)の月のいみじくあかかりければ、「顕証(けんしょう)にこそありけれ。いかがすべからむ」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽(しんじ)・宝剣わたり給ひぬるには」と、粟田殿(あはたどの)のさはがし申し給ひけるは、まだ帝(みかど)出でさせおはしまさざりけるさきに、手づから取りて、春宮(とうぐう)の御方にわたし奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじくおぼして、しか申させ給ひけるとぞ。さやけき影をまばゆくおぼしめしつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がり行きければ、「わが出家(すけ)は成就するなりけり」とおぼされて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿(こきでん)の御文(おんふみ)の日ごろ破(や)り残して御目もえ放たず御覧じけるをおぼし出でて、「しばし」とて、取りに入らせおはしまししかし。粟田殿の、「いかにおぼしめしならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづからさはりも出でまうで来(き)なむ」と、そら泣きし給ひけるは。
〈juppo〉いよいよ出家なさる花山天皇です。
ただ出家した晩の様子を話しているだけなんですけど、そこに渦巻く陰謀について詳しく知らないと、内容が把握出来ないようになっていて、それで複雑なんですね。
花山帝は19歳で出家しましたが、その若さで帝の位を下りて仏門に入ったのは、仏教を盲信していたからだけではない様です。
帝の脇でじたばたしている粟田殿という人物は、藤原道長の兄の道兼で、彼らのお父さんの藤原兼家という人が、今回の事件の黒幕です。
花山天皇の次に位についたのは一条天皇です。その、一条天皇を産んだのが、兼家の娘なのです。
藤原家は天皇家を裏で操るのみならず、一族の血を引いた者を天皇家に入れることで、権力を確固たるものにしようとしているのですね。
神璽・宝剣は歴代の天皇に受け継がれるもので、それをさっさと移動させてしまって既成事実を作ろうとしていたり、ぐずぐずしている天皇をウソ泣きしてまで追い立てていたり、父の命令ですから道兼も必死な訳です。
帝がぐずぐずしているのは、やはり出家に戸惑いがあったからの様です。
それでも結局出家してしまうのは、大事な手紙をくれた弘徽殿の女御というのが、花山帝の奥さんの一人な訳ですが、この前年妊娠中に亡くなっているのだそうで、そうした悲しみを抱いていたから、とか、自分の前の代の天皇もやはり出家していて、政治に翻弄されるより気楽な暮らしができるらしいことを見ていたからだ、とか、いろいろ理由はあるようです。
やんごとなき御身分でいるのも、なかなか楽ではないようです。21世紀になっても、そのへんはあまり変わってないかも知れません。
さて、そろそろ受験シーズンですね。
受験生の皆さん、風邪などひかないように、あともう少しの間、全力で駆け抜けてくださいね〜!
〈本文〉
あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出でさせ給ひけるに、有明(ありあけ)の月のいみじくあかかりければ、「顕証(けんしょう)にこそありけれ。いかがすべからむ」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽(しんじ)・宝剣わたり給ひぬるには」と、粟田殿(あはたどの)のさはがし申し給ひけるは、まだ帝(みかど)出でさせおはしまさざりけるさきに、手づから取りて、春宮(とうぐう)の御方にわたし奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじくおぼして、しか申させ給ひけるとぞ。さやけき影をまばゆくおぼしめしつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がり行きければ、「わが出家(すけ)は成就するなりけり」とおぼされて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿(こきでん)の御文(おんふみ)の日ごろ破(や)り残して御目もえ放たず御覧じけるをおぼし出でて、「しばし」とて、取りに入らせおはしまししかし。粟田殿の、「いかにおぼしめしならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづからさはりも出でまうで来(き)なむ」と、そら泣きし給ひけるは。
〈juppo〉いよいよ出家なさる花山天皇です。
ただ出家した晩の様子を話しているだけなんですけど、そこに渦巻く陰謀について詳しく知らないと、内容が把握出来ないようになっていて、それで複雑なんですね。
花山帝は19歳で出家しましたが、その若さで帝の位を下りて仏門に入ったのは、仏教を盲信していたからだけではない様です。
帝の脇でじたばたしている粟田殿という人物は、藤原道長の兄の道兼で、彼らのお父さんの藤原兼家という人が、今回の事件の黒幕です。
花山天皇の次に位についたのは一条天皇です。その、一条天皇を産んだのが、兼家の娘なのです。
藤原家は天皇家を裏で操るのみならず、一族の血を引いた者を天皇家に入れることで、権力を確固たるものにしようとしているのですね。
神璽・宝剣は歴代の天皇に受け継がれるもので、それをさっさと移動させてしまって既成事実を作ろうとしていたり、ぐずぐずしている天皇をウソ泣きしてまで追い立てていたり、父の命令ですから道兼も必死な訳です。
帝がぐずぐずしているのは、やはり出家に戸惑いがあったからの様です。
それでも結局出家してしまうのは、大事な手紙をくれた弘徽殿の女御というのが、花山帝の奥さんの一人な訳ですが、この前年妊娠中に亡くなっているのだそうで、そうした悲しみを抱いていたから、とか、自分の前の代の天皇もやはり出家していて、政治に翻弄されるより気楽な暮らしができるらしいことを見ていたからだ、とか、いろいろ理由はあるようです。
やんごとなき御身分でいるのも、なかなか楽ではないようです。21世紀になっても、そのへんはあまり変わってないかも知れません。
さて、そろそろ受験シーズンですね。
受験生の皆さん、風邪などひかないように、あともう少しの間、全力で駆け抜けてくださいね〜!
2011年01月21日
花山天皇
超久々の、『大鏡』です。
〈本文〉
次の帝花山天皇と申しき。冷泉院の第一の皇子(みこ)なり。御母、贈(ぞう)皇后宮懐子(くわいし)と申す。太政大臣伊尹(これまさ)のおとどの第一の御女(むすめ)なり。この帝、安和元年戊辰(つちのえたつ)十月二十六日丙子(ひのえね)、母方の御祖父(おほぢ)の一条の家にて生まれさせ給ふとあるは、世尊寺(せそんじ)のことにや。その日は、冷泉院の御時の大嘗会(だいじゃうえ)の御禊(ごけい)あり。同ニ年八月十三日、春宮(とうぐう)に立ち給ふ。御年ニ歳。天元(てんげん)五年二月十九日、御元服(ごげんぷく)、御年十五。永観ニ年八月二十八日、位につかせ給ふ。御年十七。寛和ニ年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二日の夜、あさましくさぶらひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺(はなやまでら)におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと、二年。その後(のち)二十二年おはしましき。
〈juppo〉リクエストをいただきました。皆さん本当にいつもありがとうございます。お陰さまで「次は何を描こうかな〜」なんてことで頭を悩ますことはすっかりなくなりました。それどころか、いただいたリクエストにすぐに対応出来ず、忘れた頃にこっそり更新、といった有り様です。どうか是非、暖かい目で見てください。
今回は、この作品にリクエストをいただいたのではありません。この次に来る「花山院の出家」という章へのリクエストでした。
要するに花山という名の天皇が出家する話なのですが、その前に花山帝の生い立ちが語られた章があったので、じゃあついでにここから、と描いたものです。
以前描いた『大鏡』の作品は藤原道長が嫌味なほど大活躍するお話でしたが、今回は道長は出て来ません。
摂関政治で羽振りを利かせていた藤原一族の陰謀で、位を退くことになった悲劇の帝のお話の様です。
帝って、古典では何だかいつもこういう政治の犠牲になって、立場がないですよね〜。
次回は、花山帝が出家する日の詳細です。お楽しみに(いえ、楽しい話ではないんですけど)。
〈本文〉
次の帝花山天皇と申しき。冷泉院の第一の皇子(みこ)なり。御母、贈(ぞう)皇后宮懐子(くわいし)と申す。太政大臣伊尹(これまさ)のおとどの第一の御女(むすめ)なり。この帝、安和元年戊辰(つちのえたつ)十月二十六日丙子(ひのえね)、母方の御祖父(おほぢ)の一条の家にて生まれさせ給ふとあるは、世尊寺(せそんじ)のことにや。その日は、冷泉院の御時の大嘗会(だいじゃうえ)の御禊(ごけい)あり。同ニ年八月十三日、春宮(とうぐう)に立ち給ふ。御年ニ歳。天元(てんげん)五年二月十九日、御元服(ごげんぷく)、御年十五。永観ニ年八月二十八日、位につかせ給ふ。御年十七。寛和ニ年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二日の夜、あさましくさぶらひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺(はなやまでら)におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと、二年。その後(のち)二十二年おはしましき。
〈juppo〉リクエストをいただきました。皆さん本当にいつもありがとうございます。お陰さまで「次は何を描こうかな〜」なんてことで頭を悩ますことはすっかりなくなりました。それどころか、いただいたリクエストにすぐに対応出来ず、忘れた頃にこっそり更新、といった有り様です。どうか是非、暖かい目で見てください。
今回は、この作品にリクエストをいただいたのではありません。この次に来る「花山院の出家」という章へのリクエストでした。
要するに花山という名の天皇が出家する話なのですが、その前に花山帝の生い立ちが語られた章があったので、じゃあついでにここから、と描いたものです。
以前描いた『大鏡』の作品は藤原道長が嫌味なほど大活躍するお話でしたが、今回は道長は出て来ません。
摂関政治で羽振りを利かせていた藤原一族の陰謀で、位を退くことになった悲劇の帝のお話の様です。
帝って、古典では何だかいつもこういう政治の犠牲になって、立場がないですよね〜。
次回は、花山帝が出家する日の詳細です。お楽しみに(いえ、楽しい話ではないんですけど)。
2007年06月10日
競(くら)べ弓A
お待たせしましたっ。続きです。
〈本文〉
中の関白殿、また御前(おまへ)に候(さぶら)ふ人々も、
「いま二度(ふたたび)延べさせ給へ」
と申して、延べさせ給ひけるを、安からずおぼしなりて、
「さらば、延べさせ給へ」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より、帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」
と仰せらるるに、同じものを中心(なから)には当たるものかは。次にぞ帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななくけにや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政(せっしゃう)・関白すべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じ所に射させ給ひつ。饗応し、もてはやしきこえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、
「何か射る。な射そ。な射そ。」
と制し給ひて、ことさめにけり。入道殿、矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。
〈juppo〉4コマ描いただけで、一週間もお待たせしてしまってスミマセン。道長公はホントに凄いお人じゃ、という話です。後に成功したからこそ凄い話ですが、成功してなかったらただの自信過剰です。一方、伊周や『枕草子』の隆家兄弟は私の描き方もあってほとんどバカ兄弟ですけど、これも後に没落してしまったからこうなってしまうのであって、一方を立てれば他方は立たず、というのは物語のセオリーだし、本人に会っていればまた違う印象なのでしょうが、物語はこうして不公平に伝わっていくものなんですね。
本文を読んで特に分かりにくいのは「延べさせ」とか「射させ」とか「出でさせ」の「させ」の意味だと思います。これを使役の助動詞(〜させる)と思って読んでしまうと意味不明です。これは、尊敬の助動詞なので、「お延ばしに」とか「射られた」とか「出ていかれた」と言っているのです。そこを押さえて読むだけでも、意外とスッキリしますよ。漫画では敬語表現は全く使ってないんですけど。すみません。
個人的には本文の「無辺世界を」という表現が好きです。あり得ない所に飛んでいった雰囲気が良く出てますよねぇ。
〈本文〉
中の関白殿、また御前(おまへ)に候(さぶら)ふ人々も、
「いま二度(ふたたび)延べさせ給へ」
と申して、延べさせ給ひけるを、安からずおぼしなりて、
「さらば、延べさせ給へ」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より、帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」
と仰せらるるに、同じものを中心(なから)には当たるものかは。次にぞ帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななくけにや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政(せっしゃう)・関白すべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じ所に射させ給ひつ。饗応し、もてはやしきこえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、
「何か射る。な射そ。な射そ。」
と制し給ひて、ことさめにけり。入道殿、矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。
〈juppo〉4コマ描いただけで、一週間もお待たせしてしまってスミマセン。道長公はホントに凄いお人じゃ、という話です。後に成功したからこそ凄い話ですが、成功してなかったらただの自信過剰です。一方、伊周や『枕草子』の隆家兄弟は私の描き方もあってほとんどバカ兄弟ですけど、これも後に没落してしまったからこうなってしまうのであって、一方を立てれば他方は立たず、というのは物語のセオリーだし、本人に会っていればまた違う印象なのでしょうが、物語はこうして不公平に伝わっていくものなんですね。
本文を読んで特に分かりにくいのは「延べさせ」とか「射させ」とか「出でさせ」の「させ」の意味だと思います。これを使役の助動詞(〜させる)と思って読んでしまうと意味不明です。これは、尊敬の助動詞なので、「お延ばしに」とか「射られた」とか「出ていかれた」と言っているのです。そこを押さえて読むだけでも、意外とスッキリしますよ。漫画では敬語表現は全く使ってないんですけど。すみません。
個人的には本文の「無辺世界を」という表現が好きです。あり得ない所に飛んでいった雰囲気が良く出てますよねぇ。
2007年06月03日
競(くら)べ弓@
大鏡、巻五です。
〈本文〉
帥殿(そちどの)の南の院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿のわたらせ給へれば、思ひかけず、あやしと、中の関白殿おぼし驚きて、いみじう饗応(きゃうおう)し申させ給うて、下臈(げらふ)にはおはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせ給ひけるに、帥殿の矢数、いま二つ劣り給ひぬ。
〈juppo〉6月になりました。私は一つ年をとりました。
『大鏡』はここでは初めてご紹介します。「望月のかけたることもなしと思へば」と詠んだ、藤原道長のスーパーヒーロー列伝です。藤原氏は当時栄耀栄華を極めた一族なんですが、それは日本史などでも勉強することだし、私はそんなに詳しくないし長くなるので、ここでは説明はしません。ただ、物語の中で同じ人物をいろんな名前で呼んでるのが紛らわしいので、一族の簡単な系図を入れました。これを入れたためにマンガの方がちょっぴりしか描けなくて申し訳ないんですけど、続きをお待ち下さい。
系図の中にある「隆家」とか「定子」は『枕草子』に登場しています。そして道長の娘「彰子」に仕えたのが「紫式部」なんです。古文の世界はどこかで何かが繋がっているのですね
〈本文〉
帥殿(そちどの)の南の院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿のわたらせ給へれば、思ひかけず、あやしと、中の関白殿おぼし驚きて、いみじう饗応(きゃうおう)し申させ給うて、下臈(げらふ)にはおはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせ給ひけるに、帥殿の矢数、いま二つ劣り給ひぬ。
〈juppo〉6月になりました。私は一つ年をとりました。
『大鏡』はここでは初めてご紹介します。「望月のかけたることもなしと思へば」と詠んだ、藤原道長のスーパーヒーロー列伝です。藤原氏は当時栄耀栄華を極めた一族なんですが、それは日本史などでも勉強することだし、私はそんなに詳しくないし長くなるので、ここでは説明はしません。ただ、物語の中で同じ人物をいろんな名前で呼んでるのが紛らわしいので、一族の簡単な系図を入れました。これを入れたためにマンガの方がちょっぴりしか描けなくて申し訳ないんですけど、続きをお待ち下さい。
系図の中にある「隆家」とか「定子」は『枕草子』に登場しています。そして道長の娘「彰子」に仕えたのが「紫式部」なんです。古文の世界はどこかで何かが繋がっているのですね