〈本文〉
四日(よか)。かぢ取り、「今日、風雲の気色(けしき)はなはだあし。」と言ひて、船出(い)ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。このかぢ取りは、日もえはからぬかたいなりけり。この泊まりの浜には、くさぐさのうるはしき貝・石など多かり。
かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人のよめる、
寄する波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下(お)りて拾はむ
と言へれば、ある人の堪(た)へずして、船の心やりによめる、
忘れ貝拾ひしもせじ白珠(しらたま)を恋ふるをだにもかたみと思はむ
となむ言へる。女児(おんなご)のためには、親幼くなりぬべし。「珠ならずもありけむを。」と人言はむや。
されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。なほ同じ所に日を経(ふ)ることを嘆きて、ある女のよめる歌、
手をひでて寒さも知らぬ泉にぞ汲(く)むとはなしに日ごろ経(へ)にける

〈juppo〉皆さん、今年もお世話になりました。2010年最後の古文は『土佐日記』です。
『土佐日記』は「帰京」で一旦終了しましたが、すっ飛ばした道中の1エピソードが今回の「忘れ貝」です。
「馬のはなむけ」のとき「和泉の国までは」無事に着きますように、と祈っていたその、和泉の国まで来ています。無事に四国から本州に渡った模様です。
余談ですが、内容が内容なので、「和泉の国」が「黄泉の国」に見えたりします。
和泉の国には1月29日に着いたらしいです。日記の日付が2月4日ですから、その間この辺の浜でぶらぶらしている訳で、ヒマを持て余すとどうしても思い出に耽ってしまうのが人間と言うものですね。
忘れ貝というのは、拾うと人を想う苦しさを忘れさせてくれる、という貝なんだそうです。忘れな草とは逆の意味合いですね。この後のエピソードには忘れ草というのも出てくるらしいですが。
亡くなった子を想い続ける苦しさから解放されたい、と言う妻と、いつまでも想い続けることがその子の形見であるのだ、という夫。それだけの哀しみであるのでしょうし、もちろんそう簡単に忘れることなどできないでしょうね。
私も、亡くなった人のことは忘れないでいることが供養になるというか、残された者の務めでもあるように思います。ですから私も、忘れ貝は拾いません。
「死じ子、顔よかりき」とはその頃よく言われたことわざらしいです。「早く亡くなった子ほど、可愛かったし良い子だったと思えるんだよね。」と、よく言っていたのでしょう。今でもそうですね。
今年はいろいろあって、更新がたびたび滞ってしまいました。反省しています。
訪問し続けてくださった方、励ましてくれた皆さん、本当にありがとうございました。ブログをやっていて良かったです。
来年はもっとたくさんの作品を紹介出来たらいいな、と思っています。「思ってるだけか!」とツッこまれないよう頑張ります。
皆さんにとって来年も、もっともっと良い年でありますように。